ここに記事を更新しない間にも
心の中には本当に溢れ返るような
たくさんの気持ちがあって、
だけどどうしてもそれを
言葉にできなかった。
ここに何も書いてない間にも
色んなことがあった。
大好きな人が、仕事上の理由で
地元を離れる頃によく聴いてた歌を
特にこの時期になるとまた
何回でも聴きたくなる。
好きなバンドも大好きな人と同じで
それもすごく嬉しいなと思いながら
あまりにも自分に重なる歌詞で
そのバンドの歌の中でも圧倒的に
一番好きな歌を、今も変わらず
大好きな人を想いながら
心が痛くなりながら聴いてる。
新生活の役に立てばいいなと
その当時の自分ができる限りの
最大限の想いをこめて選んだプレゼント、
すごく喜んでくれて自分まで笑顔になれた。
日が暮れるのが早くて寒い冬は
季節の中でも決して得意ではないけど、
その想い出を想い出すと
心が暖かくなってとても励まされる。
最近の自分は、恋愛面で
一つ夢を叶えた!
前からずっとこれは叶えたいと思いながらも
そう願い始めた時点では
「でも住んでる所も遠いし難しいかな」
と諦めかけてしまいそうなくらい
自分にとっては叶えるまでには
そこそこ時間がかかるのを覚悟してた。
それがひょんなことから
すごく意外なところで叶って
まるで向こう側から自分の手元に
飛んできたかのような不思議な感覚。
その夢を叶えるために具体的に
直接何かをしたとかではないけど、
普段から自分が意識してコツコツと
大事に努力してきた部分があって
今回実現したのかなと思うから、
これからも直接的に自分の夢や目標と
関係なさそうな所でもちゃんと
頑張っていきたいと思った!
相変わらず、必要以外でネットを
見る時間が前より減った生活をしてる。
地元の天気とか、趣味関係とか、
自分は昔から機能不全家族育ちの人が
大人になってから自分をどんなふうに
大切に生きればいいのかということに
当事者として興味があるから
その関連の記事とかは見るけど、
「これを見ても意味がないな」
「嫌な気持ちになることが多い」
「こうやってダラダラしてても
自分にとって良くないな」
と思ってしまうものは意識的に見ないように
距離を遠ざけるように心がけてて
それを実行するべくその時間を
何かを勉強したり
ストレッチする時間に充ててる。
それでも、心に関する記事は
読んでしまいがちで、この前つい
そういう内容も含むような
恋愛の記事を読んでしまった。
そしたら
「壁があるような恋愛、
少人数派に思える恋愛をしてる人は
自分からアプローチする権利はない」
「そういう壁があったり
少人数派な恋愛をしてる人は
自分では自覚はなかったり
自覚は少ないかもしれないけど、
世間の大半から見たら
気持ち悪いと思われても仕方ないし
正直多くの人にありえないと思われてる」
という話で、すごく悲しく思ってしまった。
自分は、恋愛に限らず自分の話を
人にするのがあんまり得意ではなくて
恋愛の話も、少人数派の恋愛ということに
関係なく人にはほとんどしてないし、
もし好きなタイプとかの流れで
恋愛の話に誰かとなったとしても
大好きな人個人を特定されるような形では
全く話してないし、それがもう習慣。
だからもし、世間一般で
明らかに壁があったり少人数派の恋愛を
気持ち悪いから人に話すなというのが
仮に暗黙のルールとしても
自分は人に話してなくて良かった
と思ってしまった。
でも、この内容を読んでから
心の中でずっと引っかかってる。
倫理的に、道徳的に良くない恋愛は
もちろん暴言とか傷つける言い方は
良くないにしても、一定の批判は
仕方ないと思うけど、そうでなくても
大きな壁があったり、少人数派の恋愛を
してるだけで「相手にアプローチする
権利さえない」と言われてしまうのかなと
大好きな人に対して少しずつでも
アプローチするのが怖くなってる。
大好きな人が、この壁を
「全然気にしない!大したことない」と
笑い飛ばせるタイプなのか
「わざわざそんな壁がある恋愛を
自分からあえてしようとは思わない」
と引いてしまうタイプなのか、
大好きな人にとって自分は
どれくらいの大きさの存在なのか
もしその壁に抵抗があったとしても
「でもENAならそれでもいい」と
思う可能性はどれくらいあるのか、
大好きな人の心の奥しか分からない
でもそうそう簡単には聞けないことを
その記事を読んだ時から考えてしまってる。
人をあざ笑って気持ち悪いとか
言うのは簡単かもしれないけど、
誰だっていつ、恋愛も含めて
人生の中でどうしても叶えたいことの前に
どんな大きい壁が立ちはだかるかなんて
分からないし、少人数派に絶対に
一生カテゴライズされないなんて保障は
どこにもないのに何でそこまで
人をボコボコに完全否定できるのかな。
もちろん、相手の立場や気持ちを考えない
自分の想いだけで暴走するような恋愛は
相手にとって恐怖に思えると思うし
そういうことを否定するなら分かるけど、
それなら壁のあるなしや
一般的によくある恋愛かそうではないかは
そこには関係ないし。
不用意にその記事を読んだ自分も悪いけど、
壁をどんなに恨み倒しても
自分の努力ではどうしようもないから
こんなに苦しんでるのに
その苦しみを更に強めるようで
本当にしんどかった。
大好きな人が就いてる職種が
自分やこの家にとっては前々から
身近な仕事というのもあって
今日、親と話してる時に
流れでその話になった。
その後そこから大好きな人の話になって、
親は自分が恋愛感情で大好きな人を
好きというのは知らないと思うけど
自分が大好きな人のことを話す時の
表現が親にとってすごくプラスな
前向きな言葉に聞こえたからなのか、
全てにおいて完璧を望む
ものすごく世間体とか周りに対して
自慢になるかを最重要視する親から見たら
色々言いたいこともあるのか、
あれこれと自分の感覚や価値観に対して
文句を並べてきて
「そんなに(大好きな人が)いいなら
〇〇(大好きな人の苗字)の子になったら?」
と不機嫌をあからさまにぶつけてきた。
そう言われてこんなことを思い出すのも
まあまあ不謹慎かもしれないけど、
自分が小さい頃にこの親の希望で
してた習い事があって
その宿題も親が求める以上にできなかったら
生活の全てを禁止される勢いで
常に優等生を求められて
ヒステリーに怒鳴られてたなーと
今更思い出して心の中で苦笑いした。
未だにあの頃のことは夢に見る。
当時は、周りの同世代の友達も
家ではこんなふうに親が求める水準に
自分を到達させるために
怒鳴られたり脅されたりに耐えてると
思い込んでたけど、今振り返ったら
こういうのも立派な教育虐待に思える。
あの頃もよく、その習い事の課題を
親が求める程度までできなかったら
「こんなこともできないなら
さっさとやめてしまえ」みたいに
本当に怖い顔で詰め寄られてた。
「やめろって言ってもENAは
泣きながらでもやってたから
親の強制ではない」と親は満足げに
今でも時々言ってくるけど、
あんな剣幕で怒鳴られたら
やめたいからってやめてしまえば
この家にいる価値もないとか言われて
見捨てられて追い出されると当時は本気で
思ってたから(それくらい怖かった)
生きるためにやむなくやってただけで
別にその習い事でそこまで
優等生になりたかったわけではない。
「そんなに(大好きな人が)いいなら
〇〇家の子どもになったら?」
と時々言われる今はもう
昔の自分とは違う。
親はきっと、昔のその習い事の
山のような宿題を前に
全てを完璧にできてない自分に
「やめてもいいよ」と試すように言って
親に捨てられることが怖いから
泣いてでも必死に心を削って頑張った
あの時のように今だって
「そんなにその人がいいなら
〇〇家の子になればいい」と言っても
親の望みから外れることは絶対にないと
きっと思いこんでると思う。
ENAに自分の意志で自分らしい人生を
歩ませることなんて絶対に許せない!
くらいに思ってるであろう親が
考えてることくらいすぐに分かる。
これまでも、親の求める子ども像に
少しでもたくさん当てはまるように、
自分がしたいことや自分の個性を
諦めてでも必死に頑張ってきたし、
家庭の事情で今も自分の個人的な用事の
ほとんどを普段諦めて生きてると思う。
恋愛にかまけて家族をおろそかにしたり
何か約束を破ったりしてるなら
注意されたりとかいい顔をされなくても
仕方ないかもしれないけど、
正直ここまで家族に尽くして
もう充分頑張ったでしょ?
という思いもある。
親は、より容姿がいい人、
学歴が高い人、親から見て
特に重視したい条件に合う人を
自分の相手としてくっつけたいと
思ってるのがもう見え見えで。
だけど、大好きな人は
整ってはないかもしれないけど
愛嬌があってホッとする
本当に誠実さが伝わる容姿で、
頭が良くて有名なほどでなくても
そこそこごく普通にちゃんと勉強して
学校も卒業してて、今も子どもの頃から
就きたかった職種に就く夢を叶えて、
就職してその後も社会人として
また目標を立てて日々頑張ってる。
大きい会社に勤めてはいないけど、
自分が合うと思う所に
コツコツ努力して入社した。
親から見たら、色々思うところが
あるかもしれないけど、自分にとっては
中身も含めて大好きな人を丸ごと
本当に大好きなのに
今の時点の、全然親には大好きな人に
恋愛感情を持ってることすら
言ってもないという段階でさえ
ここまで親の敷くレールを
生きろと強要されるようなのは
自分を人として見てくれてないとさえ
思ってしまうし、すごくしんどくなる。
子どもは親の自慢や
承認欲求のために存在するんではないし
何で自分の人生を親に決められて
生きないといけないのか、疑問しかない。
自分は親が世間に自慢するための
恋愛なんてしたくないし、
自分そのものも恋愛の世界で
あれこれ勝負できるほど
めちゃくちゃ容姿がいいわけでもなく
周りがうなるようなスペックの
持ち主なわけでももちろんなく‥、
そんな子(自分)に何でそんなに
あれこれ求められるのかも
正直よく分からない。
少しずつ進展してるのを知られたら
家族に邪魔されそうな気がするから、
表向きには全く何も知られないように
振る舞いながらこっそりと恋愛も頑張ろう。
これだけ複雑な中で育って
人間不信でトラウマに悩まされて生きて
こんなに大好きな人と出会えるなんて
本当に奇跡で、感謝しないとな‥。
本気で〇〇家の子になりたい。
この前、出張中の大好きな人に
どうしても伝えたいことがあって
連絡したらすぐ返事が来て
本当に嬉しかった、と書いた続きの話。
地元からも今住んでる所からも離れた
出張先というのもあって
気候とかも違うから
もし体調面で心配なことがあっても
仕事で行ってるし大丈夫かな
という気持ちはずっとあったけど、
今日になって、実はその日(返事をくれた日)
とその後の少しの間、体調が万全ではない
というのが理由で仕事量を少しセーブしてた
というのを人づてに知った。
(大好きな人が少しセーブしても
一緒に出張に行ってる人への負担が
増えるわけではないから
できたのかもしれないけど‥)
出張自体がハードなスケジュール
というのもあって気にはしてたけど、
すごく大きな体調不良ではなかったにしても
体調面でちょっと心配なことがあった中で
返信してくれてたというのを知った。
内容的に、あとではなく今返事を
送った方がいいと思ったのかもしれないけど
それを差し引いてもそういう状況でも
返事をくれたというのを知って
更に有り難いという気持ちになった。
自分の気持ちや想い、意見は
いつも当然のように後回し、
または初めから誰も聞いてくれない
という環境で育ってきたから、
どうしても自分に自信を持ったり
自分は自分の気持ちを言葉にしても
許される、価値がある人間と思うことが
とても難しいけど、大好きな人と出会って
普段は全然何かを積極的にグイグイ
していくタイプではないのに
目に見えて特別扱いしてくれることに
本当に心が救われてる。
少しずつでも自分に自信を
持っていきたいと思う。
この恋愛をして変われたことに
・自分を前よりも好きになれた
・大切なことはその都度
後悔なく伝えようと考えるようになった
・相手のことを大切にするのはもちろん
自分のことも大切にしたいと
考えるようになった
・世間から見てどうこうではなく
自分がどんなふうに生きていきたいかに
標準を合わせられるようになった
というのがあると自分で思ってる。
自分の人生を自分らしく
生きていけるように恋愛面以外も
頑張りたいと改めて考えるようになったし、
誰かのために生きるのはもちろん
必要で大事なことではあるけど
これまで当たり前と思ってたみたいな
例えば家族のために自分は全ての
発言権を捨ててひたすら家族を支えて
機械のようにただ日々をこなすだけ
自分らしさは初めから認められてない
というような生き方からは早く
脱却しようと思うようになった。
大きな壁がある恋愛をしてる、
という事実はいくら自分が前向きに
なったところで今は変わらないけど、
その壁を越えられる可能性があるなら
やっぱり、諦めたくないな‥。
去年の2月に来た場所に
用事で今日ほぼ1年ぶりに来た。
去年来た時は、雪が舞う日で
スーパーに行こうとしたら
その前の道が雪が固まったまま凍ってて
そこそこ荷物があるのを何とか
持ちながらこけないように
必死に歩いてた記憶が未だに強烈にある。
今日、1年前と同じ経路でここに来て
1年前と同じ道を、今日は雪も降らずに
この時期のわりには暖かい中歩いて、
去年の今頃に比べたら
恋愛ですごく進展したなと思えた。
これまでなら出せない勇気も出せて
努力の方向性も前より的確になって、
周りの人を大切にはするけど
これは恋愛を守っていく上で
人には話さない方がいいと思うことは
どんなに仲が良くても
どんなに話のノリでそういう話題になっても
自分は大事なことは話さないという
意思も貫けてるなと思う。
このブログを前から読んでくださってる方が
もしいたらきっとそういう方は
自分が性格的には社交性があっても
自分に極端に自信がないのは
知ってくださってると思うけど、
あまりにも自信ありすぎとか
自意識過剰ももちろん良くはないけど
自分みたいに自尊心なさすぎは
恋愛する上でもすごく障壁というのを
大好きな人と出会ってから
余計に感じるようになって、
いきなり大きく自分を変えるのは難しくても
少しずつでも生まれ変わろう、
この恋愛を叶えるために
目標を実現するための正しい努力をしようと
自分なりにこれまでの自分を
変えようとすごく努力したつもり。
1年前の自分と今の自分を
比較しやすい機会が今回あって、
同じ場所からあの日と同じ景色を見てると
あの日悩んでたことや迷ってたこと、
どうするかで心の大部分を占めてたことが
結果的に大好きな人が自分に対して
心を開いてくれるとてもいいきっかけに
なったというのが目に見えるように
分かった気がした。
1年前の今頃は、自分は大好きな人に
こういう行動をしたいけど
それをしても行きすぎではないのか
相手に引かれたりしないか
自分にとっては相手に喜んでほしくて
したことでも仮に迷惑になったら
それは意味がないだけでなく
相手を不快にさせたり
苦痛を与えることになってしまう
そのことに本当に苦しんで悩んでた。
でも、考え抜いてその結果
「やっぱり行動に移そう」と
決意したのがこの場所なのもあって、
今日またここに来れて
あの頃の気持ちを想い出せたし
家のことも含めて色々ありながらも
すごく自由がない少ない中でも
そのできる範囲の精一杯で
この恋愛に誠実に心を込めて
一生懸命生きてこれたなって
自分を少しだけ褒めたくなった。
次にまたここに来る時には
もっと進展して、不安に左右されずに
必死にではなく心から笑えるように
また、これからも頑張ろうと思う。
近くに食料品を買いに出かけた時に
back numberの手紙が流れてた。
「ENAってback number好きでしょ?」
と身近な人によく言われて
確かに好きではあるけどそんなに
いつもいつも聴いてる?と思いながらも
この歌を久しぶりに聴いて
改めていい歌に感じられた。
たぶん、この歌の歌詞は
都会に憧れて地元から飛び出した人が
街に出てから色々苦労もあって
昔からずっと親に支えられてきた
ということに改めて気づく
そしてその感謝はちゃんと
形にして表そうと思ってる
という意味なのかなと思うけど
(違ってたらごめんなさい)
自分はこの歌を聴くと
地元を離れて違う地域で暮らす
大好きな人を想って泣きたくなってくる。
ちなみに同じback numberの
ささえる人の歌も本当に大好きで
これこそ更に大好きな人を想って
めちゃくちゃ涙が出てきてしまう。
自分は複雑な環境育ちで
家族をテーマにした歌は正直苦手で
ふいに自分の意志に関係なくどこかで
流れてたりすると逃げたくなるけど、
この手紙は不思議とそういう気持ちには
あんまりならなくて、聴いていられる。
自分を抑えつけて生きてきた自分の
心はこんなに深かったのかと
ふと気付かされる時がある。
今日、手紙を聴いた時もそう。
大好きな人のおかげで
自分の心の奥を感じられる時、
大きな壁がある苦しい恋愛でも
とても成長させてもらってる、
自分がこの恋愛でもらってるものは
本当に計り知れない
ということにも気付かされる。
ささえる人の歌の話になってしまうけど、
本当に出世なんてどうでも良くて
ただ自分は大好きな人に
元気でいてほしいだけ。
心も体も病むことなく
いつも自分を励ましてくれる
あの笑顔でいてほしいだけ。
肩書きとか名誉とかスペックなんて
そういうのを好きな人もいるとは思うけど
自分にとっては大好きな人が
大好きな人でいてくれたらそれでいい。
恋愛を生きがいにしてはいけない。
前から自分に言い聞かせてたことを
ここ最近は特に心に意識してた。
日々の生活の中で、自分の好きなことを
できる機会が本当に少なくて、
毎日限られた範囲でしか何もできない。
だから、特に大切なものは
1つ、多くても2つくらいしか持てない。
ごく限られた自由な時間を
自分にとってとても大切な
恋愛のために最優先してると、
まるでもうそれがなければ
自分という人間が成り立たないような
自分という人間は完結しないような
そんな気持ちになってしまう。
大好きな人に態度として見せる形では
自分は全然依存はしてないと思う。
むしろ、恋愛に限らず人と接する時、
人と向き合う時はつい相手の機嫌を
気にして遠慮しすぎる癖がある。
親の機嫌が全てのDV家庭は
心が壊れるほどの威圧感があるから。
どんな時でも、どんな状況でも
親の言うことは絶対という家庭で、
自分はいつも自分の気持ちを
我慢することで命を守ってきた。
大好きな人は、今出張中。
地元や今住んでる所の近くなら
仕事で行ってるという大変さはあっても
その地域自体には慣れてるけど、
今行ってるのはなじみのない遠い場所。
任されてる仕事自体も結構大きなもので
そんな時に余計な連絡はやめようと
ずっと我慢してた。
そんな中で、これはどうしても
連絡したい!という出来事があった。
いつものように家のことをまず優先、
という家族ペースでの時間を過ごしつつ
心では「どうする?連絡する?」と
しばらく心の中で自問自答し続けてた。
そうやって考えて考えて、やっと
とにかく長文にはならない
こういうことがあって
どうしても連絡したかったと伝える
というのを意識して
できる限り内容をまとめて短文にして
緊張しながら連絡した。
仕事が忙しかったら
返事はすぐには来ないよな‥、
その返事が来るまでずっと
緊張しながら待つことになるかな‥
と思いながら家のことをしてたら
びっくりするくらい早く返事が来て
心臓がどうにかなりそうにびっくりしつつ
本当に本当に嬉しかった!!
もっと自分に自信を持とう、
明らかに相手に対して不快なことや
苦痛なこと、失礼なことをしなければ
自分の気持ちに正直になるのは
悪いことではないといくら言い聞かせても
これまで全てのことを頑張ってきた理由が
自分のためではなくとにかく
少しでも安全な場所に身を置くため
親の暴力的な言動から逃げるため‥
今考えたら、本当に純粋に自分の
幸せのために何かを頑張ったことは
一体これまでに何回あったかなと
思ってしまうくらいの家庭環境に育って、
今改めて、恋愛する上でも
そういうバックグラウンドは
とてもハードルになってると感じてしまう。
心臓の音が家族に聞こえそうなくらい
ドキドキしながらスマホを握って
何回も何回も、連絡するかを悩んだ。
考えに考えて、できるだけ短くまとめた
文章を深呼吸しながら送った。
そしたら、思いがけずすぐに
大好きな人から返事が返ってきた。
本当に何かを求めるなら
苦しんだり悩んだり迷ったり
きっとその過程にはたくさんあるけど、
勇気を出したその先には
大きな嬉しさや喜びがあると学んだ。
感動するほど本当に嬉しかった!!
今に始まったことではなく
大好きな人を知ってからはずっと
自分は自分ならではの自分らしい
幸せに向けて生きてるなという実感がある。
大好きな人との関係性には打算も計算もなく
一方通行ではない心の行き来を感じる。
今考えたら、こういう深い人間関係を
築くの自体初めてかもしれない。
誰かを心から大切にすることは
自分の心を大切にすることでもあると
大好きな人から学んだと思う。
勇気を出せた自分を密かに祝いたくて
プリンケーキパフェを
いつものコンビニで買った。
これからも、相手の状況は配慮しつつ
自分の気持ちも大切にしていきたい。
SNSは基本的に趣味関係の公式からの
情報を得るためだけに使うことにして
ネットで見るのもニュースとか天気とか
何かその時の自分に必要なことに
てきるだけ限定するようにしてる。
これまでも元々がSNS系統は
あんまり好きではないから
めちゃくちゃハマってたとかではないけど、
去年の11月頃からは
それまで何となくネットをダラダラ
見てた時間をストレッチに
充てることにした。
自分は恐ろしいほど体が硬くて笑
それを改善したいと思ったのもあるし、
姿勢を良くしたいとか痩せたいとか
色々調べてたら良さそうなストレッチを
見つけてやってみようかなーって。
年末年始は家の事情で
毎日はできてないけど基本的に
少しでも時間があればするようにして
今はもう習慣になってる。
今でも、ふとしたことから
すごくモヤモヤする時もあるから
ネットとの距離感は近すぎないように
そこは意識してるつもり。
ネット世代の自分でも
ここまで発展してくれなくても
良かったのになと思うことが多いけど、
このお正月、自分の恋愛で
大きな壁と思ってるのと似たような
状況の人が書いてるブログを見つけて
ブックマークとかはしてないけど
いくつか記事を読んで、
実生活でその悩みについて誰かと
話したり相談する機会がなくても
似たようなことで悩んでる人がいる
ということを心強く思ったり
その人がその壁をどんなふうに
乗り越えようとしてるかが分かって
こういうところはネットがあって
助かってる部分なのかなと思った。
その人その人の事情がそれぞれにあるから
その壁の一般的な大きさ高さを見ただけで
どっちがいいとか楽とかはもちろん
測れないのは当たり前のこととして、
その人のブログを読みながら
「客観的に見たら自分が恋愛で
ぶつかってる壁はやっぱり
相当大きいのかも」という気持ちには
なってしまったかな‥。
同じ種類ではなくてもまた違う
大きい壁を乗り越えて結婚した人の話も
つい最近読んで、その人は周りが何も
知らない時も人知れずそのことで
悩みながら生きてきてやっと
「この人なら」と思う人と出会えて
本当に良かったと思ったし勇気ももらった。
普段の生活では出会わなくても
世の中には恋愛で心がちぎれそうに
悩み苦しんでる人もたくさんいると
改めて気付かされたし、
本当に縁があれば
2人の間に絆があれば
そういう壁があっても乗り越えて
一緒に幸せになれるのかなって
少し希望が見えた気がした。
自分も恋愛面でもそれ以外でも
人間性を磨いていきたいと思う。
年末年始、大好きな人が帰省してきて
会えたら渡したいと思って
ちょっとしたプレゼントというか
まだ付き合ってなくても気兼ねなく
受け取れるような小物を用意してたのを
どうしよう、渡すとしたらどのタイミングで
渡そうとそれもずっと考えてた。
仕事上春前からは更に忙しくなって
そしたら今度いつ帰省できるか
分からないし、自分が大好きな人が
今住んでる町に行くのは家の事情を考えると
そんな数ヶ月の間には無理そう‥。
色々考えて、まあまあ近いうちに
送る予定にしてた物があるから
(大好きな人もENAがそれを
送ってくるかなとたぶん思ってる)
その時に「いつもお疲れさま」
みたいな感じで一緒に送ろうと思う。
そんなに大きな物ではないけど
シンプルな感じでラッピングも
してもらったし、自分の部屋の
ホコリが入らないような場所には
一応考えて置いてるけど
やっぱり長い間そうやって部屋に
置いとくのも気になるし。
本当は送るよりも直接渡したかったけど
なかなか会える機会がないから
送れるだけでも幸せで有り難いと
思わないといけないよなあ‥。
どんなに前向きになろうとしても
不安は心の奥に常にまだあるけど、
去年のお正月に比べたら
今の方が成長した自分で
迎えられてるのと同じように
これからまだまだ幸せを掴めると信じて
今自分ができること、
自分が変えていけることから
一つ一つ頑張っていこう!
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!
「あけましておめでとう!
今年もよろしく!」
知り合いから早々と届いた連絡を見て、
自分も大好きな人にそうやって
連絡したいなとすごく思った。
でも「今年一年ありがとう、
来年もよろしく」というやりとりは
もう2025年の間にお互いしてたし、
大好きな人は仕事での移動中かもしれない
と思ったし、もし仕事が自分が思うより
ハードスケジュールな場合特に
「こっちは仕事で忙しいのに!
去年の間にそのやりとりしてるし
別にわざわざ挨拶なんか良かったのに」
と新年から思われたら悲しいなと思って
そういう連絡はしないことにした。
もし、なんて言っててもキリがないけど
もし今の時点でもう付き合えてたら、
もちろん相手の状況に配慮は要るけど
「あけましておめでとう!
今年もよろしく!」くらいの連絡は
きっとできたのかなあと思う。
自分は家の事情で、年末年始も
自分の個人的な用事には行けないし
そういう意味では自由な時間ではないけど、
年末年始に仕事で家を空けたことは
これまでにない。
でも、大好きな人は自分以上に
カレンダー通りではない仕事に就いてて
実際この年末年始も仕事で
ちょっとスケジュールも知ってるけど
びっくりするほど余裕なさそうで、
職種によっても細かい部分は違っても
年末年始=休み
というわけでなくそうやって色んな場所で
それぞれ働いてくれてる人たちも
いるというのを改めて実感してる。
自分は小さい頃から
我慢するということに慣らされてる。
ここでこう言いたいけど
その発言を我慢するとか
買いたい物があるけど
お金が足りないから我慢するとか
そういう意味の我慢ではなくて、
あらゆる場面で自分の気持ちや思いを
言うことそのものが悪というような
複雑な家庭育ち特有の
全てを踏みにじられてきた感覚。
だから、恋愛においても
本当なら言ってもいいはずのことも
自分からわざわざ我慢を選んでしまったり
大好きな人は穏やかな性格で
いきなり怒ったり暴力を振るったりは
しない人って分かってても
相手の機嫌をうかがうような
必要以上に自分を下げて
へりくだるような選択を
誰に言われたわけでもなく
自分からしてしまう。
ものすごく良く言えば
人に対しての配慮ができる
自分を主張しすぎずに遠慮できる
ということになるのかもしれないけど、
この無駄なへりくだりと
機嫌うかがいが自分を生きにくくしてる
という自覚が(恋愛に限らず)すごくあるから
厚かましくなっていいとか
人への気遣いがなくていいとか
そういうことではなく
その短所を今年は変えていきたい。
とはいっても
このお正月はやっぱり
普段よりも仕事に追われてるのを知ってて
連絡はできないけど、
自分を自分で価値がない
誰から見てもその人の役にいつでも
立たなければ意味がない人間と
自分で判断するのは本当にやめたい。
そんなふうに自分を卑下しすぎる人間に
それとは対象的すぎる幸せな恋愛なんて
きっとこないと思ってしまうから。
そのためにも、ネットとかを見すぎて
人と比べたり、何が普通かとか
そういうことも考えないようにしたい。
1年後、今日書いたこの記事を読み返して
「去年はこんなことで悩んでたの?」
と笑い飛ばせるくらい
今年を幸せな一年にしたい。
というか絶対にする。
もし、大好きな人が年末帰省できて
会えたらもちろんもっと良かったけど、
それはできなくても今年は自分にとって
本当に忘れられない大切な一年になった。
このブログでも、自分の恋愛観に
大きく影響してるかなと感じる部分は
育った環境についても書いてるけど、
いつも心のどこかに
“家族からもひどい態度をとられる自分が
家族でもない誰かから大事に
してもらえるはずなんてない”という
気持ちを抱えながら生きてきたのに
静かでおとなしい性格の大好きな人が
まさか目に見えて自分を特別扱いしたり
「普段離れててなかなか会ったりは
できなくてもいつも気にかけてくれてるの
ちゃんと分かってるから」
と言ってくれるなんて
ましてやもっと進展してからではなく
今の時点でそういう気持ちを
見て分かる形で示してくれるなんて
夢にも思ってなかったから、
今年はこの先もずっと心の中で
原点として支えになり続けてくれるような
そんな特別で大切な一年。
大きな壁があることもあるし
周りの人を信用できないのもあって
自分が自分の恋愛について
普段、このブログ以外では
誰かに話すことはない。
誰かに恋愛のことを聞かれたり
話の流れでそうなった時に、
大好きな人に限定されない形で
「こういう人が好き」とか
それくらいの話をすることはあっても
具体的に人物が特定される形で
大好きな人を好きというのは
分からないように、知られないように
細心の注意を払って毎日を過ごしてる。
何も悪いこともしてないのに
何でこんなに小さくなって
大事なものを外からは見えないように
隠して生きないといけないのかな?
とも思ってしまうけど、
大切なものほど
人の目にさらさず心の中に
大切にしておきたいという気持ちも
自分の中にあるのかもしれない。
自分に自信がない、というのを
全面に出さないように生きようと
意識してるからか、大好きな人には
きっと「ENAは自分に自信がなさそう」
というふうには見えてないと思うけど、
自分にとっては、自分なりに努力して
大好きな人の隣にいるのが似合う人に
なるためにはどうしたらいいか、を
常に考えて自分に革命を起こして
毎日を過ごしてるような気持ち。
人との信頼関係とか
損得関係なく無償で愛する気持ちとか
そういうものがある家庭ではなかったから、
大人になるまでもずっと
うわべでは無難に生活してたけど
心のどこかではそういうのと
向き合うことを避けてきたのかも、
と思ったりもする。
大好きな人が地元を離れてからは
自分の現状から考えると
そんなに簡単には会いに行けない所に
住んでてそんな中でどうやって
進展すればいいのかとは思うけど、
遠いなりにできることを頑張ってるのは
ちゃんと届いてたと分かったことも
今年、自分の中で本当に大きかった。
決して執着はしないようにしたい。
自由に趣味や生きがいを楽しむのが
難しい生活をしてると
恋愛に限らず何か一つのことを
続けるのそのものが難しくて、
だからついそのことに執着したり
「もしこれをなくしたら
自分には何も残らない」という
行き詰まった考えにいってしまいがち。
でも、絶対にこうしないと!という
考えで突き進んだ先が幸せとは
決して限らないというのも
忘れずに心に置いておきたい。
周りから見れば、何か大きな
出来事があったわけではなくても
自分の中では大きな進歩を感じられた
2025年が終わってしまうのは
すごく寂しいけど、
この2025年を活かして来年を
もっと幸せな一年にできるように
相手の気持ちや立場を考えながらも
自分の気持ちももう少し態度や言葉で
伝えていけるように頑張りたい。
できれば、来年一年の間には
大好きな人と付き合いたいし、
その先の将来も考えられるくらいの
関係になりたい。
まだまだ、精神的に落ち込んだり
行き場がないと感じてしまうことも
日々の生活の中にはしょっちゅうあるけど、
来年はもっと安心して生きていけるように
恋愛も含めて前に進んでいきたい。
このブログは、唯一恋愛のことを
何でも打ち明けられる場所。
いつも支えや心の拠り所にしてるので
この一年このブログを読んでくださった
方々にも本当に感謝です。
今年一年、ありがとうございました!
来年もまたよろしくお願いします。
皆さん、良いお年をお迎えください。
昨日、家族に言われて
重労働をこなさないといけなくて、
でも今の自分にとっては
家族から言われることは命令と同じ。
それをしないとなと思ってた時
大好きな人がやっぱり年末年始も
仕事に行かないといけないのを知った。
元々の予定では
「年末年始は地元に帰る」
「だから会えたら会おう」
という話で、自分も今の現状では
家のことが色々あるから
会えるにしても堂々と
大好きな人と会ってくるとは
言えないなと考えながら
だけど何としてても予定を合わせて
会いたいとすごく願ってきた。
大好きな人にあまりにそれを出しすぎると
プレッシャーになりそうと考えて
できる限り前のめり感がないように
「〇〇(大好きな人)が帰ってこれたら
ぜひ会えたら嬉しい!」
程度に留めたけど‥。
少し前から、思いがけずうまくいってた
仕事にはまだ続きがあって、
可能性を見込まれたのか
次の仕事も任されたみたい。
その仕事に関わるなら年末年始も仕事。
そうなるともちろん、
こっちに帰ってくる予定も中止になる‥
大好きな人のことを考えたら
今の支社で働き始めてまだ長くないのに
そんなふうに信頼されてるというのは
もちろん喜ばしいこと、素晴らしいこと、
大好きな人の日頃からの努力を
そうやって評価されてて有り難いこと
それはもちろん自分もそう思ってる、
だけどこれだけ普段から会える機会が
ほとんどなくてやっと会えるというのは
自分にとって本当に毎日の大きな
支えであり道標でもあった。
大事な仕事の一員として
選んでもらってるというのは
本社からの信頼もあるからで
本当に嬉しいこととは分かってるし、
だから自分も「すごいね!良かったね!」
という感情しか外には見せないけど、
本音を言えるなら
本当に本当に本当に
年末年始に会いたかった。
大きな壁がある恋愛は
いつもどことなく周りに引け目を感じて
“自分がこの人をどんなに好きでも
この恋愛がうまくいくことはないのかな”
と思い始めたら不安の底まで心が
突き飛ばされそうで必死に何かに
しがみつくような毎日を過ごしてきた。
大好きな人の性格を考えると
よっぽど好きになってくれるか
よっぽどの人生の中の何か
ターニングポイントがないと
向こうからのアプローチはないのかなって、
でもなかなか会える機会もなく
仕事もカレンダー通りではない
不規則な状態で連絡も遠慮がちに最小限
そんな毎日の中でどうやって
自分からこの恋愛を進展させればいいのか
気がつけばずっとそのことを
考えてしまうほど悩んでた。
だからこそ、大好きな人が
もしかしたら人によっては
何でもないようなことでも
大好きな人や自分にとっては
すごく大きな一歩をある日
何の前触れもなく踏み出してくれた時は
今でもその日にちや
その日家で作った料理や
連絡を受けた瞬間自分が家のどこに
立ってどういう状況下で見たかとかも
鮮明に忘れられないくらい
自分にとって本当に特別に思えた。
年末年始に帰ってくるかも?
というのは想定の範囲内でも
相手側から会おうとしてきてくれる
というのは夢みたいな出来事で、
家族の前では何でもない顔をしながら
大好きな人と会えた日に渡したい
ちょっとしたプレゼントを用意したり
家の用事での外出先で
お世話になった知り合いに渡すふりをして
Thank youカードを買って
そのちょっとしたプレゼントに添えて
渡そうかなってドキドキしたり
服も大好きな人と会うと言わずに
他の理由で外出するなら
あんまりいつもの感じとは違う服装は
できないけどその中でも
これくらいなら無難でいいかなと思う服を
密かにネットで買って準備したり
自分は決して細身体型ではないけど
多少でもすらっとしたいからと
毎日のストレッチが習慣になったり
一見すると何も変わらない自分の日々は
“大好きな人に会える”という一つの幸せで
周りの誰も知らないところで
キラキラ輝き始めてた。
これまで、家の中でも理不尽な暴力に
耐えたりと家族の温もりも分からなくて
だから恋愛でも人を信じられない、
この人のこの言動も打算とか計算に
決まってると全てにおいて思ってしまう、
そんな自分でもこんなふうに
気持ちが通い合った恋愛ができるのかと
今回、初めて実感してた気がする。
仕事なら仕方ない。
むしろそうやって認められて
大事な仕事を任された大好きな人を
「すごいね、本当に良かった」と
喜んで自分の個人的な都合や想いは
自分の心に押し留めておかないと。
分かってるけど、やりきれない。
分かってるけど、寂しくて苦しい。
帰ってくるって言ったのに。
それを聞いた時からずっと
その日のために生き抜いてたのに。
(こういう家庭環境を経験してない
人にとっては重すぎると思うから
全くこういうそぶりは見せないけど)
手が震えるほど嬉しかった連絡。
あの日からずっと
しんどくなる度に、苦しくなる度に
「でも、年末年始は会えるから」を
まるで合言葉のように言い聞かせて
ここまで来た自分がみじめに思えて
今はもう“この年末年始は会えない”
ということが、重くのしかかって
精神的にもすごくしんどくなってる。
めんどくさい人にならないために
元々深く人と関わるのが苦手な
大好きな人が自分を心から
追い出してしまわないように
自分は全然平気なふりをして
明るく振る舞うだけ。
会えなくてもせめて年明けに
あけましておめでとうメッセージを
送ろうかなとも思ったけど、
仕事で集中してる大事な時期、
仕事のために普段の日常とは全く違う
リズムや環境で頑張ってる時期に
自分がそういう連絡をすれば
「年末年始会おうって言ったのにな」
とか心を乱したり揺らしたりする
きっかけになってしまうかもしれないし、
連絡ももう少し後にすることにして
年末年始はただ心の中で大好きな人を
想うだけで静かに過ごそうと思う。
会いたかったな。
年末年始をこんなにも支えにしてた。
本当に会いたくて仕方なかった。
本当は過去形ではなく今も。
ずっと会いたい。