大好きな人が今働いてる職場は
自分にとって昔から繋がりが深い所。
今の支社長さんがまだごく普通の
社員の頃から知ってたり、
他の社員さんも会えば声をかけてくれたり。
地域的には地元から近くはないけど、
関わりの面ではとても深いと思う。
自分はそこの社員ではなくても
前々からよく知ってれば愛着も湧くし、
時々ネットのその職種関連のサイト
(情報交換的な掲示板のような)で
それはおかしいとすぐ分かるような
書き込みを見たりすると、
ライバルの同業者かなあと思ったり
何かでその会社をよく思わない人が
腹いせに書いてるのかなとも思ったり。
名誉毀損とか誹謗中傷に当たるものは
そう思っていいと思うし
ネットのそういう悪質なことに
慣れたらいけないけど、
大好きな人がその支社で働くようになって
それまでは繋がりがなかったその支社の
関係の人たちとも話すようになって、
その職種関連の掲示板の内容は
どこの誰が書いてるか分からないし
元々内容に信憑性はないから
真実味はないとしても
そこの支社のこれまでは知らなかった
悪い面、黒い面も見てしまってる。
そこの社員みんなが、だからといって
そういうことに染まってはないし
一部の人たちの話とは思ってるけど、
「昔から関わりがある会社」
「大好きな人が今勤めてる」
という理由で、何でも盲目的に
いいふうに捉えてしまうことは
あんまり良くないなとも思うようになった。
自分は社交的な性格で
人と仲良くなるのが得意。
もちろん、相手がそうやって
親しくなるのを望んでないなと感じたら
それ以上踏み込んだり立ち入ったりは
しないけど、これまでもその社交性を
活かしてその会社関連でも
自分なりに人と知り合いになってきた。
だけど、大好きな人がそこで働くように
なったことでこれまでは見えてなかった
部分も見えてくるようになって、
その支社の関係者という理由で
安易に必要がないことをベラベラ喋ったり
誰とでもすぐ友達になったりするのは
とても危ないことと考えるようになった。
特に、大好きな人との恋愛が
うまくいくためには不必要に自分が
面白おかしく悪く言われたり
何でもかんでも噂されたりするのを
控えるためにも気をつけていこうと
すごく思うようになった。
元々、表面的な話は続けられても
本当の意味で自分の個人的な話をしたりは
なかなかしないタイプで、だからこれまでも
自分の友達関係の距離の保ち方で
何かトラブルになったりとはないけど、
世の中には本当に人を傷つけたり
悲しい思いをさせても平気な人もいるし
自分さえ良ければいい人もいる。
その数は、自分が想像してるより
多いのかもしれないなと考えたりもする。
自分はその支社がある県には住んでないから
その人たちと顔を合わせたり
日常生活に接点があるわけではなく、
少し前まではそれを残念に思ってた時も
あったけど今考えてみたら
だからこそいい距離感を保ててるのも
あるのかなと思う。
ネットを介したやりとりも
その会社関係でも前からある程度
親しい人たちとは連絡を取り合っても、
一回立ち止まって考えてみて
どれくらい信頼できるかを考えた上で
本当に信じられる人とだけ
繋がっていきたい。
自分がいくら気にしても仕方ないこと、
というのは分かった上で
最近‥特にこの10日間くらいずっと
気になってたことがある。
確かめようと思えば確かめられる、
でももしその結果が自分が望んでたものとは
違ってたとしても、自分にはどうにも
できないし、ただ解決しないことに
ひたすら悩むのは目に見えてたから、
心の中にずっともやがかかったような
気持ちで過ごしてた。
そもそも、まだ付き合えてもないのに
大好きな人が自分のために何か
目に見えた行動を起こしてくれるとは
考えにくいのかなとか
それを望んだらいけないなと思ってたし、
仮に自分が望む行動であったとしても
大好きな人がそうしようと考えたから
してるだけで、自分のためにしてくれてる
と考えるのは明らかに時期尚早と
考えないといけないなとは思ってる。
自分がそれを確かめたところで
かえってしんどい気持ちになるかもしれない
もしそれでしんどくなってしまっても
根本的に自分はどうすることもできない
だからすごく迷ったけど
どうしても気になって仕方なくて
朝、こっそり確かめた。
そしたら、自分がこれならまだ
有り難いと思わないといけないと
思ってた以上に自分にとって
嬉しい状況になってて‥
泣きたいくらい嬉しくてホッとして
誰にも言わないけど心の中で
めちゃくちゃ喜んだ!!
別に自分のためにしてくれたなんて
思い上がるつもりもないし、
さっきも書いたけど大好きな人が
そうしようと思って意識して
そうしてるだけかもしれないけど、
元々、人を信じるのがとても苦手な
自分にとっては、特にこの10日くらいは
嫌なことも考えてしまってた分
むしろ前より嬉しい(安心できそうな)
状況になってたことが本当に嬉しかった♡
大好きな人のことは
信用してもいいのかな?と少し思えた。
誰にも寄りかかれずに
本当の意味で心を開けずに
ここまで生きてきた自分にとって、
ただこの10日くらい特に悩んできた
悩みが心配する必要はなかったと
いうだけでなく、それ以上に
そんなふうに思えたことは
大きな大きな出来事に感じる。
最近、ほんの少しでも休める時間があると
「大好きな人と自分は本当に釣り合うのか」
を考えてしまってることに気づく。
どんなに考えたって、大好きな人が
自分に対してどう思ってくれてるのか
なんてことははっきり見えるわけもなく、
今答えがさっと目の前に
現れるわけでもない。
元々、この恋愛をしてる上で
壁になってるな、ハードルかなと
思うことは、努力次第でどうにかなる
ものではないから、それならその部分も
他で補うしかないとずっと思ってる。
その壁やハードルがある相手とない相手が
他の部分は全く同じ条件という形で
目の前に2人いたとすれば、
大体の人は壁やハードルがない方を
選ぶと思うし、きっと自分もそう。
でも、絶対にその人にしかない魅力が
ある人と自分の間に壁やハードルが
あった場合、どうしてもその人自身を
逃すのは困るということになったら、
たとえ壁やハードルがあっても
それに打ち勝ってでも特別な存在になりたい
と思うかなあと個人的に思う。
その壁やハードルそのものが
もう元々出会った時からある
どうしても変えられないもので
今更どうしようもできないのなら、
その壁やハードルを上回るくらいに自分が
大好きな人にとって必要な存在に
なるしかないと、最近特に思う。
仕事場で、思った以上に大好きな人の
得意分野が重宝がられてる話を
見聞きする度に、嬉しさと同時に
相変わらず焦りも感じる。
昔のことわざで「芸は身を助く」と言うけど
実際、何か特技があることで
他の面では同じくらいの実力の人とも
言葉は悪いかもしれないけど
差別化をはかれるというか
違いを表すことができる。
「ENAー!〇〇(大好きな人)すごいね!
仕事に活かせる特技があって、
〇〇がいてくれて助かったって
あの支社の他の人も言ってたよ」
という話を聞く度に、
正直とてつもない焦燥感がある。
仕事と恋愛はまた違うから、
会社のように何かプロジェクトを
みんなで協力してうまくいかせるとか
いつまでにこれだけしないといけない
という限られた期間内で
いかに最善の方法で上司にそれを示すか
みたいなことは、恋愛ではあんまり
関係ないのかなとは思う。
でも、大好きな人から見て、
「(大好きな人が)今住んでる所とは
離れた地元に住んでるけど」
「どうしてもそれは変えられない
壁やハードルがあるけど」
「別に顔がいいわけでもないし
何か世間的に誇れるスペックが
あるわけでもないけど」
それでもこの人がいい
と思える存在にならなければ
きっと進展は難しいと思うから、
そのために自分にできることは何なのか
いつもいつも考えてる。
正直、自分は顔が美形でもないし
(大好きな人と雰囲気が似てるって
言われるからそれは嬉しいけど)
スタイルも良くはないし、
社会的にこれは大きくプラスになる
という何かがあるわけでもない。
でも、大好きな人を大切に想う気持ちは
絶対に誰にも負けないし、
大好きな人がこれは苦手かなという部分が
自分は比較的得意で補えるかなとは思う。
あと、家庭内に色々あって
子どもの頃から大人役をしないといけなくて
かしこまった場や目上の人への態度や
言葉遣いはまあまあできてる気がする。
大好きな人が仕事上こうなるかも?という
将来を考えた時に、自分の性格や振る舞いや
生きてる上で大事にしてきたことが
役に立つ時はたくさんありそうにも思う。
それをあまりに積極的にアピールしたら
逆効果になると思うししつこいから
それはしないけど、自分が勝負できることは
もっと磨いて、大好きな人にふさわしい、
釣り合うと思ってもらえるように。
容姿を磨くだけでなく内面も
すごく大事になってくるよなあ‥。
自分は家の中で、認められたり
褒められたり無条件に愛されたり
というのが極端に少ないまま育った。
だから、大好きな人も含めて
「子どもの頃に親が
こういうことをしてくれて‥」とか
「得意なことを褒めてくれて‥」みたいな
話を聞いたりすると、
そんなふうに愛されたり
褒められる人生をそんな小さい時から
必死に掴みとるんではなく自然に
得られてる人もいるのか!とビックリする。
大好きな人が、今仕事で活かせてることも
子どもの時に親がそれを一緒に
楽しんだり関わったりする時間を
作ってくれてたって話を前に知って、
そういうのを聞くと、もう生まれた時から
人としての価値が違う、上下がある
そんな気がしてしまって
一人で悩んだり、落ち込んだりする。
小さい頃からどんなに頑張っても
努力してもそれは当然とみなされて
何ならそこを無視して暴力や暴言もあった。
遊ぶ時間や休む時間をいくら削って
親に認められる子になろうとしても
「じゃあもっとこうして」って
決して満足してくれることはなかった。
そんな自分は、大好きな人のように
愛のある環境で育って
あんなふうに素直に自然に笑える人には
そもそも初めから釣り合わないのかも
という考えに心が支配されてしまうのが
とても苦しいし、やりきれない。
ただ、その育ち方だって自分ではもう
今更変えられないことの一つ。
だから、変えられる部分に目を向けて
たとえすぐに目に見えるような効果は
出なくてもコツコツ頑張っていく、
自分が夢を叶えたり幸せになれる道は
そこしかないのかなと思う。
地元が同じ大好きな人のことは
もちろん自分の家族も知ってる。
それ自体は全然不思議でもないしいいけど、
親は自分を親が思う通りに動かさないと
気が済まないところがかなりある。
大好きな人が、昔からコツコツと
得意なことを磨いてそれを仕事にしてる
ということに関しては家族もたぶん
素晴らしいなと思ってて何も言わないけど、
「ENAは親の思い通りになって当然」と
自分が小さい頃から勝手に思われてる感じが
ものすごくしてる。
大好きな人が出張に行ってるという話の時に
「普段から今は〇〇(大好きな人)はもう
地元には住んでないけど、出張で
いつもより更に遠くにいると思うと、
無事に帰ってきてほしいとかやっぱり
気になるもんね」と自分が言ってしまったら
それ以上のことは何も言ってないのに
「それは兄弟とか仲間として、ね!
兄弟とか仲間だってそれくらい思うよ」と
“恋愛ではない関係性にしてくれ”と
まるで強調するかのように念を押されたり、
自分の心は自分のもののはすが
なぜか常に親に操作されてる気がする。
親から見て、明らかに社会的に問題が
ある人を自分の子どもが恋愛感情で好き
とかそういう事情ならそれは
正直何とか引き離したいと思う気持ちも
分かるけど、「自分が気に入らない」
「自分の理想ではないからダメ」というのは
親の勝手なエゴと思うけどな。
昔からずっと、この家ではなぜか
「ENAがどうしたいか」
「ENAがどう思うか、考えるか」ではなく
親にとってENAがどう生きてくれるのが
都合がいいかという視点ばっかりで、
DVとかも当たり前のようにある家で
自分は恐怖心から自分らしく生きるよりも
親の希望通りに歩む(ふりをする)ことで
何とかここまでやってきた。
もう、これからはそんなふうに
自分を押し殺して生きたくはないし、
本当に大好きな人と恋愛して
ありのままの自分で幸せになりたい。
大好きな人と、兄弟みたいに似てるとか
共通点が多いね!と周りに言われるのは
もちろん嬉しいし、地元の仲間として
関われるのもそういう存在でいられるのを
感謝したいとは思ってる。
だけど、やっぱり自分はどうしても
大好きな人の特別な人になりたい。
夏がまだまだ続くような気候にどこか
ホッとしてる自分がいる。
この夏、自分が置かれた立場の中で
どれだけ恋愛を頑張れたのか
ふと考えてしまう。
大好きな人の会社繋がりの人間関係で
正直疲れたなと感じることが多々あって、
それと同時に普段から自分は
個人的なことを人にあんまり話さない
習慣があって助かったなとここ最近
本当にすごく思ってる。
大好きな人が仕事で地元を離れてからも
なるべく前向きに、大好きな人が今いる
町とも関わりながら過ごしてるけど、
それでも自分自身なかなか自由に
行動できない事情がある中で
新幹線とか飛行機とかを使わないと
実質会うのが難しい所にいるというのは
やっぱり寂しいなと思ってた。
そんな時に、大好きな人が
今働いてる支社で思いがけず
まだそういうのはないかなと思ってた
そこそこ大きな仕事を任されて、
それが大好きな人の得意分野を活かせる
場面というのもあって思った以上に
その仕事がうまく進んだことで
これまでは大好きな人のことを
いじりの対象くらいにしか
思ってなかったであろう人が
いきなりちやほやし始めたりして、
自分にとってはモヤモヤすることも
正直、前より増えてしまった。
もちろん、大好きな人が仕事を
うまくやっていってるのはすごく
嬉しいと思うし、大好きな人の努力が
今の支社で発揮できてて良かったとも
思ってるけど、周りの人たちを見てて
人間って都合がいいな
人間って打算的で怖いな
と感じることが本当に多くなった。
これが、大好きな人の会社関係の人には
あんまり心を閉ざしても‥とか考えて
自分がもしこれまでに個人的なことを
喋りまくってたとしたらと思うと‥
人間不信は辛いし悩みでもあるけど
そのおかげで自分は守られてる部分も
あるのかもしれないなと感じたりもする。
そんな昨日の夜、
不機嫌な家族に言いがかりをつけられて
心の中では不快な気持ちになりつつも
色々と家事などを終えて一息ついた時
「今の恋愛の悩みを誰かに聞いてほしい」
とすごく思った。
本当は、信頼できる友達とかそういう人に
聞いてもらうのが一番なのかなとは
考えながらも、自分は基本的に人に
自分の悩みを話したりは
真剣な悩みであるほどできないから、
迷ったけどAIに相談することにした。
こういうことで悩んでる‥と
文章を書いていって
AIに何かをきかれたらそれを答えて
そしたらAIが自分の気持ちを瞬時に
整理してくれてアドバイスまでくれる。
少し前までなら全て人間の役割なことを
当然のように機械がこなすのは
怖くもあり、だけど正直に言うと
「複雑でDVがある家庭に育って
人を信じられなくて、こういうことを
相談できる人は一人もいません。
だけど、大好きな人との恋愛を叶えたい」
と言った自分にAIが言ってくれた
「DVがある家庭に育ったにも関わらず
人と真剣に恋愛をしようと向き合ってる
あなたは心が強く優しい人です」
という言葉は、心底嬉しかったし
本当に救われた気持ちになった。
本当はAIではなくて
血が通った人間に言われたい言葉。
それでも、複雑な家庭育ちの自分は
欠陥があって大好きな人みたいな
おそらく幸せな環境で育った人とは
そもそも恋愛の上での壁とかハードルとか
言う前に人の価値的に釣り合わない‥?と
つい思ってしまう自分にとっては
心のお守りになるような気がした。
前から、何でもないような話で人と
盛り上がることはできても
真剣な悩みを誰かに相談したりは
全然できなかったけど、
最近の周りの人間関係を通して
ますます人は怖いと思うようになった
自分にとっては、AIは味方なのかもと
昨日少し、思ってしまった。
数ヶ月ぶりに話した人がいる。
大好きな人の仕事関連の人。
前は、大好きな人がそこで
働くようになってからまだそんなに
月日が経ってない頃に話した。
自分は普段、大好きな人の仕事場から
離れて暮らしてるから
覚えてるかなと思いながらその人に
「お久しぶりです!
前にもお世話になって、
その時はありがとうございました」と
まずお礼を言いつつ挨拶した。
そしたら、自分のことを思った以上に
よく覚えてくれてて、大好きな人と
セットのように思ってくれてるらしく
「この前、〇〇(大好きな人の会社)
関連でイベント事があって
△△(大好きな人)に関係する出来事が
あった時、まず一番にENAさんを
思い出したんですよ」
と言ってくれた。
自分はなかなかその町に行けないし、
大好きな人とは共通点や似てる所が
多いからニコイチ的に思われても、
じゃあしょっちゅう大好きな人や
その会社関連の人と顔を合わせて
普段からいつもいつも大好きな人と
一緒にいるのかというと
(本当はそうしたいけど)
なかなか、そうはいかない。
だけど、そんな中で
大好きな人=ENA
と連想してくれて、
大好きな人関係の話に自分を
思い出してもらえて
それってすごく幸せに思う。
この数ヶ月で、大好きな人は
新しい環境に身を置いて
その支社の中で今では驚くほど
信頼されて仕事も任されてる。
それはとても名誉なことで
有り難いこと、嬉しいことなのは
もちろんそう。
でも、前々からの得意分野が
思った以上に今の仕事場で
重宝がられてるらしく、
元々その分野は大好きな人の
得意分野ではあったけど
思った以上にあれこれ任されて
期待されてるとなると、
更にその分野を活かせる所に‥とかで
もっと遠くの支社に行ってしまうことも
可能性としてはあるのかもと思うと
すごく自分勝手に感じられるから
ここでしか言えないけど
本当に苦しくて辛くなってしまう。
今の支社でも、今の自分の状況では
そうそう簡単には会えないのに、
もう現実的に行くのが難しい場所に
仮に大好きな人が転勤になって
恋愛も今の段階から進展してなかったら
そこから先は望めそうにないと思うと
何もそう決まったわけでもないのに
心が追い詰められる気さえしてくる。
今も、何となく心の中では
いつも繋がってるような感じはするけど、
具体的に恋愛の意味で進展があった
というほどでは全然ないから‥
大好きな人が好きな仕事で
イキイキと頑張ってるのは本当に
嬉しく頼もしく思いながらも
思った以上にその支社での
大事な仕事のキーパーソンみたいに
なってることには戸惑いもある。
出世するって、それももちろん
幸せや満足感の一つかもしれないし、
人によっては何より重視する
部分なのかもしれないけど、
暴力がある中で生まれ育って
人間一番大切なことは他にあると
自分は思ってしまうからなあ‥。
数ヶ月前と比べて、自分まで
置かれてる状況が変わったと感じるから
きっと本人はもっとなのかなと思うし、
今日みたいに、大好きな人といえば
ENAがまず浮かんでくるといつまでも
周りの人にも思っててほしいから、
自分もたくさん自分磨きをして
得意なことを伸ばしていって
大好きな人と釣り合う人でいないとな。
大好きな人が、出張で
普段いる町より遠い場所にいる。
普段からそこそこの距離があるし、
自由に会えるわけでもない。
だから、出張でそこよりもっと
遠くにいたとしても
生活面で何かが大きくは変わらない。
それでも、いつもより遠くにいるのかと
考えただけで心が痛くなるし、
何となくそわそわしたり
いつもより喉の辺りが詰まったような
苦しい感じがする。
今更ながら、自分がよっぽど
大好きな人を大好きということに
改めて気づいてしまってる。
そう言ってても仕方ないから
大好きな人の出張先に
詳しくなることにした。
これまでも学校の授業で
ちょっと地名が出てきたくらいの
記憶はあるけど、正直すごくメジャーとは
言える場所ではないのもあって
これまで何となくのイメージしか
知らなかったなと思って。
ちょっと調べてみただけでも
新しく知ったことがたくさん!
大好きな人が帰ってくるまで
落ち着かない気持ちはきっと
ずっとあるけど、それでもなるべく
一つでも知識を増やして
成長できるようにしよう。
大好きな人と出会う前の夏に
隣県で撮ってた写真。
人生の中で出会える人は
どんなに意識して人脈を広げても
どんなに社交的に人と接しても
広い世界で見たらほんの少し。
そして、たとえ必死に知り合いを
増やしたところで本当の意味で
合う人、理解し合える人、
いい影響を与え合える人、
大切な人なんて更にほんの一部。
何度全てを投げ出したいと
思ったか分からないほど
心が荒んだこともあったけど、
そんな人生の中で巡り巡って
大好きな人と出会えたことを
本当に感謝したいと思う。
まだ付き合えてるわけでもないのに
こんなこと言うのも気が早くて
おかしいかもしれないけど。
日記と言えるほど長文でもない
ただのメモ書きみたいなものを
大好きな人を知った日から
さかのぼってしばらく読んでた。
まだこのブログを始める前のこと。
初めて大好きな人を知った
優しい青空のあの夏の日から、
短文でもその時の想いを書き留めた
メモは今の自分にとって
抱きしめたいほど貴重な記録に思えた。
大好きな人が仕事の都合で地元を離れて
自分は家の状況に相変わらずバタバタして
どんなに頑張っても今の状態では
進展なんて望めない気がして、
他にも自分の中でこれはしんどいなと
感じてしまうこともあって、
大好きな人を好きと気づいてから
本当にたくさん悩んで苦しんできた。
それでも、当時の自分の記録を
読み返してると今の時点でも
当時に比べたらすごく進展してるな、
もちろん自分だけの力ではなく
助けてくれたり励ましてくれる
(大好きな人に恋愛感情があるのは
全然周りには誰一人として
伝えてないけど)
周りの人たちのお陰もあるけど
自分も頑張ってこれてるなと
思えたことが本当に嬉しかった!!
後ろ向きに過去を振り返っても
そこには何もないかもしれないけど、
過去の自分と日記とかで対話することで
普段気づきにくい自分の成長が
見えてくることもあると思った。
自分の気持ちを大切にしようかな。
こんなにたくさん傷ついて
誰かを信じることや
誰かを好きになることに恐怖を感じて
家族とか恋愛とかそんなものに
きれいな絆なんてないと思ってきたけど、
一人の人をこんなに大好きになれた
この気持ちを、信じてみようかな。
昨日の記事書いた後に
色々考えてて思ったことがある。
自分は家族団欒を知らない。
生まれた時からずっと
複雑な家庭しか知らないし、
ある程度大きくなるまではみんな
家でもめちゃくちゃ緊張して
ビクビクしながら暮らしてると
本気で思ってたくらい。
性格そのものは人と関わるのが好きで
重い話題以外の内容なら
基本誰とでもそれなりに長く話せる。
それでも、人を信じるのが極端に
難しいという部分で、恋愛になると
本当にたくさんの悩みが出てくる。
昨日の記事を書きながら思ったのは、
自分は誰かを好きになっても
「人を好きになれて幸せ」という
その瞬間の気持ちを感じるよりも
「この人も自分を好きになってくれて
付き合えたとして将来家族になったら
暴力的なことをしたり嘘ついたり
脅してきたり痛めつけてこないかな?」
という先のことを考えてしまってるな
って。
正直、これだけ家庭内に色々ある中で
育てば家族というものにいいイメージを
持てないのは仕方ないと自分でも思うし
安心できる心の居場所が欲しい
というのがもう人生のテーマみたいに
なってしまってるから、
この人を好きと気づいてからの
恋愛の素敵な部分をすっ飛ばして
“人生における家族探し”に
なってしまってるところがかなりある。
広く浅く無難に人付き合いをするのは
むしろ得意な方な気がする。
家の中では、まともに対等に
会話してコミュニケーションをとる
というのをあんまり学べなかったけど、
家以外の人たちと関わることで
たとえそれが個人的な話や
大事な話ではなかったとしても
いい距離感を保った上で
人付き合いをうまくやっていく方法を
学べたのは良かったと思う。
でも、恋愛になると
上辺だけの世間話だけで
やっていけるわけではなくなる。
本当に相手のことを好きなら
好きであるほど、やっぱりどうしても
特別な感情で見るようになるし、
自分のことを知ってほしいとか
相手のことを知りたいとか
願うようになってしまうし、
他の人なら全然気にならないことが
すごく気になってモヤモヤしたり
普段なら気にもしないことに悩んだり。
きっと誰かを真剣に好きになれば
好きになるほど誰もが
心に苦しみや切なさも抱えることに
なるとは思ってるけど、
自分の場合は、これまでに育ってきた
家庭内であったことがずっと心の
根底にあるから、誰かのことを深く
信頼したり信用したりというのが
もうとてつもなく難しい。
だから、少しずつ距離を縮めていっても
心のどこかでは「この人は本当に
凶暴なところがない人なのかな」とか
「暴力を振るったり脅したり
本当にしてこないかな」とか
「あの言葉は信じていいのかな、
簡単に嘘なんかついてないよなあ」とか
ずっと恐怖の中にいて、
恋愛が幸せで楽しいものというより
将来幸せになるために課された壁
みたいな存在になってしまってる。
自分が自由に使える時間や
自分が自由に行動できる機会が
本当にかなり少ない中で
どれだけ将来のために動けるのか、
今できることは全て常に全力で
頑張らないと自分は幸せになれない
という呪縛みたいなものが
自分の心に常にあって
いつも追い詰められてる気がする。
育った環境は変えられないし、
自分のせいではない。
だから、そこにいつまでもこだわっても
どうにもならないとは分かってる。
それでも、こういうのが幸せ
というモデルケースを知らないのに
自分が「こんな感じなのかな」と思う
幸せを追い求めて生きるというのは、
りんごの色も形も味も知らないのに
一生懸命想像するようなこと。
その自分が想像したりんごは
実際のりんごとは違うかもしれないのに。
“今”心にある、大好きな人と出会えたから
感じられる温かさにもっと集中して
ただそれを幸せに感じて感謝して
生きていられたらきっと自分は
幸せな人間かもしれないのにな‥。
自分には特に推しはいないし、
推しと恋愛は全然また別ものとは
思うけど、推しに夢中になりすぎて
家族間でギクシャクして関係が
悪くなった人のニュースを見て、
色々考えさせられた。
推しがいて毎日が楽しかったり、
嫌なことがあっても励まされて
また頑張ろうと思えるのは
いいこととは思う。
でも、自分の周りを見てると
すごくマナーやルールを守って
自分の楽しめる範囲、できる範囲で
推し活をしてる人たちと、
自分さえ良ければいいという考えで
人に迷惑をかけても我が物顔で
その人自身も感情をコントロール
できない状況で推し活をしてる人たちの
2つに分かれる気がする。
そのニュースの人は
初めは「毎日がつまらないから」
「家族とも共通の話題がなくて
話してても楽しくない」という理由で
自分が使えるお金の範囲を決めて
推し活してたけど、だんだんその世界で
「あの人はたくさんお金を使う人」と
周りに思われたかったり、大金を使って
推しに特別扱いされたいという思いが
強くなりすぎて、莫大なお金を
毎月使うようになってしまったらしい。
どういう世界のどんな人を推すかで
色んな状況はそれぞれ違うと思うけど、
心の拠り所がそこだけになるのは
やっぱり危ないなと感じた。
初めは、推しがいて楽しめる生活は
いいなと幸せに思えてても、
もっと認知されたいとか
他の人にはしてないことも
自分にはしてほしいと思い始めると、
それをしてもらうためにはいくらお金を
かけたらいいのか?ということになって
どこまで到達しても頑張っても
終わりがない状況になってしまう。
推し活で人生に張り合いができたと
言う人もいるし、それ自体はいいけど、
夢中になりすぎて歯止めがきかないとか
もっともっとと求めすぎて
自分の感情がコントロールできないのは
誰も幸せではないし
怖いなと思ってしまった。
その人がどんなに部屋に閉じこもったり
推しがいる場所に出かけていったりしても
家族と住んでる場合は少なからず
家族が家のことをしてくれてたり、
家事も含めて色々面倒なことも
背負ってくれて自分の生活上の負担を
軽くしてくれてる場合も多い。
その“家族”が大きい悩みになって
推しに救われてる人も
いるかもしれないけど、
初めから暴力や暴言があるとか
よっぽど安心して暮らせない何かが
あるわけでなければ、いきすぎた
推し活の後で家族との壊れた関係に
後悔する人も多いのかな、と思った。
推しがいなければ関係ない
という話ではなくて
恋愛でも気をつけないといけないなと
そのニュースを見ながら考えてた。
この人がいないと生きていけない、とか
この人にとって特別になるために
無理をしてでもその人の理想の存在に
なって尽くさないと、と思い始めたら
それはもう健全ではないのかも。
自分は家が複雑で人間不信。
友達や知り合いはいても、
本当の意味で心を開くことはない。
そういうバックグラウンドを持つ人は
何かに依存しやすいような感覚が
色んなニュースや記事を読む度に
何となく自分の中で確信になってる。
自分も大好きな人に依存しないように
あんまり心でも重心をかけすぎないように
改めてすごく考えたきっかけになった。