似たような状況を乗り越えて
一緒になってる人たちを見ると、
もしかしたら今思ってるよりは
何とかなるのかも?と
必死に考えたい自分がいる。
いくら模索したって
相手の気持ちは分からない。
相手の価値観や考えだって
そんなすぐに深い部分までは
知り得るはずもない。
何となく、自分に対して
興味は持ってくれてるのかな、
もしかして恋愛の意味でも
全く可能性はゼロではないのかな、
と正直思い始めてる。
だけど、それだって
事実かもしれないし
見当違いかもしれない。
自分はこれまで、恋愛で
とにかく人間性は重視するけど
見た目でのタイプというのは
特になかったというか
自分でもよく分からなかった。
でも、大好きな人と出会って
人から見たら整ってはなくても
たとえそれで周りに笑われたとしても
自分にとっては大好きな人みたいな
容姿が好きなタイプなのかも、
と思うようになった。
いくら模索したって
そうそう簡単に答えになんて
行き着けないし、
こんなにも大好きな人のことで
いっぱいになってる自分が怖いし、
何でもない顔して普通に
振る舞いながら心の中ではもう
大好きな人と出会う前の自分が
どんなふうに生きてたかさえ
思い出すのが難しくなってる。
高い壁かもしれなくても
どうしても大好きな人のことは
諦められそうにない。
毎日大切に持ち歩いてる
パスケースの中身がだんだん
増えていくのを自分だけが知ってる。
昨日、寝る前にベッドの中でふと
そのパスケースの中身に
昨日行けた大好きな人の一番
地元の神社のお守りが増えてるのを
もう一回確かめてから寝た。
家の中で全方向に気を遣って
立ち回る日々は今日も変わらないけど、
昨日自分のために自分の時間を
少しでも過ごせたことが
心の中で大きな支えや救いになってる。
神社の鳥居の上に広がってた
優しい青の空。
公園の木の緑は自分の心の奥まで
癒してくれた気がした。
コンビニで買ったパンとお茶が
こんなにおいしいと思えるのを
初めて知ったかもしれない。
将来こうなりたいなと思える写真、
大好きな人にもらった
手書きのメッセージ、
とても大切な想い出の物、
そして地元の神社のお守り。
自分の大切が詰まったパスケースを
いつもポケットに入れて持ち歩いては
そんな宝物たちを心の拠り所にしてる。
家の事情が複雑なのもあって、
普段自分の自由に出かけられる機会は
歩いて数分の小さい最寄り駅の
辺り以外はほぼない
という日常をずっと送ってる。
地元で行きたい所があっても
まず自分の都合で外出する
というのがこの家では高い壁すぎて
本当に現実的ではない。
でも、今日はうまい具合に
地元で昼間少しだけ
自分が行きたい所に行ける
機会があってすごく嬉しかった!!
前から自分にとって
縁も思い入れもある所。
大好きな人にとっても地元で
大好きな人を通して色々話す度に
自分も改めて地元を深く知りたいと
つくづく思うようになった。
自分の自由になる時間は
どう頑張っても昼間の数時間。
それもしょっちゅうは難しいけど、
今日自分が行きたい場所に
誰かの機嫌や色んなことを気にせず
自分のペースで行けたことは、
とても貴重なひとときで
本当に嬉しくて心が解放された。
自分の地元はすごく落ち着く
雰囲気がホッとできる場所と
いうのも再確認できたし、
大好きな人が行ってた小学校や
その近くの神社に行けたのも
こんなに近くで生まれ育った人
というのを感じて幸せに思ったり
どういう気持ちでここで
小学校生活を過ごしたのかなとか
普段は生活に追われて
家のことに神経をすり減らしてるのが
ゆったり違うことを考えられる時間が
あるのも本当に有り難かった。
大好きな人がいて
大好きな人が同じ地元で
改めて地元の話をする機会もあって
だからこそ今日も
少しでも自由な時間があるなら
地元を改めて歩いてみようと思えた。
大好きな人がいてくれて
その存在で本当に多くの面で
救われて助けられて支えられて
そして世界を広げてもらってる。
目には見えないこと、
お金では買えないこと、
そういうものもたくさんくれてる。
本当に感謝しないといけないと思う。
子どもか!ってツッコみたくなるような
可愛い字と文章を書くような
大好きな人も、自分にとっては
とてつもなく大きな存在に感じる。
まるで制服のように
“無難”を着こなして生きてる。
この恋愛を周りには
知られないように生きてるうちに
自分そのものを世間に隠して
生きてるような気持ちになる。
今日、家族が自分に
「もしENAにあの人との
子どもがいたとしたら」
という仮定の話をしてきて、
まあ顔というか容姿を
いじるような決していい話では
なかったけど、自分にとっては
何か色々とそんなふうに
特別な関係性になれたらと
思わず想像してしまった。
それが仮の話ではなくなる日が
来たらいいのにな。
そう思いながら
自分と同じような恋愛をして
将来に繋がった人がいるのかを
調べてみたらいるにはいたけど、
好き勝手な偏見を書いてる人もいて
それが世間なのかなとも
思ってしまった。
自分は親の身勝手に
振り回されて生きてきたから
倫理観のないことは恋愛でも
本当に苦手。
でも、筋道が通った恋愛なら
たとえ少人数派でも
人に迷惑をかけなければ
本来は自由なはずで、
それに対して非難や批判する人は
それを違うと思うなら
自分自身はそうしなければいい。
その人の人生はその人が
決めればいいし、どんな価値観を
持とうがそれぞれでいいけど、
誰かがそれ以外の価値観を持ってたり
自分自身はそこまで大事に
思えないことを大事にしてたりすると
真っ向から批判するのは
すごくおかしいと思う。
自分自身が大人数派であろう
という認識がある時、何で人は
そんなに上から目線に
人に意見できるのか不思議。
大好きな人からもらった宝物を
自分しか見えない場所に
夜のほんの少しの自由な時間に
そっと飾った。
間違ったことをしてるわけでもなく
人に迷惑もかけてなくても
まるで悪いことをしてるかのように
いつもいつも心で隠し通す恋愛。
それでも自分は心で胸を張りたい。
こんなにも人を愛せてることに。
どうしてもこれはいつでも
身につけて持ってたいと思う物を
やっとコンビニで
普通紙プリントできた!
大切な想い出を厳選して
(と言うほどまだたくさん
あるわけでもないけど‥)
これだけはいつでも見たいと
思うもので紙ベースにできたり
パスケースに入るサイズの物は
いつもポケットにまとめて
文字通り身につけてる。
一人になれる空間では
そっとパスケースの中身を見て
励まされたり力をもらったり
そうやって毎日踏ん張ってる。
顔や態度には全然
どこにも誰にも出してないけど、
心の中では大好きな人の存在に
寄りかかってしまってるなと
感じることもあるから
それが自分で怖くもあるけど、
誰にも迷惑をかけてないなら
心の中だけでも
ほんの少しもたれさせてもらえたら
すごく有り難い。
「今日送ったからね!
明日届いたらいいなあ」
そんな連絡が心の中で
本当に大きな励みになってる電車内。
大好きな人が書いた手書きの文字を
手のひらの中で読めることも
本当に楽しみで仕方ないし、
それ以外の物ももちろん楽しみで、
大げさではなくそういう支えがあって
自分はやっと毎日を生き抜けてる。
電車内、そこそこ長い距離を乗って
何気なく天井を見上げて
飽きることなく何度も何度も
数え切れないほど大好きな人を
想いながら過ごす。
こんなにも支えになってくれる
こんなにも大好きと想える人が
いるだけでも幸せ、って
分かってるはずでも
心のどこかでは常に
「付き合えたらいいのに」
「特別な存在になりたい」と
思ってしまってる。
だから、苦しくなってしまうのに。
自分なりにこれまで長期間
努力して頑張ってきたのが
一瞬にして無に感じるような
悲しいことがあった。
その場所を大切に思って
心を込めて誠実にいつでも
向き合ってきたつもりでいたけど、
それは自分側だけがそう思ってて
相手側にとってはそうではなかった、
ただそれだけのことで
自分にはこれ以上どうしようもない。
そこは将来的にも自分にとって
居場所になりうるのかなと
これまではそこまで考えて
懸けてきたけど、もうこれからは
同じ気持ちでは向き合えないし、
これまでみたいに熱量高くは
そのことは頑張れないなと思うと、
心にぽっかり穴が空いたような
とても寂しい気持ちになった。
大好きな人をいくら想っても
大好きな人だって
自分の心の居場所になんか
本来はしたらダメなはずで
それでも今日は
大好きな人とは縁があるのかなと
思える複数の出来事があって
そのことで心を保ってるのも事実。
自分は家庭の温かさというものが
あんまり分からない。
生まれた時から親はいたけど、
いつも親のDVや
教育虐待を含む虐待に悩まされて
親の望み通りの子どもにならないと
生活していけないから
自分を押し殺してただその日を
うまくやり過ごすことに必死で、
家ならではの安心感や
家族ならではの温もりというのは
大人になった今も
すごく憧れながらも
経験してないからあくまでも
想像の世界でしかない。
大好きな人が自分のために
何かをしてくれる時の笑顔を見てて
「何か家族みたい」とふと思った。
大好きな人が名前を呼んでくれる時
そこに打算や計算や
「こいつを思い通りにしよう」
という主従関係はどこにもないし、
大好きな人が書いてくれた字は
びっくりするほど優しくて
そんなに長々と文章を
書いてるわけではないのに
その字を見ただけで愛を感じる。
その愛がどういう愛なのかは
自分には分からないにしても、
自分のために心を込めて
してくれた行動というのは分かる。
自分を平気で傷つけて
機嫌で振り回して
理不尽に苦痛を強要してきた親は
自分がどんなに苦しもうが
むしろ面白いと思うような人間で、
家族ではなく知人と思って
ここまで我慢してきた。
大好きな人は地元は同じでも
血縁関係や戸籍上の親類関係が
あるわけではないけど、
大好きな人と関わってる時
繋がってるなと感じる時
まるで温かい家族の中にいる自分が
リビングで団欒してるような
温かく優しい温もりを感じる。
そういう空気は知らないはずなのに
大好きな人を昔からずっと知ってて
同じリビングで一緒に遊んだり
じゃれ合ったり笑い合ったり
時には真面目な話もしたり、
そういう空間に一緒にいるかのような
そんな気持ちになるのが不思議。
じゃあ胸を張って
そんなふうに家族になれたらと
夢を描けるような状況の恋愛なら
それに向けて頑張ろうと思えたのかな。
告白するのも難しい、
仮に告白されても
将来のことを考えたら
自分はただ喜んで相手の気持ちを
受け取るなんて許されないと思う。
そんな切ない恋愛をしてるのに
その相手から家族みたいな温もりを
教えてもらうなんて
何とも言えない気持ちになるけど。
大好きな人はきっと
温かい家庭で育った人。
だからあんなふうに
優しく言葉を紡げて
優しい顔で笑える。
自分とは共通点も多いけど、
穏やかな家庭で育った人には
そういう家庭で育った人にしかない
安定感があるような気がして、
それは自分がどんなに努力しても
きっと一生どうにもできないこと
と思うと、とても引け目を感じる。
写真を見ただけで、心に温かい空気が
流れてきて自分が抱きしめられるような
そんな気持ちになれる。
誰にも言えないけど、
大好きな人は心の家族。
複雑な家庭に育ったけど、
自分の名前は好き。
でも、そんな名前をより
好きになった瞬間は
大好きな人が初めて
自分の名前を呼んでくれた時。
すごく恥ずかしがりで
そうそう簡単に異性の名前なんて
呼ぶような人ではないから、
本当に貴重なものに思えて
涙が出るほど大感動した。
自分の「大好き」が
どういう意味での「大好き」か
大好きな人がどれだけ
分かってるかは分からない。
許されるならもっとちゃんと
気持ちを伝えたいけど、
今の自分は
というか自分はもしかしたらずっと
いかにも何かのついでのように
「頑張ってる姿が本当に大好き」
という言い方しかできなくて、
悔しいけどそれが精一杯で、
そのくせ一つ目標が叶ったら
次はこうしたいとかこうなりたいとか
その先を願ってしまう自分もいて、
人を大好きになることは
こんなにも素晴らしいことのはずが
いつも心を痛めてしまってる。
ポーカーフェイスで生きながら
大好きな人がしてくれたことに
心の中ではニヤニヤしてしまう。
誰もいない一人の空間に
入るやいなや大好きな人が
書いてくれた手書きの文字の
自分の名前を繰り返し見ては
また頑張ろうと励まされる。
自分の毎日は大好きな人で
かろうじて色付けされてる。
大好きな人の声は前から知ってた。
でも、名前を呼んでくれる声は
あまりにも新鮮で
まるで初めて聴く種類の声な気がした。
自分がこんな気持ちになれることに
自分でもびっくりしてる。
相手に自分への恋愛感情が
あるのかは分からない。
どこまでの特別な気持ちがあって
そう言ってくれたのかは
どう考えてもそれは自分の
想像でしかない。
ただ、大好きな人が
自分が思ってる以上に
自分という人間を知ってくれてて
大きな共通点や同じ部分があるのを
「嬉しすぎる!」と言ってくれたのは、
普段から誠実で口数が少なくて
その時の気分で調子に乗って
ペラペラ話したりする人ではないと
分かってるからこそ余計に嬉しかった!!
自分が大好きな人に対して
恋愛感情を持つことは
恥ずかしくて許されないと
言い聞かせて隠してここまで来た。
これからも堂々と自分の気持ちを
本人はもちろん周りの誰かに
打ち明けたりするつもりはないけど、
本人が少なからず
自分を好いてくれてる
それが恋愛感情かどうかは
はっきりしないにしても
人として距離を置かれたり
その他大勢の一人ではない
自分との明らかに大きな
他の人にはない共通点を
そんなに喜んでくれて
「一緒で嬉しい!」と
言ってくれたことが、
黙々と毎日の義務と役割を
こなすだけに必死で
鬱々と生きてきた自分の生活に
暖かい光を照らしてくれてる。
初めて、気持ちと気持ち
心と心が交ざり合うのを
しっかり感じた気がした。
大好きな人から
大好き
と言われるような未来が
神様の勘違いでもいいから
来てくれないかなと願ったりする。
そんな強欲になるな、
まずは人としてでも何でも
大好きな人が好意的に見てくれてる
しかも決して社交的ではない
人と関わるのが苦手な人が
そこまで言ってくれてる
ということに感謝しようと
自分に言い聞かせて
舞い上がりそうな心を落ち着かせる。
大きな同じ特徴がある同士、
お互い相手への気持ちの種類も
同じになる日が来たらいいなあ。