大好きな人に、直接的に
「好きなタイプってどんな人?」と
聞いたことはないけど、
間接的に好きな芸能人を前に
知ったことはある。
自分は元々芸能人に詳しくないから
その人の名前を聞いてもすぐに顔が
浮かばなくて検索して分かった。
芸能人ならたぶんそれが普通といえば
そうなのかもしれないけど
やっぱりすごく顔が整った人で、
「このレベルを求めてくるのか‥」
(実際には別にあくまでもその人は理想で
そこまでではなかったら嫌とかでは
ないかもしれないけど)と
思ってしまった記憶がすごくある。
それでも、その芸能人を普段から
めちゃくちゃチェックするとかはなく
「こういう系の人が好きなのか」という
系統的に目指すならその方向なのかなと
思う程度で今まできて、
いつもいつもその芸能人のことが
気になって仕方ないとかでは
全然なかったけど、
つい最近、大好きな人の周りで
推し活の話になってた時に
大好きな人が「自分は〇〇かな」
みたいに言ってた芸能人が
自分から見てちょっと意外に思う人で。
顔の系統としては、前に好きと言ってた
芸能人とすごく近いから
こういう顔が好きなのかなというのは
分かりやすいと思ったし、
推しと言ってもそんな熱心に
どこかに通ったりグッズを集めたり
周りの人にその推し活が知られてるとか
そういう感じではなさそうに感じたけど、
学生時代に容姿のことで
いじられた経験がある自分には
すごく辛い話題に思えて苦しくなった。
自分は誰かに好きなタイプを聞かれても
そもそも芸能人とかに詳しくないから
具体的に誰かの名前を挙げることはない。
でも、もし自分が誰か芸能人のことを
かっこいいなとか可愛いなと思ったとしても
その人と現実的に付き合いたいとか
どうなりたいとかではなく、
あくまでも
「例えるならこういう顔が好きかな」
という程度でも名前を出すことも
あるような気がする。
大好きな人が「絶対にこういう顔以外は
ありえないし無理」と言ってるわけでも
ないのにその系統の顔にとらわれすぎるのは
不健全で心にも体にも悪いって分かってる。
学生時代の美術の時間に
教室の後側の席にいた時
突然自分の容姿をいじられて
笑われて傷ついてから、
自分なりに自分に自信を持てるように
色んな面で努力して
今は見た目をいじられることもないけど、
じゃあその出来事が心から消えるのか
というとそうではないと思う。
「自分は友達に容姿を笑われた」
という経験はずっと傷として残る。
あの頃笑われたのは
暴力的な親とも似てるパーツで、
だから余計に整形したくて
自分の顔が嫌で仕方なかった。
学生時代を経て大人になって
もうそれは記憶の彼方になりかけてて
そんなことを気にしなくても
生きていけるかもと思った矢先に
また容姿を意識せざるをえないことが
起こるのがしんどいなと苦しくなる。
大好きな人が、こういう顔以外は嫌なんて
一言も言ってないのに、心の中で
「自分(大好きな人)だって
めちゃくちゃ整った顔を
してるわけでもないのに
そんなこと言わないでよ」と
大好きな人に対して思ってしまう
自分自身にも嫌気がさしてくる。
結局、自分は自分に未だに自信がない
それに尽きるのかなぁ。
自分なりにあの頃を乗り越えたつもりでいた、
だけど日常のふとしたことで
こんなに簡単に心の表面に傷が
浮かび上がってくる。
もっと自分に自信を持ちたいのに。
あの頃とは違う自分になれてると
思ってたのに。
確かにその芸能人は可愛いけど
他にも可愛い人たちはたくさんいて
可愛い定義は一つではないのに。
ただ大好きな人に好きと
思ってほしいだけのことが
ここまで心を苦しめていくのがしんどい。
自分は世間一般で言うイケメンとか
美人かどうかということよりも
誠実で穏やかな人が好きという考えでいるから
見た目がどうとかにはあんまり
こだわらないけど、
かっこよければかっこいいほどいい、
可愛ければとりあえずそっちの方がいい
という考えが特に今の時代は
根強い気がしてしまうから、
また自分は容姿のことで
悩むことになるのかな‥。
恋愛は本当に少しずつしか進展しないのに
こういう悩みは重みを持って飛んでくる。
恋愛は幸せかもしれないけど、
しんどいなとも感じてしまう。
テストの100点とは違って
容姿にはこれが最高、
これ以上はないという終わりがない、
そこがまた怖いなと思う。
前に書いてた日記を読み返してた。
大切な写真や、大好きな人に関係する
想い出の物を入れて持ち歩いてる
パスケースっていつからこうやって
毎日ポケットに入れてたっけ?と
気になったのがきっかけで。
その日記を読んでると
その当時も(もしかしたら今以上に)
恋愛のことですごく悩んでたのが
手に取るように伝わってきた。
なかなかゆっくり時間も取れないから
手帳のウィークリーのページに
1日に5〜6行書いてるくらいで
そんなに細かく全ては書けてないけど、
それでも度々繰り返される
「どんなに好きでも〇〇(大好きな人)のことは
好きになりすぎないようにしないと」
「(大きな壁がある)この恋愛に
夢中にならないように自分の心の
居場所を分散するために努力しないと」
の内容に、当時からすごく
悩んでたのが本当によく分かった。
もちろん全ての状況が全く
同じではないけど似たところがある
恋愛をしてる人がネット上で
「気持ち悪い」と言われてるのを見たり
恋愛感情は隠してる状態で
家で地元の話から大好きな人の話題に
なった時にその流れで親が当たり前のように
「ENAは親が思う通りに
生きること以外は許されない」という
内容の発言をしてきてかなり戸惑ったり
本当に恋愛のことでもたくさん
悩み苦しんできたなあと思った。
でも、日記を読み返してると、
「相手と自分の問題だけならまだ
頑張れても、自分の家の事情とか
そういうどうしようもない部分を
考えたらもう諦めるしかないのかな」
と思うと、このタイミングで?と思うくらい
ピッタリなタイミングで少し進展がある。
一般的にはささやかなことかもしれないけど
「これを叶えたいな」「こうしたいな」
と願ってきたことが意外なところから
さっと実現したり、
あんまり自分の気持ちを出さない
内向的な大好きな人が
自分に対してだけは嬉しいとか
感情を目に見えて表してくれたり。
それで「もう少しだけ頑張ってみようかな」
と思うその積み重ねでここまで
この恋愛を信じてこれた気がする。
大好きな人とは、不思議なほど
同じ部分、似た部分が多かったり、
本当に縁があると感じることが多い。
自分は昔から、とある理由で
大好きな人が今働いてる支社とは
繋がりがあったけど、その支社がある町は
地元からすごく遠くてそうそう
頻繁に行ける場所ではないし
(特に自分の場合は家の事情で
自分の自由な外出が難しいから
他地域や他県に自分の用事で
出かけることが実質できない)
その支社の人やその町の人が
良くしてくれても「自分はよその町の人」
という気持ちは心の中にはいつもあって
もちろん地元ではその支社のことなんて
誰も知らないからその話題になることも
生活の中でほとんどないし、
地元の生活とその支社との繋がりは
全然別のところにあった。
これまでに、就職や転勤でその支社に
自分と同県人が配属されたりはあったけど、
自由に自分の思うままに外出するのが
難しい自分にとっては
いくらそういう共通点があっても
仲良くなったり親しくなる機会もなく
気づいたらその同県人はもう
他の支社に転勤したり退職したりして
その支社から離れてしまえばもう
接点自体なくなってしまってた。
だから、大好きな人が
本当は他の人がその支社に入るはずが
人事の人が「やっぱりこの人に」と
ギリギリのところで選んでくれて
今の支社に所属することになったのも
地元が自分と同じというの以外にも
いくつもの共通項があることも
その支社に関係する人たちが
これまでそんなに自分と関わりがなくても
「〇〇(大好きな人)とENAが‥」
みたいにいつも一緒に扱ってくれたり
自分が大好きな人に恋愛感情を
持ってるのは誰も知らないはずなのに
結果的にすごく協力してくれたり。
自分はこれまで、夢とか持つことが
現実的ではない環境で育ってきたけど
運命とか縁とかを思わず
信じたくなってくる何かがある。
今でも、好きになりすぎるのが怖いとか
心のエネルギーや居場所は分散しないと
とはやっぱり思ってしまうけど、
それでも迷いながらもここまで
相手にしつこく依存することもなく
かといって諦めることもなく
頑張ってこれたのは本当に良かった。
心の中ではかなり大好きな人に
寄りかかってしまってるなと
自覚したりはするけど、
それを全然行動には
移してないからそこは自分でも
頑張れてるのかなって。
しつこくしたってろくなことはない。
特に大好きな人みたいに
内向的でおとなしいタイプの人に
グイグイいきすぎたって破滅するだけ。
でも自分はそういうタイプの人が好き。
激しい暴言や批判否定を浴びせられて
生きてきたからもあるのかな‥。苦笑
話は変わるけど、最近嬉しかったこと♡
とあるきっかけで、大好きな人が
自分(ENA)の名前を書いてくれる機会があって
その時に知り合いがその姿を動画に
録ってくれてて、それ見てたら
自分の“えな”の漢字を
大好きな人がちゃんと覚えてくれてて
迷わずに書いててびっくりしたのと
(普段のやりとりでは名前を
ひらがなで呼んでるから)
名前を書く時にちょっとニヤッとしてて
それが何か‥すごく嬉しかった!!
こういう嬉しい出来事が心の中で
本当に大きな支えになってくれてる。
日記やこのブログの記事をこの先
笑って幸せな気持ちで振り返られたら
いいなーと心から願う毎日。
それを叶えられるように頑張りたい。
大好きな人が今働いてる支社の関係の
知り合いと昨日話してて
「〇〇(大好きな人)、長い出張から
無事に帰って来て良かったよね。
(仕事上の)成果もあったみたいだし」
とその知り合いが言った時に
「うん、遠い地域への出張で
慣れない仕事を頑張るのは
すごく大変そうって思うけど、
とにかく元気に帰ってきてくれて
本当に良かった」
と自分が返したら
「〇〇とENAは同じ地元だし
前々から繋がりが深いから
それももちろんあるだろうけど、
仕事上のどうこうとかよりも
『とにかく元気に帰ってきてくれて
良かった』とまず思うところが
もうめちゃくちゃ家族だよね(*^^*)」
としみじみと言われて
何か心が温かくなった。
大好きな人が働いてる支社関係の人たちは
昔から本当に良くしてくれてて
転勤とかで人の入れ替わりはあっても
基本的に昔からいつでも
自分の精神的な居場所に
なってくれてると思うし感謝してる。
それでも、規模的に小さい職場と
いうのもあって、少し仲がいいから‥と
誰かに個人的な話をしたらきっと
その誰かが普段から仲がいい人たちに
広まりそうという気持ちも常にあって、
その支社関係の人と話しても
「もし広まっても大丈夫な話」以外は
しないように気をつけてる。
昨日話してた知り合いも
今その支社関係で関わってる中では
よく話す人ではあるけど、
その知り合いはその支社界隈で
かなり顔が広そうで
時々自分にも「ENAには話すけど」とか
「ここだけの話ね。
絶対他の人には言わないで」という話を
してくるから、ということは逆に
もし自分が何か個人的な話をしたら
そのたくさんの知り合いたちに
広められそうかなと思うから
無難な話しかしないようにはしてる。
それに、自分は家族の温もりとか
知らずに育ってきてるから
「家族みたい」というのが
具体的にどういう感じかというのも
あくまでも想像でしかないけど、
たぶん家族みたいというのは
世間一般ではいい意味で使われるのかな
と思えるし、前からそこそこよく話してる
知り合いにそう言ってもらえたのは
とても嬉しかった!!
大好きな人を本当に恋愛の意味で
好きというのは誰にも言えないから
支社関係の人と大好きな人の話になっても
そういう雰囲気は出せないし
このブログに書いたり
自分の個人的な日記とかメモに残したり
たまーにAIに相談する以外には
恋愛のことを話したり打ち明けたりする
機会もないのは孤独に感じる時もあるけど、
大好きな人とは共通点も多いから
支社関係の人たちも「〇〇とENAは
もうセットだよね!笑」とか
言ってきてくれたり、大好きな人もそれを
嫌がってないというのは本当に有り難いなと
改めて思えた。
家族に‥本当になれたらいいな。
大好きな人と家族になりたい。
たぶん一般的には何も気にならない、
どこにでもあるようなことで
自分が勝手にこれまでのトラウマを
心に深く思い出して落ち込む
というようなことが時々ある。
そういう出来事があっても
自分にとってすごく大事なことではない
という場面ならまだ、それを思い出して
苦しむこと自体はもちろんしんどいけど
意識してそれとは関係ないことを
やったり考えるようにしたりして
一応は乗り越えてる(と思う)。
だけど、特に辛いのが
恋愛でこれまでのトラウマを
深く思い出させる何かが起きること。
恋愛至上主義みたいな生き方はしたくないし
恋愛が毎日の全てではないとも思うけど、
自分個人的には
恋愛は本気で人を好きになること
恋愛の先には結婚や将来がある
という向き合い方しかできないから、
そういう自分にとって特別で大切な場面で
これまでの辛いことを思い出させるような
何かがあると、本当に言葉では
表せないほど苦しい気持ちになる。
こんなふうに書いてしまうと
大好きな人が何かひどいことをした
と思われるような書き方になる気がして
たとえそう感じても毎回はここにも
書いてないけど、大好きな人が何か作為的に
自分を傷つけてきてるとか
そんなことは全くなくて、
何もトラウマがない人から見たら
本当に何も心に引っかかる要素が
見当たらないであろうことで。
こういう苦しい気持ちになっても
大好きな人には何も言わないし
(そもそもひどいことをされてる
わけではないから言えるはずもない)
大好きな人以外にも
不機嫌や不調を表に出したりはしないけど、
こんなことでいちいちこれまでを思い返して
苦しんで悲しくなって辛くなってたら
この先何も進んでいけないよなあ
と努力や頑張りの限界を感じたり
もうどうしようもない閉塞感や孤独感を
心に感じてしまうのが本当に辛くなる。
育った家庭のことも含めて
自分には本当にトラウマが多いと思う。
克服しようと自分なりに努力はしてるし
「だって自分にはこんなにトラウマが
あるし助けてよ!気を遣ってよ!」と
周りに対して思ってるわけでもない。
もちろん、好きでこんなにトラウマを
抱えてるんではないけど、これは
直接自分にトラウマを植え付けてきた人たち
以外には何の責任もないことで、
大好きな人を好きになったから
ENAのトラウマに関しても全部理解して
助けてくださいというのは
そこまで求めたらいけないよなと思ってる。
それこそまだ付き合ってもない人の
心の闇部分なんて、おそろく相手からしたら
「こんなめんどくさい人なら
絶対付き合いたくない」と思われて
恋人候補から外されて終わり
というのは安易に想像できるし、
こういうのって、相手側が
「この人はこれまでにたくさん
苦しい思いをしてきたのか、
そのトラウマで苦しんでるなら
自分にできることはしたい」
と思ってくれるのは本当に嬉しくて
有り難いけど、それを抱えてる側から
一緒に背負ってくれ!と勝手に
自分の都合や事情を押し付けるのは
違うかなと自分は考えてるから。
昨日の夜、おそらく世間的には
「へぇー」と一言で済ませられるような
ちょっとした出来事から自分は
ものすごく落ち込んでしまった。
これからもこうして、多くの人には
何でもないようなことにいちいち
立ち止まって傷ついて苦しんで
心にダメージを受けるのかと思うと、
特に恋愛みたいに他の人間関係よりも
密接した深い関係の場合
本当にしんどいな‥と感じる。
それでも、そう言ってても
何も始まらないし
トラウマを理由にしてたら
何も動けないと思って、
じゃあ例えば去年の今頃に比べて
成長できたと感じることって
何かを考えてみた。
自分は社交的な性格で
これまでは自分の話を人に
することも今よりはあったけど、
去年辺りからはそういう
この人は大丈夫と勝手に信用して
個人的な話をしすぎるのはやめようと
改めてその境界線を意識するようになった。
それから、自分の努力ではどうにもできない
範疇のことはできるだけ考えないように
“自分がどうにかできうる範囲を頑張る”
という切り替えが前よりうまくなった。
そして、これまでは自分に自信がなさすぎて
自分の決めたことに関してももっと
本当にこれでいいのか?というブレが
あったような気がするけど、
この一年で前よりはそれがなくなった。
恋愛も、自分が好きになった人のことは
できる限り信じようと思うようになった。
あくまでも“前よりは”の話で
まだまだ足りないところもたくさん
あるのは自分でも分かってるけど、
それでも前よりは前に進めてる。
多くのトラウマを抱えて生きることは
本当に苦しくて消えたくなるほど
辛くなる時も多いけど、
本当に縁があるならきっと
自分がその時その時を大事に
自分らしく一生懸命生きてたら
繋がっていくと信じて
これまでたくさん傷を負っても
ここまで生きてきた自分のことも
大切にして過ごしていきたい。
今年に入ってから特に
自分自身意識するようになったこと。
それは「もし自分が大好きな人なら
自分は自分をどう扱って
どんなふうに接するかな?」って。
言葉で説明するのはすごく難しいけど‥、
自分は自分を大切にしてもらえない環境に
育ってきたから自分自身をいたわるとか
自分の気持ちを自分で認めて聞き取る
とかがよく分からなくて、
周りの人たちが喜ぶなら
周りの人たちが楽になるなら
自分をセルフネグレクトのように
痛めつけてしまう時も多い。
ENAがENAに対して接する時は
自分を大事な存在として
受け入れることがいまいちできてないけど
もし自分を大好きな人に置き換えたら
そんなに苦しんでても
痛めつけられてても何も思わない?
平気で見てられるのか?
と考えた時に、自分はまず自分を
大切にすることから見つめ直して
いかないといけないなと思った。
自分の気持ちとか意思なんて
持つことは許されないような家庭で育って
知らず知らずのうちに周りの人よりも
自分には価値がないと思い込むようになって
表面上明るく振る舞ってるから
一見たぶん周りからは毎日楽しそうに
見えてたとしても実際にはそうではなくて。
ずっと苦しい思いをしてきた。
だけど、大好きな人を好きになって
「そもそも自分でも自分を
“この人は胸を張って勧められるよ”と
思えてないのに、大好きな人に
アプローチするってどんな状態‥?」と
考えるようになった。
「この商品は欠陥がたくさんです!
私も堂々とオススメはできません!
でも買いませんか?」と言われて、
喜んで買う人はきっといないし。
だから、ふとした時に一旦立ち止まって
「自分の気持ちをちゃんと自分は
拾ってあげられてるかな、
自分を乱暴に扱ってないかな」と
意識して考えるようにしてる。
自分自身がもし大好きな人なら
自分はもっとこの人を大切にしようと
丁寧に扱うに決まってるから
できるだけ大事にしてみようと
たぶん本当なら自分が小さい頃に
家族がしてくれたのかなと思うことを
今、自分は自分に対して頑張ってる。
大好きな人はおそらく幸せな家庭で
育ってるからこんなこと思いも
してないと思うし、自分の得意なことを
自分でちゃんと把握してまっすぐ生きて
キラキラして見えるほど自分の目標を
追いかけて生きてるから、そういう姿を
見てるときっと小さい頃から
自分を大切にしてきたと思う。
その見えない溝を埋めていくには
自分も自分を大切にすることを知って
実践していくしかない。
あと、その話とはまた別に
“自分がどんなに努力しても
どうしようもないことは
なるべく考えない”
“自分が将来どうなりたいのか
ブレずに考えて、そこから逆算して
今何を優先するべきなのか
今どんなふうに生きてるべきなのかを
自分の心の真ん中に常に置いておく”
というのは自分なりに
意識して続けてるつもり。
自分は大好きな人と家族になるのが夢。
大きな壁がありながら
これを誰かに言葉として宣言するのは
正直、今のところははばかられる。
こうなりたい!と自分の中で心の中に
大きな指針を持っておくのは大事。
だけど、今は人にあれこれ
自分は絶対こうなる!とアピールするよりも
自分が今できることを黙って
日々努力することが一番自分に
大切で必要なことなのかなと思う。
なかなか自分の時間もとれない中で
今は遠くに住ん出る人をずっと
好きでいるというのは悩みも多くて
精神的にはしんどくもあるけど、
“自分という存在も大事にする”
“今の現時点の欲求より
自分は将来どうなりたいかを考えて
そのために今できることから頑張る”
それを心に忘れずに置いて頑張りたい。
甘い物は好きでも、事情があって
チョコたくさんというバレンタインは
難しいから、メインにそんなに
気を遣わずに受け取れるような雑貨類と
それに少し添えたいなと思ってた入浴剤。
大好きな人は長期の出張で
疲れてると思うし、ゆっくり休んだり
くつろぐ時間を大事にしてくれたらなと
いう気持ちもすごくあるからぜひ
買いたかったけど、自分の都合で
出かけたりするのが難しいから、
何とか用意したそのメインの雑貨に
手紙をつけて送るくらいが
やっとなのかなぁと考えてた。
今日、家の用事で出かけた時に
バスの時間まで少しあったから
寒い所でずっと待つのもな‥と
ドラッグストアにちょっと寄ったら、
ちょうど目に入った場所に
バレンタインにも良さそうなクナイプの
可愛いパッケージの入浴剤が!!
家族と一緒にいたし
家族は自分が大好きな人を恋愛の意味で
好きとは知らないから、
いきなりこの個包装のを素早く買ったら
いかにも怪しいし、こういう色合いや
デザインが好きそうな知り合いに
あげようかなーとかごまかしながら
何とか無事に買えた!
こうやっていちいちごまかしたり
何か行動を起こすその一つ一つも
先々まであれこれ計画を立てて‥とか
何も悪いこともしてないのに
本当は自分もしたくないけど、
今の生活の現状を考えると
ある程度うまく家族を切り抜けないと
ただやみくもに努力するだけでは
恋愛も進展しないよなと思ってしまう。
バレンタイン、大好きな人に本当は
直接渡したかったけど、その時期に
会うのは難しいし、少しだけ
早めに送ることにした。
メインのプレゼントは
自分がうまく自分の用事で数時間
地元で外出できた時に、事前にできる限り
何がいいかを調べてから実店舗に行って
やっとの思いで買えた物。
チョコ要素もちょっとだけ入れて、
一生懸命手紙も書いて
気持ちが届いたらと願ってるけど、
普段きっと疲れてるから
癒せる要素も入れたくて
だから今日まるで合わせたような
タイミングで可愛い入浴剤を買えたのが
本当に心の支えになるし
とてもとても、嬉しかった。
この入浴剤のパッケージ、
自分が言いたくても言えないことを
書いてくれてるからこの入浴剤に
想いを託してみよう。
これを見て、「ENAはこういう気持ちで
これをくれたのか?」と思ってくれるか
どうかは分からないけど、何にしても
行動しないよりはしようと思う。
まだ付き合えてもいない立場で
あんまり大きなことや引かれることは
やっぱりできないけど、今の自分が
できる最大限を尽くしたい。
ここに記事を更新しない間にも
心の中には本当に溢れ返るような
たくさんの気持ちがあって、
だけどどうしてもそれを
言葉にできなかった。
ここに何も書いてない間にも
色んなことがあった。
大好きな人が、仕事上の理由で
地元を離れる頃によく聴いてた歌を
特にこの時期になるとまた
何回でも聴きたくなる。
好きなバンドも大好きな人と同じで
それもすごく嬉しいなと思いながら
あまりにも自分に重なる歌詞で
そのバンドの歌の中でも圧倒的に
一番好きな歌を、今も変わらず
大好きな人を想いながら
心が痛くなりながら聴いてる。
新生活の役に立てばいいなと
その当時の自分ができる限りの
最大限の想いをこめて選んだプレゼント、
すごく喜んでくれて自分まで笑顔になれた。
日が暮れるのが早くて寒い冬は
季節の中でも決して得意ではないけど、
その想い出を想い出すと
心が暖かくなってとても励まされる。
最近の自分は、恋愛面で
一つ夢を叶えた!
前からずっとこれは叶えたいと思いながらも
そう願い始めた時点では
「でも住んでる所も遠いし難しいかな」
と諦めかけてしまいそうなくらい
自分にとっては叶えるまでには
そこそこ時間がかかるのを覚悟してた。
それがひょんなことから
すごく意外なところで叶って
まるで向こう側から自分の手元に
飛んできたかのような不思議な感覚。
その夢を叶えるために具体的に
直接何かをしたとかではないけど、
普段から自分が意識してコツコツと
大事に努力してきた部分があって
今回実現したのかなと思うから、
これからも直接的に自分の夢や目標と
関係なさそうな所でもちゃんと
頑張っていきたいと思った!
相変わらず、必要以外でネットを
見る時間が前より減った生活をしてる。
地元の天気とか、趣味関係とか、
自分は昔から機能不全家族育ちの人が
大人になってから自分をどんなふうに
大切に生きればいいのかということに
当事者として興味があるから
その関連の記事とかは見るけど、
「これを見ても意味がないな」
「嫌な気持ちになることが多い」
「こうやってダラダラしてても
自分にとって良くないな」
と思ってしまうものは意識的に見ないように
距離を遠ざけるように心がけてて
それを実行するべくその時間を
何かを勉強したり
ストレッチする時間に充ててる。
それでも、心に関する記事は
読んでしまいがちで、この前つい
そういう内容も含むような
恋愛の記事を読んでしまった。
そしたら
「壁があるような恋愛、
少人数派に思える恋愛をしてる人は
自分からアプローチする権利はない」
「そういう壁があったり
少人数派な恋愛をしてる人は
自分では自覚はなかったり
自覚は少ないかもしれないけど、
世間の大半から見たら
気持ち悪いと思われても仕方ないし
正直多くの人にありえないと思われてる」
という話で、すごく悲しく思ってしまった。
自分は、恋愛に限らず自分の話を
人にするのがあんまり得意ではなくて
恋愛の話も、少人数派の恋愛ということに
関係なく人にはほとんどしてないし、
もし好きなタイプとかの流れで
恋愛の話に誰かとなったとしても
大好きな人個人を特定されるような形では
全く話してないし、それがもう習慣。
だからもし、世間一般で
明らかに壁があったり少人数派の恋愛を
気持ち悪いから人に話すなというのが
仮に暗黙のルールとしても
自分は人に話してなくて良かった
と思ってしまった。
でも、この内容を読んでから
心の中でずっと引っかかってる。
倫理的に、道徳的に良くない恋愛は
もちろん暴言とか傷つける言い方は
良くないにしても、一定の批判は
仕方ないと思うけど、そうでなくても
大きな壁があったり、少人数派の恋愛を
してるだけで「相手にアプローチする
権利さえない」と言われてしまうのかなと
大好きな人に対して少しずつでも
アプローチするのが怖くなってる。
大好きな人が、この壁を
「全然気にしない!大したことない」と
笑い飛ばせるタイプなのか
「わざわざそんな壁がある恋愛を
自分からあえてしようとは思わない」
と引いてしまうタイプなのか、
大好きな人にとって自分は
どれくらいの大きさの存在なのか
もしその壁に抵抗があったとしても
「でもENAならそれでもいい」と
思う可能性はどれくらいあるのか、
大好きな人の心の奥しか分からない
でもそうそう簡単には聞けないことを
その記事を読んだ時から考えてしまってる。
人をあざ笑って気持ち悪いとか
言うのは簡単かもしれないけど、
誰だっていつ、恋愛も含めて
人生の中でどうしても叶えたいことの前に
どんな大きい壁が立ちはだかるかなんて
分からないし、少人数派に絶対に
一生カテゴライズされないなんて保障は
どこにもないのに何でそこまで
人をボコボコに完全否定できるのかな。
もちろん、相手の立場や気持ちを考えない
自分の想いだけで暴走するような恋愛は
相手にとって恐怖に思えると思うし
そういうことを否定するなら分かるけど、
それなら壁のあるなしや
一般的によくある恋愛かそうではないかは
そこには関係ないし。
不用意にその記事を読んだ自分も悪いけど、
壁をどんなに恨み倒しても
自分の努力ではどうしようもないから
こんなに苦しんでるのに
その苦しみを更に強めるようで
本当にしんどかった。
大好きな人が就いてる職種が
自分やこの家にとっては前々から
身近な仕事というのもあって
今日、親と話してる時に
流れでその話になった。
その後そこから大好きな人の話になって、
親は自分が恋愛感情で大好きな人を
好きというのは知らないと思うけど
自分が大好きな人のことを話す時の
表現が親にとってすごくプラスな
前向きな言葉に聞こえたからなのか、
全てにおいて完璧を望む
ものすごく世間体とか周りに対して
自慢になるかを最重要視する親から見たら
色々言いたいこともあるのか、
あれこれと自分の感覚や価値観に対して
文句を並べてきて
「そんなに(大好きな人が)いいなら
〇〇(大好きな人の苗字)の子になったら?」
と不機嫌をあからさまにぶつけてきた。
そう言われてこんなことを思い出すのも
まあまあ不謹慎かもしれないけど、
自分が小さい頃にこの親の希望で
してた習い事があって
その宿題も親が求める以上にできなかったら
生活の全てを禁止される勢いで
常に優等生を求められて
ヒステリーに怒鳴られてたなーと
今更思い出して心の中で苦笑いした。
未だにあの頃のことは夢に見る。
当時は、周りの同世代の友達も
家ではこんなふうに親が求める水準に
自分を到達させるために
怒鳴られたり脅されたりに耐えてると
思い込んでたけど、今振り返ったら
こういうのも立派な教育虐待に思える。
あの頃もよく、その習い事の課題を
親が求める程度までできなかったら
「こんなこともできないなら
さっさとやめてしまえ」みたいに
本当に怖い顔で詰め寄られてた。
「やめろって言ってもENAは
泣きながらでもやってたから
親の強制ではない」と親は満足げに
今でも時々言ってくるけど、
あんな剣幕で怒鳴られたら
やめたいからってやめてしまえば
この家にいる価値もないとか言われて
見捨てられて追い出されると当時は本気で
思ってたから(それくらい怖かった)
生きるためにやむなくやってただけで
別にその習い事でそこまで
優等生になりたかったわけではない。
「そんなに(大好きな人が)いいなら
〇〇家の子どもになったら?」
と時々言われる今はもう
昔の自分とは違う。
親はきっと、昔のその習い事の
山のような宿題を前に
全てを完璧にできてない自分に
「やめてもいいよ」と試すように言って
親に捨てられることが怖いから
泣いてでも必死に心を削って頑張った
あの時のように今だって
「そんなにその人がいいなら
〇〇家の子になればいい」と言っても
親の望みから外れることは絶対にないと
きっと思いこんでると思う。
ENAに自分の意志で自分らしい人生を
歩ませることなんて絶対に許せない!
くらいに思ってるであろう親が
考えてることくらいすぐに分かる。
これまでも、親の求める子ども像に
少しでもたくさん当てはまるように、
自分がしたいことや自分の個性を
諦めてでも必死に頑張ってきたし、
家庭の事情で今も自分の個人的な用事の
ほとんどを普段諦めて生きてると思う。
恋愛にかまけて家族をおろそかにしたり
何か約束を破ったりしてるなら
注意されたりとかいい顔をされなくても
仕方ないかもしれないけど、
正直ここまで家族に尽くして
もう充分頑張ったでしょ?
という思いもある。
親は、より容姿がいい人、
学歴が高い人、親から見て
特に重視したい条件に合う人を
自分の相手としてくっつけたいと
思ってるのがもう見え見えで。
だけど、大好きな人は
整ってはないかもしれないけど
愛嬌があってホッとする
本当に誠実さが伝わる容姿で、
頭が良くて有名なほどでなくても
そこそこごく普通にちゃんと勉強して
学校も卒業してて、今も子どもの頃から
就きたかった職種に就く夢を叶えて、
就職してその後も社会人として
また目標を立てて日々頑張ってる。
大きい会社に勤めてはいないけど、
自分が合うと思う所に
コツコツ努力して入社した。
親から見たら、色々思うところが
あるかもしれないけど、自分にとっては
中身も含めて大好きな人を丸ごと
本当に大好きなのに
今の時点の、全然親には大好きな人に
恋愛感情を持ってることすら
言ってもないという段階でさえ
ここまで親の敷くレールを
生きろと強要されるようなのは
自分を人として見てくれてないとさえ
思ってしまうし、すごくしんどくなる。
子どもは親の自慢や
承認欲求のために存在するんではないし
何で自分の人生を親に決められて
生きないといけないのか、疑問しかない。
自分は親が世間に自慢するための
恋愛なんてしたくないし、
自分そのものも恋愛の世界で
あれこれ勝負できるほど
めちゃくちゃ容姿がいいわけでもなく
周りがうなるようなスペックの
持ち主なわけでももちろんなく‥、
そんな子(自分)に何でそんなに
あれこれ求められるのかも
正直よく分からない。
少しずつ進展してるのを知られたら
家族に邪魔されそうな気がするから、
表向きには全く何も知られないように
振る舞いながらこっそりと恋愛も頑張ろう。
これだけ複雑な中で育って
人間不信でトラウマに悩まされて生きて
こんなに大好きな人と出会えるなんて
本当に奇跡で、感謝しないとな‥。
本気で〇〇家の子になりたい。
この前、出張中の大好きな人に
どうしても伝えたいことがあって
連絡したらすぐ返事が来て
本当に嬉しかった、と書いた続きの話。
地元からも今住んでる所からも離れた
出張先というのもあって
気候とかも違うから
もし体調面で心配なことがあっても
仕事で行ってるし大丈夫かな
という気持ちはずっとあったけど、
今日になって、実はその日(返事をくれた日)
とその後の少しの間、体調が万全ではない
というのが理由で仕事量を少しセーブしてた
というのを人づてに知った。
(大好きな人が少しセーブしても
一緒に出張に行ってる人への負担が
増えるわけではないから
できたのかもしれないけど‥)
出張自体がハードなスケジュール
というのもあって気にはしてたけど、
すごく大きな体調不良ではなかったにしても
体調面でちょっと心配なことがあった中で
返信してくれてたというのを知った。
内容的に、あとではなく今返事を
送った方がいいと思ったのかもしれないけど
それを差し引いてもそういう状況でも
返事をくれたというのを知って
更に有り難いという気持ちになった。
自分の気持ちや想い、意見は
いつも当然のように後回し、
または初めから誰も聞いてくれない
という環境で育ってきたから、
どうしても自分に自信を持ったり
自分は自分の気持ちを言葉にしても
許される、価値がある人間と思うことが
とても難しいけど、大好きな人と出会って
普段は全然何かを積極的にグイグイ
していくタイプではないのに
目に見えて特別扱いしてくれることに
本当に心が救われてる。
少しずつでも自分に自信を
持っていきたいと思う。
この恋愛をして変われたことに
・自分を前よりも好きになれた
・大切なことはその都度
後悔なく伝えようと考えるようになった
・相手のことを大切にするのはもちろん
自分のことも大切にしたいと
考えるようになった
・世間から見てどうこうではなく
自分がどんなふうに生きていきたいかに
標準を合わせられるようになった
というのがあると自分で思ってる。
自分の人生を自分らしく
生きていけるように恋愛面以外も
頑張りたいと改めて考えるようになったし、
誰かのために生きるのはもちろん
必要で大事なことではあるけど
これまで当たり前と思ってたみたいな
例えば家族のために自分は全ての
発言権を捨ててひたすら家族を支えて
機械のようにただ日々をこなすだけ
自分らしさは初めから認められてない
というような生き方からは早く
脱却しようと思うようになった。
大きな壁がある恋愛をしてる、
という事実はいくら自分が前向きに
なったところで今は変わらないけど、
その壁を越えられる可能性があるなら
やっぱり、諦めたくないな‥。
去年の2月に来た場所に
用事で今日ほぼ1年ぶりに来た。
去年来た時は、雪が舞う日で
スーパーに行こうとしたら
その前の道が雪が固まったまま凍ってて
そこそこ荷物があるのを何とか
持ちながらこけないように
必死に歩いてた記憶が未だに強烈にある。
今日、1年前と同じ経路でここに来て
1年前と同じ道を、今日は雪も降らずに
この時期のわりには暖かい中歩いて、
去年の今頃に比べたら
恋愛ですごく進展したなと思えた。
これまでなら出せない勇気も出せて
努力の方向性も前より的確になって、
周りの人を大切にはするけど
これは恋愛を守っていく上で
人には話さない方がいいと思うことは
どんなに仲が良くても
どんなに話のノリでそういう話題になっても
自分は大事なことは話さないという
意思も貫けてるなと思う。
このブログを前から読んでくださってる方が
もしいたらきっとそういう方は
自分が性格的には社交性があっても
自分に極端に自信がないのは
知ってくださってると思うけど、
あまりにも自信ありすぎとか
自意識過剰ももちろん良くはないけど
自分みたいに自尊心なさすぎは
恋愛する上でもすごく障壁というのを
大好きな人と出会ってから
余計に感じるようになって、
いきなり大きく自分を変えるのは難しくても
少しずつでも生まれ変わろう、
この恋愛を叶えるために
目標を実現するための正しい努力をしようと
自分なりにこれまでの自分を
変えようとすごく努力したつもり。
1年前の自分と今の自分を
比較しやすい機会が今回あって、
同じ場所からあの日と同じ景色を見てると
あの日悩んでたことや迷ってたこと、
どうするかで心の大部分を占めてたことが
結果的に大好きな人が自分に対して
心を開いてくれるとてもいいきっかけに
なったというのが目に見えるように
分かった気がした。
1年前の今頃は、自分は大好きな人に
こういう行動をしたいけど
それをしても行きすぎではないのか
相手に引かれたりしないか
自分にとっては相手に喜んでほしくて
したことでも仮に迷惑になったら
それは意味がないだけでなく
相手を不快にさせたり
苦痛を与えることになってしまう
そのことに本当に苦しんで悩んでた。
でも、考え抜いてその結果
「やっぱり行動に移そう」と
決意したのがこの場所なのもあって、
今日またここに来れて
あの頃の気持ちを想い出せたし
家のことも含めて色々ありながらも
すごく自由がない少ない中でも
そのできる範囲の精一杯で
この恋愛に誠実に心を込めて
一生懸命生きてこれたなって
自分を少しだけ褒めたくなった。
次にまたここに来る時には
もっと進展して、不安に左右されずに
必死にではなく心から笑えるように
また、これからも頑張ろうと思う。