昨日書き忘れたけど、
家族に言われてこれも不可解なのが
「ENAは『顔はそんなに整ってなくても
性格がいいことが人としては一番大事って
自分はずっとそういう考えでいるから』
って言うけど、いくら性格が良くても、
ある一定以上ブサイクならそれは
性格の良さではカバーできないし、
もし〇〇(大好きな人)のことを言ってるなら
別に性格も普通でしょ?
悪くはないのといいのとは違うし。
あのレベルの性格の良さなら
見た目もかっこ良くて性格もいい人が
たくさんいるよ!」
という表現。
元々、身近なところにいる大好きな人が
例えば〇〇とか
という例として挙がるのは分かる。
でも、じっくり話して相手のことを
めちゃくちゃ理解してるわけでもないのに
何で性格の良さのレベルがどれくらいとか
査定みたいなことされないといけないの?
人の顔のことを言いたい放題は
本当に失礼に感じるし、
その家族は元々イケメン好きで
そういう人からしたら自分の好みは
ありえないのかもしれないけど、
自分はその家族が顔顔言うのを
別に止めてもないし何も言わずに
その人の価値観として聞いてるから
その家族にも心の中では
「ENAって変わってるな」と思ったとしても
あれこれ否定的なことを言わずに
「この人はこういう考えなのか」と
黙って受け入れてほしい。
Z世代はルッキズムに偏りがち
みたいな記事を読んだけど、
年齢が若ければ若いほど
容姿にこだわるとは限らないはず。
少なくとも、自分の家族は
自分より年上でも本当に顔にこだわる。
顔が悪ければ人権はない!
くらいのことも平気で言う。
世代とか年齢だけで決めつけるのは
良くないよなあ‥。
今日、今書きたかったのは
その容姿の話題とはまた別の話。
もう日にちが変わってるから
昨日のことになってしまってるけど、
自分が将来的にこういう立場で
生きていけるようになりたいと考えてる
まさにそういう立場の人とたまたま
同じ空間に居合わせて、
話したりは全然してないけど
やっぱり自分はその人のように
ちゃんと夢を叶えて
自分がこうなりたいと思ってるその立場に立って
そうやって毎日を過ごしたいなと
改めて決意した。
そうなりたいと強く思ってから
もうだいぶ経つ。
完全に諦めたことはないけど、
自分の場合家庭が複雑なのもあって
自分がこれを頑張りたいと思った時に
そこに集中して全力で向かっていける
環境ではなかったから、
自分らしく自分の人生を歩むことを
本気でじっくり考えられるようになったのが
本当にここ数年で‥
今更本気でそれを叶えたいと思ったところで
それを知られたら世間に笑われそう、
あまりにも大きい夢を見てるのかもしれないと
何回も何回もすごく怖くなって
その度に自分がちっぽけな存在に思えてきて。
それを打ち消しながら
何とか「やっぱりどうしても叶えたい」
と思って信じて頑張ってるけど、
第三者の目ではたから見たら
とんでもなく場違いな夢を見てるのかも
と、怖い気持ちは密かに常にあった。
だけど、きっと見えない部分でも
たくさん自分を磨いて
やっとその立場に身を置いたんであろう
その人は凛としててかっこ良かった。
すごくシンプルな格好でも
何か自分がそういう格好をするのとは
全然違って見えた。
自分にとって、昔から身近な場所なのもあって
これまでにもそういう類の場に行くことは
何回もあったけど、自分が憧れるような人と
近くで同じ空間にいたのが今日初めてで、
自分が自信をなくしてたり
立ち止まりかけてるこのタイミングで
将来こうなりたいとはっきり思ってるような
状況にある人がすぐそばに表れて
前からその人のことは少しは知ってたけど
普通にそこに居合わせるなんて、
偶然でも自分にはとても励まされる
タイミングも含めて奇跡みたいなことに感じた。
やっぱり、自分もああいう立場になって
ちゃんと夢を叶えて生きていきたい。
あの人がどういう環境に育って
どんなふうに今の夢を叶えたのかは
分からないけど、自分も頑張って
あっち側の人間になろうと改めて決めた。
支社内で、大好きな人は
いじられキャラな気がする。
かつて、学校内の人間関係で
クラスでも部活でも
特定の誰かをいじられ役にして
本人が嫌がってないならまだしも
明らかに傷ついてても
ボスにあたる子はやめようとしなかった
そういうのを見て育ってきたせいか
もしかしたら本人が気にしてるような
何かで周りが笑いをとろうとするのを
めちゃくちゃかっこ悪く感じてしまう。
誰かをいじらずに自力で
人気者になってみろ、と思う。
はっきりといじめと判定されるような
言葉を口にすることはないけど、
この人なら笑ってもいいという空気を
支社の同僚やその周りからも
感じてしまうのが自分は悲しい。
前に、同じ支社の同僚が
わざと面白く写るようなアングルから
大好きな人を撮って
たぶん許可なくSNSに載せたりもしてて。
そういうの、もし自分がされても
いいよーって普通に笑えるのかな?
もしかしたら、大好きな人が個別に
その同僚に「そういうのはやめて」と
言ったのかそれ以降はないみたいで
まだ良かったとは思うけど、
その同僚のことだけでなく
色々思うところもあって
昔はその支社の人たちのことも
本当に慕ってたけど今は
前々から知ってる人たちの一部と
大好きな人のこと以外は
本当に信頼はできなくなってる。
プロジェクトがうまくいかなかった話を
見聞きしたりしても、普段の素行から
悪い人がその中にいたりすると
「片手間に仕事して
適当に給料もらって
周りに責任を押し付けて
好き勝手やってるのを
もうみんな知ってるから、
そのプロジェクトに失敗しても
必要以上にあれこれ言われるのにな」
としか思えないし。
自分は全くそう思ってないし
他の人たちがどう思ってようと
別に迷惑をかけてるわけでもないし
「あぁそう思うのか」と思うだけで
それ以上何とも感じないけど、
大好きな人はコミカルな顔というか
あんまり他の人にはいない
独特な顔の作りらしい。
前に、仕事中の姿がたまたま
仕事関係のところに少し写ってて、
自分はその職種の分野に前々から
興味があって関わってるから
自分がそれを見てる時に自分の家族も見てて
そしたらその家族が
「えっ‥!何この顔‥!」って
ちょっと笑ったりしてた。
その家族は容姿が整った人が好きで
芸能人など舞台に出るような人ならともかく
(それでも容姿いじりは自分は
個人的には好きではないけど)
そうではないその辺の人たちにでも
顔のことをランクつけするようなのは
たとえそう言う人がその言われる側の
顔を好きではないとしても
心で思っても誰かにいちいち
それを主張しなくてもいいのにと思う。
真剣な顔しててもリラックスしてても
はにかんでても思いっきり笑ってても
容姿のことをあれこれ言われるなら
じゃあどんな顔をすればいいのか‥?
自分は、自分自身が大好きな人を
人間性も雰囲気も空気感も
話す時の誠実な感じも
小さい時からどうしても叶えたかったことを
1歩ずつ努力して現実にしたところも
そして周りの人たちはよく笑ってくる容姿も
全部丸ごと本当に好きと思ってる。
周りの人が大好きな人の容姿を
どんなに笑ったとしても
自分はその顔も含めて
本当に好きで元気をもらえると
思ってれば、それが一番大切。
大好きな人の性格とか何かに
問題があるわけでもないし、
何でそんなに容姿容姿って
いちいちダメ出しされるのかも
自分には意味が分からないから
「大人数派がそうって言うなら
別にそれでもいいと思うよ、
でもそんなふうに思わない人も
いても自由とも思うよ」って
いつも答えてるけど、
だけど今の時点でまだ自分は
大好きな人の恋人でも家族でもないから
それ以上何かを言うと
どの立場で何を言ってるのかと
思われそうで、その一言しか言えない。
特に、その容姿にこだわって
容赦なく色々言ってくる家族は
ちょっとここにも書けないような言葉を
平気で吐いてくるけど、
その家族が美男美女以外は
どうこうと何を言ってきたとしても
そこで自分が何を言っても
平行線で意味がないと思うから
何も言えないし、そこで一生懸命に
なりすぎて恋愛感情を知られても
余計にややこしいことになるのは
目に見えてるから心で黙って闘う。
その家族は顔で相手を選んで
その後大変な目に遭ってるのに
(ちなみに自分も多々被害を受けてる)
まだ顔にこだわって
人のことまで偉そうにあれこれ
よく言うよなーと自分は思ってるけど。
その人自身が容姿がいい人に
こだわるのはその人の価値観であり自由。
ただ、それを人に無理やり押し付けて
誰かの容姿を悪く言ったり
笑ったりするのは違うと思う。
たとえ周りにいじられる容姿でも
それを心底好きと思う人もいる、
その気持ちを誰かから
笑われる筋合いはどこにもない。
恋愛に限らず、家族は
「ENAがENAらしく幸せに
生きられる人生」ではなく、
「家族にとって世間体を保てて
家族にとって都合がいい人生」を
自分に歩むことを求めてる
というのを確信してしまう瞬間が
日常の中にいくつもあって、
心の中にはすごく疑問を感じながらも
その家族を最優先した生活を
送るのが当然になってる今の
(というかこれまでほぼ全ての)自分に
鬱々としてしまうし
今の生き方をしてる限りは
自分は自分として生きてないのと
同じという感覚が常にある。
自分が毎日の生活の中に
自分の好きなことをしたり
趣味を心から楽しんだり
心を休ませられる機会がほとんどなくて
日々余裕がなく過ごしてるから、
何を考える時も
その“余裕がない”中での気持ちでの
答えになってしまうのもしんどい。
大好きな人が、仕事で成果を出したり
たぶんこれは嬉しいよなと思う
出来事があっても、それはもちろん
良かったね、とかそういう
プラスの気持ちもあるけど
「〇〇(大好きな人)はちゃんと
これを頑張りたいと思う分野で
結果を残してその中で認められてるのに
自分はごく狭い
家族に分からない範囲内での
気分転換や将来に向けての行動しか
できない現実の中で生きてるな」
と、そこの違いや差を感じてしまうと
精神的にとてもモヤモヤしてしまう。
そのモヤモヤを感じながらも
今自分ができることを
将来の自分のために頑張っていくだけ
と自分を奮い立たせて頑張ってる。
自分の努力でどうにかできることなら
努力をしようと思えるけど、
努力のしようがないことというのは
悔しくて仕方ない。
将来の基盤や足がかりになりそうなことは
変わらずコツコツ毎日続けてる。
いつかこういう日もあったなと
写真を見たりして懐かしく
笑顔で思い出せたらいいな‥。
ずっと、羨ましいなと
思ってるカップルがいた。
お互いの家も近くて、趣味も同じで、
相手の家族公認で、休みもよく
趣味の用事で一緒に出かけてて、
そういう話を聞く度にいいなぁって。
普段の会話の中に、当たり前のように
自然に恋人の話題が出てくることや、
自分みたいに家のことでがんじがらめに
なることもなく、自分が行きたい場所に
一緒にいたい人と行動を共にできることが
自分から見たら別世界のように見えてた。
その人は地元の人ではないし
そんなにいつも連絡を取り合うという
ほどでもないから、最近話してないけど
元気かなって気になってて、
でも前に体調がいまいちで
行きたい所があったけどやめといた
って話してた時もあったなって
もし自分が連絡してその人の体調が
悪かったりしたら返信に気を遣わせるかな
と思って連絡しなかったら、
用事があって向こうから連絡をくれた。
そしたら、「恋人と別れて、趣味も
そんなに楽しめてなくて‥」って言ってて
自分の中で、その人とその恋人が
別れるっていうのが全く
イメージできなかったからすごく
びっくりしてしまった‥。
恋人の親とも仲がいいとか
恋人の家族と一緒に出かけたとかも
ちょくちょく聞いてたし、
「もうそろそろ一緒になろうかなと
恋人とも話してるんだ」って話も
去年してたから、もうてっきり
そっちの方向に話が進んでて
幸せに過ごしてるとばっかり思ってた。
本当に、ずっと羨ましかった。
その人は、自分が持ってないものを
全部持ってる気がしたし(恋愛以外でも)
自分がしたいと思ってることを
全部できる日常を生きてたから。
だけど、その人は自分に対しても
良くしてくれたり優しくしてくれて
性格がいいし、妬むとかではなく
ただ純粋にいいなと思ってきた。
つい最近まで、そんなふうに
うまくいってる恋愛でも
そうではなくなることもあるのか
というのが怖く感じる。
その2人の間に起きたこと、あったことは
その2人にしか分からないし、
自分がそのカップルの関係性に
憧れてる間にももしかしたら
その2人の心の中では何か
モヤモヤもあったのかもしれない。
そしてそれは自分はこの先も
知りえないけど。
恋愛って何なのかなぁ。
とても大切で尊くて
だけど繊細なものというのは
今改めて実感してる。
忙しくてがんじがらめな日々を
計画立ててこっそり抜け出して
少しの時間だけ、地元を歩いた昨日。
大好きな人も過ごしてきた地元は
歩いてると大好きな人に
会えるような気持ちになる。
この駅も、この店も、この横断歩道も、
大好きな人も小さい頃から
きっと見慣れた景色。
そして、大好きな人の親やきょうだいは
今日もこの青空の下で
自分と同じ空気を吸って過ごしてる‥
そう思うと、救われる気がした。
少し時間がとれそう、と思うと
自分が地元で必ず行くのが神社。
自分の中で、ここは特に大切と
思ってる神社で、そこにお参りすると
本当に心が支えられたような
気持ちになれる。
どんなに神頼みしたって
自分が努力して頑張ってこそ
夢は叶うものと思ってるから
神様にもそんなふうにお参りしてるけど、
普段自分の時間そのものがなかなか
とれないから余計に
自分の心を休ませたり落ち着かせたり
きれいな空気を入れる機会を
本当に大切にしたい。
大好きな人が地元にいた頃に
もっと仲良くなれてたら、という
世界線を気づけば考えてしまうけど、
今からどう考えても
お互い同じ地元にいる間に
付き合えるくらいまで親しくなっとく
というのはやっぱり色んなことを
考えると難しかったかなと思うし、
今からそれを考えたところで
どうにもならないからこれからを考えて
頑張っていくだけかなぁ‥。
大好きな人と、この地元で
何気ない日常を過ごせるようになりたい!
この恋愛にある壁を考えると
負けそうになったり
諦めそうになってしまう時もあるけど、
何も後ろめたいことをしてるわけでも
人の道に外れたことをしてるわけでもない。
地元で少しでも心を回復させるための
時間を過ごせたから、また頑張ろう!
普段、実生活の知り合いたちと
恋愛の話をすることはない
というか、自分の個人的な話を
するの自体をできるだけ避けてる。
それは、基本的に人は信じられないと
思ってしまってるから。
そうなると、普段人に話せない分
ネットで恋愛の話を見かけると
つい自分にとってためになることが
書いてありそうな気がして
読んでしまいがち。
それでも、自分の中で
何でもかんでもは読まない
とは一応決めてて、
これは常識的にその通り、と感じることや
いくら相手を好きでも
恋愛恋愛ばっかりになるのは良くないな
とか改めて勉強になることは
読んで良かったなと思う時もある。
ただ、恋愛ってその人の価値観や
その人が思ってる“これが普通”という考えが
表面化しやすいのかなと最近
よく思うようになってきた。
「自分はこれが正しいと思う、
だからそれ以外の考えはおかしい」とか
「そんな恋愛気持ち悪い」みたいな
明らかに倫理的に逸脱してるとか
そういうのではなくても
その人にとって価値観の外にあるものや
その人にとって好意的には
捉えられないものはどんなに激しく
批判しても否定しても構わないと
考えてる人も多いのかなって。
明らかに人としてそれはまずいという
恋愛をしてる場合は、周りの人に
止められてそれに対して怒ったり
非難するのは違うと思うけど、
そうではないのに
その人の価値観や常識というものさしで
これはおかしいとかこうすべきとか
人の生き方に意見するのは
どうなのかなと疑問に思ったりもする。
自分は人を信じるのが極端に苦手で
克服しようとは頑張ってるけど
すぐに克服は難しいと感じてるし
これからも恋愛の話も含めた自分の話は
普段実生活で関わってる人たちには
話さないと思うけど
(興味本位で面白おかしく色々聞かれたり
自分がいない場所であれこれ噂されたり
そういうのも嫌)
結構な割合で人間って
自分には関係ないはずのことにでも
めちゃくちゃ価値観を押し付けたがる
というか
無責任にあれこれ意見してくるなと
客観的に見てて感じることも多いなって。
第三者からの視点や目線で
考えないといけない時もあるとは思うし
もし心から信頼できる人がいて
この人の意見なら本当に信用できる、
大事なことを決めるための参考にできると
思えたらそれはもちろん有り難くて
幸せなことかもしれないけど、
自分に自信を持って
自分をたくさん磨いて
「今のこの自分が選択したことなら
後悔しない、たとえ大人数派とは違った
人生を歩むことになったとしても
胸を張って生きていける」
と思える自分になることが
大事なのかもしれないな。
大好きな人との出来事ではない、
自分の身の回りでのこと。
でも、自分の中でこれは改めて
学んだなと感じることがあった。
恋愛に限らず、人間関係で
誰かと仲良くなりたいなと思って
共通の話題を考えたりとか
積極的に話しかけたりとか
その本人にとって勇気を出して
行動を起こしたとしても、
他人から知り合いになって
知り合いから更に親しくなった時
相手の気持ちを考えられずに
しつこく接してしまったら
その時点で相手から一気に距離を置かれる
というのはよくあることなのかも
って。
今回、自分はしつこくされた側で
自分と仲良くなりたいと
思ってもらえたのは嬉しいけど、
「多少でも仲良くなったから
これくらいは許される」と勝手に
思われて自分の日常に土足で
入り込むようなことをされてしまうと
その人への信頼とか
もっと仲良くなりたいという気持ちは
その人が距離感を縮めてくる度に
なくなっていくなと学んだ。
人によるかもしれないから
絶対みんながそうとは言いきれないけど、
知り合いの一人
まだ友達でもないような関係性で
「ENAちゃんの生活全部を
こっちに向けてほしい」
「時間が少しでもあるなら
長文メッセージに付き合ってほしい」
というのは、自分には相当しんどく感じる。
共通の話題があったから
「あ、それ知ってますよ」とは
確かに言ったけど、だからといって
急に“その人の中で一番親しいポジション”
に入り込もうとしてくるのは正直きつい。
「ENAは話しやすいから!」と
話しかけてくれるの自体は嬉しいけど、
立場上やむなく連絡できる状態になってる
というのをいつでも何でもどれだけでも
連絡していいと思われるのはきつかった‥。
「今、色々と忙しくて
なかなか返信できない」と伝えても
「あー、別に気にしないから。
こっちが送りたいから送ってるだけで!
いつでもENAちゃんからも
長文待ってるからね乁( ˙ω˙ 乁)」
みたいなのは、一見相手のことを
思いやってるように見えて
相手が忙しいと言ってるのに
自分が送りたいからって
毎回長文を送ってくるのは
自己満足で相手への配慮や思いやりが
やっぱりなさすぎると思ってしまう。
すぐに返事が来なくても気にしないから
とか
こっちが送りたいから送ってるだけ
と言われても、
何かメッセージが届いたら
すぐ返すかとかの話以前に
目を通さないといけないし
(本当に忙しかったら
すぐには見られないけど)
少なくともその長文を読むという
エネルギーは相手に使わせるわけで
本当にそこまでの信頼関係があって
相手も苦痛に思ってないなら良くても
そこまでに全然至ってない関係性で
どんどん相手ペースで来られても
強引で配慮がない人、と思うだけで
この人ともっと仲良くなろう!とは
自分は思えないなと改めて感じた。
育ってきた家庭が、親の機嫌によって
自分は何も悪くなくても
精神ボロボロになるまで暴力的な
言動をしてくるような環境で、
だから自分は人の機嫌やその時の状況を
必要以上に察知してうかがうところがある。
だから、友達関係はもちろん
恋愛でも相手の気持ちや状況を無視して
しつこくしたりは絶対にしてない
というか、できない。
そんな自分は、すごく生き方が下手に思えて
情けないなとも考えてきたけど、
人との距離感を間違えてしまうくらいなら
今の自分の方が、まだ良かったのかな。
自分の欲求ばっかりに気をとられて
相手が苦痛に思ってても気づけないのは
やっぱりお互いにとって幸せではないし、
その欲求を押し付けてる側は
気づけてないかもしれないけど
初めの段階で嫌いではなかったとしても
あまりにも思いやりに欠けたことをされると
だんだんその人に嫌悪感を持ってしまう。
ただ仲良くなりたいだけ、が
そうなってしまうのは
とてももったいないと思う。
大好きな人は連絡も短文派で
必要以上に連絡をとらなくても
平気というか、たぶん
そっちの方がいいタイプ。
普段から口数が少なくて
誰かが盛り上げてる時も
黙って端っこでそっとはにかんでる。
だから尚更、負担にならないように
しつこいなと思われないように
気をつけていかないといけないなと
改めて思った。
その時だけで見たら遠回りに
見えるかもしれないことが、
広い視野で見たら相手からの信頼を
得るために大切なことなのかもしれない。
写真はこの前の週末の貨物コンテナ
part2。笑
こんなに文具に囲まれて
時間を過ごしてるのはいつぶりかなぁ。
たぶん学生時代?
社会人になってからも、比較的手書きで
何かを書く機会が多い環境にはいるけど
それでも少しでも時間が空くと
バインダーやルーズリーフを広げる日々は
ものすごく懐かしくて、
あの頃なりたかった大人には未だ
なれてなくてごめん‥と当時の自分に思いつつ
それでもここまでよく生きてきたよな
とも本当に思う。
家族の前では、将来のために少しずつ
できることから行動に移してることなんて
これっぽっちも見せないように
でも実際には、制約が多い中でも
少しずつでもうまく自分の時間を
とれるように工夫して過ごしてる。
こんなふうに頭の中でできる限り緻密に
計算して行動しながらも、時々
ここまで必死に頑張って、もしもそれでも
将来的に人生を自分が望むように生きていく
基礎にもならなかったら?という不安は
やっぱりどうしてもつきまとうけど、
何もしないよりは、今の自分でも
できることから動いた方が絶対にいいし、
家の事情が‥とか言いながら何もできないまま
どんどん更に大人になっていくことが
正直、怖くもあったりする。
恋愛に一生懸命になりすぎないように、と
自分に言い聞かせるのは今日も変わらない。
それでも、今の自分はこれを頑張れてると
思えるものがあるというだけでも
少し前までの自分よりは、成長できてる気がする。
家では冗談なんて言える空気ではない。
冗談どころか、家族が機嫌を悪くしない
言い回しや振る舞いを常に考えないといけない。
別に冗談ばっかり言って過ごしたいとか
そんなんではないけど、最低限以外余計なことは
何も話せないという空間が自分の家というのは
本当に落ち着かない。
だから、家族や親戚以外の誰かと
何気ない冗談交じりの会話をすると
そういうことってすごく心に残ったりする。
昨日も、大好きな人の支社がある町の知り合いと
話してる時にその知り合いが
「ENAちゃんってもう〇〇と
セットみたいだよね!
〇〇と言えばENA、ENAと言えば〇〇
みたいな感じに勝手に思えてくるもん!笑」
というような話をしてきたのがきっかけで、
「そしたらもう『〇〇はENAのものです!』
って大々的にアピールしとこか!笑」と
あくまでもめちゃくちゃ笑いながら
冗談として話してた。
その知り合いはその支社がある地域に住んでるし
大好きな人ともたまーに会うこともあって
「〇〇ってENAちゃんの話したら
めっちゃ嬉しそうに笑うんだよね(^^)」と
その時に話した内容とかも教えてくれたり、
大好きな人とすごく親しいとまではいかないけど
自分の交友関係の中ではそういう
(恋愛っぽくなりすぎなければ)大好きな人に
関係する話もできる人なのかなという気はしてる。
冗談が現実になったらいいな、と願う。
そんなこと、今は誰にも言えないけど。
きっと、今回話してた知り合いくらい
普段から支社関係のことを話すような人たちは
もし自分が大好きな人と付き合っても
一緒になっても意外と驚かないのかも?と
思う時もある。
大きな壁がある恋愛で
引け目を感じてても意外と周りは
そこまで気にしないのかもな、とか。
それでも、やっぱり自分の中では
大きな壁なのかもなと感じてしまうのは
大好きな人以外の人からアプローチされた時に
「あぁこの人と仮に恋愛したら
〇〇(大好きな人)との間に立ちはだかる
壁はないのか」とふと考えてしまう時。
複雑な家庭に育って、自分が幸せな家族を
つくることに憧れ続けて、
それならもっとうまく恋愛も
心の中では同時に複数の人を候補に
入れられたりできればこんなに
悩んだり苦しまないかもしれないのに、
この人!と思ったら他の人との恋愛は
一切考えられなくなる
その人一人しか見てないことが
相手に対しての誠実で真摯な気持ちと思ってる
不器用でバカ正直に生きてるからこそ
ちゃんと幸せが待ってくれてる
なんていうのは、都合が良すぎる
勝手な解釈なのかなぁ‥。
家の用事で移動中、
電車にしばらく乗ってる時
ふと横を見たら貨物のコンテナが
何個も連なって、運ばれて行った。
大好きな人は遠い地域に住んでる。
もし、ずっと地元にいたとしたら
会って何かを手渡すことも
少なくとも今よりは自由にできたはず。
だけど、実際には仕事で
遠くに行ってしまった。
その“遠く”が自分にとって
昔から関わりがある支社という
奇跡的な繋がりには感謝するけど、
自分側の家の事情もあるから
顔を合わせて話せる機会というのが
普段、本当にないのはとてもしんどい。
さっき、貨物のコンテナを窓越しに近くで見て
自分が大好きな人に何かを送った時も
こうやってあの町に向かって
運んで行ってくれてるのかなと
遠くに住んでることはとても苦しくて辛いけど
こういう貨物コンテナやそれを運んでくれる
人たちのおかげで物も気持ちも届くと思えて
本当に有り難いなと感じた。
大好きな人が遠くにいることは
ただ距離上の話だけではなく
会いに行こうと思ったところで
自由に会いに行けることも現状では難しくて
それも含めて苦しいという言葉では
表しきれない苦しさがある。
でも、もし遠距離恋愛を経験してなければ
貨物コンテナを見てこんなにも
ありがとうと胸がいっぱいになることは
きっとなかった。
家のことでは、もう心の奥底まで
人間らしさをむしり取られて
ただ家族のために動く機械のように
思われてるような気がするけど、
それでも自分が人としての心を
なくさずに持ち続けていられるのは
この恋愛のおかげなのかなと思う。