Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。
10年前迷った自分が知らなかった先

10年前迷った自分が知らなかった先

大好きな人が今仕事で住んでる町は
自分にとって小さい時から
すごく繋がりが深い町。

といっても、複雑な家庭育ちの自分は
いくら繋がりが深くても他県に
自由に行くこともできなくて、

その町に行けるのは家の用事が
そこにあった時だけ。


それでも、大好きな人が今住んでるのが
自分にとってなじみの町というのも
縁があるなと思えて嬉しい。


同じ地元で、そこの町に今住んでる
という人はたぶん少ないし。


自分と同じ県出身くらいまで
広げたら何人かは知ってるけど、

地元の中でも特に地元の人で
そこの町に住んでる人を自分は
大好きな人しか知らないから。



大好きな人が今住んでる町に
10年くらい前に行った時のこと。


そこの建物自体は前から何回も
行ってたけど、その日は珍しく別棟を
歩いててその建物内で迷ってしまった。


真夏でめちゃくちゃ暑くて、
持ち歩いてた飲み物も飲み終えて
自販機を探して長い廊下を
飲み物を求めて歩いてて、

迷いながらも何とか自販機は見つけて
ポカリは買えたけど
元々いた場所まで戻れなくなった。


同じ所をグルグル歩きながら何とか
無事に帰り着いたけど、
当時の自分には本当に緊張した恐怖の
出来事として今も心に残ってる。


夏の明るい時間帯のはずが
そこは窓があんまりなくて
ちょっと薄暗かったことや、

何となくその建物の空気に
においを感じたことも
もう10年も経ってるのに覚えてる。



あの頃は、知らなかったんよなぁ。

10年後、このなじみの町に
同じ地元の人が住むようになるのも、

その人とお互い知り合って
相手はどうか分からないけど
自分はこんなにも惹かれてることも。


「好きなタイプは?」と聞かれても
中身のことならいくらでも言えても
見た目で判断なんかしたって
幸せな恋愛なんてできるはずないと

いつも「タイプとかって外見のことは
考えたことないから分からない」と
それだけ言ってごまかしてたあの頃、

もし外見の好きなタイプを表現するなら
たとえ多くの人が笑ったとしても
自分はこの人がいいと言い切れる人と
出会えるなんて思ってもなかった。



自分は今も、複雑な家庭育ちを
克服できずに生きてるし、
なりたい大人にもまだなれてなくて
当時とは事情がまた変わった家族の中を
がんじがらめになって何とか毎日
自分の心をごまかしながら過ごしてる。


大好きな人がいても
自由に会いに行けるはずもなく、
自分がいくら相手を好きでも
相手の気持ちは分からないのに
そんなにしょっちゅう連絡もできない。

苦しくて切ない恋愛をしてると思う。


それでも、10年前に迷った建物の話に
たまたまなった時、あの頃の自分が
想像もできなかった世界に今
生きてることに気がついた。
気づけば漏れてる個人情報

気づけば漏れてる個人情報

自分はこれまでの経験から
基本的に人を信じることはない。

よっぽどこの人なら大丈夫かな?と
思った人にだけ少し話すことはしても
普段の生活でそんな場面はほぼない。


大好きな人が今年から働いてる会社に
知り合いがいたりして詳しい人は
自分にとって身近な町の出身で、

普段から共通の話題が多いのもあって
その時の話題の流れで自分が普段
その話をしないような個人情報が
含まれた話をしてしまった。


人によってはその程度の話と
思うようなことかもしれないし、
抵抗なく話せる人もいると思う。


だけど自分にとっては
その知り合いに話の中でそれを
知られたのは特に問題はなくても、

その知り合いが他の人に
「ENAって〇〇なんだよ」といちいち
ごく普通に話してるのが
個人情報をばら撒かれてる気がして
本当に不快な気持ちになってて、

その知り合いのことももっと警戒して
最低限の話しかしないように
すれば良かった、わざわざその話題に
必要以上に乗ることはなかったと
今すごく後悔してる‥。


その知り合いは自分を苦しめる意図が
あってその情報を人にばら撒いてる
わけではないと信じたいけど、

自分がそれを知られたくない人にまで
簡単にベラベラ勝手に話されて

大好きな人にも繋がりがある人
というのがあるから余計にモヤモヤする。


これからは気をつけて
本当にその時に話さないといけない
最低限のことしか話さないように
気をつけたいと思う。


自分なら、自分を信用して
話してくれたかもしれないことを
本人に確認もなく人に話さないけど、

その辺りの感覚や考えや
口の堅さは本当に人によって
違うというのを学んだ。


家庭環境の話とか
更に個人的なことは話してなかった
というのはまだ助かったと思う。

安心なんてどこにあるのか

よく、本当に相性が良かったり
いい恋愛をすると安心感を強く感じて
それまでのその人からは想像も
できないほどゆったりした気持ちになる

という話を聞いたりする。


でも、自分の場合は
相手の行動に問題があって
不安になってるんではなくて、

自分のこれまでのトラウマで
勝手に一人で苦しんでるだけ。

だから、好きになった人が誰か
ということではなくて
自分自身がこれまでのたくさんの
トラウマを乗り越えられてない
ということが問題と分かってる。


それでも、自分ではどうしようもない
不安で夜中もほとんど眠れなくて、
今日は家の用事でいつもより
ハードな日でも仮眠しかできてない。


その不安も、自分ができることの
管轄外のことで、自分が努力して
どうにかできることではなくて、

それならいくら自分がそのことを
グルグル考えたって悩んだって
その努力は意味がないのにな‥。


恋愛だけの話ではないけど、
安心の中で自分が生きていける日は
本当に来るのかなと考えると

正直気が遠くなりそうになる。

距離感がおかしい人:その後

いくつか前の記事に書いた
距離感がおかしい人の話。

結論から言えば今でも
大好きな人を追いかけ回してる。


たぶん、大好きな人自身
できる限り少しの接点も
持たないようにしてる感じ。


それでも、距離感がおかしい人は
自分自身が迷惑と分からないのか
分かってても止められないのか
どっちにしても好き勝手してる。


大好きな人の同僚が前に
同じような目に遭った時は
よっぽどひどかったのか
おそらく会社も対処してくれて、
その同僚自身も自分ができる対策は
取ったという話を聞いた。


自分は現状、ただ大好きな人を
好きという立場なだけで
具体的にこのことに関して
どうしてほしいとかは言えない立場。


それはもちろん分かった上で
自分にとって大切な人を
その大切な人が住んでる町で
つきまとってる人がいるというのは
本当に落ち着かない、不快な問題。


よっぽどの証拠がないと
法的には動いてもらえないし、
大好きな人が働いてる会社の内情に
前から詳しい人が知り合いにいるから
時々話を聞くけど、色んな意味で
大丈夫なのか?と言いたくなる状況で、

会社にも何か被害がない限り
勤め先というだけではきっと
守ってもらえないしなあ。


そのつきまとう人の周りの友達も
同じように粘着質な人が何人もいて
それぞれに生活の中に過度に
追っかける対象がいる人が多いとか。


芸能人を追いかけるとか
そういうのなら分かるけど
(もちろんストーカーとかではなく
健全に応援するという意味で)

身近な所に追いかける対象を作って
そこに気持ちもお金もつぎ込む
みたいなのは怖すぎる‥。


同じタイプの粘着質な友達も
その人を止めるどころか
自分たちも協力してもらってるから
もちろん協力するよ!というノリで、

きっと誰かに厳重に注意されないと
社会的なルールを侵してでも
大好きな人にこれからも
つきまといそうで本当に怖い。


ニュースでもストーカーの話題って
明らかに自分が子どもの頃と比べても
今の方が多い気がするし、

何で自分の感情や欲求をそこまで
コントロールできないのか
正直恐怖しかないし意味が分からない。


もっと厳しくするべきよなあと思う。

ストーカーとかつきまといとか。

する側はそこまで深刻な問題として
捉えてなかったとしても
される側からしたら本当に恐ろしい。


何でそのことが分からないのかな。

相手の立場や気持ちを何でそんなに
簡単に無視できるのかな。
2年前の誕生日に何を思ってた?

2年前の誕生日に何を思ってた?

2年前の、大好きな人の誕生日の景色。


自分はこの日、何を思って
どんなことを考えながら
この風景の中に身を置いてたのか‥

今考えたってはっきりした答えは
分からないけどそれでも考えてる。


でも、これを撮ったのが
大好きな人の誕生日
というだけで特別に想えるし、

例えば大好きな人と出会ってなければ
この日だって365日の中の
何でもない一日なのかなと思うと、

たとえ誰にも言えなくても

別に悪いこともしてないのに
隠れるように好きでいたとしても

こんな気持ちにさせてもらえて
やっぱり幸せに感じてくる。
ペン先まで緊張する瞬間

ペン先まで緊張する瞬間

大好きな人に郵便を送る用事がある時、
宛名を書くのが本当に緊張する。

大好きな人に送る時は
差出人(自分)側の名前を書くのも
いつもよりは緊張するけど、

宛名は更に比べ物にならないくらい
めちゃくちゃ緊張して
何回も深呼吸して意味もなく
「あと5分したら書こう」と思ったり。


この恋愛には悩みもあるけど、
それでもこんなふうに幸せな気持ちに
させてもらえてるのはすごく
有り難いことよなぁ、って。


喜んでくれてると分かってるから
ある程度までは関わったり
近づいたりもできるわけで、
それだって当たり前ではないから。
その一歩がいつか夢までたどり着く

その一歩がいつか夢までたどり着く

あくまでも今の自分の生活は
制限が多い中で無理やり本来の
自分とは違う形のピースを当然に
求められてパズルにはめ込まれてる。

だから、どんなに何かを望んで
今できる努力を全力でしても
だからといってすぐに夢や目標が
叶うなんていうのは難しい。


そんな中でも、ここ最近は
前よりも大好きな人に
近づけてるような気がして、

普段恋愛の話をできる機会は
リアルの世界にはないけど
心の中で自分だけで喜んで
大きな支えにしてる。


まだまだ、大好きな人の
特別な人になってる自分を
はっきり想像するのは難しいけど、
諦めずに一歩ずつでも夢に向かって
前に進める人でいたい。

その笑顔の理由に自分がなれるなら

家のことで心が休まる暇はない。

家の用事で出かけた先の店員さんの
後ろ姿が大好きな人と似てた。

家族もいたから、ただひたすら
真面目な顔をしたままそこにいたけど、
誰にもバレない程度にその店員さんの
後ろ姿を思わず何回か見てしまった。


大好きな人のことが頭からも心からも
毎日全く離れない。

それどころか、こんなに?ここまで?
と自分でも思うほど大好きな人一人で
自分丸ごとがいっぱいになってる。


大好きな人の仕事場で大好きな人と
会った知り合いが「仕事の合間に
〇〇(大好きな人)と話したら
ENAの名前出した瞬間めちゃくちゃ
嬉しそうに顔クッシャクシャにして
笑ってたんだから!
あれをENAにも見せたかったなー!」
と言ってたのを思い出して、

家族とは無難な会話を交わしつつ
心の中ですごくそれを支えにして

大好きな人の笑顔の理由に
自分がなれてるならもう少し
頑張ってみようかな、なんて思う。


自分のこれまでのことを思い返したり
色んな悩みを考え始めると
これだけしんどい思いして
追い詰められて毎日何とか必死で
生き抜くことに疲れ果ててしまう。


だけど、こんな自分でも
人が嬉しく思う理由になれる、
そんなふうに思いきり笑える
理由になれるということ、

そしてその理由になれた相手が
大好きな人というのが本当に
自分も意味がある存在なのかなと
思えて本当に嬉しく幸せな気持ちになる。
その言葉と優しさで生きてる

その言葉と優しさで生きてる

大好きな人が、仕事関係の人に
「ENAのこと知ってる?
〇〇(大好きな人)と同じ地元だよね?」
と言われて即「知ってます!!」と
答えてくれたらしい。


「〇〇がENAのこと
当たり前のように知ってるって言って
びっくりしたよー!
お互いに知ってたんだね!」
とその仕事関係の人に言われて、

そうやって答えてくれたのかと
本当に嬉しかった。

知り合いと思われてもいい、ってこと。

つながりがあることをそういう場で
堂々と言うイメージはなかったから
すごく嬉しくて、

その様子を思い浮かべては
ドキドキして心でニヤニヤした。笑


大好きな人のその言葉と
周りの人たちの優しさで
自分は毎日を踏ん張れてる。

本当に感謝したいと思う。


大好きな人のことをあれこれ
普段は好き勝手言う親が
「そんなに好きならもう
〇〇(大好きな人)の実家の子に
なればいいよ」と呆れるように
言い放ってきたけど、

それが叶うなら自分には本望。


大好きな人のことを胸を張って
恋人とか家族と言える日まで
それを信じて努力していきたい。
苦手なことがあってもいいよ

苦手なことがあってもいいよ

前から、大好きな人って
これは苦手なんかな?と
思うことがあったけど、今日

やっぱりこれは苦手かー!と
確信になった。


人間らしくていいな、と思った。


自分は安心して暮らせない家庭育ち。

家族に暴力的な言動をされることも
当たり前にあったし、
今思えば教育虐待もすごかった。


何かが平均値というのがもう
親にとってはダメで、
全ての科目、全ての場面で優等生で
なければ激しく責め立てられて、
ささやかな楽しみも当然に禁止された。


大人になった今も
そんな過去を苦しく思うことがある。


大好きな人に苦手なことがあって
それでもその分特技を磨いて
温かい表情を浮かべながら生きてるのは

苦手なことがあっても温かく
育ててもらったからなのかなと思う。


大好きな人の名前も
そういう穏やかさを表すような名前で
名前の雰囲気としては自分とすごく
似てるけど大好きな人らしくて
本当にピッタリでいいなあ、なんて。


苦手なことがあるのは
決して恥ずかしいことでも
弱いことでも何でもない。

むしろ、人に完璧を求めて
その人がどんなに苦しんでても
追い詰めて精神的にボロボロでも
理想を優先してそのボロボロに
気づけない人の方が弱い。


大好きな人の弱点を
自分は心から愛しく思う。
10年前迷った自分が知らなかった先

10年前迷った自分が知らなかった先

大好きな人が今仕事で住んでる町は
自分にとって小さい時から
すごく繋がりが深い町。

といっても、複雑な家庭育ちの自分は
いくら繋がりが深くても他県に
自由に行くこともできなくて、

その町に行けるのは家の用事が
そこにあった時だけ。


それでも、大好きな人が今住んでるのが
自分にとってなじみの町というのも
縁があるなと思えて嬉しい。


同じ地元で、そこの町に今住んでる
という人はたぶん少ないし。


自分と同じ県出身くらいまで
広げたら何人かは知ってるけど、

地元の中でも特に地元の人で
そこの町に住んでる人を自分は
大好きな人しか知らないから。



大好きな人が今住んでる町に
10年くらい前に行った時のこと。


そこの建物自体は前から何回も
行ってたけど、その日は珍しく別棟を
歩いててその建物内で迷ってしまった。


真夏でめちゃくちゃ暑くて、
持ち歩いてた飲み物も飲み終えて
自販機を探して長い廊下を
飲み物を求めて歩いてて、

迷いながらも何とか自販機は見つけて
ポカリは買えたけど
元々いた場所まで戻れなくなった。


同じ所をグルグル歩きながら何とか
無事に帰り着いたけど、
当時の自分には本当に緊張した恐怖の
出来事として今も心に残ってる。


夏の明るい時間帯のはずが
そこは窓があんまりなくて
ちょっと薄暗かったことや、

何となくその建物の空気に
においを感じたことも
もう10年も経ってるのに覚えてる。



あの頃は、知らなかったんよなぁ。

10年後、このなじみの町に
同じ地元の人が住むようになるのも、

その人とお互い知り合って
相手はどうか分からないけど
自分はこんなにも惹かれてることも。


「好きなタイプは?」と聞かれても
中身のことならいくらでも言えても
見た目で判断なんかしたって
幸せな恋愛なんてできるはずないと

いつも「タイプとかって外見のことは
考えたことないから分からない」と
それだけ言ってごまかしてたあの頃、

もし外見の好きなタイプを表現するなら
たとえ多くの人が笑ったとしても
自分はこの人がいいと言い切れる人と
出会えるなんて思ってもなかった。



自分は今も、複雑な家庭育ちを
克服できずに生きてるし、
なりたい大人にもまだなれてなくて
当時とは事情がまた変わった家族の中を
がんじがらめになって何とか毎日
自分の心をごまかしながら過ごしてる。


大好きな人がいても
自由に会いに行けるはずもなく、
自分がいくら相手を好きでも
相手の気持ちは分からないのに
そんなにしょっちゅう連絡もできない。

苦しくて切ない恋愛をしてると思う。


それでも、10年前に迷った建物の話に
たまたまなった時、あの頃の自分が
想像もできなかった世界に今
生きてることに気がついた。