Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はずっとずっと特別な人。少人数派の恋愛でも大きい壁があったとしてもそんな特別な人と家族になりたい。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
ずっとずっと特別な人。

少人数派の恋愛でも
大きい壁があったとしても
そんな特別な人と家族になりたい。
客観的視点

客観的視点

大好きな人と同じ支社の人が
複数人で出張に行ってて、その移動中に
個人的には「えっ?」と思うような‥

正直引くというか、ちょっと常識的に
どうなんかなと思うことをしてたのを
たまたま知ってしまった。


実際にその行動をしてたのはたぶん
その複数人全員ではなくその中でも
本当に少ない人数のはず。

そして、そもそもその出張に
大好きな人は行ってないから
正直、絶対にその人たちの中には
入ってないことに安心してしまった。


その支社関係の知り合いとその話になって
「〇〇(大好きな人)がその中に確実に
入ってなくて正直ホッとしたよ」と

その知り合いは大好きな人と自分が
色々元々の共通点が多いことも知ってるし
自分がその程度なら話しても怪しまれないと
思ったから話したら、その人が

「〇〇は常識的な行動しかしないよ。
この支社の中ではまだ新入りだけど、
そういう振る舞いは絶対にする人じゃない」

と言い切ってくれたことが
自分には本当に嬉しかった。


いくら第三者目線を忘れないようにと
意識したところで、その人に恋愛感情を
持ってればどうしてもそういうフィルターが
かかってその人を見てしまう気がする。


だから、例えば自分が大好きな人のことを
「こういうところが愛嬌がある」とか
「この仕草が魅力的」とか思ってても、
周りの人からしたら「‥そうかな?」と
思われることも多々あると思う。


そういうことならいいけど、
もし「これは人としてどうなのかな」と
思うことを自分が恋愛感情を持ってる人が
した時にそのフィルターのせいで

「他の人なら嫌でも、この人なら
別に多少の非常識はいいか」と
思ってしまうのは良くないこと、と
自分は考えてしまう。


好き、という理由で
本来なら良くないことでも何でも許される
そんな恋愛はしたくないし。


だから、大好きな人を特別な目で見ない
フラットな目線を持つその知り合いが
大好きな人のことを迷いなく
そう言い切ってくれたことが

本当に救われた気がしたし嬉しかった。


自分は基本的に人を信じられない。

数知れず驚くような裏切りがある家に
育ってきたし、人を信じてもいいと
思える経験が極端に少なくて、

今もこうしてこのブログでは
大好きな人への想いや、恋愛を通して
日々思ったことを書きながらも

こんなに誰かのことを恋愛の意味で
好きなことや、その恋愛には目に見えて
壁があることに深く悩んだり
戸惑ってしまう時も本当にたくさんある。


だけど、大好きな人のことは
人としても、恋愛対象としても
少しずつ信じていく努力をしたいと
すごく思うきっかけになった。
会社の裏側を知る

会社の裏側を知る

大好きな人の職種が、自分が昔から
関わってきたことに大きく関わること、
大好きな人が今働いてる支社が
自分が昔から繋がりがある町にあることで

その支社の色んな事情はそれなりに
前から聞くこともあった。


だけど、最近は前よりもそういう話が
耳に入る機会が増えた。


前から、その支社の上の人たちの
顔ぶれが長く変わらないのもあって
色んな意味でなあなあになってるというか

いきなり外から来た人が肩書きのある
立場に就いたらびっくりしそうな
悪い意味で慣れすぎてる感じはあった。


でも、経営上それでいいの?と思うほど
何となくごまかしごまかしで何年も
やり過ごしてきてるのを今年改めて知って

もしかしたら自分が思う以上に
その支社はやばいのかなと思い始めた。


自分は実際にその町に住んでないし、
その町在住の人たちよりは全然その支社の
実情もまだまだ知らないとは思う。

それに、大好きな人がこういう話を
どこまで知ってるのかも分からない。


昔は、自分はそこの支社の人たち‥
立場的には偉い肩書きがあっても
町で会えば気さくに話してくれるような
いい意味で「こんな大人もいるのか」と
思わせてくれるような人たちに憧れてたし、

実際にその支社にお邪魔したことも
あったけど、風通しのいい明るくて
温かい雰囲気がすごく新鮮で

自分は家の中でも常にビクビクして育ったし
何なら家よりこの会社の方がよっぽど
家庭的に思えたくらいで。


その当時の社員さんたちが
色んな理由でその支社を離れて、

人がそれだけ移り変われば
同じ雰囲気の維持は難しいのかも
しれないけど、今は前とは違う状況に
なってるのをつくづく感じて
寂しいなと残念に思ってしまった。



自分が昔から関わってる会社
というだけでなく、今は
大好きな人の職場でもある所。

目に見えて何か不正があるとかでは
なさそうでも、何となく色んなことが
これで大丈夫なのかと言いたくなるのが、
本当に複雑で悲しいなと感じる。
何で操縦しようとするのか

何で操縦しようとするのか

家の事情もあって、家にいる時間も
自分は慌ただしく家事してることが多いけど
昼にリビングで少し休憩してた時の話。


その時の話の流れで、親と自分の価値観や
考えが違うような内容を話になって
親が言ったことに、すごく違和感を感じた。


一言で言ってしまえば、

親も好きで気に入って
見た目も性格も他の条件も親が納得して
認めた人以外はENAがいくら好きでも
許さないからって宣言しておくからね

というようなこと。


何でそこまで親が決めるのか、
何でそういう言い方が当然に
まかり通ると思ってるのか、
そこまで操縦されて自分が本当に
納得すると親は本気で考えてるのか、

前にも2、3回同じような言い方を
された時も思ったけど
そこまで自分を管理したがるのは
だいぶ異常というかおかしいよな‥。


特に、自分は家が複雑な中で育ってるから
こういうふうに言ってくる方の親にとっては
(もう一方の親が更にとんでもなかったから)

「大変な中でも自分はENAを育てた、
だからENAの人生や将来に関しても
自分に意見の決定権がある」

と思ってるのかもしれないけど、

家がムチャクチャな中でも
暴力や暴言などはあったとしても
一応大人になれるくらいまでには
食べ物、着る物、住む場所が
あったことには感謝してても

だからといって自分の人生を
親が決めて当然とか
親が言ったことはその通りにしないと
どういう目に遭うか覚えとけとも
言いたげな圧力をかけてくるのは

とてもおかしな話に感じられる。


大好きな人は、同じ地元なのもあって
親も知ってるけど、外見のことを
すごく失礼な言い方でダメ出ししたり
(本人の前ではないけど)

何か無理矢理な理由をつけては
「そういうのをいいと思ったり
気にしないのはENAだけで
ENAはおかしい、普通ではない」
とか、全面的に批判されると

親の考えが何でそんなに世間的に
正しい答えみたいになってるの?

親にとって親と全く同じではない、
都合が悪い考えをしてるからって
自分や大好きな人そのものを
完全に否定するのはおかしくない?

という気持ちになってくる。


「もし、〇〇(親)が言うように
〇〇の考えがもし世の中の大多数でも、
その考えはそれはそれとして
尊重されるべきと思うしその人たちが
それを変える必要もないと思うけど、

親と考えが違うからといって
自分の意見は取り下げるべき、
聞き入れなくても当然みたいなのは
違うとも思ってるから、

自分は自分の考えを大切にしたい」

と言ったら、何も言えなくなったのか

「何言ってもENAは分からないね!
もう何を言っても無駄ってことか」
といきなり違う話に変えられて
もうそれ以上は何も言えなくされた。


半ば脅しという圧力をかけて
子どもを親の言う通りに動かそうとする。

それはすごく卑怯な気がする。


親という立場に感謝するべき部分も
あるとは思ってるけど、
親という立場が魔法のように
子どもを思い通りにさせる
免罪符と思ってるなら、それは違う。


大変な中で、色んな気持ちになったり
血の滲むような悔しい思いもしてきて
そうやって生きてきて
大切なものが何かも痛いほど学んできた。


その結果、自分は大好きな人を好きになって
この人と生きていきたいと
いつしか強く願うようになった。

自分に自信はまだまだないけど、
自分がそんなふうに決意した覚悟は
信じたいと思う。
自分の人生は自分のもの

自分の人生は自分のもの

今日、たまたま見かけて
心に残った言葉。

「大事なのは、他人がどう思うかより
自分がどう感じるか」


いつも周りのことを優先して
自分が思うことやしたいことをつい
遠慮してしまう人に向けて書いてた。


いつも基準が親、
親は絶対、親は偉い、
何があっても親の言うことは
全て聞いて当たり前という家庭に育って、

筋が通ったことをしてても
親にとってそれが都合が悪いことなら
許されなくて当然という環境で
暴力もあって恐ろしかったのもあって、

自分の気持ちは言わない
自分の意見や意志も言えない
それが日常という中で長く生きてきた。


自分の人生、だから自分の気持ちを
一番に大切にしろ、という内容に触れると
あぁそうか、そうなんよなぁと改めて
本来なら普通のはずのことに気づく。


やっぱりどうしても自分は
大好きな人と恋愛関係になって
お互い特別な人になって
一緒に生きていきたい。
こうなりたいなと思う存在

こうなりたいなと思う存在

こうなりたいな、と思う人がいる。


数年前までは、その人が頑張ってることや
目指してるものを周りの人たちの
ほとんどがバカにして笑ったり
あからさまに否定してる人もそこそこいて

(ちなみに自分はめちゃくちゃ応援してた)

でも、その後の数年の間にその人は
みんなが見てない所でもたぶん
めちゃくちゃ努力して色々頑張って、

元々言ってた通り、目指してた通りの
夢を叶えて今は周りの人たちからも
好かれて囲まれてるのを見て、

本当にすごいな、尊敬できるな、
自分も将来を信じて今できることから
コツコツ努力して、今は夢でも必ず
それを現実にしようと勇気をもらった。


本当に叶えたいことがあるなら
そうやって頑張らないといけない
ということくらいは、初めから分かってる。


でも、実際にそれを形にして
見せてくれた人がいることで、
自分もこんなふうに努力しよう
本当にこうやって現実になるのかと
すごくイメージしやすくなったというか、

今はまだまだその日が遠くても
信じて頑張っていかないとなと思えた。



その人とはまた別の人で、
自分と同じような恋愛をして
その相手と結婚した人がいて、

さっき書いた人は恋愛面での夢や目標の
実現ではなかったけど、その人は
ほぼ自分と同じ状況から実現してるから
恋愛面ではこの人もいい見本になってる。


自分は普段、恋愛のことを人に
公言してないからその人の話もあんまり
いかにも興味があるようには聞けないけど、

その人は初めは全然その結婚相手を
恋愛対象では見てなくて

その大きな壁があったのもあって
初めからその人と付き合うとか
ましてや結婚とかなんて思ってなくて、

「あの人と付き合うなんてありえないよ!」
みたいな感じに周りにも言ってたらしい。


それが、ある時その人を好きと気づいて
自分からアプローチして
付き合えて結構早い段階で結婚したとか。


縁があるというのはそういうことか。

必死にしがみついて執着して
意地でも付き合いたいとか
これ以上好きになれる人はいないとか
思いすぎたらきっとダメなんかもな‥。


その壁を具体的にどう壊して
うまく結婚できる流れになったのか
その一番知りたい部分が分からないから
そこは何とも言えないけど、

同じような大きな壁があっても
それを壊すなり乗り越えるなりして
今幸せになってる人がいるのを
実際に知って、本当に励まされた!


大好きな人を恋愛感情で好きというのを
人に話してないから、クールな様子で
ただ黙って聞いてるしかできないけど、

心の中ではとても勇気をもらえた。


そういう“夢を叶えたモデルケース”が
現実にあるというのを知ると
努力すれば自分も何とかなるかもと
思わせてくれる。


頑張ろう。自分も。
悲しい世間の言葉/言葉より行動

悲しい世間の言葉/言葉より行動

「気持ち悪っ!
いくら好きでも黙って身を引けばいいのに」

自分と同じような恋愛をしてる人に対して
たとえそれが世間の総意ではないにしても
少なからずそういう言葉を投げかける人が
当たり前にいるということ。


このブログには前から書いてるけど、
気持ち悪いと感じる人が心の中で
そう思うのはその人の意見や気持ち、
それでいいと思う。

だけど、思ったからといって
何でも言葉にしていいということは
決してないはず。


少人数派の中には、自分の立場を
公言して世間と対峙できる人もいる。

それは確かでも、ほとんどの人たちは
自分が少人数派と知った瞬間から
なるべくそれを世間に知られないように
誰かとその話にならないように、
とても気を遣って神経をかなり
すり減らして暮らしてる、それも事実。


倫理的や人道的に、何か問題があることを
してるわけでもないのに、
この人を好きというのを堂々と言えない、
言うことを許されない空気感がある。

これは経験したことがない人には
想像ができない苦しさな気がする。


自分は昔から、同世代の流行りとかに
全然興味がない変わった子で、
好きになること(趣味とか)もちょっと
珍しい分野とか、そんな感じの生き方を
してきたから少人数派と思われることには
比較的慣れてるつもりでいた。


だけど、恋愛のことになると
また違った悩みや葛藤が出てくると
大好きな人を大好きになって改めて知った。


自分自身も、恋愛以外の面でも
周りに誰か少人数派の人がいても
偏見の目で見たり、少人数派なら
何を言ってもいいというような
歪んだ価値観を持たないようにしようと
いつも思ってる。


少人数派というのは、別に好きでその枠に
入ってるわけではないけど、それだけで
理不尽に傷つけられることが多々あると
本当にすごく実感してるから。





「言葉ではなく行動を信じろ」
人付き合いの話で、そう書いてあるのを見て
とても納得してしまった。


特に元々口数が多い人、社交的な人の中には
思ってもないことでもペラペラ何でも
言えてしまう人も実在するし、

そういう人にとっては、言葉でそう言うのは
何の労力もないと思う。


でも、行動するとなると
口で言うだけよりは簡単ではない。

本当に相手のことを考えたり
思いやりがないとできないことも
たくさんある。


だから、誰かと関わる時は言葉より行動を
見たいなと思ったし、自分自身も
恋愛も含めて、言葉で言うだけでなく
ちゃんと行動で示せる人でいたい。


自分が思ってることをちゃんと言葉で
伝えることも(本当にそう思ってるなら)
大切と思うし、でも言葉だけでなく
行動が伴ってこそその言葉が意味がある、
重みのあるものになると思う。


この前、大好きな人からもらった言葉は
自分の心の中で本当に大きな支え。

それは、普段からの大好きな人の行動や
生き方を見てるからその言葉を
信じられるんであって、これがもし
誰にでも調子がいいことを言いまくる人なら
何の説得力もなかったと思う。


言葉で伝えることは大切、
でもその言葉を信用してもらうには
普段からの行動がとても大切、
ってことなのかなあって。
言葉にして初めて伝わることがある

言葉にして初めて伝わることがある

大好きな人は、とても人見知りで
人と話すのがそんなに好きではない
得意ではないタイプ。

自分は、たぶんかなりの社交的で
人と話すのが好きで得意なタイプ。


自分の場合は、育ってきた環境とか
大きいトラウマの部分に話が及ばないように
あえてめちゃくちゃ明るく振る舞うことで

「まさかこの人がそんな壮絶な中で
生きてきたはずなんかない」と思われたい、
その方が無難で助かるという気持ちから

実際より更にそうなったとも言えるけど。


大好きな人ともっと仲良くなりたいと
思った時から、自分はできる限り
大好きな人にとっても楽しく思える、
心の負担にならないような話題を
たくさん話してきた。


自分自身は社交的でも、周りの人には
これまでも人見知りの人もたくさんいたし、
自分はそういうタイプの方が相手を
信頼できて仲良くなりやすいから、

これまでの人見知りの知り合いのことも
思い返しながら、一気に距離を縮めたり
自分にとってはそうではなくても
人見知りの人からしたら戸惑うようなことは
しないように自分なりに気をつけながら

それなりに努力はしてきたつもりでいて。


大好きな人は、そんな自分に対して
もしかしたら心を開いてくれてるのかなと
思うこともこれまでに何回かあって

嫌な印象は持たれてないなというのは
分かってホッとしたけど、

自分にとってはできる限り我慢して
用事がある時だけ連絡するようにしてても
相手にとってはその頻度が高すぎると
思われたりしてないかな?とか

色々心の中では気になってた。


でも、大好きな人が
「いつもENAが気にかけてくれるから、
すごく元気をもらってる。
いつもたくさんありがとう!」
と言ってくれて、すごく嬉しかった♡


大好きな人の文字は、学校の授業の
お手本みたいなきれいな字ではないけど、

自分にとってはとても心がこもった
本当に特別な字。


自分がこれまで一生懸命関わってきたことが
ちゃんと伝わってたと思えて感動したし、
いくら心で思ってても言葉にしないと
相手に伝わらないこともたくさんあると
改めて学んだ気がする。


これからも、焦りすぎずに
大好きな人の性格を考えて
アピールのしすぎ、関わりすぎには
ならないようにちゃんとセーブしながら、

でも大事なことはちゃんと言動で
伝えていけたらいいなと思う。
親しくなっても心は開かない

親しくなっても心は開かない

大好きな人の仕事場関係の人で、
その人自身は地元が一緒ではないけど
自分の地元がすごく好きと言ってくれて
興味を持ってくれたりとか、

かなり社交的な人で
普段から色々話してくれたり
その人の家族が自分と似たような
大変な経験をしてきたというのもあって、

自分も他の人に対してよりは
その人には心を開いて今思えば
個人的な話もしてた。


でも、昨日の夜、その人と話してた時に
「えっ?そういうこと言う?」と
驚くような言い方をされて、

表向きにはいくら自分を理解して
くれてるようなことを言ってても
心の奥の本心はきっとこれなのかなと
知ったというか、そう思ってしまった。


仮に本当にそうなら、これまでも
自分が話すことを心では笑ったり
バカにしながら聞いてたのかな、

自分を理解しようとしてくれてる
というんではなく、ただ面白いから
ドラマを見る感覚で聞いてただけかも、

とすごく悲しくなったし、
今更こう考えても遅いけど
他の人とより仲良くなったからって
油断して自分の個人的なことなんて
話さなければ良かったと後悔してる。


大好きな人の会社関係の話はいいとしても
今思えば自分の地元のことも
そこまで詳しく話す必要はなかったし、

大好きな人の会社全般的な話は
自分自身、年齢のわりにその会社と
関わってる期間が長いから
(小さい時からその会社、特に
大好きな人がいる支社は繋がりが深い)

何もその話をしないというのも
明らかに不自然な気がするけど

その会社や支社の表面的な話以外の
個人的な話はしなければ良かった。


大好きな人に恋愛感情を持ってることは
話してなくて本当に良かったというか
そこは自分の選択を褒めたい。


そんなこともし話してたら、表向きには
応援する!とか言ってくれても陰では
鼻で笑われて他の人にも言いふらされたり
してた可能性もあるよなあって。


大好きな人と自分が同じ地元なことや
共通点が多いことはその人ももう知ってるし

これまでに自分が話してしまったことは
もうどうにもならないけど、

これからはできるだけその人と話す機会を
増やしすぎないようにしながら
ただその会社関係の知り合い
というそれ以上にも以下にもならないように

無難な話しかしないようにしよう‥。


自分は、家が複雑な中で育ったからか
人間不信ぎみで、普段からあんまり
自分のことを人に話さないのが癖に
なってるなと感じる時もあるけど、

家の複雑さは本当に日々悩みではあっても
自分の個人的なことを人にあんまり
話さない癖というのは自分を助けてくれる
場合もあるなとも思った。
焦った話とつくづく思ったこと

焦った話とつくづく思ったこと

昨日乗った飛行機で
もしかしたら忘れ物をしたかも?と
今日疲れ果てた頭で考えながら
バッグの中身をあっちこっち探した。

飴入れにしてる小さい巾着。

それ自体は、気に入った生地で
作った物ではあるにしてもまだ
もしなくなっても諦めはつく。


そこにつけてたキーホルダーが
大好きな人との写真の物で、
それだけでも手元に置いておきたいと
思いながら必死にバッグの底まで探して、

自分が思ってたのとは違う所から
ひょっこり出てきて本当にホッとした‥!


もしなかったとして、航空会社の
忘れ物センターに電話した時、
忘れた物の特徴は確実に聞かれるから
こういう柄の巾着でこういう写真の
キーホルダーをつけてますとか
絶対恥ずかしすぎる‥笑



今更始まったわけではなく
ずっと前から変わらないけど、

やっぱり自分が育ってきた環境も
今置かれてる状況もだいぶおかしいな、
今のままでは自分の今も将来も
自分は心も気持ちも意志も
何も大事にできないと今日の出来事で
また思い知らされた。


恋愛だって、大好きな人が自分を
好きになってくれるかどうか
という以前に、今の状況では

もし大好きな人が自分のことを
好きと思ってくれたとしても
家族が機嫌やその時の気分や
「ENAが楽しそうでむかつくから」とかで
容赦なく嫌がらせをしてくるはず。


自分の心と生活を
ちゃんと守らないといけないなと思う。
ただ同じ地方にいるというだけで

ただ同じ地方にいるというだけで

ほぼ仕事で、久しぶりの飛行機。

台風の進路が心配ではあったけど
全く影響なく定刻通りに着いた。


自分の個人的な自由な旅で
飛行機に乗ったことはないけど、
飛行機に乗る機会があったら必ず
機内では機内誌を読んでる。


今回も、移動中はなるべく
仕事絡みの気がかりなことは
気にしないでいようと思いながら
機内誌を手に取ったら
その特集が自分の地元!!

自分の地元ってことは
大好きな人の地元でもある。


内容も面白かったし、

飛行機に乗った時しか機内誌は
読んでないからもしかしたら
自分が知らないところで何回も
地元が特集されてるのかもしれないけど

自分が搭乗した時にタイミング良く
地元の記事を読めたのが嬉しかった!


飛行機を降りて、今回のメインの
用事がある駅まで移動する時に
大好きな人の名字と同じ町がある。


今回来たのは久しぶりでも
その県自体は前から来たことがあるから

その名字の町がその県にあるのは
前から知ってたけど、大好きな人を
恋愛感情で好きとこんなにも自覚してから
その町を通ると改めて色々思うというか

大好きな人を知らなかった頃や
好きという自覚がそこまでなかった頃は
その町を通っても特に心がドキドキしたり

その漢字の並びを見るだけで嬉しくなって
元気が出たりということは
今みたいにはなかった。


同じ風景を見ても
大好きな人が心を占めてると
こんなにも違って見えるのかと
改めて発見した。


その後、いただき物の
コーヒーを何気なく見てる時に
ふとその賞味期限が目に入ってきたら
それが大好きな人の誕生日で、

元々大好きな人の誕生日と
自分の誕生日には共通点があって
それが自分のラッキーナンバー。

たまたまでもすごく嬉しかった♡



今、大好きな人が今住んでる県と
同じではないけど普段よりは近くの、
広い意味では同じ地方の近隣県にいる。

地元とは、気候も風も違って感じられる。

大好きな人はこの近くの県で
いつも頑張ってるのか‥としみじみ思った。


普段、いくつも県を越えた所に
住んでる自分にとって、たとえ
大好きな人と同じ県内、市内ではなくても

いつもより近くの県、同じ地方に
いるというだけでもとても幸せなのを
心にすごく感じてる。


もちろん、できることなら
会いたいと思うし話したいと願うし、
そういう直接的な接点が増えないと
目に見えた進展も難しいのは分かってる。


それでも、今の自分は
同じ地方にいるだけで本当に
嬉しいというのも事実で本音。