Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はずっとずっと特別な人。少人数派の恋愛でも大きい壁があったとしてもそんな特別な人と家族になりたい。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
ずっとずっと特別な人。

少人数派の恋愛でも
大きい壁があったとしても
そんな特別な人と家族になりたい。
就きたかった仕事に就けたのを
「頑張ってきたから‥」と
ちょっと遠慮がちに
でも誇らしげに言い切るのを見て、

普段は目立つのも好きではなく
みんなの一歩後ろにいるような人が
これまでの自分の頑張りに関しては
堂々と胸を張ってるところも

人としてかっこいいなと思った。


誰にも言えない想い。
打ち明けられない気持ち。

それでも今日も
どんどん好きになっていく。
あの頃聴いてた響き

あの頃聴いてた響き

子どもの頃、家族のすきを見て
見てた番組がある。

こう書くと、すごく怪しい何かを
見てるかのように感じるけど笑、

そうではなくて自分の家は
テレビも自由に見られるような
環境ではなかったから。


その番組の内容を詳しく語ることは
今はもうできないけど、何となく
その画面から伝わる優しさや
切なさは今でも覚えてる。


今日その番組を思い出すことがあって

その番組に出てた人と大好きな人は
漢字は違うけど同じ名前で
あの頃の自分が想像もしてなかった形で
その名前の音を呼んでるなと思った。


誰かを好きでいることが
こんなに苦しくて切なくて
心のエネルギーを使うことを
今、大人になって改めて感じる。


大好きな人をこんなに好きに
なったことを人生の正解にしたい、

それは難しいことかもしれないけど
心から思う。
もしも一緒にいられたら

もしも一緒にいられたら

大好きな人が中学生の時の
写真を初めて見た。

顔自体は今と変わってなくて
今のまま身長が小さめ
っていう感じで可愛かった!


でも、可愛いけどもうこの頃には
将来、今の仕事に就くつもりで
きっと自分には想像もできない
努力を重ねてたと思うと、

写真の中にいるのは中学生でも
大人の自分でもかなわないくらい
意志がはっきりして
努力も惜しまない尊敬できる
一人の人間に感じた。



もし、日常的に大好きな人と一緒に
いられる時間があるなら
したいことはたくさんあるなあと思う。


この前、大好きな人を知ってる
知り合いと話してた時に

「〇〇(大好きな人)とENAが
今よりもっと仲良くなって
特別な関係性になるなんてことも
大いにあると思うんよね」

なんて言われて
想像しただけで何か
恥ずかしくなってしまったけど、

自分の独りよがりではなく
第三者的に見ても似合うと
思ってもらえてるのかなと考えたら
それはすごく嬉しかった!!

数人の仲間

この人たちの前でもし突然
自分が今の恋愛の話をしたら
どうなるかなぁとふと思った。

実際にはしない、
そう簡単にはできない。


でも、もしかしたら
この人たちなら自分が
今の恋愛のことを打ち明けても
意外とすんなり受け入れて
応援してくれるのかもしれないと

時々、考える時がある。

“普通”という呪縛

そんなに親しくはないけど
一応知ってる人が何気なく言った
その言葉に、お前は普通ではないと
突きつけられたような気持ちになった。


もちろん、その知り合いは
自分の恋愛模様なんて全く知らないし
あくまでもその人にとっては
当たり前の日常を話してきただけ。


それでも、自分はやっぱり
世間の大多数からは外れてる
ということを思い知らされて、

とんでもないことを夢見て
とんでもないことを願ってる
とてつもなく非常識な人間に思えて
すごくしんどくなってしまった。


普通=偉い、とも思わないし、
普通=正しい、とも言いきれない。


それでも、人と少し違ったり
珍しいことに対して
遠慮や容赦なく責め立てる場面も
世の中には多いから。

大好きな人をこのまま
好きでいるのを怖いと感じてしまった。
親の言うことは絶対。
すごく歪んだ家庭でも
自分の気持ちや不満なんて
言葉や態度にできるわけがない。

そんな家庭に育ってきて、
知らず知らずのうちに
自分の本当の気持ちや望みより
周りの期待や意向に沿う
生き方をすることが染みついてる。


自分の今の恋愛は
もし親に知られたらきっと
罵声を浴びせられて
頭がおかしいとか言われるのかな。

親に比べたら
人の道に外れたり背いたりしてないし
大好きな人への気持ちは
胸を張れないようないい加減な
ものでは決してない。


それでも、怯えて育った自分には
非常識ど真ん中みたいなことを
してるような錯覚に追われてしまう。


誰にも言えない、
まるで何でもない顔して
ごまかすように生きる毎日がしんどい。
「人柄にピッタリ」

「人柄にピッタリ」

大好きな人の仕事関係で
大好きな人のことも自分のことも
少し知ってる人と用事があって
やりとりしてた時に、

大好きな人と自分が繋がりがある
というのを知ったその人が

「何か分かる気がする。
〇〇さん(大好きな人)はENAさんの
人柄にピッタリだなと思うから」

と言ってくれたのが
言われてからずっと心の中心を
温めてくれてる。


大好きな人のどこが好き?と
もし聞かれたとしたら、
具体的に挙げるところはもちろん
いくつもあるけど、一番思うのは

自分は大好きな人の人柄に惹かれて
こんなにもずっと大好きってこと。


だから、仕事関係のそんなに常々
仲良く話すような特別親しい人からの
言葉ではなかったとしても、

大好きな人と自分の人柄を見て
ピッタリと言ってもらえたのが
本当に嬉しくてたまらなかった。


人柄って、顔とか身長とか
スタイルみたいに目で見てすぐには
分からないものでも、人として
本当に一番大切なもの、というのが

複雑な家庭育ちの自分は
小さい頃から身にしみてて、

人を見る時も一番に人柄を見るし
自分を磨く上で一番大切に
考えてるのも人柄。


だから、そういう生き方を少し
認めて受け入れてもらえた気がして
すごく感動した。


これからもこういう気持ちを
忘れずに生きていたい。


人柄も似てるのかなぁ。
そうなら本当に嬉しいなぁ。
ほわほわ

ほわほわ

自分の穏やかでゆったりした性格を
「ほわほわしてる」と
表現してくれた人がいた。


ほわほわ、って面白い言い方!と
思いながらどこかでこの言葉
聞いたよなーと思い返してたら、

大好きな人のことをまた別の人が
ほわほわした雰囲気
って言ってたのを思い出した!


似てる、と言われることも時々ある。
大好きな人と同じ枠に入れて
見てもらえるのは本当に嬉しい!


全然別の場所で全然別の人が
大好きな人と自分のことを
同じ言葉で表現するというのが

自分にとってはそれだけで
とても救われて、とても嬉しかった♡



切ない恋愛をしてると思う。

それでも、大好きな人のおかげで
知った世界があり
出会えた人がいて
その人たちに良くしてもらって
毎日元気をもらって踏ん張れてる。


この恋愛が自分にくれたものは
きっと、計り知れない。
恋愛に限ったことではないし、
そもそも自分の大好きな人への想いを
恋愛と呼んでいいのかさえ
分からないけど‥

「会えない」ということは
本当にとてつもなく高くて
大きな壁というのを実感してる。


会える機会があれば
それに向かって努力できることも
具体的にあると思うし、

今、これが恋愛に関しての悩みと
思ってることも、会って直接
コミュニケーションを取れば意外と
解決するかもしれないけど、

直接的に同じ空間にいられる機会が
今の自分の家の状況を考えたら
そうそう簡単にあるなんて思えないのに

こんなに相手を好きというのが
本当に切ないなと思う。