Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はずっとずっと特別な人。少人数派の恋愛でも大きい壁があったとしてもそんな特別な人と家族になりたい。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
ずっとずっと特別な人。

少人数派の恋愛でも
大きい壁があったとしても
そんな特別な人と家族になりたい。
こうなりたいなと思う存在

こうなりたいなと思う存在

こうなりたいな、と思う人がいる。


数年前までは、その人が頑張ってることや
目指してるものを周りの人たちの
ほとんどがバカにして笑ったり
あからさまに否定してる人もそこそこいて

(ちなみに自分はめちゃくちゃ応援してた)

でも、その後の数年の間にその人は
みんなが見てない所でもたぶん
めちゃくちゃ努力して色々頑張って、

元々言ってた通り、目指してた通りの
夢を叶えて今は周りの人たちからも
好かれて囲まれてるのを見て、

本当にすごいな、尊敬できるな、
自分も将来を信じて今できることから
コツコツ努力して、今は夢でも必ず
それを現実にしようと勇気をもらった。


本当に叶えたいことがあるなら
そうやって頑張らないといけない
ということくらいは、初めから分かってる。


でも、実際にそれを形にして
見せてくれた人がいることで、
自分もこんなふうに努力しよう
本当にこうやって現実になるのかと
すごくイメージしやすくなったというか、

今はまだまだその日が遠くても
信じて頑張っていかないとなと思えた。



その人とはまた別の人で、
自分と同じような恋愛をして
その相手と結婚した人がいて、

さっき書いた人は恋愛面での夢や目標の
実現ではなかったけど、その人は
ほぼ自分と同じ状況から実現してるから
恋愛面ではこの人もいい見本になってる。


自分は普段、恋愛のことを人に
公言してないからその人の話もあんまり
いかにも興味があるようには聞けないけど、

その人は初めは全然その結婚相手を
恋愛対象では見てなくて

その大きな壁があったのもあって
初めからその人と付き合うとか
ましてや結婚とかなんて思ってなくて、

「あの人と付き合うなんてありえないよ!」
みたいな感じに周りにも言ってたらしい。


それが、ある時その人を好きと気づいて
自分からアプローチして
付き合えて結構早い段階で結婚したとか。


縁があるというのはそういうことか。

必死にしがみついて執着して
意地でも付き合いたいとか
これ以上好きになれる人はいないとか
思いすぎたらきっとダメなんかもな‥。


その壁を具体的にどう壊して
うまく結婚できる流れになったのか
その一番知りたい部分が分からないから
そこは何とも言えないけど、

同じような大きな壁があっても
それを壊すなり乗り越えるなりして
今幸せになってる人がいるのを
実際に知って、本当に励まされた!


大好きな人を恋愛感情で好きというのを
人に話してないから、クールな様子で
ただ黙って聞いてるしかできないけど、

心の中ではとても勇気をもらえた。


そういう“夢を叶えたモデルケース”が
現実にあるというのを知ると
努力すれば自分も何とかなるかもと
思わせてくれる。


頑張ろう。自分も。
悲しい世間の言葉/言葉より行動

悲しい世間の言葉/言葉より行動

「気持ち悪っ!
いくら好きでも黙って身を引けばいいのに」

自分と同じような恋愛をしてる人に対して
たとえそれが世間の総意ではないにしても
少なからずそういう言葉を投げかける人が
当たり前にいるということ。


このブログには前から書いてるけど、
気持ち悪いと感じる人が心の中で
そう思うのはその人の意見や気持ち、
それでいいと思う。

だけど、思ったからといって
何でも言葉にしていいということは
決してないはず。


少人数派の中には、自分の立場を
公言して世間と対峙できる人もいる。

それは確かでも、ほとんどの人たちは
自分が少人数派と知った瞬間から
なるべくそれを世間に知られないように
誰かとその話にならないように、
とても気を遣って神経をかなり
すり減らして暮らしてる、それも事実。


倫理的や人道的に、何か問題があることを
してるわけでもないのに、
この人を好きというのを堂々と言えない、
言うことを許されない空気感がある。

これは経験したことがない人には
想像ができない苦しさな気がする。


自分は昔から、同世代の流行りとかに
全然興味がない変わった子で、
好きになること(趣味とか)もちょっと
珍しい分野とか、そんな感じの生き方を
してきたから少人数派と思われることには
比較的慣れてるつもりでいた。


だけど、恋愛のことになると
また違った悩みや葛藤が出てくると
大好きな人を大好きになって改めて知った。


自分自身も、恋愛以外の面でも
周りに誰か少人数派の人がいても
偏見の目で見たり、少人数派なら
何を言ってもいいというような
歪んだ価値観を持たないようにしようと
いつも思ってる。


少人数派というのは、別に好きでその枠に
入ってるわけではないけど、それだけで
理不尽に傷つけられることが多々あると
本当にすごく実感してるから。





「言葉ではなく行動を信じろ」
人付き合いの話で、そう書いてあるのを見て
とても納得してしまった。


特に元々口数が多い人、社交的な人の中には
思ってもないことでもペラペラ何でも
言えてしまう人も実在するし、

そういう人にとっては、言葉でそう言うのは
何の労力もないと思う。


でも、行動するとなると
口で言うだけよりは簡単ではない。

本当に相手のことを考えたり
思いやりがないとできないことも
たくさんある。


だから、誰かと関わる時は言葉より行動を
見たいなと思ったし、自分自身も
恋愛も含めて、言葉で言うだけでなく
ちゃんと行動で示せる人でいたい。


自分が思ってることをちゃんと言葉で
伝えることも(本当にそう思ってるなら)
大切と思うし、でも言葉だけでなく
行動が伴ってこそその言葉が意味がある、
重みのあるものになると思う。


この前、大好きな人からもらった言葉は
自分の心の中で本当に大きな支え。

それは、普段からの大好きな人の行動や
生き方を見てるからその言葉を
信じられるんであって、これがもし
誰にでも調子がいいことを言いまくる人なら
何の説得力もなかったと思う。


言葉で伝えることは大切、
でもその言葉を信用してもらうには
普段からの行動がとても大切、
ってことなのかなあって。
言葉にして初めて伝わることがある

言葉にして初めて伝わることがある

大好きな人は、とても人見知りで
人と話すのがそんなに好きではない
得意ではないタイプ。

自分は、たぶんかなりの社交的で
人と話すのが好きで得意なタイプ。


自分の場合は、育ってきた環境とか
大きいトラウマの部分に話が及ばないように
あえてめちゃくちゃ明るく振る舞うことで

「まさかこの人がそんな壮絶な中で
生きてきたはずなんかない」と思われたい、
その方が無難で助かるという気持ちから

実際より更にそうなったとも言えるけど。


大好きな人ともっと仲良くなりたいと
思った時から、自分はできる限り
大好きな人にとっても楽しく思える、
心の負担にならないような話題を
たくさん話してきた。


自分自身は社交的でも、周りの人には
これまでも人見知りの人もたくさんいたし、
自分はそういうタイプの方が相手を
信頼できて仲良くなりやすいから、

これまでの人見知りの知り合いのことも
思い返しながら、一気に距離を縮めたり
自分にとってはそうではなくても
人見知りの人からしたら戸惑うようなことは
しないように自分なりに気をつけながら

それなりに努力はしてきたつもりでいて。


大好きな人は、そんな自分に対して
もしかしたら心を開いてくれてるのかなと
思うこともこれまでに何回かあって

嫌な印象は持たれてないなというのは
分かってホッとしたけど、

自分にとってはできる限り我慢して
用事がある時だけ連絡するようにしてても
相手にとってはその頻度が高すぎると
思われたりしてないかな?とか

色々心の中では気になってた。


でも、大好きな人が
「いつもENAが気にかけてくれるから、
すごく元気をもらってる。
いつもたくさんありがとう!」
と言ってくれて、すごく嬉しかった♡


大好きな人の文字は、学校の授業の
お手本みたいなきれいな字ではないけど、

自分にとってはとても心がこもった
本当に特別な字。


自分がこれまで一生懸命関わってきたことが
ちゃんと伝わってたと思えて感動したし、
いくら心で思ってても言葉にしないと
相手に伝わらないこともたくさんあると
改めて学んだ気がする。


これからも、焦りすぎずに
大好きな人の性格を考えて
アピールのしすぎ、関わりすぎには
ならないようにちゃんとセーブしながら、

でも大事なことはちゃんと言動で
伝えていけたらいいなと思う。
親しくなっても心は開かない

親しくなっても心は開かない

大好きな人の仕事場関係の人で、
その人自身は地元が一緒ではないけど
自分の地元がすごく好きと言ってくれて
興味を持ってくれたりとか、

かなり社交的な人で
普段から色々話してくれたり
その人の家族が自分と似たような
大変な経験をしてきたというのもあって、

自分も他の人に対してよりは
その人には心を開いて今思えば
個人的な話もしてた。


でも、昨日の夜、その人と話してた時に
「えっ?そういうこと言う?」と
驚くような言い方をされて、

表向きにはいくら自分を理解して
くれてるようなことを言ってても
心の奥の本心はきっとこれなのかなと
知ったというか、そう思ってしまった。


仮に本当にそうなら、これまでも
自分が話すことを心では笑ったり
バカにしながら聞いてたのかな、

自分を理解しようとしてくれてる
というんではなく、ただ面白いから
ドラマを見る感覚で聞いてただけかも、

とすごく悲しくなったし、
今更こう考えても遅いけど
他の人とより仲良くなったからって
油断して自分の個人的なことなんて
話さなければ良かったと後悔してる。


大好きな人の会社関係の話はいいとしても
今思えば自分の地元のことも
そこまで詳しく話す必要はなかったし、

大好きな人の会社全般的な話は
自分自身、年齢のわりにその会社と
関わってる期間が長いから
(小さい時からその会社、特に
大好きな人がいる支社は繋がりが深い)

何もその話をしないというのも
明らかに不自然な気がするけど

その会社や支社の表面的な話以外の
個人的な話はしなければ良かった。


大好きな人に恋愛感情を持ってることは
話してなくて本当に良かったというか
そこは自分の選択を褒めたい。


そんなこともし話してたら、表向きには
応援する!とか言ってくれても陰では
鼻で笑われて他の人にも言いふらされたり
してた可能性もあるよなあって。


大好きな人と自分が同じ地元なことや
共通点が多いことはその人ももう知ってるし

これまでに自分が話してしまったことは
もうどうにもならないけど、

これからはできるだけその人と話す機会を
増やしすぎないようにしながら
ただその会社関係の知り合い
というそれ以上にも以下にもならないように

無難な話しかしないようにしよう‥。


自分は、家が複雑な中で育ったからか
人間不信ぎみで、普段からあんまり
自分のことを人に話さないのが癖に
なってるなと感じる時もあるけど、

家の複雑さは本当に日々悩みではあっても
自分の個人的なことを人にあんまり
話さない癖というのは自分を助けてくれる
場合もあるなとも思った。
焦った話とつくづく思ったこと

焦った話とつくづく思ったこと

昨日乗った飛行機で
もしかしたら忘れ物をしたかも?と
今日疲れ果てた頭で考えながら
バッグの中身をあっちこっち探した。

飴入れにしてる小さい巾着。

それ自体は、気に入った生地で
作った物ではあるにしてもまだ
もしなくなっても諦めはつく。


そこにつけてたキーホルダーが
大好きな人との写真の物で、
それだけでも手元に置いておきたいと
思いながら必死にバッグの底まで探して、

自分が思ってたのとは違う所から
ひょっこり出てきて本当にホッとした‥!


もしなかったとして、航空会社の
忘れ物センターに電話した時、
忘れた物の特徴は確実に聞かれるから
こういう柄の巾着でこういう写真の
キーホルダーをつけてますとか
絶対恥ずかしすぎる‥笑



今更始まったわけではなく
ずっと前から変わらないけど、

やっぱり自分が育ってきた環境も
今置かれてる状況もだいぶおかしいな、
今のままでは自分の今も将来も
自分は心も気持ちも意志も
何も大事にできないと今日の出来事で
また思い知らされた。


恋愛だって、大好きな人が自分を
好きになってくれるかどうか
という以前に、今の状況では

もし大好きな人が自分のことを
好きと思ってくれたとしても
家族が機嫌やその時の気分や
「ENAが楽しそうでむかつくから」とかで
容赦なく嫌がらせをしてくるはず。


自分の心と生活を
ちゃんと守らないといけないなと思う。
ただ同じ地方にいるというだけで

ただ同じ地方にいるというだけで

ほぼ仕事で、久しぶりの飛行機。

台風の進路が心配ではあったけど
全く影響なく定刻通りに着いた。


自分の個人的な自由な旅で
飛行機に乗ったことはないけど、
飛行機に乗る機会があったら必ず
機内では機内誌を読んでる。


今回も、移動中はなるべく
仕事絡みの気がかりなことは
気にしないでいようと思いながら
機内誌を手に取ったら
その特集が自分の地元!!

自分の地元ってことは
大好きな人の地元でもある。


内容も面白かったし、

飛行機に乗った時しか機内誌は
読んでないからもしかしたら
自分が知らないところで何回も
地元が特集されてるのかもしれないけど

自分が搭乗した時にタイミング良く
地元の記事を読めたのが嬉しかった!


飛行機を降りて、今回のメインの
用事がある駅まで移動する時に
大好きな人の名字と同じ町がある。


今回来たのは久しぶりでも
その県自体は前から来たことがあるから

その名字の町がその県にあるのは
前から知ってたけど、大好きな人を
恋愛感情で好きとこんなにも自覚してから
その町を通ると改めて色々思うというか

大好きな人を知らなかった頃や
好きという自覚がそこまでなかった頃は
その町を通っても特に心がドキドキしたり

その漢字の並びを見るだけで嬉しくなって
元気が出たりということは
今みたいにはなかった。


同じ風景を見ても
大好きな人が心を占めてると
こんなにも違って見えるのかと
改めて発見した。


その後、いただき物の
コーヒーを何気なく見てる時に
ふとその賞味期限が目に入ってきたら
それが大好きな人の誕生日で、

元々大好きな人の誕生日と
自分の誕生日には共通点があって
それが自分のラッキーナンバー。

たまたまでもすごく嬉しかった♡



今、大好きな人が今住んでる県と
同じではないけど普段よりは近くの、
広い意味では同じ地方の近隣県にいる。

地元とは、気候も風も違って感じられる。

大好きな人はこの近くの県で
いつも頑張ってるのか‥としみじみ思った。


普段、いくつも県を越えた所に
住んでる自分にとって、たとえ
大好きな人と同じ県内、市内ではなくても

いつもより近くの県、同じ地方に
いるというだけでもとても幸せなのを
心にすごく感じてる。


もちろん、できることなら
会いたいと思うし話したいと願うし、
そういう直接的な接点が増えないと
目に見えた進展も難しいのは分かってる。


それでも、今の自分は
同じ地方にいるだけで本当に
嬉しいというのも事実で本音。
例えば8年前の自分は

例えば8年前の自分は

何年も前の自分は毎日
どんな生活をしてたっけ?と
ふと何かをきっかけに思うことがある。

コロナ禍前は、家族の状況も
複雑なのは昔からそうでも
今とはまた違ったな、あの頃はまだ
好きなことを楽しめる時間や
自分の心を休められる時間が
今よりはあったなぁと、すごく遠くの
出来事を思い返すかのように思い出す。


大好きな人が地元を離れるまでは
きっとその辺ですれ違ってた。

それくらい身近な所で育った人。

当時は大好きな人のことを
知らなかったからもしすれ違ってても
気づけなかったのを今更すごく
悔しく思ったりする。


大好きな人が仕事で違う地域に
引っ越してから、大好きな人が地元に
いた頃にもっと仲良くなれてたら、

普段から普通に会えるような
親しさまで進展できてたら、

今遠くに住んでても気持ちの上で
全然違ったのかもしれないなと思う。


それでも、そもそも大好きな人と
地元が同じとか他にもあれこれ
いくつも共通点があったからこそ
ここまで仲良くなれてるとも言えるし、

何年も前を思い返すと
こんな近くに大好きな人がいることさえ
知らずに過ごしてたと考えたら

今に感謝しないとなと改めて感じる。
いくら関わりが深い町でも

いくら関わりが深い町でも

今に始まったことではなく
自分が育ってきた、過ごしてきた
家庭環境は本当に暴力的で、

さすがに生き延びるためにも逃げようと
思いながらも、自分の体調面や
暴力的ではない家族の事情などもあって
今でもまだ逃げ切れてはいない。


そもそも自分時間そのものが少ないから
なかなか少しずつしか進まないけど、
仮に安全に逃げられたとしたら
どの辺になら住んで生活していけるかを
考えたり調べたりもしてる。


そんな中で今日、その事情や計画とは別に
大好きな人が今住んでる町の辺りの
賃貸物件や特定の施設近辺について
調べる機会があった。


大好きな人が今住んでる町は
自分にとっても昔から関わりが深くて
地元を除けばたぶんその辺りが一番
土地勘があってなじみもあって
知り合いも多くて慣れてるかもしれない。


だから、住所の町名を見ても
「あーあそこかー!」ってすぐ分かるほど。

たまたま縁あって昔から関わりが深いけど
たぶん地元以外に転校とか以外で
そういう町があるのは珍しいんかも。


かつての自分ならもっと現実的に
「じゃあ〇〇県に住むことも考えよう」
と思えたかもしれない。

だけど、その町の知り合いたちは
ごく一部を除いて自分の家庭環境について
全く知らないし、その知ってる一部も

正直すごく信用できる人かといえば
そうでもないかもと思い始めてて
(家庭環境については話の流れ上
言わないと話がおかしくなるから
最低限だけは話したけど)

他の知り合いたちも
いい人かもしれないけど
いざという時に頼れるかっていうと
そこまではない。


ちょっと繋がりが深いからって
安易にそこに移り住んだりは
今の時点では、まだできないかな‥。



大好きな人が住んでることで、
その町がより特別な町になった。

でも、まだ付き合えてもないのに
いくら昔から関わりがあるからって
そんな押しかけるみたいにその町に
引っ越すなんてことは今の時点では
考えられないし、考えたらダメなんよな。


こんな時、自分か相手をどんなに好きでも
現実の上ではただの同じ地元の、
他の人たちよりはちょっとお互いを
知ってる同士という程度というのを
すごく実感してしまう。
なんとなくたいやき

なんとなくたいやき

大好きな人も甘いものが好き
というのを初めて知った時、
一緒で嬉しいなと思った。


それで、ふとどんなスイーツが
似合うかなーと思って考えてたら
一番初めに浮かんだのがたい焼き。

しかもひらがなで「たいやき」の方が
更に似合う感じ!
(どんな感じやねん‥笑)




毎日、家族に自分の好きなことを
批判されたり否定されたり
言いがかりをつけられたり禁止されたり、

自分が育ってきた家は本当に色々と
おかしいから‥本当にしんどい。


自分が趣味とかも全て制限された結果、
感情をなくしてしまったとしても
家族の面倒を見てくれさえすれば
たぶん家族にとっては一番都合がいい、
という思惑が透けて見える気さえする。


趣味でさえこの状態。

自分が本当に大切な人と付き合って
一緒になるというのは本当に
今の時点では眩しいほど高すぎる壁。


意識的に前向きにプラス思考でいないと、
日々家族に激しい言葉で傷つけられて
心が壊れてしまいそう。


恋愛以前に、まず自分の生活を
人として安心して生きていけるところまで
持っていくのが先にも思えてくる。
背もたれにもたれられない感覚

背もたれにもたれられない感覚

大好きな人を好きと自覚した年から
考えても今はその当時に何となく
想定してた以上に、大好きな人を
ますます好きになってしまってると思う。


自分みたいに人間不信の塊を隠すように
表向きだけは元気いっぱい笑って
生きてる人にとって、そんなふうに
誰かに想いを馳せること自体がもう
奇跡のように感じられるのに、

そんな奇跡みたいなことを
“なってしまってる”なんてまるで何か
悪いことをしてるようには
捉えたくはない、と考えてるけど、

それでも現状は幸せというよりは
色んなことを考えて悩みが多い
というのが紛れもない本音な気がしてる。


感覚で言えば、せっかく座り心地のいい
体だけでなく心ごと抱きしめられるような
椅子を用意してもらってるのに、

意地でもその背もたれに背中を
委ねてしまうことは許されないと
一人で勝手に決め込んでしまってる、

そんな毎日を過ごしてる。


相変わらず、大好きな人を恋愛感情で
好きという気持ちは誰にも言うことはなく
ただ一人で心の痛みを感じながら
必死に前を向いて生きてる感じがする。