Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。
夏はやっぱり特別な季節

夏はやっぱり特別な季節

普段の生活で、恋愛の話をする機会が
本当にないので、このブログがあって
良かったなと心から思うし、
すごく支えられてます。


ひたすら恋愛のことを主に書いてるし
(身バレが怖いのもあって
自分のことはあんまり詳しくは
書けないなと思ってる)

自分がどんな人かもほぼ書かないまま
恋愛のことばっかり書いてる
楽しくないブログだと思いますが、

読んでくださってる方
本当にありがとうございます!

♡♡

夏の気温の高い空気感とか、
夏の独特の雰囲気とか、
夏を感じる何かがある度に
大好きな人と出会った日を想い出す。



あれは夏のど真ん中の
自分にとって好きな数字の日にち。

朝から「今日は〇日かー!」って
そのラッキーナンバーの日なことに
ちょっとした幸せを感じてた。


昼過ぎくらいかな‥
初めて大好きな人を知ったのは。


同じ地元で共通点もたくさん!
見た目も何となく似てる気がした。


名前も、同じ漢字を使ってるとか
そういうのではないけど
書いた感じとか音の響きに
同じ部分があって、

こんなに共通点がある人は珍しいな
とまず思った。


地元が同じことや
そんなに共通点があるのは本当に
嬉しかったし、大好きな人の
誠実さや心のきれいさを感じて
自分はもうその日たぶん
好きになってしまってたと思う。


自分は複雑な家庭育ちで
恋愛がいいものとも思えなかったし、
それを周りに表しはしなかったけど
“人は信じたらダメ”という気持ちが
いつも心の根底にあった。


友達関係でもそんな人が
更に深い恋愛なんて関係を
スムーズにこなせるはずもなく、

自分は人を好きになること自体も
少なかったと思うし
恋愛というもの自体に消極的で。


だから、大好きな人を知って
その日のうちに惹かれるなんてことは
自分にはすごく珍しかった。


その頃は、自分が一方的に
大好きな人を知ってただけで
相手にはまだ知ってもらってなかったし、

あんまりガツガツ来られたら逆に
引くタイプというのもおそらくそうと
分かってたから、しばらくはただ
密かに見てるだけで過ぎていった。


大好きな人はその時点で
いずれ仕事で地元以外で暮らす
というのは決まってたし、

自分は家の事情で自由に
個人の予定を入れたりできないから

大好きな人をずっと好きでも
安定した恋愛関係を築くのは
難しいのかなと考えたのもあって

できる限りのめり込まないように

大好きな人だけで心を満たすような
ことはしないようにとずっと
心にブレーキをかけて過ごしてた。


その後、半年くらい経って
大好きな人は仕事で他地域に行って
でもその他地域は自分にとって
昔からよく知るなじみの町で、

慎重に心の距離を縮めながら
かなり勇気を出して

「新しい町で不安もあると思うけど、
体に気をつけて、地元のことも
忘れないでたまには思い出してね」
という内容のメッセージを添えて

新生活祝いとも言えないくらい
ちょっとした小物をあげた。


それがすごく嬉しかったみたいで
そこからはそれまでよりは少しずつ
親しくはなれてるのかな?
という気はするけど、

心のドアを当たり前のように
開けて厚かましく中に入るような
ことはしたくないから
(たぶんした瞬間
信頼関係一気になくなりそう)

まだまだ今もかなり慎重に
頑張ってるとこ。


身近な人は大好きな人の顔を
失礼にも密かに笑ってたけど、
自分は心底ホッとしたというか
心が落ち着く顔、この顔も含めて
この人が好き、とその日にもう思った。


あの夏と全く同じ夏は来なくても、
夏という季節は自分を改めて
あの日の初心に帰してくれる。


壁のある恋愛。

くじけそうにもなるし、
しんどくもなるし、
時には逃げ出したくもなってしまうけど、

大好きな人から初めてもらった
手書きのメッセージも

自分だけに向けられた笑顔も

えなちゃんと呼んでくれる声も

どれもこれもいつまでも
当たり前と思わずに感謝しながら、

やっぱりどうしても諦めたくないから
それが叶うまでは心に隠しつつも
自分ができる全力で頑張っていきたい。


まだまだ自分に自信はなかったとしても

あの夏より、今この夏の自分の方が好き。

どうにもならないことが悔しくて仕方ない

自分が努力して、その努力によって
少しでも変えられることなら、
「努力する」という「できること」が
残されてるだけまだいいと思う。

これが高い壁と分かってて、
それでいてその壁を壊すなり
乗り越えるなりの方法が何も
見当たらないことが悔しくて辛くて
やるせなさで心が痛くて壊れそうになる。


筋道が通ってるからといって
世間は黙って理解してくれるわけでも
優しく受け入れてくれるわけでもない、

もうそんなことが分かってるからこそ
毎日本当に苦しくて行き詰まってしまう。


何も悪いことなんてしてないからと
胸を張って生きればいいし、
自分はそういうことは比較的できる
人間かなと思ってたけど、

いざ今の状態になってみたら
本当に色んなことが怖くなってくる。

それでも大好きな人を
大好きなのは変わらないけど。
「ENA、今は〇〇(大好きな人)のこと
可愛いとかかっこいいとか
思ってると思うけど、絶対いつか
周りはみんな正しかったって気づくよ。

何であんなにブサイクな人を
そんなにいいと思えるの?」

そう言われた。


確かにタイプとは言ったけど、

顔だけで好きになったんではないし
たとえ自分以外全員が笑ったって
自分がそれがいいと感じるなら
それでいいはずで、

他の人にあれこれ言われる筋合いは
どこにもないと思う。

何で大人数派って偉そうになるのかな。
出張に思った本音

出張に思った本音

大好きな人が今働いてる仕事場で
地元方面に出張がある
というのは前々から知ってて。

ただその出張に誰が行くのかは
分からない状態で、もしかして
大好きな人が帰ってくることも
ありうるのかも?と思ってた。


もし仮にそうなったとしても、
あくまでも仕事で帰ってきてるわけで
自由に会ったりはできないけど、

それでもどうなるのかは
ずっと気になってた。


自分は家の状況もあって
自分の予定では自由に出かけられない。

たとえ大好きな人が帰ってきて
少しでも会えそうなチャンスがあっても
まさかその用事のために抜け出して
会いに行くことは、現状難しい。


だから、ひたすらモヤモヤしてた。

本当に出張で帰ってきたとしても
どんなに頑張ったって
会いに行くのは難しいよな、って。


結局、この週末の出張には
違う人が来てて、大好きな人は
こっちには帰って来なかった。

大好きな人にとって
どっちが良かったのかは分からない。


仕事で自由な時間はなくても
地元に帰ってきたかったかもしれないし、
逆に地元に帰ってきたら
次にまた今の仕事場がある地域に
戻るのが辛くなると思うかもしれない。


ただ、自分にとっては

「元々大好きな人は出張でこっちに
帰って来れなかったから、
自分の家の都合とかに関係なく
どっちにしろ今回は会えなかった」

と思えることで精神的にまだ
保っていられるのも正直ある。


ずっと心に気になってた
今回の出張のこと。

自分にとってはこれで
良かったのかなと感じたりする。

「じゃあもうそっちの子になって」

大好きな人とは地元が同じ。

他にもいくつも共通点はあるけど、
地元が同じというのはその中でも
とても大きいことに感じる。


自分は人の容姿をあれこれと
好き勝手言うのは好きではないし、
その前にまず大好きな人の容姿を
全く悪くは思ってないけど、

親からしたらそうではないらしい。


自分は容姿で人を好きになることは
ほとんどないから、大好きな人も
見た目で好きになったわけではない。

ただ、他の人がどんなに笑おうと
自分はその容姿“も”好きで
それを親は理解できないらしい。


「そんなにあの子が良かったら
もうそっちの家に行けばいい。
〇〇(大好きな人)の家の子になって」
と親に言われる。


本当にそれでいいなら
自分は今すぐそうするよ?


大好きな人は今仕事で地元にいないし
同じ地元でもそんないきなり
大好きな人の家に行くなんて現実的には
できるはずはないけど、

できるなら大好きな人の所に
飛んで行きたい。
恋愛的に上半期を振り返る

恋愛的に上半期を振り返る

この前、もう7月で下半期かー、
って話題にしてた人がいて
もう2025年も半分終わってるのか‥
と本気で驚いてしまった(早すぎ)。


ふと上半期を振り返ってみたら

家の事情でなかなか自分の
思うように外出もできない状況が
続いてるから、充実にはほど遠い
やり残したことだらけの毎日に
振り返るのも正直苦しくなるけど、

恋愛に関してだけで言えば
自分の今できる範囲内の最大値で
頑張れたなと思うと同時に

自分がいくら相手を好きでも
厚かましいことやしつこいことは
一切せずに自分をコントロール
できたのも良かったと思った。


自分は複雑な家庭育ちのせいか
自己肯定感が極端に低い。

そして自尊心もとても低い。


だから、好きな誰かができて
自分なりに自分磨きを頑張っても
無意識に相手より自分を
見下げて考えてしまう癖がある。


「自分にこんなことされても迷惑かな」
「自分に好きになられても困るかな」
という思いが先に立つから、

なかなかアプローチもできない。


特に、大好きな人とは
努力でどうにかできるものではない
壁が初めからあるから、

その壁の存在を常に頭に置きながら
どうしたら少しでもその壁を
取っ払って恋愛できるのか

というのもいつも考えてる。


そのわりには、これをしようと
思うことは勇気を出してできたし、

そのことで大好きな人が喜んでくれてる
というのを知って本当に嬉しかったり、

大好きな人が仕事で他地域にいることや
自分の家の事情を考えたら

そんな中でよく少しずつでも
心の距離を縮められたなあと思う。


恋愛以外の部分では

自分にとって大きな負荷がかかってる
今の現状は結局変えられてないし

自分をこんなに抑圧して生きてたら
精神的にいつかおかしくなると
本気で思ってるからまだまだ
大きく未解決の実情の中にいるけど、

自分の中で大好きな人を想う
というのはとても大きいこと
と考えてるからこそ

難しいと感じられる恋愛でも
今年が始まった頃に比べたら今は
本当に大好きな人との心の距離は
縮まってると思うし

絆が深まったと感じるのも良かった♡


下半期も、家のことをうまく
心の負担がなるべく少ない形で
こなしながら、大好きな人ともっと
たくさん仲良くなれるように

その日にできることを
小さくてもコツコツ頑張ろうと思う。
10年前迷った自分が知らなかった先

10年前迷った自分が知らなかった先

大好きな人が今仕事で住んでる町は
自分にとって小さい時から
すごく繋がりが深い町。

といっても、複雑な家庭育ちの自分は
いくら繋がりが深くても他県に
自由に行くこともできなくて、

その町に行けるのは家の用事が
そこにあった時だけ。


それでも、大好きな人が今住んでるのが
自分にとってなじみの町というのも
縁があるなと思えて嬉しい。


同じ地元で、そこの町に今住んでる
という人はたぶん少ないし。


自分と同じ県出身くらいまで
広げたら何人かは知ってるけど、

地元の中でも特に地元の人で
そこの町に住んでる人を自分は
大好きな人しか知らないから。



大好きな人が今住んでる町に
10年くらい前に行った時のこと。


そこの建物自体は前から何回も
行ってたけど、その日は珍しく別棟を
歩いててその建物内で迷ってしまった。


真夏でめちゃくちゃ暑くて、
持ち歩いてた飲み物も飲み終えて
自販機を探して長い廊下を
飲み物を求めて歩いてて、

迷いながらも何とか自販機は見つけて
ポカリは買えたけど
元々いた場所まで戻れなくなった。


同じ所をグルグル歩きながら何とか
無事に帰り着いたけど、
当時の自分には本当に緊張した恐怖の
出来事として今も心に残ってる。


夏の明るい時間帯のはずが
そこは窓があんまりなくて
ちょっと薄暗かったことや、

何となくその建物の空気に
においを感じたことも
もう10年も経ってるのに覚えてる。



あの頃は、知らなかったんよなぁ。

10年後、このなじみの町に
同じ地元の人が住むようになるのも、

その人とお互い知り合って
相手はどうか分からないけど
自分はこんなにも惹かれてることも。


「好きなタイプは?」と聞かれても
中身のことならいくらでも言えても
見た目で判断なんかしたって
幸せな恋愛なんてできるはずないと

いつも「タイプとかって外見のことは
考えたことないから分からない」と
それだけ言ってごまかしてたあの頃、

もし外見の好きなタイプを表現するなら
たとえ多くの人が笑ったとしても
自分はこの人がいいと言い切れる人と
出会えるなんて思ってもなかった。



自分は今も、複雑な家庭育ちを
克服できずに生きてるし、
なりたい大人にもまだなれてなくて
当時とは事情がまた変わった家族の中を
がんじがらめになって何とか毎日
自分の心をごまかしながら過ごしてる。


大好きな人がいても
自由に会いに行けるはずもなく、
自分がいくら相手を好きでも
相手の気持ちは分からないのに
そんなにしょっちゅう連絡もできない。

苦しくて切ない恋愛をしてると思う。


それでも、10年前に迷った建物の話に
たまたまなった時、あの頃の自分が
想像もできなかった世界に今
生きてることに気がついた。
気づけば漏れてる個人情報

気づけば漏れてる個人情報

自分はこれまでの経験から
基本的に人を信じることはない。

よっぽどこの人なら大丈夫かな?と
思った人にだけ少し話すことはしても
普段の生活でそんな場面はほぼない。


大好きな人が今年から働いてる会社に
知り合いがいたりして詳しい人は
自分にとって身近な町の出身で、

普段から共通の話題が多いのもあって
その時の話題の流れで自分が普段
その話をしないような個人情報が
含まれた話をしてしまった。


人によってはその程度の話と
思うようなことかもしれないし、
抵抗なく話せる人もいると思う。


だけど自分にとっては
その知り合いに話の中でそれを
知られたのは特に問題はなくても、

その知り合いが他の人に
「ENAって〇〇なんだよ」といちいち
ごく普通に話してるのが
個人情報をばら撒かれてる気がして
本当に不快な気持ちになってて、

その知り合いのことももっと警戒して
最低限の話しかしないように
すれば良かった、わざわざその話題に
必要以上に乗ることはなかったと
今すごく後悔してる‥。


その知り合いは自分を苦しめる意図が
あってその情報を人にばら撒いてる
わけではないと信じたいけど、

自分がそれを知られたくない人にまで
簡単にベラベラ勝手に話されて

大好きな人にも繋がりがある人
というのがあるから余計にモヤモヤする。


これからは気をつけて
本当にその時に話さないといけない
最低限のことしか話さないように
気をつけたいと思う。


自分なら、自分を信用して
話してくれたかもしれないことを
本人に確認もなく人に話さないけど、

その辺りの感覚や考えや
口の堅さは本当に人によって
違うというのを学んだ。


家庭環境の話とか
更に個人的なことは話してなかった
というのはまだ助かったと思う。

安心なんてどこにあるのか

よく、本当に相性が良かったり
いい恋愛をすると安心感を強く感じて
それまでのその人からは想像も
できないほどゆったりした気持ちになる

という話を聞いたりする。


でも、自分の場合は
相手の行動に問題があって
不安になってるんではなくて、

自分のこれまでのトラウマで
勝手に一人で苦しんでるだけ。

だから、好きになった人が誰か
ということではなくて
自分自身がこれまでのたくさんの
トラウマを乗り越えられてない
ということが問題と分かってる。


それでも、自分ではどうしようもない
不安で夜中もほとんど眠れなくて、
今日は家の用事でいつもより
ハードな日でも仮眠しかできてない。


その不安も、自分ができることの
管轄外のことで、自分が努力して
どうにかできることではなくて、

それならいくら自分がそのことを
グルグル考えたって悩んだって
その努力は意味がないのにな‥。


恋愛だけの話ではないけど、
安心の中で自分が生きていける日は
本当に来るのかなと考えると

正直気が遠くなりそうになる。

距離感がおかしい人:その後

いくつか前の記事に書いた
距離感がおかしい人の話。

結論から言えば今でも
大好きな人を追いかけ回してる。


たぶん、大好きな人自身
できる限り少しの接点も
持たないようにしてる感じ。


それでも、距離感がおかしい人は
自分自身が迷惑と分からないのか
分かってても止められないのか
どっちにしても好き勝手してる。


大好きな人の同僚が前に
同じような目に遭った時は
よっぽどひどかったのか
おそらく会社も対処してくれて、
その同僚自身も自分ができる対策は
取ったという話を聞いた。


自分は現状、ただ大好きな人を
好きという立場なだけで
具体的にこのことに関して
どうしてほしいとかは言えない立場。


それはもちろん分かった上で
自分にとって大切な人を
その大切な人が住んでる町で
つきまとってる人がいるというのは
本当に落ち着かない、不快な問題。


よっぽどの証拠がないと
法的には動いてもらえないし、
大好きな人が働いてる会社の内情に
前から詳しい人が知り合いにいるから
時々話を聞くけど、色んな意味で
大丈夫なのか?と言いたくなる状況で、

会社にも何か被害がない限り
勤め先というだけではきっと
守ってもらえないしなあ。


そのつきまとう人の周りの友達も
同じように粘着質な人が何人もいて
それぞれに生活の中に過度に
追っかける対象がいる人が多いとか。


芸能人を追いかけるとか
そういうのなら分かるけど
(もちろんストーカーとかではなく
健全に応援するという意味で)

身近な所に追いかける対象を作って
そこに気持ちもお金もつぎ込む
みたいなのは怖すぎる‥。


同じタイプの粘着質な友達も
その人を止めるどころか
自分たちも協力してもらってるから
もちろん協力するよ!というノリで、

きっと誰かに厳重に注意されないと
社会的なルールを侵してでも
大好きな人にこれからも
つきまといそうで本当に怖い。


ニュースでもストーカーの話題って
明らかに自分が子どもの頃と比べても
今の方が多い気がするし、

何で自分の感情や欲求をそこまで
コントロールできないのか
正直恐怖しかないし意味が分からない。


もっと厳しくするべきよなあと思う。

ストーカーとかつきまといとか。

する側はそこまで深刻な問題として
捉えてなかったとしても
される側からしたら本当に恐ろしい。


何でそのことが分からないのかな。

相手の立場や気持ちを何でそんなに
簡単に無視できるのかな。
夏はやっぱり特別な季節

夏はやっぱり特別な季節

普段の生活で、恋愛の話をする機会が
本当にないので、このブログがあって
良かったなと心から思うし、
すごく支えられてます。


ひたすら恋愛のことを主に書いてるし
(身バレが怖いのもあって
自分のことはあんまり詳しくは
書けないなと思ってる)

自分がどんな人かもほぼ書かないまま
恋愛のことばっかり書いてる
楽しくないブログだと思いますが、

読んでくださってる方
本当にありがとうございます!

♡♡

夏の気温の高い空気感とか、
夏の独特の雰囲気とか、
夏を感じる何かがある度に
大好きな人と出会った日を想い出す。



あれは夏のど真ん中の
自分にとって好きな数字の日にち。

朝から「今日は〇日かー!」って
そのラッキーナンバーの日なことに
ちょっとした幸せを感じてた。


昼過ぎくらいかな‥
初めて大好きな人を知ったのは。


同じ地元で共通点もたくさん!
見た目も何となく似てる気がした。


名前も、同じ漢字を使ってるとか
そういうのではないけど
書いた感じとか音の響きに
同じ部分があって、

こんなに共通点がある人は珍しいな
とまず思った。


地元が同じことや
そんなに共通点があるのは本当に
嬉しかったし、大好きな人の
誠実さや心のきれいさを感じて
自分はもうその日たぶん
好きになってしまってたと思う。


自分は複雑な家庭育ちで
恋愛がいいものとも思えなかったし、
それを周りに表しはしなかったけど
“人は信じたらダメ”という気持ちが
いつも心の根底にあった。


友達関係でもそんな人が
更に深い恋愛なんて関係を
スムーズにこなせるはずもなく、

自分は人を好きになること自体も
少なかったと思うし
恋愛というもの自体に消極的で。


だから、大好きな人を知って
その日のうちに惹かれるなんてことは
自分にはすごく珍しかった。


その頃は、自分が一方的に
大好きな人を知ってただけで
相手にはまだ知ってもらってなかったし、

あんまりガツガツ来られたら逆に
引くタイプというのもおそらくそうと
分かってたから、しばらくはただ
密かに見てるだけで過ぎていった。


大好きな人はその時点で
いずれ仕事で地元以外で暮らす
というのは決まってたし、

自分は家の事情で自由に
個人の予定を入れたりできないから

大好きな人をずっと好きでも
安定した恋愛関係を築くのは
難しいのかなと考えたのもあって

できる限りのめり込まないように

大好きな人だけで心を満たすような
ことはしないようにとずっと
心にブレーキをかけて過ごしてた。


その後、半年くらい経って
大好きな人は仕事で他地域に行って
でもその他地域は自分にとって
昔からよく知るなじみの町で、

慎重に心の距離を縮めながら
かなり勇気を出して

「新しい町で不安もあると思うけど、
体に気をつけて、地元のことも
忘れないでたまには思い出してね」
という内容のメッセージを添えて

新生活祝いとも言えないくらい
ちょっとした小物をあげた。


それがすごく嬉しかったみたいで
そこからはそれまでよりは少しずつ
親しくはなれてるのかな?
という気はするけど、

心のドアを当たり前のように
開けて厚かましく中に入るような
ことはしたくないから
(たぶんした瞬間
信頼関係一気になくなりそう)

まだまだ今もかなり慎重に
頑張ってるとこ。


身近な人は大好きな人の顔を
失礼にも密かに笑ってたけど、
自分は心底ホッとしたというか
心が落ち着く顔、この顔も含めて
この人が好き、とその日にもう思った。


あの夏と全く同じ夏は来なくても、
夏という季節は自分を改めて
あの日の初心に帰してくれる。


壁のある恋愛。

くじけそうにもなるし、
しんどくもなるし、
時には逃げ出したくもなってしまうけど、

大好きな人から初めてもらった
手書きのメッセージも

自分だけに向けられた笑顔も

えなちゃんと呼んでくれる声も

どれもこれもいつまでも
当たり前と思わずに感謝しながら、

やっぱりどうしても諦めたくないから
それが叶うまでは心に隠しつつも
自分ができる全力で頑張っていきたい。


まだまだ自分に自信はなかったとしても

あの夏より、今この夏の自分の方が好き。