Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。
たとえこんな世の中でも胸を張りたい

たとえこんな世の中でも胸を張りたい

まるで制服のように
“無難”を着こなして生きてる。

この恋愛を周りには
知られないように生きてるうちに
自分そのものを世間に隠して
生きてるような気持ちになる。


今日、家族が自分に
「もしENAにあの人との
子どもがいたとしたら」
という仮定の話をしてきて、

まあ顔というか容姿を
いじるような決していい話では
なかったけど、自分にとっては
何か色々とそんなふうに
特別な関係性になれたらと
思わず想像してしまった。


それが仮の話ではなくなる日が
来たらいいのにな。


そう思いながら
自分と同じような恋愛をして
将来に繋がった人がいるのかを
調べてみたらいるにはいたけど、

好き勝手な偏見を書いてる人もいて
それが世間なのかなとも
思ってしまった。


自分は親の身勝手に
振り回されて生きてきたから
倫理観のないことは恋愛でも
本当に苦手。


でも、筋道が通った恋愛なら
たとえ少人数派でも
人に迷惑をかけなければ
本来は自由なはずで、

それに対して非難や批判する人は
それを違うと思うなら
自分自身はそうしなければいい。


その人の人生はその人が
決めればいいし、どんな価値観を
持とうがそれぞれでいいけど、

誰かがそれ以外の価値観を持ってたり
自分自身はそこまで大事に
思えないことを大事にしてたりすると
真っ向から批判するのは
すごくおかしいと思う。


自分自身が大人数派であろう
という認識がある時、何で人は
そんなに上から目線に
人に意見できるのか不思議。



大好きな人からもらった宝物を
自分しか見えない場所に
夜のほんの少しの自由な時間に
そっと飾った。


間違ったことをしてるわけでもなく
人に迷惑もかけてなくても
まるで悪いことをしてるかのように
いつもいつも心で隠し通す恋愛。

それでも自分は心で胸を張りたい。

こんなにも人を愛せてることに。
想い出を持ち歩く日々

想い出を持ち歩く日々

どうしてもこれはいつでも
身につけて持ってたいと思う物を
やっとコンビニで
普通紙プリントできた!


大切な想い出を厳選して
(と言うほどまだたくさん
あるわけでもないけど‥)
これだけはいつでも見たいと
思うもので紙ベースにできたり
パスケースに入るサイズの物は

いつもポケットにまとめて
文字通り身につけてる。


一人になれる空間では
そっとパスケースの中身を見て
励まされたり力をもらったり
そうやって毎日踏ん張ってる。


顔や態度には全然
どこにも誰にも出してないけど、
心の中では大好きな人の存在に
寄りかかってしまってるなと
感じることもあるから
それが自分で怖くもあるけど、

誰にも迷惑をかけてないなら
心の中だけでも
ほんの少しもたれさせてもらえたら
すごく有り難い。
電車の中でもあの人ばっかり

電車の中でもあの人ばっかり

「今日送ったからね!
明日届いたらいいなあ」

そんな連絡が心の中で
本当に大きな励みになってる電車内。


大好きな人が書いた手書きの文字を
手のひらの中で読めることも
本当に楽しみで仕方ないし、

それ以外の物ももちろん楽しみで、

大げさではなくそういう支えがあって
自分はやっと毎日を生き抜けてる。


電車内、そこそこ長い距離を乗って
何気なく天井を見上げて
飽きることなく何度も何度も
数え切れないほど大好きな人を
想いながら過ごす。


こんなにも支えになってくれる
こんなにも大好きと想える人が
いるだけでも幸せ、って
分かってるはずでも

心のどこかでは常に
「付き合えたらいいのに」
「特別な存在になりたい」と
思ってしまってる。

だから、苦しくなってしまうのに。

自分なりにこれまで長期間
努力して頑張ってきたのが
一瞬にして無に感じるような
悲しいことがあった。


その場所を大切に思って
心を込めて誠実にいつでも
向き合ってきたつもりでいたけど、
それは自分側だけがそう思ってて
相手側にとってはそうではなかった、

ただそれだけのことで
自分にはこれ以上どうしようもない。


そこは将来的にも自分にとって
居場所になりうるのかなと
これまではそこまで考えて
懸けてきたけど、もうこれからは
同じ気持ちでは向き合えないし、

これまでみたいに熱量高くは
そのことは頑張れないなと思うと、

心にぽっかり穴が空いたような
とても寂しい気持ちになった。


大好きな人をいくら想っても
大好きな人だって
自分の心の居場所になんか
本来はしたらダメなはずで

それでも今日は
大好きな人とは縁があるのかなと
思える複数の出来事があって

そのことで心を保ってるのも事実。
心の家族

心の家族

自分は家庭の温かさというものが
あんまり分からない。


生まれた時から親はいたけど、
いつも親のDVや
教育虐待を含む虐待に悩まされて
親の望み通りの子どもにならないと
生活していけないから
自分を押し殺してただその日を
うまくやり過ごすことに必死で、

家ならではの安心感や
家族ならではの温もりというのは
大人になった今も

すごく憧れながらも
経験してないからあくまでも
想像の世界でしかない。


大好きな人が自分のために
何かをしてくれる時の笑顔を見てて
「何か家族みたい」とふと思った。


大好きな人が名前を呼んでくれる時
そこに打算や計算や
「こいつを思い通りにしよう」
という主従関係はどこにもないし、

大好きな人が書いてくれた字は
びっくりするほど優しくて
そんなに長々と文章を
書いてるわけではないのに
その字を見ただけで愛を感じる。

その愛がどういう愛なのかは
自分には分からないにしても、
自分のために心を込めて
してくれた行動というのは分かる。


自分を平気で傷つけて
機嫌で振り回して
理不尽に苦痛を強要してきた親は
自分がどんなに苦しもうが
むしろ面白いと思うような人間で、
家族ではなく知人と思って
ここまで我慢してきた。


大好きな人は地元は同じでも
血縁関係や戸籍上の親類関係が
あるわけではないけど、

大好きな人と関わってる時
繋がってるなと感じる時
まるで温かい家族の中にいる自分が
リビングで団欒してるような
温かく優しい温もりを感じる。


そういう空気は知らないはずなのに
大好きな人を昔からずっと知ってて
同じリビングで一緒に遊んだり
じゃれ合ったり笑い合ったり
時には真面目な話もしたり、

そういう空間に一緒にいるかのような
そんな気持ちになるのが不思議。


じゃあ胸を張って
そんなふうに家族になれたらと
夢を描けるような状況の恋愛なら
それに向けて頑張ろうと思えたのかな。


告白するのも難しい、
仮に告白されても
将来のことを考えたら
自分はただ喜んで相手の気持ちを
受け取るなんて許されないと思う。


そんな切ない恋愛をしてるのに
その相手から家族みたいな温もりを
教えてもらうなんて
何とも言えない気持ちになるけど。


大好きな人はきっと
温かい家庭で育った人。

だからあんなふうに
優しく言葉を紡げて
優しい顔で笑える。

自分とは共通点も多いけど、
穏やかな家庭で育った人には
そういう家庭で育った人にしかない
安定感があるような気がして、

それは自分がどんなに努力しても
きっと一生どうにもできないこと

と思うと、とても引け目を感じる。



写真を見ただけで、心に温かい空気が
流れてきて自分が抱きしめられるような
そんな気持ちになれる。

誰にも言えないけど、
大好きな人は心の家族。
名前という特別な響き

名前という特別な響き

複雑な家庭に育ったけど、
自分の名前は好き。

でも、そんな名前をより
好きになった瞬間は
大好きな人が初めて
自分の名前を呼んでくれた時。


すごく恥ずかしがりで
そうそう簡単に異性の名前なんて
呼ぶような人ではないから、

本当に貴重なものに思えて
涙が出るほど大感動した。


自分の「大好き」が
どういう意味での「大好き」か
大好きな人がどれだけ
分かってるかは分からない。


許されるならもっとちゃんと
気持ちを伝えたいけど、
今の自分は
というか自分はもしかしたらずっと
いかにも何かのついでのように
「頑張ってる姿が本当に大好き」
という言い方しかできなくて、

悔しいけどそれが精一杯で、

そのくせ一つ目標が叶ったら
次はこうしたいとかこうなりたいとか
その先を願ってしまう自分もいて、

人を大好きになることは
こんなにも素晴らしいことのはずが
いつも心を痛めてしまってる。


ポーカーフェイスで生きながら
大好きな人がしてくれたことに
心の中ではニヤニヤしてしまう。

誰もいない一人の空間に
入るやいなや大好きな人が
書いてくれた手書きの文字の
自分の名前を繰り返し見ては
また頑張ろうと励まされる。

自分の毎日は大好きな人で
かろうじて色付けされてる。


大好きな人の声は前から知ってた。

でも、名前を呼んでくれる声は
あまりにも新鮮で
まるで初めて聴く種類の声な気がした。


自分がこんな気持ちになれることに
自分でもびっくりしてる。
“嬉しすぎる”

“嬉しすぎる”

相手に自分への恋愛感情が
あるのかは分からない。

どこまでの特別な気持ちがあって
そう言ってくれたのかは
どう考えてもそれは自分の
想像でしかない。


ただ、大好きな人が
自分が思ってる以上に
自分という人間を知ってくれてて

大きな共通点や同じ部分があるのを
「嬉しすぎる!」と言ってくれたのは、

普段から誠実で口数が少なくて

その時の気分で調子に乗って
ペラペラ話したりする人ではないと
分かってるからこそ余計に嬉しかった!!


自分が大好きな人に対して
恋愛感情を持つことは
恥ずかしくて許されないと
言い聞かせて隠してここまで来た。


これからも堂々と自分の気持ちを
本人はもちろん周りの誰かに
打ち明けたりするつもりはないけど、

本人が少なからず
自分を好いてくれてる

それが恋愛感情かどうかは
はっきりしないにしても

人として距離を置かれたり
その他大勢の一人ではない

自分との明らかに大きな
他の人にはない共通点を
そんなに喜んでくれて
「一緒で嬉しい!」と
言ってくれたことが、

黙々と毎日の義務と役割を
こなすだけに必死で
鬱々と生きてきた自分の生活に
暖かい光を照らしてくれてる。


初めて、気持ちと気持ち
心と心が交ざり合うのを
しっかり感じた気がした。



大好きな人から
大好き
と言われるような未来が
神様の勘違いでもいいから
来てくれないかなと願ったりする。

そんな強欲になるな、
まずは人としてでも何でも
大好きな人が好意的に見てくれてる

しかも決して社交的ではない
人と関わるのが苦手な人が
そこまで言ってくれてる

ということに感謝しようと

自分に言い聞かせて
舞い上がりそうな心を落ち着かせる。


大きな同じ特徴がある同士、

お互い相手への気持ちの種類も
同じになる日が来たらいいなあ。
勇気や努力の向かう先

勇気や努力の向かう先

こんなにも
“後悔を残したくない”という
心に迫る焦燥感は
一体いつから自分の心の中の
大きな割合を占めてるのか

自分でも分からない。


ただ、複雑な家庭に育って
めまぐるしく周りの景色が変わる
環境に生きてきて思うのは、

“明日言えばいい”
“別に今日伝えなくても
いつだって話せる”

というその“明日”“いつだって”が
永遠に来ない場合も多いってこと。


大好きな人に自分の気持ちを
伝えられたらどんなに幸せか。

もちろんそれはとても勇気が要る、
だけど自分にはその
スタート地点に立つことさえ
できないと思うと、勇気を出せたり
努力できる道があるというのは

それだけで恵まれてて
幸せなことに思えてくる。


好きという2文字を
回りくどい言い方でしか
表現できない関係性は
いつも苦くて苦しくてしんどい。


それでも、あの夏の日に
大好きな人を好きと心に
はっきり意識した時の
心に何か切ないけど暖かいものが
刺さるような感覚を想う度に、

こういう気持ちを感じられる人生は
有り難くて幸せなのかもしれない
とも思ったりする。


会いたいけど会えなくて、
それでも何かできることがある限り
そのできることへの努力は
惜しまずにいたい。


自分にとってはすごく
勇気を出さないといけない
緊張の用事を今日は頑張れたから、

一瞬今の生活から心を離して
ただ純粋に大好きな人を想ってる。
小さくても今踏み出せる一歩を

小さくても今踏み出せる一歩を

どんなに真剣な気持ちでも
これを恋愛と呼んでいいのか
正直分からない、とさえ思う。


それでも、大好きな人への想いも
それ以外のことも、今の自分ができる
最大限の努力をしようと
それはいつも心がけてる。


どんなに制限がある毎日も、
じゃあ何かを達成するために
できることが一つもないのか
と言われると決してそうではない。


だから、目に見えないような
誰も気づかないような一歩でも、
自分ができることは
迷いなく勇気を出して
踏み出せる人でいたい。
心の中で計画中

心の中で計画中

なかなか自分の予定を
自由には入れられないから
すぐには行動はできないけど、

電車に乗ってなじみの駅まで行って
自分たちの地元を改めて
歩いてみようかなと思った。


去年、ちょっとした展示があって
できればその時にも行きたかったけど
家族関係の事情もあるから
そうそう自分の時間はなくて

行けずじまいになってしまったのが
今でも心残りで、

その展示は見られなくても
前からなじみの場所の空気を吸って
心の洗濯をしてこようかなと思う。



自分のこれまでの環境が

決まった行動以外はできない
というと多少の語弊が
あるかもしれないけど

複雑な家庭で自分の自由に
行きたい場所に行ったりも
近場も含めてなかなかできなくて

だから地元のことも
決まった場所しか知らないなと
思ってるところに更に

これからは地元のなじみのエリアを
もっと自分の心の居場所にしたいと
考えるようなきっかけがあって、

家族には全然言わないし
今はまだ心で計画中なだけでも

一応来週以降に数時間
思うままに一つの駅周辺を
歩いてみようかなと思ってる。


今の自分の生活に
自由は本当に限られてるし
何か思い立ったとしても
じゃあそれをしよう!と
実現できることは少ないけど、

それでも少しでも
叶えられそうなことは一つずつ
叶えていきたい。


自分にとってもルーツど真ん中の
大切な場所であり、
大好きな人が生まれ育った町でもある。


大きい共通点に感謝しながら
地元にもっと愛着を持ったり
詳しくなったり

心が帰れる場所をいつも
持っていられたらいいなと思う。