一昨日、昨日と
前から好きなバンドの歌を
時間がある時に何曲か聴いてた。
前から好きなだけあって
そのバンドで好きな歌を挙げろと
言われればそれなりに浮かぶけど、
大好きな人と出会って
好きなバンドも一緒と知ってから
余計に聴くようになった。
この歌のこの部分が
ここまで切ない歌詞ということや
歌の始まりの数音で
涙が出るようなことが本当に
あるということを改めて知った。
どんなに好きでいても
気持ちを伝える瞬間は
きっと来ないのかなと思うし、
ただ好きでいるだけ
それ以上きっと何もできない
どうにもならないもいうのが
こんなに苦しいなんて思わなかった。
何年も前に撮った写真を見ると、
この頃の自分は毎日どんな心を抱えて
生活してたのかなあと思う。
大好きな人とは全然関係ないところで
傷ついた出来事があった。
簡単に言ってしまえば、
自分から見てこの人は信頼できると
思ってた人が実は平気で
ひどいことをするような人なのを
つい最近、初めて知ってしまった。
その人に依存して寄りかかってたとか
そういうのではないとはいえ
心の中でその人を信頼して
支えにしてる部分は確かにあった
というのを今回の出来事があって
改めて感じた。
大好きな人を心の中で
こんなに大好きで、
いつもいつも想ってることを
怖いと思ってしまう。
今回それはないなあと感じた人と
大好きな人は全然繋がりもないけど、
人間って怖いなと感じた時に
大好きな人をこんなに大好きで
いいのかな、大丈夫なのかなと
恐怖感を持つ自分がいる。
自分の恋愛と共通項がある人が
ネットで何かの記事になってて
何気なくそこのコメント欄を見たら、
応援してる!って人もいたけど
目を覆いたくなるような
批判的な内容を書いてる人もいた。
家庭環境の複雑さで言えば
自分もまあまあ昔から明らかに
「普通」の枠ではない中で
生きてる人間ではあったけど、
元々そんなふうに「普通」から
はみ出した人間でも
自分の今の恋愛は人によっては
こんな言葉で非難されうること
なのかなあと思うと心にすごく
重くのしかかってきた。
自分と同じような状況に限らず
そして恋愛に限らず
世の中には色んな状況や立場の人が
いると思うけど、その人が
割合的に少数派であったとしても
自分自身とは価値観や感覚や考えが
違ったとしても、だから批判や
非難をしても許されるというのは
おかしいと自分は思う。
恋愛でいうと、その相手が
例えば何か公序良俗に反するような
迷惑をかけてくるとかで
それに対して不快を示すのは
批判や非難ではなく
真っ当なことのはずでも、
何も迷惑をかけずに
生きてる人たちに対しても
「少数派はおかしい!」
「気持ち悪い!」
「もし自分の家族なら絶対嫌」
とか言うのは、さすがに言葉が
行きすぎな気がしてしまう。
自分が意図せず少数派に分類される
状況に誰もがいつなるか分からない。
価値観や感覚や考えが
たとえ世間の平均値でも
平均値=人として正しい
とは限ってないと思うし、
価値観や感覚や考えとは
また違う何らかの事情で
誰もが世間から見た少数派にいつ
入ることになるかは分からない。
それでも他人事なのかなぁと思う。
自分とは違う人たちとか
自分には理解できないと思うのもまた
人としての自由ではあるけど、
だからといってそのまま
それをぶつけて自分は正義
というのは違う気がする。
好きで少数派になってるんでもなく
すごく悩んだり苦しんだり
周りからは見えない苦悩や葛藤も
たくさんあるのにな、と思う。
目立ってなんぼ、炎上大歓迎
みたいな考えをしてる人は
あえてそれを狙ってる人も
中にはいるのかもしれないけど、
多くの人は周りに否定されたり
批判されたり非難されたら
その態度がきつければきついほど
すごく傷つくし
人と関わるのが怖くなる。
自分の恋愛はやっぱり
少数派というのを実感してしまった。
何も悪いことや
倫理的に引っかかることを
してるわけでは全然ないけど、
それでも周りに知られたら
もしかしたらこの人は自分を
理解してくれそうと今思ってる人も
激しく好き放題非難する方に
回ってしまうのかなと考えると
絶対に誰にも言えないなと思った。
家族のあまりにも自分勝手な
わがままに疲れ果てた
最寄り駅からの帰り道。
何気なく前を見たら
何かスポーツ帰りに見える
少年が目に入った。
半袖Tシャツにハーパン、
ランシューにリュックみたいな
かつての自分と同じような服装。
大好きな人と自分は
同じスポーツをしてきた。
今日見たその子も同じ競技か
どうかは分からないけど、
後ろ姿や背格好が大好きな人に
すごくよく似てるように見えた。
大好きな人がこの年齢の頃は
きっとこんな感じかなと
思わせるような雰囲気があって、
疲れ果てた今日の締めくくりに
そんな子を見れたことが
自分の中で本当に救いに思えた。
あることへの答えを探して
毎日一生懸命過ごしてるけど、
今の現状ではどんなに頑張っても
簡単にその答えがその辺りに
転がってるわけではない。
普段は細かいことには
こだわらない性格でも
大好きな人のことになると
普段なら気にもならないことが
自分の中で大きな問題になったりする。
仮の答えを自分の中に
とりあえず置いて、
ちゃんと本当の答えが見つかるまで
それを得られるまで
頑張っていくしかない。
重大な秘密を抱え続けてるかのように
絶対に人に見られてはいけない
ポケットの中のパスケースを
テーブルの下で服の上から確かめる。
そのパスケースの中身の
大好きな人との想い出の数々も
人前では決して出すことはできない。
自分は周りの人にあんまり
自分の話はしないけど、
それでもこの人には話せると
思った時には話せるような
恋愛をできてたら良かったな
と思うと今の恋愛が
まるで悪いことをしてるかのようで
本当に悲しくなってしまった。
いくら「もしこうなら良かった」と
思ったところでその「もし」側に
自分が立つことはできない。
だから、そこにいくら立ち止まって
あれこれ考えたところで
どうにもならないし、
魔法のように解決策が空から
降ってくるはずもない。
もうこんなに特別になってたとしても
仮に向こうから見た自分も
特別な存在になりつつあるとしても、
恋愛感情は隠して
黙って好きでいるだけなのかと思うと
心が痛くてたまらなくなる。
暴言の嵐の家。
自分の気持ちを押し殺して
ひたすら黙って家族の機嫌の悪さが
通り過ぎるのを待つという
根本的には何の解決もしない日々。
本当は人生の中で唯一の
今日という日を大切に
心を踏みにじられずに生きたいのに。
大好きな人に関係する用事で
ほんの数分、外を歩いた。
その時間だけが
自分が自分で生きてると思える
大切で特別で貴重すぎるひととき。
家の状況を考えたら
自分は自由にはこの先夢を
描いたりはできないのかなという
圧力が常にある。
大好きな人は、これから今よりも
仕事で認められて
もしかしたら活躍の場が
広がるのかもしれないし、
努力と頑張り次第では
輝く未来も見れる人。
色々と他にも悩みはあったとしても
そこの差も自分にとって
すごくしんどいのかもと思った。
「普通だったらそこまで
ENAのこと覚えてないと思うよ?
それ(手書きのメッセージ)だって
心を込めて書いたはずだよ」
大好きな人が自分に書いてくれた
手書きのメッセージのことを
知ってる友達がそう言ってくれて、
あぁ自分はあの人の特別に
なりたいと願ってると改めて気づく。
きっと釣り合わない部分もあるし、
そこに引け目を感じないかと
いうとやっぱり嘘になるけど、
大好きな人を大好きな気持ちなら
絶対に自信がある。
あの人の特別になりたい。
何かがあったからとかではなく
何の脈絡もなく
学生時代によく流れてた歌を
心の中に思い出す。
もしあの頃頑張ってたこと以外の道に
進んでたら違う人生もあったのかな、
もはや明るい振る舞いも今では演技で
心には孤独や寂しさがあるような
日々を生きずに済んだのかな、
という思いを拭うことができない。
毎日の中に自分を励ます瞬間を
できるだけ少しでも作るようにしてる。
自分くらいは自分を大事にしたい。
甘い物を食べる時いつも
大好きな人を想ってしまう。
もしここに一緒にいたら、
たとえどんなささやかな物でも
特別おいしく感じるに違いない。
大好きな人をまだ知る前と
知ってからの毎日は
自分の人生という意味では
線上で繋がってるはずが、
感覚としては全然別物というか
それ以前とそれ以後では
色んな意味で変わったなと思う。
何か一つの出来事があった時に
思うことや感じることも
あの夏を境に変わった気がするし、
大好きな人と出会う前の自分は
今から考えたら今よりも
「こうでないといけない」
「これが正解で、それは自分にとって
常識から外れるから許されない」
というような枠が狭かった気がする。
そんなこと言いながら今でも
心のどこかで自分の中で勝手に
決められた常識や正解があって、
それから外れてることに関しては
やっぱり抵抗があるのかなと
思うこともよくあるけど。
物心ついた時からいつでも
複雑な家庭環境の中で
いかに自分を押し殺して振る舞うか
いかに安全に生き延びるか
ということに全集中してたから、
思い出したところでそんなに
楽しかったりキラキラしたような
毎日ではなかったけど、
あの夏以前の自分を
もううまく思い出せなくなってきた。
いつもいつでも気づけば
大好きな人を想ってる。
適度に思うだけならきっと
楽しいだけで過ごせるのに
いちいち真剣に一途になってしまうから
今日もこんなにも切なくて苦しい。