大好きな人と出会った夏以前の
記憶はあまりにも昔というか、
かなり前のことに感じられる。
自分の人生が、大好きな人と出会う前/
出会ってからの2つで分類されてる
とすら思ってしまう時がある。
大好きな人と出会う前の毎日を
今思い返そうとしても、
まるでセピア色の何かを
一生懸命掘り起こすような作業で、
どこか遠くにあるものを
何とか思い出そうとしてる感じで。
大好きな人と出会ってから
気づけたことや知ったこと、
学んだことがたくさんある。
それまでも毎日を大切に
生きてきたつもりではあったし、
育った環境が環境なだけに
多くの人が当たり前とか普通と
思ってしまいがちなこともいちいち
立ち止まって「これは奇跡!
有り難い!本当にありがとう!」と
言えるような子ではあったけど、
それでも大好きな人と出会ってから
新たに考えるようになったことや
自分の心が広がるような
大切な何かにも気づけたと思う。
もう、大好きな人がいない人生は
考えられないよなあ‥。
人生や毎日を考える時、
意識して大好きな人を入れなくても
自然に「もし一緒に生きられるなら」
と共にいる様子を想像してしまう。
大好きな人とまだ出会う前の日々が
幻のようにさえ思う。
「ENAってほんとに気楽だよね!笑
いつも楽しそうで、人と違う個性を
持ってても笑い飛ばしてる感じ」
と、友達に言われた。
友達といっても、自分は正直
全面的に心を開いてはいないけど、
決して広くはない交友関係の中で
育った家庭のこととか
色んな事情を知られたら
ややこしいことになりそうで
いつもうまくやり過ごして
ごまかして人間関係をこなしてるから、
そうやって元気で明るくて気楽な人と
思われてるくらいでちょうどいい
と思った。
大好きな人のことも知ってるけど、
まさか自分がその人に恋愛感情を
持ってて本気でこんなに好きとは
きっと思ってないはず。
自分も周りに広まる可能性がある場所で
自分の恋愛の話をするつもりはない。
うん、そうだよ気楽だよ
という顔で笑って、心では全然
まだちゃんと呼吸できる場所も
見つかってなくて。
だけど、それでも
周りの人には気楽な自分と
思われててもいい。
恋愛のことも、自分の他のことも、
人に簡単に話すつもりはないから。
いつかこの恋愛がうまくいったら
その時はごく身近な人だけには
話すかもしれないし
そんな未来が来てほしいけど、
それまでは慎重に目立たないように
仮面の自分で過ごそうと思う。
恋愛がうまくいっても
自分のことを人にはできるだけ
話さないとは思うけど。苦笑
人はなるべく信用しないから。
育ち方のせいか、昔からずっと。
だからこそここだけは信じられると
心を開ける場所が欲しいし、
それが大好きな人なら本当に幸せ。
例えば、恋人同士なら
全然違和感なく受け入れられる
言葉でもそうではない関係性で
それを言われたら引くなあ
と思うことを言ってる人が身近にいて、
本人は自分を信用してくれてるから
そう言ったのかもしれないけど
自分個人的にはちょっと心が
ぞわっとしてしまった。
人のふり見て我がふり直せとは
こういうことなのかも、と思う。
自分は人とコミュニケーションを
取るのは積極的な方でも
誰かと仲良くなる、心を開くことは
本当に慎重になるタイプで
むしろもっと押していけと
言われることも多いけど、
それでも人の心に土足で踏み込んだり
その立場にはそぐわないことをして
引かれてしまうよりはいいのかな
と考えてしまった。
自分がもし、まだそこまで
めちゃくちゃ親密ではない状況で
相手から言われて引っかかることは
きっと今、自分が相手にしたとしても
同じように引っかかられてしまうこと。
だから、焦っても急ぎすぎず
慎重に大好きな人との距離を
縮めていけるようにしたい。
相変わらず、毎日の生活に追われつつ
心の中で大好きな人を想うのを
誰にも言えず人知れずただ心の
拠り所にする日々を過ごしてる。
そんな中でも、地元への愛着や愛は
昔以上に更に深まってると思うし、
そんな大好きな地元が同じ
大好きな人と出会えたことは
自分にとって本当に大きな幸せ。
好きになりすぎないように
頭の片隅に意識し続けて
がんじがらめな世界の中に生きて
本当にしんどい時もあるけど、
今誰にも見えてないような
小さい小さい努力がいつしか
大きな夢を叶えることになるように
今はただ自分ができることを
コツコツ積み重ねるだけかなあ。
知り合いでも何でもない人の
もしかしたら全て嘘かもしれない
電子文字の羅列に心がめいってる。
複雑な環境の中に身を置いて
毎日を何とか生きてるような中で
精神的に参ってるから色んなことに
心が過剰に反応してしまうのかも。
大好きな人のこと、この先も
大好きでいるなら、そういう
つまらないものに振り回されたり
いちいち揺らがない強さを持たないと
いけないなと思う。
ただ平凡でも安心して生きたいだけ。
大好きな人が心にいつもいるのは
とても幸せなこととは思うけど、
本当に、特別な非日常ではなく
何気ないゆったりした日常が
欲しいってただそれだけが
何でこんなに難しいのかな。
いつもの通り道のあじさいが
きれいに咲いてたとかは
自分にとっては心に残ることでも、
そんなことで大好きな人には
いちいち連絡できない
地元のことも忘れないでねなんて
言えるはずもない
それが今の自分の立ち位置と
時々すごく思い知らされてしまう。
何でもないような日常のひとコマに
なぜか立ち止まって感傷的になって
それだけ好きということなのか‥。
息が詰まりそうなストレスまみれの
生活を強いられてるのは毎日本当に
しんどくて気が狂いそうになるけど、
とにかく無難にやり過ごす内側で
大好きな人を想ったり
趣味関係で親切にしてくれる人がいたり
そういうことを支えに頑張ろう。
自分は年上でも年下でも
人として合えば特に年齢は気にせず
仲良くなれるタイプ。
前から知り合いではあったけど
お互い何歳か知らなかった人が
同い年と今日初めて知った。
自分は今の時点で、昔思い描いてた
大人に全然なれてなくて、焦りや不安の
気持ちが日々とても強くある。
それに、見た目よりは年齢が大人
というのもあって、自分の年齢を
言うのはちょっと身構えてしまう。
その同い年の知り合いは
自分から見て人生の中での目標も
叶えて地に足を着けて生きてる人。
隣に立ったら自分のダメさが
浮き彫りみたいで抵抗があるな、と
自分は思ったけどその知り合いは
「周りがそうだからそうするとか
大人数派にいて安心するんじゃなく、
人と違っても大変な状況でも
前向きに頑張ってるENAを尊敬する」
と言ってくれた。
大好きな人との恋愛を叶えるためには
人間性を磨いて大好きな人の中で
唯一無二の存在になることは不可欠と
毎日思ってる自分にとって、
知り合いが言ってくれたその言葉は
とても嬉しくて自信になると思えた。
理不尽にものすごく傷つくことを
言われた帰りの電車内。
何気なく前の席の人を見たら
大好きな人に雰囲気が似てた!!
もちろん本人ではないし
そんなことは分かってるけど、
今日のそのタイミングで
ちょっと似た人を見れたのは
救われた気分になった。
これだけ会えなくて
どうやって進展するのか
と思うと焦りも感じるし、
本当にモヤモヤしてしまう。
だけど、そんな中でも
(恋愛のことは全く知らなくても)
自分に優しくしてくれる人や
親切にしてくれる人がたくさん
いることは自覚しないといけないし、
そういう人たちとも
大好きな人のおかげで
仲良くなれたのも決して
忘れたらいけないなと思う。
誰かがつけてたチャンネルから
あまりにも今の自分からしたら
自由すぎる歌が流れてくる。
毎日の生活に制限が多い中で、
どう頑張ったってお互いが住んでる
所の距離を考えたらそんな簡単には
会えないのに何でこんなに
好きになってしまったのかなと思うと、
とても苦しくて切なくて
気持ち的に本当にしんどくなる。