Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はずっとずっと特別な人。少人数派の恋愛でも大きい壁があったとしてもそんな特別な人と家族になりたい。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
ずっとずっと特別な人。

少人数派の恋愛でも
大きい壁があったとしても
そんな特別な人と家族になりたい。
ネット全盛の時代が苦手な理由

ネット全盛の時代が苦手な理由

自分の両親は、片方はかなり自分勝手で
わがままで感情のままに生きるタイプで、

もう片方は明らかにおかしいことをされたり
傷つけられてもその相手にそれが嫌とは
言えずに黙って尽くすけど

子どもとか自分より弱い立場の人には
自分の考えや価値観を押し付けるタイプ。


その、自分勝手で感情のままに生きてる方の
‥自分に暴力的な行為を平気でしてきた方の
親は、結婚してても人の親であっても
関係なく恋愛に本当にだらしなくて
貞操観念がなさすぎる人で、

自分は小さい頃からその親の恋愛‥とも
言いたくないけど異性問題にたくさん
振り回されてきた。


親がその時にハマった異性に貢ぎすぎて
家は借金だらけ、お金も数十円しかない、
親の愛人が家まで来て暴れて
危険なために学校に行けないとか

親の愛人が問題を起こしたり
逆に親が気に入った異性にしつこく
連絡しすぎてトラブルになったりして
どっちにしろ警察沙汰になったり、

親が投げやりになって一家心中の危機とか

これまでに本当に色々あった。



見た目が特別整ってるとか
そんなことは全然ないけど、性格的に
人とコミュニケーションを取るのが得意な
自分はそれなりに恋愛も得意と
思われることも多い気がする。

でも、実際には恋愛には本当に
親のせいというか育ってきた環境が
自分で言うのもおかしいけど壮絶すぎて
恋愛というものにいいイメージが
全然なくて、あえて自分から怖がって
遠ざけてきたような気さえする。


ネット全盛社会に生きてることも、
便利ではあるけど、時代が発達しすぎて
シンプルに“人と向き合う”
“一人の人を真剣に大事にする”ことが
こんなに難しい時代もないように思える。


自分はこれまでに色々あったからか
そういう“今の時代流されがちなこと”に
足を留めて大事なことに気づけるのかも
しれないけど、本当に大事なことほど
今の時代はないがしろにされつつある

そんな気がして仕方ない。


そう言う自分も、昔の時代の
携帯とかがなかった世代は知らないし、
もっと年上の人たちから見たら充分
今時の育ちと思われるかもしれない。


だけど、親がネット上でも
独身を装って異性を物色して
愛人を何人も作ってるようなのを見て
育ってきたせいか
(というか確実にその影響は大きい)

本当は真面目な人や誠実な人もたくさん
世の中にはいると頭では分かってても
ちょっとしたことで「この人も自分が
知らないところではネット上で好き放題
振る舞ってるのかもしれない」と

何の根拠もなくても考えてしまったり、

ネットというものが人間不信を更に
自分にとっては加速させてるように思えて

だけどこの時代に生まれたら
このネット全盛の中を生きるしかなくて、

それがすごくしんどいなと
めちゃくちゃ苦しく感じる時がよくある。



1本の包丁があったとして、
その包丁で人を元気にする料理を
作る人がいる一方で、
人を暴力的に傷つけるために使う人もいる。

ネットも、人の生活を助けたり
日常の負担を軽くしたり
いい意味でも役に立ってるのは分かってる。

実際、自分がリアルでは言えないような
こういう恋愛の話をブログに書けるのも
今の時代に生きてるから。


だけど、自分みたいに人間不信を
植え付けられて育った人にとっては、
ネットというものは人を簡単に裏切ったり
傷つけられる手頃な手段であり武器のように
思えてしまうし、今の時代はあまりにも
ネットが幅をきかせすぎてる気がする。


恋愛も、ネットが発達しすぎて
より複雑になってる部分もあると思う。

ネットがあって救われてる人も
いると思うから絶対そうとは言えないし、
感じ方は人にもよると思うけど、

自分個人的には、ネットがあったとしても
SNSとか色々、ここまで発達しない方が
人の心に余白があったというか

もっと温かくてまっすぐな何かが
ちゃんとある世界に生きられたのかなと
そう考えてしまうことが本当にある。


大好きな人は、あんまりネットを
使わないというか、人との交流をするの自体
あんまり好きではない人。

だから、自分の親とは違うし、
時代に関係なく自分が好きになった人を
信じればいいのかもしれないけど、

小さい時からずっと人間不信で生きてきて
人を信じるとか、正直よく分からない。


恋愛というよりは家庭内のことが大半でも
これまでたくさん傷ついてきて
もうこれからは傷つきたくない、
あんな思いは一生したくないという気持ちが

大好きな人を大好きな自分を時々
全力で止めようとしてくるのが苦しい。
新たな共通点は見つけたけど

新たな共通点は見つけたけど

↑この前、家の用事での外出先で
ふと見かけたからつい買ってしまった
焼きりんごバウム。

このバウム大好きで色々食べてるけど、
焼きりんごはまだ食べたことない。



昨日、知り合いから夕方
いきなり連絡があった。


その知り合いが普段連絡してくる時間と
少しズレてるから珍しいなと思ったら、

大好きな人が今住んでる町の商業施設に
大好きな人とその同僚たちが来てるのを
知り合いがたまたま見かけたらしい。


「〇〇くん(大好きな人)と□□くんがいて
他にもいるのかなと思ったら
△△くんもいて、△△くんが〇〇くんと
□□くんに話してたよ」

その△△くんは、おそらくその支社でも
かなりよく喋るタイプの人で、
知り合いがそう言うのを聞いただけで
その様子が伝わってくる気がした。


大好きな人は、どっちかと言うと
あんまり人と連れ立って出かけたりは
積極的にはしないタイプ。

それでもやっぱり人間関係とか
気を遣ってるのかなあと思う。


同じ支社で、毎日会社で顔を合わせて、
□□くんはそうでもないけど
△△くんはもうずっとその支社に長くいるし
年齢的にも結構年上で、

遠出ならまだ断れても、その町に住めば
だいたい何かを買うとなれば行くであろう
身近な商業施設なら、仮にあんまり
気が進まなくてもたまには行くしか
ないよなあと思ってしまった。


知り合いが笑いながら何気なく言ったことで
また1つ、大好きな人との共通点を知った。

それは自分にとってはすごく嬉しいこと!


だけど、大好きな人と同じ市内に住む
知り合いにとっては日常のことでも
遠く離れて暮らす自分には

その商業施設自体は知ってても
行ったこともあって身近でも
「日常にそれがあるか」と言われると
決してそうではないと考えると、

やっぱり遠い地域に住んでるというのは
すごく悲しいことに思えてしまった。


それと、距離どうこうには関係ないけど、
自分にとってトラウマを連想させるような
内容がその出来事の中にあると、

知り合いにも大好きな人にも誰にも
言えないけど心がとてもしんどくなる‥。


簡単に話せるようなことではないし、
そういうトラウマとかって誰にでも
打ち明けるようなものでもないから、

知り合いにも何でもないふうに
普通に頑張って会話したけど。


誰かを本当に好きになるというのは
楽しかったり嬉しかったり
幸せな気持ちになったり。

でも、それだけではなくて
苦しかったりしんどかったり辛かったり
そういうものもたくさんある。
あの日の自分と繋がってる

あの日の自分と繋がってる

かつての自分が時々行ってた場所に
昨日、すごく久しぶりに行った。

行った瞬間、本当に懐かしくて
当時の自分が毎日頑張ってたことを
改めて思い出した。


大好きな人と知り合う前のことって
自分にとってはもうかなり昔のような
気持ちになってしまう感覚があって、

その懐かしい場所もまるで昔の
ドラマとかを見るような気持ちで
見てしまってたけど、

あの頃毎日頑張ってたことは
大好きな人の職種にも深く関わることで
だからあの頃には戻れなくても
あの頃頑張ってた結果は意外な形で
今に繋がってると感じたかなあ。


家族という温もりを知らずに育って
ただ居場所が欲しい、
生涯を通して自分の心を安心して
置いておける場所が欲しいと
それを強く願いながら、

自分が頑張れることは全力で頑張る、
自分が人より少しでも得意かなと
思える何かがあればそれを磨こうと
ある意味一生懸命になりすぎる‥

今の自分よりも純粋の純度がすごく
高かったあの頃の自分を思い返して
ちょっと、心が痛くなってしまった。


今はあの頃よりも悟ってるというか
自分がいくら正しくても
家族の歪んだ関係性になんて
立ち向かったって仕方ないと分かってるし、

自分がどう振る舞ったって根本的に
家族の暴力的な行為が止むことは
きっとないと気づいてしまってる。


それは、自分が仮に特技を活かして
ちょっと生き場所を見つけたところで
これまでの心が回復するような
そんな単純なことではない、ってことで。


大人になったといえば
それはそうなのかもしれないけど、

懐かしい景色を久しぶりに見たことで
今の自分を客観的に見た気がする。


大好きな人と知り合ってなかったら
自分はどうなってたのかな。

きっと、もっと孤独で毎日がしんどくて
道しるべもない中を光を求めて
必死に傷だらけで生きてたと思う。


ただ、自分が相手を大好きなだけで
付き合えてもない、将来の約束もない、
そんな不安定な関係に心を委ねたり
寄りかからせるのは危ないって
自分でもよく分かってるけど‥、

それでも大好きな人がいてくれて
少しでも希望があるならそれを信じたいと
思えることが生きる支えになってるのには
本当に感謝しないといけないなって。


今、大好きな人が働いてる支社関係で
普段から良くしてくれてる人が
「〇〇にとって、遠く離れた地元から
支えてくれてるENAはすごい力や支えに
なってるはずだよ」と言ってくれたけど、

もし本当にそうやって力や支えに
なれてるなら嬉しいなと思うしそれを願う。



恋愛がどうこう以前に、とにかくまずは
今の状況を抜け出すのが最優先と
思ってる自分にとっては、大好きな人が

「この支社に来た時は本当に不安で、
上司や先輩と話すのも緊張したり
慣れなくて大変な思いをしたけど、

今は自分の予想以上に上司が
大事な仕事を任せてくれたりして
毎日、今日も頑張ろうって思えるし
仕事が楽しいって感じられる」

というような話をしてるのを
もちろん嬉しいとか良かったと思いながら

「その日一日を過ごすだけでも必死で
何とか生き抜いてる自分と
〇〇(大好きな人)は恋愛どうこう以前に
人として生きてる世界が違うのかな」

とものすごく考えてしまったりもするけど、

昨日久しぶりに懐かしい場所に行って
もうこれからはこんな複雑な気持ちではなく
昔のことも笑って振り返られるくらい
夢や目標を叶えて心も強い人に
なっていきたいと心底思った。
“普通”以外は目立たずに自分を守る

“普通”以外は目立たずに自分を守る

自分の人生の中で一番、
大好きな人に近づけた日の空。

いつもそばにいられる人たちからしたら
「え?いちいちそんなことに感動して
空なんか撮るの?」と引かれたり
するのかもしれないけど‥笑、

自分にとっては本当に心が感動で
いっぱいになった。



昨日、少人数派かなと思える恋愛を
してる人の記事を読んでたら、
そこには当たり前のように否定的な
コメントがついてて。


その恋愛をしてる人たちが
テンション上がってきて非常識なことを
したとかそういうことに対して
否定的、批判的に言われるならそれは
恋愛関係なく人間的な問題で
誹謗中傷でなければやむをえない
とも思うけど、そうではなくて

“そういう恋愛をしてるのが気持ち悪い”
というのを前提としてるというか、

少人数派なら別に何言ったっていいでしょ、
という歪んだ言い訳のもとに
ストレス発散の場所にしてるとしか
自分には思えなかった。


自分は小さい頃から、親の不倫で
金銭的にも精神的にも本当に
大変な思いをして苦痛を味わってきた。

恋愛をする上でも、つい相手を
疑ってしまったり、必要のないことで
あれこれ悩んで疲れ果ててしまうのは、

親の貞操観念のなさ、倫理的な問題も
たぶん、とても大きい。


それもあって、人の道に背いたことや
外れたことには正直すごく嫌悪感があるし、

そういう人になら何を言ってもいいとは
思わないけど、自分は人間として
曲がったことはしたくない。


逆に言えば、たとえ少数派でも
それが少数派なだけで人の道に
背いたり外れたりしてないなら、

その人たちに対して批判や非難をするのは
おかしいと思うし、理不尽に思う。


自分自身の価値観にそぐわないなら
自分自身はしない、それでいいはず。


誰にも迷惑をかけてないのに
おかしい!気持ち悪い!と言われても

そうやって今は言ってる人だって
どういう形でいつそういう立場になるかも
分からないのに、何でそんな偉そうに
人を傷つけるようなことを言えるのかなぁ。



詳しく書いてしまうと、知り合いたちに
身バレの可能性があるから

ここは自分の恋愛を素直に打ち明ける、
残す場として大切にしたくて
そのために詳しい事情を細かく全部は
書けないけど、少数派と思われる人たちの
恋愛に関する内容をネットで読む度に

世間は大人数派には優しいけど
少人数派には当たり前のように冷たいな、

ごく普通に何気ない日常を幸せに
生きることさえ大変なのかな、

と本当に悲しくなる。


これが、その人を好きという理由で
未成年と恋愛してるとか
相手や自分や両方に家庭があるとか
好きだけでは済まされない問題があって

世間に後ろ指をさされたり
批判や非難されたり
そういうのは仕方ないとは思うけど

そうではないのにな‥。


人としては何も間違ったことはしてない、
それでも堂々とこの人を好きと言えない、
それが本当に苦しくて辛い。


そういう世の中というのを
自分はもう知ってしまってるから、

大好きな人を好きなことも
リアルの世界では誰にも言わない
(言えない)し、大好きな人と自分が
共通点や似てる部分が多いことで
大好きな人の話題に周りでなった時も

“人として”好きというのは表しても
“恋愛の意味で”好きというのは
とても言えるような状況ではないなと

無難で安全な振る舞いをいつも意識する。



自分は昔から個性的というか
流行りの物にはあんまり興味がなくて

それより自分が本当に好きな服を着る、
本当に好きな音楽を聴く、
本当に好きなことを趣味にする‥
そういう子ではあったはず。


でも、そういう「あの子は個性的」
「流行りには目もくれない少数派」
というのと、恋愛で少人数派というのは
また重さが全然違うなと感じる。


何も悪いことをしてなくても
今のところはただ恋愛感情を
ひた隠しにして隠れるように生きてる。


目立つつもりはないけど、
少しでも目立ってしまえば
「そんな恋愛してるくせに」と
世間からの攻撃が向いてくるのかと思うと、

正直本当の意味で自分のことを
何も知らない周りにそんなふうに
言われる筋合いはなかったとしても

小さくなって遠慮して生きていかないと
いけないのかなと終わりのない葛藤を
心の中に感じてしまう。


せめて、自分は心の中で胸を張りたい。

こんなに大好きな人と出会えたことに。
「みたいな人」ではなく本人がいい

「みたいな人」ではなく本人がいい

普段、自分が育った家庭環境とか
そういう深い話をリアルの世界の
知り合いに話すことはない。
(このブログにはちょこちょこ
書いたりはしてるけど)

でもこの前、話の流れから
どうしてもその家庭環境の話をしないと
話の内容がおかしいという場面があって、

大好きな人の仕事関係と少しでも
関わりがある人にはあんまり
本当はそういう話はしたくなかったけど

そういう仕事関係の人たちとの
関係性が悪くなるのもそれはそれで
困るなと思ったし、ここまでならという
自分なりの線引きの範囲内だけは話した。


「だから、自分はあんまり家族とか
家っていうものにいい印象がなくて、
誰かと仲良くなるのは得意でも
そこから恋愛に発展するのは難しくて」
と言った自分にその知り合いが

「ENAはさぁ、〇〇(大好きな人)みたいな
性格の人が絶対合うと思うんだよね。
〇〇みたいな人、いいんじゃない?」
と即言ってきた。


「えっ、〇〇みたいな人合いそう?」
って自分がその後言ったら
「うん、間違いなく合うじゃん」って。


自分は小さい時から家族関係にも
色々あったせいか、人間関係にすごく
クールなところがあると自覚してる。

だから、たとえ誰かを好きになっても
客観的な視点を良くも悪くも
手放せない人な気がしてる。


それでも、自分の視点ではない
第三者目線で自分と大好きな人は
どんなふうに見られてるのかな、
価値観や生き方が合うと思ってるのは
自分の独りよがりなのかな?と

特にこの数ヶ月は考えてたから
思いがけず話の流れから
知り合いが本音でそう言ってきたのを
聞けたのは良かったし、嬉しいと思った。


「〇〇みたいな人」はあくまでも
同じ枠に入る人間っていうだけで
〇〇本人ではないもんな。

自分は大好きな人本人がいい。

大好きな人と恋愛して
大好きな人と一緒に幸せになりたい。


そのために、今できることは
どんなに目には見えない小さいことでも
一つ一つ丁寧に積み重ねていきたい。
これまでで一番近くにいられた日

これまでで一番近くにいられた日

2025年9月20日。
きっとずっと覚えてると思う。

大好きな人を好きになってから
これまでで一番近くにいられた日。


近くにいられたといっても
狭い場所で肩を寄せ合って
一緒に何かを楽しんだりとか
そこまでの近さではなかったけど。

それでも、これまでの自分にとっては
本当に忘れられない
特別で輝いた一日になった。


普段、家の都合もあって
純粋に自分の休日と呼べる日はない。

だから、もちろん
自由にどこかに出かけるのも難しい。

家族の機嫌も含めて色んなタイミングが
合わなければ本当に何もできない。


そんな環境の中で
こんなに長く大好きな人を
同じ空間で見ていられるのは
本当に有り難くて嬉しい出来事で

自分にとっては夢のような時間。


たまたま目が合ったりとか
こういう仕草するのかとか
そういうのは同じ空間にいないと
できないこと、分からないこと。


自分の状況を考えたら
恋愛どうこうよりまずは心を保って
生きてるのがやっとという感じでも、

また次の目標に向かって
それを信じて頑張りたいと思う。
ささやかな夢が一つ叶った日♡

ささやかな夢が一つ叶った日♡

人によっては
そんな小さいこと?と笑うような
ちょっとしたことかもしれない。


それでも普段、自分の自由が
あまりにもない自分にとっては

叶えようとどんなに努力をしても
その努力でどうにかできるような
ものではないから、今日前々からずっと
叶えたかった夢を一つ実現できて、

本当に嬉しかったし、本当に感動した。


今日も、大好きな人に関することで
夢を一つ叶えたその前後には
家族からすごくひどい態度をとられたり
当たり前のように激しい言葉を吐かれたり。

めげそうになる日々の中で、
今日みたいなほんの一歩でも
願いが叶った日があると
もう少しだけ頑張ってみようかなと思える。


大好きな人は、自分から見たら
小さい頃からの目標を
遠回りに見えながらもちゃんとその間も
コツコツ努力して実現して、

その分野に就職してからも
その支社でちゃんと自分の特技を
その仕事に活かせててすごいと思うけど、

だから全ての面で恵まれてて幸せ
というんではなくて、きっと大変なことや
葛藤もたくさんあるように感じた。



それでも、毎日手探りかもしれなくても
前を向いて頑張ってるのが伝わってきた。

自分も、家族のひどい言動をうまく
かわしてここから一つずつまた夢を
叶えてなりたい自分になれるように

日々努力していこう、
できることを一つ一つ丁寧に
やっていこうと思う。


周りから見たらどんなに小さくても
気づきもしないようなことでも
自分にとっては一つ節目になるような
夢が叶った9月20日をずっと忘れない。
想い出のピーチティー

想い出のピーチティー

地元に前にあったカフェ。

近くに用事があってその方面に行くと
帰りにはそこに寄るというのが
当時の定番で、自分はなかなか昔から

自分の意志で自由に出かけたり
どこそこに行きたいと言える
環境ではなかったから、そうやって

カフェに寄れるというのが
すごく特別な気がして嬉しかった!


そこには色んなメニューがあったけど、
親にあんまりお金を使わせるのが
悪いと思って遠慮したりもしてて、

これくらいなら大丈夫かなと思える
価格帯の中でピーチティーを選んで
飲んでたなと今でもふと思い出す。


そのカフェはもう今は閉店してるけど、
同じ系列のカフェが同じ地元の
別のまあまあ行けそうな所に新しく
少し前に開店したのを知って、

同じメニューはなかったとしても
また行ってみたいなと思った。


大好きな人も、自分が行ってた
あのカフェにきっと行ってたかもな。

自分よりも、大好きな人の方が更に
そのカフェは家から近いし、
もしかしたらお互い知らない間に
同じ店内に居合わせてたのかもしれない。


そう思うと、同じ地元ならではの想いに
今は大好きな人は遠い地域にしても
何となく救われて、繋がってる気がしてる。



大好きな人が、仕事で任されたことが
うまくいって、小さな範囲の話ではあるけど
ちょっと表彰されたらしい。


本人から聞いたんではなくて
たまたま大好きな人の支社繋がりで
知ったけど、大好きな人の仕事への姿勢が
上司やその仕事関係の人たちに
認めてもらえたのはもちろん嬉しい反面、

そもそもの自分の存在価値を日々
見出すことに必死な自分は
大好きな人が色んな面で成長して
人としても立派になっていくと
もう自分が追いつけない場所に
大好きな人がいってしまうような気がして

人には絶対に言えないけど心では
とても複雑な気持ちになったりもする。


そんなこと考える暇があったら
自分も人としてどう成長していけるか
大好きな人にふさわしい人になるには
どうしたらいいか考えるべきよなあ。
あの頃の自分を思い返してみる

あの頃の自分を思い返してみる

同じ趣味の知り合いのYちゃんと
久しぶりに話した。


Yちゃんは住んでる場所も遠くて
日常生活の中で会う機会が
そうそうあるわけではないし、

今日も「ENAを思い出すことがあって」
と久しぶりに連絡をくれた。


前にYちゃんと話した時は
こんなには頭の中も心の中も
大好きな人を大好きには
まだなってはいなかった、と思う。


好きは好きでも、こんなに毎日
心が締め付けられるほど
ある意味追い詰められてはいなかった。


Yちゃんはいい人とは思ってるし
趣味の話をするのも楽しいけど、

自分の個人的な話は自分は基本的に
よっぽど親しくてもできるだけしないから
Yちゃんと話してる時も
「何かこれまでのENAとは違うな」と
思われないように意識して話してた。


大好きな人をこんなに大好きになるまでの
自分はどんな感じで過ごしてたのかなと
自分のことのはずが、まるで違う誰かの
人生のことのように思える時がある。


もう、それだけ毎日の生活に自然に
大好きな人は心のど真ん中にいて、

大好きな人をここまで好きになったからこそ
この恋愛にあるどうしても努力では
越えられない壁を知って苦しみながらも

日々の大変さ、しんどさに負けないように
大好きな人がいつも自分の背中を押して
寄り添って支えてくれてるように感じる。


大好きな人のいない毎日は
もう考えられないなと改めて思った。


大好きな人がいてくれたから
気づけたこと、知れたこと、分かったこと、
そういうものもたくさんあるし、

どうしようもない壁があっても
それでも貫きたい意思が自分に
あることも分かった。


今の自分の生活は大変でもあるけど、
そういう大切なものにも囲まれて
守られて生きてることをつくづく知った。


いつもいつも、家庭内の生活に怯えて
家族が求める自分を演じることで
何とかここまで踏ん張ってきた。

大好きな人を大好きになって
進展があったら、それは家族の理想の
レール上にあるものではないのを
分かってるから、こんなに悩むのかな。


理想からほんの少しでもはみ出れば
それは家族から見れば大きな落胆や裏切り、
非常識や怒りになるのが目に見えてる。


それでもやっぱり自分は
大好きな人への想いは止められないと
改めて思う。
普通って何なのかな

普通って何なのかな

みんな、知らず知らずのうちに
自分を「普通」と思ってる気がする。

何なら「自分の考えや常識は
世間一般のど真ん中」とまで
思ってる人もそこそこいる気がする。


自分は明らかに普通ではない家庭育ちで
自尊心も本気で悩むくらい低いから
そこまで「私は普通」と思える人が
ある意味羨ましくもある。


だけど、世間から見て何となく
「普通ではない」と思われてる人も
自分からわざわざ好きでその枠に
入ってるわけではないことも多々ある。


例えば転校生。

家の事情で本人の意志とは
関係なく地元以外での生活を強いられる
という子がいる。

いくら遠い地域に引っ越しても
うまくなじめる場合もあると思う、
だけど転校生というだけで目立ったり
学校指定の物も前の学校の物とか
いくら新しい町の方言や習慣に
慣れようとしてもすぐには難しかったり

そういうことが、元々その町にいる
子たちからしたら「珍しい」「変わってる」

それだけなら素直な感想ではあるけど
「珍しいからいじってもいい」
「変わってるからいじめてもいい」
そういう思考にもなりがちな気がする。


でも、実は全国各地全体で見たら
その地域では珍しがられたり
変わってると笑われるその特徴を
持ってる都道府県の人も多いかもしれない。

大人数派=正しい
大人数派=普通

というのはちょっと違うかな、と
個人的にはよく思う。


ここには時々書いてるけど、
自分の恋愛は少数派にあたる部分がある。


ありのままの本音を書きたいから
詳しい事情は書かないけど
(身内とか知り合いにこのブログを
どうしても知られたくないのと
恋愛の本音を唯一書ける場所として
ここはずっと大切にしたいから)

同じような事情を持つ人の恋愛が
時々ネットニュースになったり
どこかで話題になってるのを見ると

やっぱり自分も当事者として
世間からどう見られてるのか
どう思われてるのかというのは
正直気になるから目を通してる。


「この人たちは幸せそうだから
いいと思うけど、自分は無理かな」
という感想は、嫌な気持ちにはならない。


その人なら無理というのは
その人がどう思うかはその人の自由で
「自分は」無理かなって自分自身に
フォーカスした感想で
人を故意に傷つけようとする意図は
ないとも思うから、ただ素直な意見。


でも、「何でわざわざその人を選ぶの?」
「人として理解できない」「気持ち悪い」
「ありえない」「軽蔑する」‥

そういう意見が書き込まれてるのを見ると
本当に悲しくなるし落ち込んでしまう。


少人数派には何を言ってもいい、
世間の大人数派という
安全な所からだから石を投げようと
世間が守ってくれるというような
偏見を感じてしまうから。


本人が努力しても変えられない部分を
そこまで批判されてもどうしようもない。

それに、少なくともそういう意見を
書く人に迷惑はかけてない。


誰も好きで少人数派になってないし、
倫理的に許されないこともしてないのに
その人の人間性も性格もキャラクターも
何も知らない人がそのある一部分だけで
そこまで強く批判する世の中って
健全ではないなと思う。


恋愛に関して少人数派の知り合いがいる。

「好きでそうなったわけでもないのに、
周りに自分の恋愛について話せない」
と言ってすごく悩んでる様子なのも見た。


恋愛以外の部分で
人生の途中で想定外のことがあって
少数派の立場を経験した人もいる。

「実は自分が大人数派の中にいて
何の不自由も悩みもなかった頃から
こっち側(少人数派)にいて悩んでた人も
いたことを改めて知った」と言ってた。


恋愛以外も含めて、人はいつ
少人数派に入ることになるかも
分からないのに、何でそんなに
「自分には全く関係ない」
「あなたは普通ではない、おかしい」
なんて簡単に言えるのかなと思う。


自分は価値観が違うと思うならそれでいい。
自分には理解できないと思うなら
それもそれでいい。

だけど、その一部分のことだけで
その人という人間そのものを全部
否定するような言い方は本当に
やめてほしいなと感じる場面も多い。


みんなきっとそうとは思うけど、
何らかの形で少人数派の人たちは特に
世間の色んなことと闘いながら
必死で生きてるのにな‥。

NEW ENTRIES

貨物コンテナ(05.09)
頑張りたいことを見つけてから(05.07)
秘密の作業開始(・x・)(05.05)
したいと思えることが見つかった日(05.03)
最近ちょっと変わったこと(05.01)
だから誰にも秘密(04.24)
絵文字一つもエネルギー(04.22)
後ろ姿が似すぎてる(04.21)
長所と短所は紙一重(04.20)
無意識に自分を下に見てしまってる(04.18)

RECENT COMMENTS

TAGS

Anotherhometown Dream Everyday Firstblog Gift Goods Happy Heart Hello Hometown Love Music Name Secret Think Work xxxx

ARCHIVES

RSS

RSS