Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はずっとずっと特別な人。少人数派の恋愛でも大きい壁があったとしてもそんな特別な人と家族になりたい。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
ずっとずっと特別な人。

少人数派の恋愛でも
大きい壁があったとしても
そんな特別な人と家族になりたい。
信頼はコツコツ積み上げるもの

信頼はコツコツ積み上げるもの

1年前の今頃、
自分の中でずっと前からこれを
まず叶えたいと思ってたことが
意外なきっかけから叶った
という嬉しい出来事があった。


大好きな人を好きと気づいてから
もちろん嬉しいこと、楽しいこと、
幸せな気持ちを感じられる瞬間も
たくさんあったけど、それと同じくらい

悩むこと、迷うこと、苦しいこと、
辛いこと、やるせないことも
たくさんあって、自分はその度に
「この恋愛を続けてていいのかな」と
心の中では何度も立ち止まった。


1年前の今頃、自分は少し時間があった時に
キッチンで料理の作り置きをしてた。

その時に、大好きな人が今働いてる
支社関係の人から連絡が来た。


その人は、それより少し前にも
「今度〇〇(大好きな人)と仕事場で
会うかもしれないから、その時に
もしできたらENAの話もしとくね!笑」
みたいなことを言ってきてたから、

その話かなと思いながら画面を見たら
思った以上にかなり嬉しい内容が
飛び込んできて、一瞬びっくりして‥

深呼吸して何回も読み返して
「こんなこともあるのか‥!!」って

この恋愛の話は実生活では誰にも
してないから自分の心の中だけで
喜びを噛みしめたあの日のことを

約1年が経った今でも
はっきりと思い出せる。


その前日まではそれまでと同じ
何でもない日々で、こんなに頑張っても
本当に叶うのか?と思うようなことも

ある日突然叶うという例を
自分はその時、初めて知った。


その後、その出来事をきっかけに
それまでよりはこの恋愛も進んだ。


その間にも、何らかの悩みは
頭にも心にもずっとあったし、
その出来事以降はバラ色!なんてことは
ないけど、それでもそれ以前よりは

「相手の気持ちや立場に立ちながら
少しずつでもその時に自分ができることを
していけばちゃんとその想いは届く」
というのを確信として持てるようになって

その考えが自分の心の中で
大きな支えになってると感じる。



逆に、1年前の今頃は
大好きな人が働いてる支社関係で
一番と言っても過言ではないくらい
よく話してる知り合いがいたけど、

その知り合いが言ってくるのは
「ここだけの話だけど‥」
「この会社のこういうのってやばいよね」
「実はあの人はさぁー‥」
というような誰かの噂話や悪口も多い
ということに気づいたのと、

「ENAは自分の一番の大親友」
「他の友達とは全然別物だから」
「ENAも自分を一番の大親友だと
思ってくれるよね?」
「ENA以外とは別に話す必要もない」
と言いながら、その知り合いは常に
SNS上で何十人と同時に絡んでて

それもどの人ともめちゃくちゃ近いノリで

自分はSNSをほぼしないから
そんなに詳しく見てるわけではないけど
この人は言ってることとやってることが
全然バラバラなのかなと思って、

意識して距離をとるようになって
今はもうほとんど連絡をとらない
関係になったなあとも気づいた。


自分に来る連絡では
「〇〇さんって合わないんだよね」
「△△さんのこと嫌いなんだー」
「□□さんとはできれば関わりたくない」
と言いながら、SNS上ではその
〇〇さん、△△さん、□□さんに
自ら絡みに言ってたり、

その3人とはまた別の誰かの話で
盛り上がってたりするのを知って、

自分がその知り合いに話したことも
自分は信用して話してたとしても
その知り合いからしてみたら
また別の誰かとのやりとりで

「知ってる?ENAがさぁー‥」
と盛り上がるためのネタなだけなのかも?
と思い始めて、その知り合いに色々
話すのが怖くなってからは、

その知り合いとの接点をできるだけ
持たないように、自分から連絡したり
共通のコミュニティの中で
その知り合いのことを話題にしたりは
しないように気をつけてきた。



恋愛だけに限った話ではないけど、
人と人がある一定以上の深い
人間関係になるには、信頼関係は
特にすごく大事というのを改めて学んだ。


大好きな人と自分は地元が同じでも
今は大好きな人は今働いてる支社がある
町に住んでるから、地元でしょっちゅう
会えるような関係性ではない。


そんなふうに、普段違う町に住んでて
信頼してもらおうと思ったら
そりゃ普段から言動に気をつけて
1つ1つ「この人は大丈夫」という
安心材料を積み重ねていかないと

そうそう簡単に信じてはもらえないし
もし簡単に作った関係なら
それは壊れるのも早いということになる。


しつこくない程度に
意識して連絡をとったり
距離感を一気に縮めてると
思われない程度に気にかけたり

そういうことを丁寧にしていって
目には見えないけどその間に
信頼が相手の心に溜まっていって、

ある時その相手の言動で
「自分のことそんなに
信頼してくれてたのか!」と
知ることになるような気がする。


自分に置き換えて考えても
「ENAと仲良くなりたいな」と
思ってくれつつも、人の心に土足で
踏み込まずに少しずつ距離を
慎重に縮めてくれる人には

「この人ならこんな話もしてもいいかな」
と思えたとしても、初めからズカズカと
無遠慮に入り込んでくる人には
間違っても親しくなろうなんて思えない。


少なくとも1年前までは
その知り合いとはその支社関係の
知り合いたちの中でもおそらく一番
連絡をとって結構長く話したり

冗談言って笑うような関係でいた。


何で今の自分にはそうではなくなったのか
というと、やっぱりその言動を見てて
この知り合いを信じるのは危ないと
感じるようになったのが大きいと思う。


自分は、世間話や何でもないような
日常の話をする程度に仲良くなら、
初対面の人とでも普通にできる。


でも、恋愛になると本当にすごく
慎重になってしまって
目で見ても分からないような
少しずつの進展がやっとという
感じになってしまう。


この進み方なら付き合えるのは
いったいいつになる?
目で見ても何も変わらないけど
本当に何か進展してるのか‥?と
日々すごく大きな不安や焦燥感と共に
過ごしてきたけど、色々考えると

そうやってコツコツちょっとずつ
少しずつでないと作り上げられないのが
信頼なのかもしれないなと
この1年を振り返って考えたりしてる。


大好きな人が自分を信頼してくれてると
思えることが、本当に有り難くて嬉しい。
慎重に慎重に

慎重に慎重に

ついこの間までは
周りに人がいない、自分だけの空間に
ほんの少しの時間でもいる機会があると
ポケットからパスケースを出して
大好きな人と一緒に撮った写真を
数秒でも見るのが習慣で、
本当にいつもそうしてた。


今も、気持ちの上ではそうしたいし
大好きな人への想いが
少なくなったわけではない。


ただ、こうして一途にまっすぐ
好きでいることが怖いなと
前より考えるようになってしまった。


服を着替えるためにパスケースを
ポケットからポケットに入れ替える時、
家族もいる空間から自室に戻った時、
寝る前に枕元にそのパスケースを置く時
の4回のタイミングでは今も
その写真を見るから、一般的には
それでも見すぎなのかもしれないけど、

恋愛で前のめりにならないようにしようと
とても意識して過ごしてる。



そんな中で、自分が今気になってるのは

大好きな人は年末に帰ってくるのか、

そして帰ってくるとしたら
「帰るから会おう」と言ってくれるのか、

自分側から「会おう」と言っていいのか、

ちょっとした物を渡したいけど
どこまでなら重くないのか、

ということ。


とにかく自分から押すのは
なるべく最小限にしようと考えてて、
だから行動も全てが更に慎重になる。



少し前から、年末に会えたら
大好きな人にちょっとした冬っぽい
雑貨をあげようかなと思って
色々探してたけど、考え方によっては

自分から見たら“さりげない雑貨”でも
相手から見たら“何で誕生日でも
何でもない時にこれくれるの?”に
なるのかもなあと思うと、

わざわざリスクがあるようなことを
自分からする必要もないよなあ
と、今回はやっぱり思い直した。


それで、もっと気軽に受け取れる
本当にプチギフトをちょっとだけ
用意しておくことに決めた。



自分は、常に人の機嫌を気にしたり
いきなり怒鳴ったり危害を
加えてきたらどうしようと怯えたり

明らかにこれまでに育った環境が
原因の思考にさいなまれることがある。

だからこんなに恋愛もしんどいのかな?

他の人はこんなに追い詰められたり
することもないのかな?


自分は人と話すのは好きでも
もしかしたら恋愛みたいに
特定の人と特別な関係になるのは
とても難しいのかもしれないと思う。


元々、大きな壁がある恋愛をしてて
それはもう、努力でどうにかなる
話ではないから、対策をとったり
最善を考える必要はあっても

それ以上はどうしようも
ないというのは分かってるけど、

その元々の壁以外のことで
自分にとって大きな悩みが出てきた時
本当に心が押しつぶされそうになる。


だけど、自分が勝手に一人で
トラウマを呼び起こして不安になって
「この人も信じたらいけない人なのか」
と追い詰められてるだけで、

大好きな人はきっと、まさか自分自身の
何気ない行動でここまで人を
追い詰めてるなんて夢にも思ってない。


自分が考え方を変える、

自分がこんなふうに考えてしまうのは
この恋愛の問題ではなく
自分の心の問題なのを認識する、

恋愛は恋愛で大事にしながら
他にも心を向けられることを
なるべくたくさん見つける、

自分ができることからやっていくだけ。


やっと見つけた恋愛を、
やっと出会えた特別な人を、
傷つけないように、これからもずっと
大切にしていけるように、

慎重に慎重に、1日ずつを生きるしかない。
昔の自分の頭と心の中

昔の自分の頭と心の中

前からずっと、ここを片付けたいと
思ってた所を、やっと片付けた。


そしたら、自分でもそこに入れてたのを
全く忘れてたダイヤルロックが出てきて
「あ!Tシャツ型が気に入って
ダイソーで買ったやつ!」と
懐かしく思い出した。


今もまた別のダイヤルロックを使ってて
その番号は大好きな人と初めて連絡を
取り合えた日にちに設定してて、

その番号以外の数字が何も浮かばない。


でも、このTシャツ型のを使ってた頃は
まだ大好きな人を好きになる前のこと。

大好きな人関係の数字ではないのは
明らかで、じゃあ何の数字?って
しばらく考えたけど、全く予測が
つかなくて困ってしまった‥。


何となくこれかな?と思う
ラッキーナンバーとかを入れたけど
それではなくて、どうしようもないから
1つ1つ調べていくという
気が遠くなる作戦を決行。苦笑

(それ以外の方法もやってみたけど
自分が持ってたダイヤルロックでは
うまくいかなかった)



何百回同じ作業を繰り返して
やっと開いたその数字列は
今から考えたら「何で?」と
思うような数字。


その数字を見ながら考えてたら
当時頑張ってたことにまつわる
数字列なことが判明!


あの頃は「将来もこれを続けよう」
と思って、家庭が複雑な中でも
何とか隠れてでもそれを頑張ってた。


色々あって、今はもうほとんど
それには関わらなくなってるけど、
当時はその時の自分ができる中では
最大値で頑張ってたつもり。


その当時、その日にとても励まされる
嬉しいことがあって、その後その
ダイヤルロックを使うことになった時に
その日にちを設定したのを思い出した。



複雑な家庭に育った自分は
少しでも興味があったり
得意かなと思えることがあれば
そこから将来の生活に繋がるような
生き方ができないかと考えてきた。


早く自分の生活を確立するためには
得意な道をとにかく見つけないといけない

そうしないとずっとDVの中を
苦しんで生きていく人生になる

そんなふうに早くから思ってた。


だから、このダイヤルロックの番号を
設定した頃も、必死でそのことに
しがみつくように生きてたのかも。


結果的にそのことを生活基盤には
できてないし、全然偉そうには
何も言えないけど‥すごく良く言えば

もしその時にそのことで
生活できるようになってれば
今はもう地元にいなかったと思うし、

大好きな人ともきっと
こんなふうには出会えてなかったはず。


そう思ったら、これで良かったと
今は思えるようになれてて良かった。



その数字を設定した当時の
自分の頭と心の中を今見られたとしたら、
どんな気持ちでその頃の日々を
生きてたのかなあ。


家のこともずっと背負ってきたし
その頃に限らず人生を楽しめたことは
これまで記憶には全然ないけど、

あの頃の経験もその後活かして
今の自分があると思えるから

当時の自分に「ありがとう」と言いたい。



このダイヤルロック、
今度鍵が必要な時が来たら
使おうと思って、番号を今度は

大好きな人と初めて2人で会えた日にちに
設定してみた(*´∀`*)


昔の自分とこのダイヤルロックを通して
出会えたような気持ちになったし、
あの頃の自分にも報えるような
自分でいたいと思う。
相手はきっと何も悪くない

相手はきっと何も悪くない

何が普通とか平均とかはたぶん
誰にも分からないけど、
自分は見た目だけで言うと
人に頼ったり寄りかかったり
しなさそうなふうにしかきっと見えない。

だけど、相手に対してそうしない、
周りにそういうそぶりは見せない、
というだけで、実際には
今のこの恋愛を支えに生きてるなと
感じることが山ほどある。


もっと他に、趣味とか特技とか何か
打ち込めるものがあれば
精神的なしんどさもましになるのかな?
と考えたりはするけど、

まず、自分の自由時間がなさすぎて
昔からずっと好きなことでさえ全然
満足に楽しめる余裕もないから

その状態で新たに何かを始めるとか
目を向けてみるというのはとても難しい。


自由な外出も難しいから、
地元で全て完結すること、
できれば家の、自分の部屋の、
テーブルの狭い空間1つで
完結することという
かなりの条件付きでの趣味探しは

当然、なかなか簡単にはいかない。


だけど、いくらそういう制限の中でも
家族が複雑でも、自分の世界を
無理にでも広げないと自分の心は
保てないし居場所も見つからないのかな
と、だんだん思いつつある。


大好きな人とうまく進展しても、
恋愛に重きをおきすぎてたら
それはやっぱり良くないことと思うし、

自分は基本的に人を信じられないけど
恋愛感情を持つくらい大切で特別な人には
他の人とは違う気持ちを持ってしまうから

何にしても、普段時間がない、
そのごく限られた自由の中で
想うのがいつも恋愛のことに
なってしまわないように‥というのは

前以上に意識するようになった。



自分が、本当の意味で
誰かを信じられることはもしかしたら
この先もうないのかな、

努力しても、これまでに心に深く居座る
トラウマを消し去ることはもう
できないのかも、という気持ちも

今、この恋愛で悩んでる中で
日々顔を出すようになってきた。


誰が考えてもそれはまずいよなあと
思うようなことに関して
不快に思ったり苦痛に思ったりするのは
人として自然な感情で、
それを不思議に思う人はそっちの方が
どこかがズレてると思う。


ただ、自分の場合は
『一般的にはそこまで不快には
思わないような、何でもないようなことも
心を深く傷つけられたり
痛めつけられる理由になりうる』
ところが、恋愛をしていく上で
とても難しいし、痛手な気がする。


全てを育った環境のせいにしたりするのは
良くないとは思ってるけど、

これまでも恋愛だけでなく色んな面で
自分が家族では得られなかった愛情や
安心感を自分が自分に与えられるように
頑張ろうと思って自分なりには
努力してきても、今の時点でまだ
こういうことに悩んで傷ついて
立ち止まってると考えると

いったいこれはいつまで続くのかと
本当に苦しくなってしまう。



大好きな人が、何か著しく問題があるとか
人の気持ちが分からなさすぎるとか
そういうことでは決して全然なくて、

大好きな人はただただ
小さい頃から満たされて育ってきて
自分が自分らしく天真爛漫に
生きることを大切にしてるだけ。


いくらその結果、その一部の言動で
自分が悩み苦しんだとしても
それは自分の問題で、大好きな人が
責められるような話では、きっとない。


自分は大好きな人以外の誰かを
好きになる想像はできないけど、

もし仮に誰か他の人を好きになっても
自分側の問題を自分がうまく
消化するなり何なり、とりあえず
形でもしていかないと、自分が勝手に
一人で生きにくさを増長してるだけ。



周りの人たちを見てて、
そんな真剣に生きなければ
あっちもこっちもそれぞれにうまく
こなせるような器用さを持ってれば
こんなに苦しまずに済んだのかもな、

誠実とかまっすぐとかは自分の長所と
これまでずっと思ってきたけど
(明らかにグレてもおかしくない環境で
よくこんなにまっすぐ育ったことで
笑い事ではないけど笑いそうになる)


その誠実さとかまっすぐさが
むしろ自分の心を痛めつけてるのかもな、

今の世の中にそういう性格は
おそらく向いてないのかもしれないなと
考えてしまうことも、時々あって辛い。


付き合えてから「実はこういうことは
自分はちょっと苦手」と言うならまだしも
まだ付き合えてもないのに
これが苦しい、辛いなんて
まず、言える立場にも立ててないのに。


どんなことでも本気なことは
やっぱり大変さもあると思うけど、

いくら何でもこれはきつすぎる‥と
追い詰められながら恋愛してる。
自分なりの答え

自分なりの答え

この前、ここに更新してからも
恋愛のことはずっと頭にも心にもあって
ずっとどうしたらいいかを考えてた。


たくさんのトラウマがあって
人間不信な自分にとっては
とても苦しくて悲しいことでも、

きっと世間一般にとっては
おそらく気にも留めないであろうこと
というのはもう、自分もこれまでの人生で
何となく分かってるつもり。


今回自分の中で苦痛に思ってしまうことが
ある前から、大好きな人には
用事がある時しか
連絡しないようにしてるし、

自分は元々SNSとかも苦手で
ネットも自分が発信するのは
このブログでもやっとという感じで、

だから大好きな人から見たら

「ENAは普段(連絡もあんまり来ないし)
めちゃくちゃ静かで毎日忙しそう」
「SNSとかも全然するタイプではないし
それも普段からリアルが楽しいからかな」

くらいに思われてると思う。


(厳密に言えば、ごく身近な趣味関係の
公式系のアカウントをフォローするための
SNSのアカウントは持ってて、自分に
そのアカウントがあるのは大好きな人も
知ってるけど、全く更新しないのも
最低限しか使ってないのも知ってる)


家族の一人が健康面で不安を
抱えてるからサポートが必要なのは
話の流れでしないと不自然というか、

いつも時間に余裕がないのを
「会う約束をしづらい」
「自分と積極的には会う気がないから
そんなふうに言ってるのかな」と
誤解されたら困るしそれは知ってるけど、

家庭そのものが複雑という事情は
今の時点では全く話してないから

たぶん向こうからしたら全然
大したことでも何でもないことに
自分がこんなに心痛めて悩み続けてる
なんて想像すらしてないと思う。



そうやってここ数日もずっと
気づけば恋愛のことを考える中で、

大好きな人本人にしつこくしたり
寄りかかったりしてないから
迷惑はかかってないと思うしまぁいいか‥と

とりあえず何となくやり過ごしてたことに
改めて向き合ってみた。


それで、これまでを振り返って、

□恋愛を生きがいにはしない

□今の趣味は家の事情的に
 楽しめる機会がとても少ないから
 もっと楽しめそうなものがあれば
 なるべく増やす努力をする

□自分磨きは大好きな人のため
 ではなく“自分のため”

□大好きな人を更に思い出すような
 写真や動画を一日の中で
 繰り返し見すぎない

□自分の努力でどうしようもないこと
 (大好きな人の言動など)に
 必要以上に一喜一憂しない

というのは前より意識して
頑張っていこうと考えるようにしてる。


こんなふうに考えるようにしたとしても
じゃあ恋愛の悩みが軽くなりました!
なんて簡単な話ではないし、

そもそもそんなにあっさりと
軽く考えられるくらいなら苦労はしない。


本当に相手を好きになればなるほど
悩みは深く大きく心に響いてくる。


それでも、自分の中で何となくでも
答えが出たのは良かった。


なるべく恋愛に寄りかからないように
でも自分が頑張れることは頑張って
大好きな人と付き合えるように
これからも努力していきたいと思う。


大きい壁がある恋愛というのを
意識する度に心が折れかけるけど、

自分みたいに人間不信な人が
心から好きになれる人なんて
きっと、そうそういないから。


この想いを大切にしたい。
信じることが怖くなった

信じることが怖くなった

なかなか文章がうまく
まとまりそうにないし、
もう少し整理してから書こうかなとも
思ったけど、自分にとってこのブログは
誰にも言えない恋愛の話をするために
存在してるものと考えると、

多少まとまりがなくても
ここにはその時の思いを書いても
いいのかな?とも思えてきたから

今思うことを残すことにしようと思う。



一言で言ってしまうと、
大好きな人のことを信じるのが
怖くなってしまった。


複雑な家庭に育って
親の異性関係の問題やトラブルを
当たり前のように不機嫌と共に
家に持ち込まれてたからもあるのか、

自分は恋愛に関して特に人間不信で
やや潔癖を求めるタイプというのは
前から自覚してる。


だから、これまでも
大好きな人を好きと自覚してから
一般的には何の問題もないのかも
しれないことでも自分はどうしても
心に引っかかることもあったけど、

まだ付き合ってもない時点で

世間一般的にそこまでそれって
問題ある?と思われるようなことに
抵抗を示してたら引かれるだけかもと

何回かそう思うことがあっても
社会の一般的にはきっと
全然気にもならないようなことと
考えて自分の不安を抑えて頑張ってきた。



数日前、自分の中では
すごく不快でドン引きするような
出来事があった。

このブログの書き手が自分と
知られたら困るから詳しい内容は
書かないけど、おそらくほとんどの人が
「うん、だからそれの何が嫌?」と
思うようなこと‥なのかもしれない。


それでも、自分は実生活の中で
まず、この恋愛の話をしてる人がいない

そして家族にも、大好きな人への
恋愛感情を知られてしまうと
それは家族にとっての理想や希望通りの
生き方ではないから邪魔されるのも
目に見えてるから、日記に書いたり
心で考えるだけにして耐え抜いてた。


その後も、その今回不快に感じたことに
関係することで自分の中では
「この人をこのまま好きでいてもいいのか」
とまで考えてしまうことがあって、

昨日はほとんど眠れなかった。


こうして書いてしまうと、読む側は
どれだけ変なことをしたのか?
この大好きな人って書いてある人は
そんなにふざけたことをしてるのか?
と思うかもしれないけど、

たぶん恋愛や家族にトラウマがない人は
「そんなことが心に引っかかるの?」
と驚くであろうこと‥。


そんなこと、であろうことに
自分は不眠になるくらいまで悩んでる。


普段、恋愛の話を人に全然しないし、
心の中でどんなに楽しくても
どんなに悩んでてもそれを人に
見せることが全くないから、

周りの人たちから見たら自分は
恋愛もしてない、大きな悩みもない、
そんな人に見えてるはず。


人を信じるのが苦手というのがまずあるし
恋愛だけでなく自分にとって大切なことは
誰かにそうそう話せないと考えてるから
自分の中では「無難な話しか人にしない」
というのは、昔から当たり前の日常。


これまでも、種類で言うと
だいたい似たようなことで
苦しんだり悩んだりしてきたけど

自分にとっては今回のことも大きくて

これまでは「こんなに大好きな人がいて
他の人も恋愛対象として考えるなんて
そんな軽々しいことありえない!」と
ずっと思ってきたけど

(この時点でモテる人たちとは大きく違う
バカ正直な考えであろうことは
分かってるけど、大好きな人以外を
恋愛対象として考えるの自体が
自分の中でありえなかった)、

大好きな人だってもし本気で自分と
付き合いたいと思ってくれてるなら
もう少し分かりやすく
押してきてくれたらいいのにと思うし、

これは自分のことを好きという
気持ちからしてくれてるのかなと
思ってたことも、よく分からないなと

‥これもたぶん、一般的な見方で言うと
何でそこまで思い詰めるの?と
言われてしまいそうとは分かってるけど

考えるようになってしまってる。



表側に全くその悩みや機嫌を
見せてないだけまだましかもしれないけど

自分の中で真剣になりすぎるあまりに
恋愛のことをあれこれ
考えすぎてしまってるのかも。



これからも、大好きな人をいきなり
「もう嫌い」とかはもちろんないけど、

大好きな人は大好きな人として
想っててもいいけど、恋愛の可能性を
もう少し広げてみようかなという
気持ちになってきたかもしれない。



自分を大切にしてもらえないのが
当たり前の環境に長くいたから

これは嫌とかこうしたいとか言うのが
全部親にとって許されない
とんでもないわがままかのような

誤学習をしたまま育ってしまった。


でも、自分を抑えつけて我慢して
ずっと心が不安だらけの恋愛なんて
幸せなはずがない。


これは、大好きな人はその言動で
「ENAが傷つくな」と予測なんて
立たない状態でそうしてると思うから、

こう書いてしまうと
「人の気持ちが分からない人」と
レッテルを貼ってしまうみたいで
どうにも抵抗があるけど、

自分にとっては、絶対に嫌と
感じてしまうようなことで。


前にもここには書いたけど、

もう付き合ってる状態で
「これは自分にとっては
すごく不安になること」と伝えるのは
行きすぎたしつこい感じでなければ
お互い必要なことと思うけど

まだ付き合ってもないのに
「そういう言動は苦痛」なんて
とても言えるわけがない‥。



もっと器用に生きられたらと
いつも思ってしまうほど
生き方下手な自分は

大好きな人を大好きなまま
他の人のことも好きになったり
他の人にも思わせぶりな態度を取ったりが
できそうにないから、余計に息が詰まる。


純粋で一途なことはいいこと
と言われるかもしれないけど、

そういう人にとって今の時代は
色んな意味で、あまりにも生きにくい。


自分の中で、大好きな人は
そういうタイプではないと勝手に
無意識のうちに思い込んでたら
実際にはそうではなかった

という、自分が思い込みで
勝手にそう思ってたのも
あるのかもしれないけど、

あんまり「絶対にこの人」と
こだわりすぎることは、明らかにもう
目に見えた進展の一歩手前ならともかく

そうではないなら心を縛りつける
鎖になるのかもしれないと

眠れない中でずっと考えてしまってた。



このブログは、自分にとって恋愛の話を
唯一できる大切な場所なので
消したりするつもりはないけど、

このブログもどうしようかなと
一瞬思ってしまったくらいには

自分にとって、本当に大きな悩みではある。
少し成長して同じ花を見る

少し成長して同じ花を見る

昨日、大好きな人に送る予定に
してたものを発送した後、

家の都合で自分にはいつも
自由な時間なんてそんなにないけど、
地元のいつもの神社にお参りして
30分くらいだけ小さい商業施設を
見てから帰った。


大好きな人の実家近くの道は
普段からちょくちょく歩いてる。

いつも時間に余裕なく過ごしてて
その道も急ぎ足で通ったりするけど、

去年も同じ場所で同じ花を見たなあ
とか、そんな慌ただしい中でもふと
去年のことを思い出す瞬間がある。


去年の秋、自分が前々から
恋愛でまずこれを叶えたいなと
願ってたことが、想像してなかった
ところからある日突然叶った。


よく、前向きに生きようとか
夢を叶えるためにみたいな内容の
サイトとか本とかで

「願いが叶う時は、自分が
叶うならこんなふうに叶うのかなと
思ってるのとは違う形で叶うこともある」

「だから、叶うとしたらこういう状況で
とかそういうことは考えすぎると
意外なところからその実現と
繋がってたとしても気づきにくい」

みたいなことを書いてあっても
正直全然ピンとこないというか

「へぇー、そんなもんなのかな」
くらいにしか思ってなかったけど、

去年の秋、自分が大好きな人との恋愛で
それ以前からずっと叶えなかったことが
ある日さっと叶った時も確かに

「えっ?そこから叶うの?」
という方向性から叶ったな、って。


大好きな人は今他地域に住んでるし
これを叶えるのがまず重労働かもと
そのこともずっと心に引っかかってたから

コツコツその日できることを黙々と
積み重ねてれば突然叶う日も
来たりするというのを学んだ。


そして、それから1年が経って
当時その目標が実現した時

「次はこれを叶えるために頑張ろう、

でも普段他地域に住んでる〇〇
(大好きな人)とこれを叶えるのは

今回叶えたことよりもっと
難しいことかもしれないな‥」

と思ったことがあったけど、

それも今年の初夏に叶って。


ただ、この初夏の時は
自分自身もかなり勇気を出したというか

気持ち悪くなりそうなくらい
毎日そのことで悩んで、

こんなこと話したら
「自分はそこまでまだ
ENAと親しくなろうとは考えてない」
って引かれるのかも‥とか

もうずっとずっと緊張しながら
落ち着かない気持ちで
毎日を過ごしてた。



同じ道を歩くとか同じ花を見るとか
何かその時と同じことをした時、

「あの日と同じことやってるなあ」
と、その時の記憶がいつも以上に
蘇ることがある。


相変わらず複雑な家庭の中にいても
1年生き延びてこれたこと、

それから自分なりに努力して
少しずつでも夢や目標を
叶えていけてるのを実感した時、

本当に救われた気持ちになる。



自分は、家族の機嫌に怯えて
長く生きてきたから

自分がした言動で相手が
不機嫌になったり気を悪くしないように
というのを考えすぎる傾向にある。


そうしないと生き延びられなかったから
それは癖というより生きる手段で
仕方なかったとは思ってるけど、

恋愛に関してはあまりにも
そう考えすぎると自分の思ってることを
相手に何も言えなくなってしまう。


人に気を遣えたり、気配りができたり、
自分の思いを感情的にならずに
冷静に落ち着いて言えるのは長所でも

全て我慢、我慢ばっかりになると
相手から見たらその人の本心が
分からないと思うし、何でも
我慢してくれる都合のいい人にも
なってしまいかねないと思う。


怖がって何も言わなければ
もしかしたら相手も同じ気持ちで
いてくれてるかもしれないのに

それをお互い分からないまま
過ぎてしまうこともあるし、

逆にしつこくしすぎると
自分とは合わないな、
いくら好きでも押し付けがましいと
思われて逆に距離をおかれてしまいそう。


そして、どれくらいからそう思うか
という範囲がその人によって違うのも
恋愛の難しさな気がする。


自分は恋愛経験が少ないというか、

ずっと自分の気持ちを言えない環境で
自分を押し付けられて育ってきたから

自分の気持ちも大切にするとか
自分の気持ちを伝えてもいい瞬間とか
そういうのが、未だによく分からない。


それでも、どうしても叶えたいなら
これからも頑張るしかない。

大好きな人から、この人だけは
手放したくないと思えるような人に
なれるようにこれからも
成長していきたい。
大切なものを送るミッション

大切なものを送るミッション

前々から、大好きな人に送る予定に
してたものがあって、本来なら
家で全部準備してから送りに行った方が
きれいにできるし楽でもあるけど、

家族の前でそんな作業はできないから
(もししたら詳しくあれこれ聞かれて
面倒なことになってしまうから)

他の理由で外出した先で
買い物→梱包→発送
まで短時間で全部してきた!


家の都合上、あんまり長時間は
留守にできないし、ギリギリまで
外にいると家事が間に合わなくなるから
どう考えても短時間しか自分の
時間はとれないのがとても大変(´・ω・`;)


自分の自由な時間なんて
いつも本当にほぼないのに
(今日は都合があると言って
個人的に外出できただけ有り難い日)

それでも常に時間に追われてる。


今日も、大好きな人に送るものを
調達する→それに合う梱包材を買う→
街なかの目立たないどこかでそれを梱包→
家から持って行ってた手紙も入れる→
発送する、という5つの作業を
限られた時間の中で完了して、

何もしてないみたいな顔して
普通に家に帰った。


何も悪いことなんかしてないのにな、
堂々と「〇〇(大好きな人)に
送るものがあるから」と家で準備できたら
どんなにいいかなぁと思う。


実は、大好きな人が地元から他地域に
仕事で引っ越してすぐの頃にも
こんなふうに何かを送ったことがある。


その時は、あくまでも家族も

「地元が同じという共通点があるから
他の人たちに『〇〇(大好きな人)に
ENAが送っといてよ』と言われて
ENAが送ってる」という感じに
思ってたからか、特にあれこれ
しつこく聞かれたりとか批判的な言葉を
吐かれたりはなかったけど

(この時のことを知ってるのも
家族の1人だけで全員は知らない)

その後、自分がいくら言動に気をつけても
周りの人たちの態度とか様子とかで

「〇〇(大好きな人)とENAは
思ってるよりも仲がいいのかも?」と
家族の中の特に自分を思い通りに
動かさないと気が済まない人が
前よりも気にし始めたっぽい‥。


自分はもし大好きな人も自分のことを
好きになってくれる可能性があるなら
その恋愛を大事に育てていきたいから

前よりも何倍何十倍も
この恋愛を周りに知られないように
すごく慎重に毎日を過ごしてる。



そんな中で過ごしてるから余計に
“この恋愛をうまくいかせたい”という
気持ちが強くなりすぎて、

勝手に自分を追い込みすぎたり
追い込まれてしんどくなったりもする。

恋愛に限らず生活そのものが
精神的なギリギリで何とか踏ん張ってる
という状況で、だから恋愛につい
心を預けすぎになってるのもあるのかな。


最近は、大好きな人が働いてる支社界隈の
人間関係での一定の距離の置き方は
前よりうまくなった気がするけど。


とにかく、今日は無事にこれを
送るという密かなミッションがあったから
ちゃんとしてこれて良かった♡
世の中が別世界に感じる

世の中が別世界に感じる

この前亡くなった親戚は、

たぶん悪気はないけど
失礼なことを言ったり、
それはちょっと個人的かなぁと思うことに
立ち入って聞いてくることがあった。


おそらくその親戚が普段よく関わってきた
これまでの仕事関係の人など
周りの人たちとはそういう距離感で
やってきたのかなとは思うけど
(前にその親戚の仕事関係の人と会った時
初対面にも関わらず個人的なことを
当たり前のように聞かれてびっくりした)

自分の感じ方としては
相手が嫌に思うかもしれないことに
土足で踏み込むようなことは
自分もしたくないし
人からもされたくないから、

その親戚の人柄を否定したりするつもりは
全くないけどそこは苦手に思ってた。


でも、その親戚が亡くなってから、

自分が大好きな人と仲良くなる
きっかけになった、自分が小さい頃から
ずっと興味があった分野のことを
とても認めてくれて、

自分が昔からそれをずっと好きなのも
見守って応援してくれてたな、と
改めて思った。


その分野を好きでも、それを仕事に
できるかなんてもちろん分からないし、
その分野は正直あんまり誰もが知ってる
メジャーな分野ではないのもあって
親戚に限らず周りから珍しがられたり
時には笑われることもあったり

ひどい人になると見下したり
嫌味を言ってくる人もいたけど、

その親戚はむしろ人と違う
珍しいことに興味を持って
それを好きと思う自分を
「好きなことは続けた方がいい」と
いつも応援してくれてたなあ。


その親戚が亡くなってから
自分の好きなことに対しての
他の親戚からのいじり、批判が
とても強くなったような気がする。


その親戚のことを、他の親戚の一部は
嫌いとか言ってたりもしたけど、

その部分に関して自分は
とても守られてたと思う。


もし、その親戚が生きてる時に
大好きな人の話も色々できてたら
喜んでくれたのかなと考えると、

やっぱりそこは本当に残念に感じる。




親戚が亡くなっても
それは自分の個人的な事情で

自分の周りの人たちはこれまでと
全く変わらない日常が続いてるのは
当たり前で、それは分かってるけど

ふざけたことを言ってたり
どうでもいい話をしてる人たちに
何か別世界の人みたいと
思ってしまう時がある。


大好きな人は、その親戚が
同じ学校出身というのは知ってるけど
普段から繋がりがあるわけではないし、

大好きな人は今は違う県に住んでて
地元でその親戚が亡くなっても
自分が言わなければ知ることはないと
思うから、今回のその話は全然してない。


だから、少なくとも
大好きな人に今の自分の気持ちを
知ってほしいとか分かってほしいとか

それは無理な話で、勝手に自分側に
悲しいことがあったからといって
魔法使いみたいに伝われというのは
到底不可能なのは分かってるけど、

もし大好きな人と付き合えてたら
今回のことも話せたのかな?なんて
考えてしまったりはある。


大好きな人が地元に今もいたら
もっと日常の色んなことも
話せたかもしれないし

今の時点で付き合えてたら
自分の話ももっとできたかもしれないけど

ただの地元のちょっと仲良し
くらいの関係性ならなかなか
特にこういう明るくない話は
やっぱりしづらいし、遠慮してしまう。


聞いた側もたぶん反応に困るし、

何回も会ってて親しいような人なら
ともかく、そこまでではない人が
亡くなったと聞いても、何か暗い話を
されたなくらいの気持ちかもしれない。



その親戚が亡くなっても
前を向いて生きていきたいと思うけど、
自分がどんな気持ちでいても
世の中は軽口と冗談が飛び交う中で
進んでいくというのを

改めて感じさせられてる。
きっと伝わったあの日の答え

きっと伝わったあの日の答え

大好きな人と同じ学校出身の
親戚のお通夜とお葬式の話。


自分は、今回亡くなった親戚には
良くしてもらったと思ってるし
感謝もしてるけど、基本的には

これまで親戚たちには本当に
ひどいことをたくさんされてるから
親戚の場で正直全然心は開いてない。



お通夜では久しぶりに会った
親戚たちもいた。

挨拶はちゃんとするけど、

それ以外はできる限り個人的な内容に
繋がるような会話にはならないように
同じ輪の中に長時間いないとか
できる限りの工夫をするようにした。


自分の親が、自分が小さい頃から
「ENAには何を言ってもいい」というふうに
親戚のストレス解消の道具のように
使われても何も言わないというか、
ごく普通にそれを許す空気があった。

だからか、長い間自分は
いじられキャラというと軽い言い方に
なりすぎるくらい悲しい目に遭ってきた。


考えたら、自分なりに頑張って生きてて
親戚にそこまであれこれ
批判や非難される筋合いはない。

これを機に‥と言ったら
亡くなった親戚に失礼な言い方に
なってしまうかもしれないけど、

今回以降はもう

仮に何か失礼なことを言われたら
「〇〇(亡くなった親戚)を偲ぶために
ここに来てるんであって、
自分の色んなことを話すために
来てるわけではないから」とだけ言って
その話題にそれ以上は入られないように
凛とした態度をとろうと決めてた。


「何かENAに好き放題言えなくなったな」
と感じたのか、親戚たちから何か
自分が攻撃されることはなくて
それにはホッとしたけど、

お通夜の後にみんなで話してる時間帯に
少し離れた場所で親戚の一部が
自分自身や子ども、孫、子どもの友達まで
持ち出してあれこれ自慢してる姿を見て

何のために来てるのか?
亡くなった親戚を偲ぶよりも
自分の自慢のため?

自分だけに留まらず、子どもとか孫とか
更には子どもの友達のことまで持ち出して
必死に自慢するのは人として醜いな‥と
思ってしまった。

そこで他の親戚にマウントとって
自分はすごいでしょ?という立場に
立つことに何の意味があるのかな。


そういう場で、もし誰かに聞かれて
少しでも個人的なことを話したら
そこからまた色々詳しく聞かれたり、

その本人にはそのつもりはなくても
仮に親戚から見て何か周りの友達とかに
自慢になる要素があったら
勝手に自慢に使われたりもするのが
目に見えてる気がする。


自分は最低限の話以外は
親戚にも友達にも知り合いにも
しないようにしてるけど、

自分にとっては一番の最善に思えた。


親戚同士で親しく連絡を取り合ったり
してる人たちなら余計に
誰かの噂話とか悪口とかもすごそう
と今日改めて考えさせられたし。


家族に対しても、すごく個人的なことは
普段から話さないようにしてるから
そうやって無難な話だけに留めるのは
そんなに無理なくできる気はする。



大好きな人のこともその親戚の遺影には
実は大好きな人がいて、その人が
〇〇(亡くなった親戚)の後輩ってことも
心の中では語りかけたけど、

誰に話すこともなくただ静かに
“必ず大好きな人の隣で堂々と
人生を過ごせる人になろう”と誓ってた。


亡くなった親戚は、一瞬びっくりするほど
冷たくなってしまってたけど、
「ありがとう」と言って触ったその手で
右ポケットに入れてる大好きな人の写真が
入ったパスケースの写真部分に触れた。


自分は親戚のことでも苦労してきたけど
大好きな人の先輩であるこの親戚からは
学ぶことも励まされることも
たくさんあったと、いつか
大好きな人にも伝えられたらと思う。



棺の中に、亡くなった親戚への
手紙を入れた。

手紙を入れたいなと思ってたら
今回の法事をまとめてくれてる親戚が
手紙も入れてもいいということで
事前に用意してた。


(自分が将来的にいい恋愛ができるような)
「いい人がいたらいいなあ」に対する

実は大好きな人がいること、
家族は知らないけど
地元で2人で会ってること、
その親戚と大好きな人は同じ学校の
先輩と後輩ということ、

恋愛する上で壁があって悩みはあるけど
その人とずっと生きていきたいこと

という、自分の答えを
もうその親戚が亡くなってからの
棺に入れる手紙にはなってしまったけど
伝えられたことはまだ良かったのかな
とも思う。


棺に手紙を入れるその内容は
ちゃんとその亡くなった人に伝わるとか。

もしかしたら誰もその真偽は
分からないのかもしれないけど、
自分は信じたいな。

ちゃんと伝わった、って。