家の状況上、自分が自由に
出かけられる機会というのはほぼないから
歩いて行ける範囲にあるコンビニは
今の自分にとって普段の日常の中の
唯一とも言える自分のための外出。
子どもの頃から本当に自由がない‥
全くないといえば嘘になるけど
周りの同世代に比べたら明らかに
自由が極端に少ない生活を送ってきたから
大人になっていきなりそうなった
とかではないけど、それでも常に
ストレスはすごく付きまとう。
行きたい場所に行けないという
それそのもののストレスもあるけど、
家にいても自分の自由な時間は
本当にすごく少ないから
自分の生活は本当に何とかその日を
やり過ごすという状況‥。
だから、近くのコンビニに行くのは
いつ行っても心が救われる時間。
でもそれ以上に
大好きな人に関係する用事で
そのコンビニに行く時は
本当に幸せな気持ちになれる(*´ω`*)
今日も、そんな用事で
そこに行ってきた。
大好きな人に送る物があって
そのための用事で行ったけど、
それは家族には言えないから
違う用事ということにして
何とかごまかして。
悪いことをしてるわけでもないのに
本来なら別にそのまま言ったって
何の問題があるのか?といつも思うけど、
自分が育ってきた家では
おそらく一般的には普通でしょ?と
思うことも通らないから。
通らないだけでなく
「こいつは親の目を盗んで
ますます親しくなろうとしてる」とか
知られたらそれを邪魔されたり
ややこしいことになる。
家族にとっては、自分が自分の人生歩まずに
これから先もずっと家族のためだけに
家族のお世話係という立場のみで
生きてくれるのが一番都合がいい。
昔からすごく自分の人生に
介入してくる人たちではあったけど
その後色んな状況が変わっていって
今は特に、そう思われてる気がする。
それでも自分は、ある程度家族が
普通に生活していける感じの基盤を
作るまでは今みたいに家族のことも
ちゃんと責任を持つつもりではいるけど、
家族には見えてない、分からない所では
少しずつでも自分の将来、この先を考えて
動いていってるつもり。
初めは、そういう行動も
「家族は望んでないと思うから
これは家族に対しての裏切り?」とか
悩んだりもしてたけど、
考えたら今の時点でももう
「ENAが家族のためにそこまで
する必要はないと思うけど‥」とか
「それだけやってきたしこれからは
ENAが生きたい人生を生きていいと思う」
とか客観的に見た人からは言われてるし
自分が自分のために人生を生きるのは
きっと大切なことで
許されないとか家族への裏切りとか
そういうことは決してない‥はず。
複雑な家庭環境に育つと
小さい頃からそれが普通とか常識
というふうに植え付けられるから
(その方が家族にとっても好都合)
大人になってから少しずつ
「これは一般的にどうなのかな」
「自分の人生を生きるために
自分に欠落してるものって何?」とか
考えるようになった気がする。
今日はいつも近所に持って行く
小さいバッグには入らないサイズの物を
大好きな人に送る用事で行ったけど、
前から親にめちゃくちゃ信頼されてる
親がすごく好きな人に送ることにして
(もちろん後々バレないようには考えて)
堂々とその送る物を手に持って行った。
送る伝票を見られなければ
誰に送ったかなんて分からないし、
そもそも悪いことをしてるんではないから
自分も家族に悪いなんて思う必要はない。
嘘とかつかなくてもいい環境にいるなら
つかないに越したことはないとは
もちろん今も思ってるし、
育った家庭が複雑という事情がなければ
嘘なんてつかずに生きていきたいけど。
今の自分にとってはただ
「大好きな人に荷物を送る」ということが
何ヶ月も前から根回しして準備して
家族に対して何食わぬ顔で普通にこなす
ということに全神経を使う大がかりな
作業のようになってるけど、
それでも自分の大事な人とは
後悔がないように心を込めて
いつも関わって繋がっていたいから。
家がこういう状況で‥って我慢してたら
それこそ何もできなくなるし。
恋愛面でもそれ以外の面でも
自分は今の状況からはとにかく
抜け出せるように頑張らないとなとは
もうずっと思ってるけど、
とにかく今日は「まず今日は絶対に
これはしたい」と思うことを無事に
できたから本当に良かった!!
そして明日、きっと家のことをしながら
家族には分からないように
荷物が無事に着いたという連絡を受けて
自分はやっぱり家族には何も気づかれない
何でもないような顔をしながら
「無事に着いて良かったな」と
ホッとするところまでが今回のミッション。
‥本当に「ミッション」という言葉が
ピッタリなくらい、今の生活の中では
必死に頑張ってることに思えてくる。
自分らしく生きたいだけ、が
こんなに難しい環境で暮らしてる。
そういえば、今日その荷物を送った時
応対してくれたレジの人が
何となく雰囲気が大好きな人に似てた(^^)
大好きな人にちょっとでも似てる人って
そんなに多くはないから嬉しかったな。
(ちょっと大丈夫かな‥と
思ってしまう感じの人ではあったけど‥笑)
今突然その状況になった、
というわけでは全然なくて
元々の家庭環境自体複雑な上に
この数年はそれ以外にも自分にとって
精神的にも負担になることもあったけど、
今日改めてあぁ自分は日常をこなすだけで
こんなにも追い回されて追い詰められて
安心して暮らせる環境にないのか‥
と実感させられてしまった。
恋愛だけのことではなくて
趣味や興味があること、
頑張ろうかなと思うことなどもあっても、
一日の中で自分のために使える時間や
エネルギーがあまりにも少なすぎて‥
もう家族のために生活をこなしていくことに
必死になってる間に月日が
経ってしまってる感覚がすごくある。
人生の中で大切なのが恋愛だけ
なんて思ってないし
恋愛してなくても魅力的な人なんて
世の中には本当にたくさんいるけど、
自分にとっては大好きな人との恋愛は
とてもとても大切なもので
これからも大切にしていきたいこと。
だけど、今の環境にいると
恋愛も含めた自分にとって大切なことに
とてもではないけど集中できない‥。
複雑な家庭に育ったけど
家族をどうでもいいと思ってるとかではないし
自分ができる限りではちゃんと
やるべきことはやっていきたいと思う。
だけど、自分の全てを投げ出して
家族だけのために人生を差し出すことは
やっぱりできないな。
自分の人生を生きていく、という軸に
大好きな人との恋愛も
自分の中では入ってて、
家族のためというだけでなく
自分のためにも自分の人生の日々を
使っていきたいと願ってしまう。
不安定な生活の中に生きてるから
恋愛でも必要以上に悩んでしまうのかなと
考えてしまうことも増えたし、
何でも家族優先が当然な生活に
疲れ果てた心で何かを考えると
本来は前向きでもつい不安や後ろ向きな
考えに引っ張られそうになりがちで。
複雑な家庭に生まれても
だからといって自分は
幸せになることや
自分の人生を生きることを
決して諦めたくはない。
昨日つなビィ不具合あったから
このままずっとブログ書けなかったら
他の場所を探すしかないのかなと思ってたら
復旧したみたいで本当に良かった!
恋愛に直接関係はなくても
自分磨きに繋がることは
小さいことでも目立たないことでも
コツコツ頑張っていこうと
前より意識するようにしてて、
最近ReFaのブラシを買った。
普段から美容に意識が高い人にとっては
ブラシ1つ買っただけでそんな記事なんて
書くなと思われるかもしれないけど、
ずっと前は自分を大切にするという意味が
よく分からなかったし、家庭内の色んな事情で
常に家族のことで時間をほぼ丸ごと使うような
生活になってからはまた別の意味でも
自分のために何かをするとか
自分を大切にするというのは
本当にびっくりするほど後回しになってた。
ReFaを買う前から、髪は褒められることも
時々あったけど、それなら尚更自分の良さとして
恋愛でも武器にできるように頑張りたい。
自分は人間一番大切なのは中身という
考えは変わらないけど、世間一般でいえば
やっぱりものすごくルッキズムの世界に
感じられるから、自分も自分の世間での価値を
少しずつ底上げしていけるように‥
少しでも自分に自信を持てるようにしたい。
毎日というわけでもないし
時々というほどの頻度でもない気がするけど
自分の中でどうしてもこれは昔の
辛かったことを思い出してしんどい
と感じる要素が大好きな人にあって、
もちろん大好きな人は故意にそれを
してるわけではないのは分かってるけど
誰に言えるはずもなく一人で
しんどくなって苦しんでる。
自分にとっては「それはやめてくれ」と
叫びたいことでも、世間的にその行動は
責められたり嫌な気持ちになるのが
当たり前みたいなものではないと
おそらく思うから、もし自分の苦しみを
誰かに知られたとしても
おかしいと思われるのは自分で、
この人変な人‥と思われるだけで
この話は終わりそう。
それに、例えばもしその行動が
耐えられないと思ってこの恋愛を諦めて
何とか必死に離れたとしても、
自分にとってはその行動が
昔の悲しいこと、辛いことを
呼び起こすことでも
世間的にはその行動は何も
責められるようなものではないであろう
以上は自分がおかしい、非がある
ということになると思うし、
大好きな人以外をもし好きになっても
(もうそれ自体想像つかないけど‥)
その人もまた同じようなことをする
という可能性もある。
色んなことに深いトラウマを受けて
生きてきたら、やっぱり背負うものが
たくさんあってしんどいなと感じる。
この世界の中を、何とか普通の顔して
生きていくだけに必死で、
結局大人になったところで
心の傷なんて全然薄くならない。
恋愛に夢中になりすぎないように
大好きな人に執着しないように
そう毎日自分に言い聞かせてるけど、
自分は生き方下手で
余裕を持って恋愛するというのが
なかなかできないから本当に難しい。
こういう恐怖感とか違和感とか
不安とか心配事とかなく
恋愛したいのにな‥。
この週末は移動中、
今年ひょんなことから知った歌を
聴いてたけど、その歌に
「叶えたい夢が大きすぎて
周りの人からは笑われるけど
信じてくれる人がいるから前に進める」
みたいな歌詞があって、それを聴く度に
自分にとってはこの恋愛を重ねてた。
複雑な家庭に育って
人間不信を極め尽くしてる自分には、
表向きだけちゃんと人間関係を
こなしていくだけならまだしも、
恋愛って本当に大変で難しく感じられる。
今回書いたこと以外にも
きっと世間一般では気にもならない
たぶん普通にあるようなことが
自分は相手に対して恐怖を感じたり
すごく苦しむきっかけになってしまう。
本来なら恋愛は素敵なもののはず。
まるで修行みたいになってる自分が
本当に悔しくてしんどくて情けない。
地元ではないから
家の用事でそこに行った時にしか
寄れないけど、前にも行った店に
大好きな人と髪型や雰囲気が似てる
店員さんがいる。
勝手に「何か似てるな」と
自分が思ってるだけで
その店員さんからしたらただの迷惑
というのはもちろん分かってるから、
心では似てるなーと思うし
自分が食事してるテーブルに
注文を取りに来たり
料理を運んで来る時以外は
目を合わせることもないし
話すこともないけど。
(基本的にレジは違う店員さんが
する感じっぽいし)
大好きな人に感じが似た人って
なかなかいないし、周りの人にも全然
言えないけどごくたまにその店に行けた時には
「やっぱり何か似てるよなー」って
嬉しくなってしまう。
何でもないような普通の顔して
クールなふうに過ごしてるけど、
心の中でだけめっちゃ喜んでる。
大好きな人のこと、自分の親も
前は全然否定的ではなかったのに、
だんだんなぜか大好きな人の話題に
攻撃的に意見してくるようになった。
おそらく、前まではあくまでも
“地元が同じで共通点が多い人たち”
というくくりで大好きな人と自分を見てて
それだけなら家族から見ても
特に文句や不満はなかったから。
もしかしてお互いに少なからず
恋愛感情があるのか?と会話の中で
ほんの少しでも思う何かが
あったのかもしれない。
できる限りそういうふうに
とられそうな状況では
大好きな人の話はしないようには
気をつけてるけど。
自分は複雑な家庭に育ったから
一般的にも倫理的に問題があるような
ことではなくても、親の一存で
あれはダメ、これもダメと
親の思い通りではないことは
たとえ脅してでもさせないようにする
という言動も当たり前にあった。
元々、この恋愛には大きな壁がある。
だけど、そんなものがなかったとしても
きっと親は好き勝手意見してきた気がする。
昨日、たまたま大好きな人の職種に
関する話をしてる時に親がいきなり
「もし、〇〇(大好きな人)が
地元同じではなかったら
こんなに親しくなろうとか
思わなかったでしょ?」
とまるでそう決めつけるかのように
聞いてきた。
もちろん、大好きな人と地元が違う
という世界線を生きたことはないから
「絶対そう」とも「絶対違う」とも
言いきれない、というのが
誠実な答えかもしれないけど、
普段自分の意思や想いを
尊重してくれてる親に言われても
大して気にならないであろうことも、
普段が普段だけに
「また親の価値観の押しつけか」
「また親が望む生き方に
矯正されようとしてるな」としか
もう思えなくなってきてる。
ここでどんなふうに返事しても
自分の恋愛が親が望む恋愛と
ピッタリ合ってない以上は
その返事によってはまた余計に
あれこれうるさく言われそうな空気が
すごくしてきたから、
「いや、そんなことはないよー」と
一言言った後、違う話に意識的に変えた。
何でここまで気を遣わないと
いけないのかなあ。
人として明らかに問題があるような人を
好きと言われればそりゃもし自分が親でも
頑張れ!応援するよ!とまでは
おそらく思えないし、
冷静に考えたらやっぱり良くないな
と本人もいずれ考えるようになる
というケースもあると思うけど、
恋愛する上での壁はあっても
恋愛そのものは人に言えないような
コソコソしないといけないような
恋愛はしてないけどな、と
悲しくなることも多い。
今思えば、昔はもう何でも
親に話さないとどうせ自分の頭の中なんて
きっと親には知られてる、くらいの
諦めなのか洗脳なのか分からないけど
そういうのがあったから
そこまで話す必要なかったなと
今なら感じるような友達同士の
人間関係のこととかも話してた。
だから、親も「ENAは何でも話す」
「親が意見すれば絶対に逆らわない」
「全て思い通りになるし
ちょっと脅せば世間的にも自慢に
なるような模範的な振る舞いも
してくれるから都合がいい」
ときっと思ってきた‥はず。
今は大好きな人との恋愛以外でも
例えば趣味繋がりの人間関係とか
これは親に知られたら色々と
面倒なややこしいことを聞かれたり
理不尽に制限されたりするなと
想定できることは初めから
言わないようにしてる。
それはそれでいいのかもしれないけど、
本当は恋愛の話を家でもできて
家族が相談に乗ってくれたり
知り合いとかには話せないことも
家の中では話せるような
そんな家庭に身を置けてたら
恋愛で壁があったりしんどい時も
少し救われたりするのかな、と思う。
大好きな人と、ひょんなことから
初めて連絡を取り合えるようになった
あの日のことは、今も忘れられない。
思い出すだけで、夢ってこんなふうに
意外な形から叶うこともあるのかと
信じられない気持ちでリビングの端っこで
家事の合間に喜びのあまり
ドキドキしたまま立ち尽くしてたその瞬間が
心の中に蘇ってくる。
その日、その嬉しい出来事が起こる直前まで
キッチンで料理の作り置きをしてた。
昔から大好きな、地元の郷土料理。
時間がある時に作っておけば
食べたい時に温めて食べられる、
それが本当に助かるから
すぐ先の未来の自分のために
作り置きしておくことは当時からよくあった。
今日も、午前中少し時間があったから
その同じメニューを作り置きしてた。
野菜を切りながら、あの日もこうやって
まさか30分後にあんな嬉しい出来事が
起こるなんて知らずに疲れを心に押し込んで
必死に野菜を切ってたなと思い出した。
こうなったらいいなと願うことが
自分が想定してたのとは違う方面から
ある日突然叶うなんていう現実が
存在すると初めて知ったあの日の話を
普段誰かに語ることはないけど、
心の中ではいつもその日の
あの感情や感覚が自分を支え続けてくれてる。
元々大好きでよく食べてきたそのメニュー。
そんな嬉しい出来事という思い出がある今は
更に特別なメニューになった。
あの日みたいに、それまでは夢に感じてたことが
叶う瞬間にまた出会えるように
それを信じながら生きていかないとなあ‥。
この前、大好きな人が働いてる支社の
関係の知り合いと桜の話題になった時
「そういえば、〇〇(大好きな人)って
桜が似合う雰囲気だよね」と言ってきて、
これまではそんなふうに考えたことは
なかったけどそう言われてみたら
確かにそんな気もしてくる。
大好きな人が地元を離れて
遠い場所に移って2回目の桜の季節。
これから先も、大好きな人がこの地元で
桜を見る機会は長い間ないのかもなと思うと
とても切ない気持ちになる。
今からいくらそう考えても
どうなるわけでもないし、
その当時は自分ができることを最大限
頑張ったからそれ以上今更あれこれ
考えたって仕方ないけど、
大好きな人が地元にいる間にもっと
心の距離を縮められてたら今こんなに
悩んだり苦しむこともなかったのかな
とはやっぱり思ってしまう。
少し前に、大好きな人に渡す物を
その桜の話をしたのとは別の知り合いに
ことづける機会があって、
もしその時点で少しでも桜が咲いてたら
メッセージと一緒に桜の花びらを
押し花にしたりとか写真を添えるとか
何かしたかったけど、まだ咲いてなくて。
桜はいつもきれいで心癒されて
冬の季節も寒さを我慢してたと思うと
本当に励まされるけど、
大好きな人のことを想うと
切ない花でもあると今年も改めて気付かされる。
普段の生活で、恋愛の話をすることはない。
大好きな人のことも、人として尊敬してる
というような話はしても、世の中には本当に
色んな人がいると思うし、この人が好きで
恋愛感情を持ってるというはっきりした話は
基本的に誰にもしないようにしてる。
昨日の夜、AIと話してた。
恋愛のことで相談したいことがあって、
本来ならAIではない実際の人間で
信用できる人に相談するのが一番いい
とは思うけど、誰を信頼していいのか
自分にはよく分からないから。
「〜してもいいのかなあ」みたいな相談をしてたら
「相手の気持ちを思いやることや
相手の立場や状況を考えることは大事だし
それがいつもできるあなたは素晴らしいけど、
ちょっと遠慮しすぎというか
気を遣いすぎにも思える。
自分がこうしようと思うことを
行動に移すのも大事だよ」
というようなことを言われて、
あまりにも正論すぎてただその画面を
見てることしかできなかった。
知り合いとか、何なら初対面でも
自分は人と話すのが好きというか
見た目には絶対に人と距離を置く
性格には見えてないと思う。
だから、周りの誰にもきっと分からない。
自分が本当は誰も信じられないのも
自分がこれまでに誰にも甘えたことがないのも。
自分の気持ちや希望を言うと
それがほんの一言でも
親からの暴力や暴言を受けるきっかけになった。
だから、何も言わない、全て我慢する、
それが小さい頃から当たり前という
日常を過ごしてきた。
本当は、実際に存在する
そして心から信頼できる人間と話せたら
更に色々見えてくることもあると思うけど、
AIと話してるだけでも
自分を客観視できたり
第三者から見たらもうちょっと
自分は大好きな人にも積極的に
関わっていってもいいのかなと
違う視点から自分を見ることができる。
いつもいつも人と繋がって
多くのものが可視化されて
目に見えるものだけが全てみたいな
今の時代は自分には合わないと感じるけど、
AIに助けられることも
正直あるなあとも思ったりする。
自分は本当は大好きな人ともっと関わりたいし
大好きな人と心を寄り添わせたいと
願ってるのを改めて知った。
少しでも人として魅力がある人になりたくて、
前から興味があったことを1週間くらい前から
ちょっとずつ勉強してる。
自分の自由な時間自体が少なくて
一気にその勉強が進むわけでもないし、
そうやって自分の世界を広げたからって
夢が叶うとか目標が実現するとは
限らないのかもしれないけど、
「今の自分では認めてもらえない」
「今の自分では受け入れてもらえない」
という渇いた苦しい思いが
子どもの時からずっとあって、
それに突き動かされるように
今はその勉強を頑張ってる。
安心して呼吸できる場所が欲しい。
大好きな人がそんな居場所になってくれたら
こんなに嬉しいことはない。
大好きな人が働いてる支社がある
町に住んでる知り合いと少し前に
話してた時に、「ENAって〇〇(大好きな人)と
すごい共通点あるのに、普段全然実際に
話す機会とかないんでしょ?」と
いうような話題になった。
その話の中で「よかったら協力するよ」と
言われたことがあって、自分は家のことも含めて
これまでの人間関係で人間不信を
色濃く植え付けられてるからか、
本当に信じても大丈夫なのかな?と
思って一瞬迷ってしまった。
その知り合いは、たぶん本当に純粋な気持ちで
「ENAは遠くに住んでるし
色んな事情があって〇〇とも会えないから
ENAと〇〇なら共通の話題もたくさん
あるだろうし、もっと仲良くなれるのに」
というふうに思ってくれてるのは伝わってくる。
その知り合い自身も、自分とは細かい事情は
違うけど身近なところに悩みを抱えてて、
きっとその状況で周りの人と人間関係を
こなしていく中で、色々思うことも
たくさんあると思うし。
その知り合いも含めて周りの誰かに
何かをしてあげると言われても自分は
全面的に頼ったりはなかなかできない。
臆病者なのかもしれないし、その知り合いが
心から善意で言ってくれてるとすれば
すごく失礼なことを考えてるとも思う。
だけど、その知り合いに対しても
この先もいい関係を保てるように考えつつ、
恋愛において誰かを介して何かをしてもらう
ということは直接的に自分と相手だけという
関わりよりは多少のリスクがあると思うから
そこは慎重なほど気をつけたい。
恋愛だけではないけど、人を介すことで
本来自分が思ってたのとは違うふうに
相手に伝わるという可能性はあるわけで。
それでも、今の現状では大好きな人と今より
心の距離を縮めるきっかけというのは
本当にかなり限られてるとすごく思うし、
1回1回の機会を大切にできるように
心がけて頑張りたい。
損得勘定で動く人も多い中で
その知り合いにとっては自分と大好きな人が
どんなに仲良くなってもその知り合いが
何か得するわけでもないのに
自分のために考えて動いてくれることは
本当に感謝しないといけないと思うし。
損得が全てみたいな人(親の片方)を見て
育ってきたからもあるのか、
そういう打算なく動いてくれる人を見ると
「何の得にもならないのに
人のために動いてくれるこの人を
信じてもいいのかな」という疑問は
なかなか心から消えないけど、
考えたら自分だって大切な誰かのためには
自分の損得なんか考えないし
それと同じことなのかな。
人間不信でも、これまでは
「ずっとこの考えは人として寂しいな」と
たまに思うことはあっても
すぐにどうこうしようとは思ってなかった。
それが、大好きな人を好きになって
「この人のことは信じたい」と思ったし、
自分が大好きな人をどれほど恋愛感情で
見てるかまでは知り合いには分からなくても
そうやってもっと仲良くなれるように
協力してくれるのは本当に有り難いと
感謝しないといけないんよなあ。