Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。

いつもより遠くにいるということ

大好きな人が、出張で
普段いる町より遠い場所にいる。


普段からそこそこの距離があるし、
自由に会えるわけでもない。

だから、出張でそこよりもっと
遠くにいたとしても
生活面で何かが大きくは変わらない。


それでも、いつもより遠くにいるのかと
考えただけで心が痛くなるし、
何となくそわそわしたり
いつもより喉の辺りが詰まったような
苦しい感じがする。


今更ながら、自分がよっぽど
大好きな人を大好きということに
改めて気づいてしまってる。



そう言ってても仕方ないから
大好きな人の出張先に
詳しくなることにした。


これまでも学校の授業で
ちょっと地名が出てきたくらいの
記憶はあるけど、正直すごくメジャーとは
言える場所ではないのもあって

これまで何となくのイメージしか
知らなかったなと思って。


ちょっと調べてみただけでも
新しく知ったことがたくさん!


大好きな人が帰ってくるまで
落ち着かない気持ちはきっと
ずっとあるけど、それでもなるべく

一つでも知識を増やして
成長できるようにしよう。
あの日のメモ書きからの成長

あの日のメモ書きからの成長

大好きな人と出会う前の夏に
隣県で撮ってた写真。


人生の中で出会える人は
どんなに意識して人脈を広げても
どんなに社交的に人と接しても
広い世界で見たらほんの少し。

そして、たとえ必死に知り合いを
増やしたところで本当の意味で
合う人、理解し合える人、
いい影響を与え合える人、
大切な人なんて更にほんの一部。


何度全てを投げ出したいと
思ったか分からないほど
心が荒んだこともあったけど、

そんな人生の中で巡り巡って
大好きな人と出会えたことを
本当に感謝したいと思う。


まだ付き合えてるわけでもないのに
こんなこと言うのも気が早くて
おかしいかもしれないけど。



日記と言えるほど長文でもない
ただのメモ書きみたいなものを

大好きな人を知った日から
さかのぼってしばらく読んでた。

まだこのブログを始める前のこと。


初めて大好きな人を知った
優しい青空のあの夏の日から、

短文でもその時の想いを書き留めた
メモは今の自分にとって
抱きしめたいほど貴重な記録に思えた。


大好きな人が仕事の都合で地元を離れて
自分は家の状況に相変わらずバタバタして
どんなに頑張っても今の状態では
進展なんて望めない気がして、

他にも自分の中でこれはしんどいなと
感じてしまうこともあって、

大好きな人を好きと気づいてから
本当にたくさん悩んで苦しんできた。


それでも、当時の自分の記録を
読み返してると今の時点でも
当時に比べたらすごく進展してるな、

もちろん自分だけの力ではなく
助けてくれたり励ましてくれる
(大好きな人に恋愛感情があるのは
全然周りには誰一人として
伝えてないけど)
周りの人たちのお陰もあるけど

自分も頑張ってこれてるなと
思えたことが本当に嬉しかった!!


後ろ向きに過去を振り返っても
そこには何もないかもしれないけど、

過去の自分と日記とかで対話することで
普段気づきにくい自分の成長が
見えてくることもあると思った。


自分の気持ちを大切にしようかな。

こんなにたくさん傷ついて
誰かを信じることや
誰かを好きになることに恐怖を感じて
家族とか恋愛とかそんなものに
きれいな絆なんてないと思ってきたけど、

一人の人をこんなに大好きになれた
この気持ちを、信じてみようかな。

今より先に追われるのは

昨日の記事書いた後に
色々考えてて思ったことがある。


自分は家族団欒を知らない。

生まれた時からずっと
複雑な家庭しか知らないし、
ある程度大きくなるまではみんな
家でもめちゃくちゃ緊張して
ビクビクしながら暮らしてると
本気で思ってたくらい。


性格そのものは人と関わるのが好きで
重い話題以外の内容なら
基本誰とでもそれなりに長く話せる。

それでも、人を信じるのが極端に
難しいという部分で、恋愛になると
本当にたくさんの悩みが出てくる。


昨日の記事を書きながら思ったのは、

自分は誰かを好きになっても
「人を好きになれて幸せ」という
その瞬間の気持ちを感じるよりも

「この人も自分を好きになってくれて
付き合えたとして将来家族になったら
暴力的なことをしたり嘘ついたり
脅してきたり痛めつけてこないかな?」

という先のことを考えてしまってるな
って。


正直、これだけ家庭内に色々ある中で
育てば家族というものにいいイメージを
持てないのは仕方ないと自分でも思うし

安心できる心の居場所が欲しい
というのがもう人生のテーマみたいに
なってしまってるから、

この人を好きと気づいてからの
恋愛の素敵な部分をすっ飛ばして

“人生における家族探し”に
なってしまってるところがかなりある。



広く浅く無難に人付き合いをするのは
むしろ得意な方な気がする。


家の中では、まともに対等に
会話してコミュニケーションをとる
というのをあんまり学べなかったけど、

家以外の人たちと関わることで
たとえそれが個人的な話や
大事な話ではなかったとしても
いい距離感を保った上で
人付き合いをうまくやっていく方法を
学べたのは良かったと思う。


でも、恋愛になると
上辺だけの世間話だけで
やっていけるわけではなくなる。


本当に相手のことを好きなら
好きであるほど、やっぱりどうしても
特別な感情で見るようになるし、

自分のことを知ってほしいとか
相手のことを知りたいとか
願うようになってしまうし、

他の人なら全然気にならないことが
すごく気になってモヤモヤしたり
普段なら気にもしないことに悩んだり。


きっと誰かを真剣に好きになれば
好きになるほど誰もが
心に苦しみや切なさも抱えることに
なるとは思ってるけど、

自分の場合は、これまでに育ってきた
家庭内であったことがずっと心の
根底にあるから、誰かのことを深く
信頼したり信用したりというのが

もうとてつもなく難しい。


だから、少しずつ距離を縮めていっても
心のどこかでは「この人は本当に
凶暴なところがない人なのかな」とか
「暴力を振るったり脅したり
本当にしてこないかな」とか
「あの言葉は信じていいのかな、
簡単に嘘なんかついてないよなあ」とか

ずっと恐怖の中にいて、

恋愛が幸せで楽しいものというより
将来幸せになるために課された壁
みたいな存在になってしまってる。


自分が自由に使える時間や
自分が自由に行動できる機会が
本当にかなり少ない中で
どれだけ将来のために動けるのか、

今できることは全て常に全力で
頑張らないと自分は幸せになれない

という呪縛みたいなものが
自分の心に常にあって
いつも追い詰められてる気がする。


育った環境は変えられないし、
自分のせいではない。

だから、そこにいつまでもこだわっても
どうにもならないとは分かってる。


それでも、こういうのが幸せ
というモデルケースを知らないのに
自分が「こんな感じなのかな」と思う
幸せを追い求めて生きるというのは、

りんごの色も形も味も知らないのに
一生懸命想像するようなこと。

その自分が想像したりんごは
実際のりんごとは違うかもしれないのに。


“今”心にある、大好きな人と出会えたから
感じられる温かさにもっと集中して
ただそれを幸せに感じて感謝して

生きていられたらきっと自分は
幸せな人間かもしれないのにな‥。
コントロールの大切さ

コントロールの大切さ

自分には特に推しはいないし、
推しと恋愛は全然また別ものとは
思うけど、推しに夢中になりすぎて
家族間でギクシャクして関係が
悪くなった人のニュースを見て、
色々考えさせられた。


推しがいて毎日が楽しかったり、
嫌なことがあっても励まされて
また頑張ろうと思えるのは
いいこととは思う。


でも、自分の周りを見てると
すごくマナーやルールを守って
自分の楽しめる範囲、できる範囲で
推し活をしてる人たちと、

自分さえ良ければいいという考えで
人に迷惑をかけても我が物顔で
その人自身も感情をコントロール
できない状況で推し活をしてる人たちの

2つに分かれる気がする。


そのニュースの人は
初めは「毎日がつまらないから」
「家族とも共通の話題がなくて
話してても楽しくない」という理由で

自分が使えるお金の範囲を決めて
推し活してたけど、だんだんその世界で
「あの人はたくさんお金を使う人」と
周りに思われたかったり、大金を使って
推しに特別扱いされたいという思いが
強くなりすぎて、莫大なお金を
毎月使うようになってしまったらしい。


どういう世界のどんな人を推すかで
色んな状況はそれぞれ違うと思うけど、
心の拠り所がそこだけになるのは
やっぱり危ないなと感じた。


初めは、推しがいて楽しめる生活は
いいなと幸せに思えてても、
もっと認知されたいとか
他の人にはしてないことも
自分にはしてほしいと思い始めると、

それをしてもらうためにはいくらお金を
かけたらいいのか?ということになって
どこまで到達しても頑張っても
終わりがない状況になってしまう。


推し活で人生に張り合いができたと
言う人もいるし、それ自体はいいけど、

夢中になりすぎて歯止めがきかないとか
もっともっとと求めすぎて
自分の感情がコントロールできないのは
誰も幸せではないし
怖いなと思ってしまった。


その人がどんなに部屋に閉じこもったり
推しがいる場所に出かけていったりしても
家族と住んでる場合は少なからず
家族が家のことをしてくれてたり、

家事も含めて色々面倒なことも
背負ってくれて自分の生活上の負担を
軽くしてくれてる場合も多い。


その“家族”が大きい悩みになって
推しに救われてる人も
いるかもしれないけど、

初めから暴力や暴言があるとか
よっぽど安心して暮らせない何かが
あるわけでなければ、いきすぎた
推し活の後で家族との壊れた関係に
後悔する人も多いのかな、と思った。


推しがいなければ関係ない
という話ではなくて
恋愛でも気をつけないといけないなと
そのニュースを見ながら考えてた。


この人がいないと生きていけない、とか
この人にとって特別になるために
無理をしてでもその人の理想の存在に
なって尽くさないと、と思い始めたら

それはもう健全ではないのかも。


自分は家が複雑で人間不信。
友達や知り合いはいても、
本当の意味で心を開くことはない。

そういうバックグラウンドを持つ人は
何かに依存しやすいような感覚が
色んなニュースや記事を読む度に
何となく自分の中で確信になってる。


自分も大好きな人に依存しないように
あんまり心でも重心をかけすぎないように

改めてすごく考えたきっかけになった。

同じ名前の子

昨日、用事で家族と昼ご飯を
外で食べてる時に隣のテーブルに
おばあちゃん、お母さんと来た子は
めちゃくちゃやんちゃな子。


常に何かこれしたい!と騒いで
泣いて賑やかな子‥とちょっと
思いながらあんまり気にしないように
家族が話してくることを無難に
黙って聞いてたら(自分の家族は
普段から団欒とかできるような
環境ではないから)、隣のテーブルで

おばあちゃんとお母さんがその子に
「〇〇ちゃん」と話しかけてるのが
聞こえてきて、その名前が
大好きな人と同じ名前!と思った瞬間
すごくびっくりした。


大好きな人の名前は、そんなにたくさん
ある名前ではないし、これまでに街で
見かけたこともなかったから、

めちゃくちゃ賑やかな
めちゃくちゃ走り回る子ではあったけど
大好きな人と同じ名前の子が
隣にいたのは何か嬉しかった。


もちろん家族にこんな話できないから
一人で、心の中で喜んでた。
嬉しさ半分切なさ半分

嬉しさ半分切なさ半分

大好きな人が仕事で来てる町に
自分も用事で来てて、

大好きな人はあくまでも仕事で
来てるから仕事を頑張らないといけない

自分は用事で来てるから
その用事を緊張しながらも
ちゃんとこなさないといけない、

だから会えるわけではなくて
ただお互いの持ち場で努力する
というだけの時間でも

同じ町にいられたことというのは
2人ともが地元にいた頃以来初めてで。


だから嬉しい気持ちももちろんあるけど
会えるわけでもなく同じ町にいると
思いながら同じ空を見上げてるのは
心が千切れそうに切なくもある。


次は同じ町で同じ時間を過ごしたい。

大好きな人とはたくさん
同じものを共有したい。
自分の心をごまかす苦しさ

自分の心をごまかす苦しさ

夜、いったん目が覚めた時
つい考えて眠れなくなる理由。

それは、大好きな人をどんなに
大好きでもやっぱり恋愛となると
どうしても壁があるよな、と
つい考えてしまうから。


周りを見てても、似たような壁を
越えて(というかそれをその人たちが
壁と思ってたかは分からないけど)
幸せそうにやってる人たちも
いるにはいるし、周り以外でも

ネットでそういう悩みを検索しても
「そんなこと大した問題ではない」
「大人数派ではなくても
自分たちが幸せならそれが答え」
というような人たちもいて、

何か倫理的に問題があるとか
道徳的にどう考えてもおかしいとか
そういうことでもないなら

別に自らその壁があっても相手を
好き!というアピールをする必要は
どこにもないけど

もしかしたら自分が思うよりは
越えられるものなのかな?と
思える時もある。



それでも、これまでずっと
全てのことにおいて“こうあるべき”
“家族の価値観から外れることは
絶対に許されない”という環境で
自分を抑えて生きてきた自分には

大人数派か珍しいかの2択に分ければ
珍しい部類に入るであろうこの恋愛は

とにかく必要以上に身構えてしまう
ものなのかもしれない。



それでも、今の時点でたとえ自分が
どんなにこの恋愛を信じたいと思っても
言ってしまえば勝手に自分が相手を
好きなだけで、相手がどう思ってるかは
ある程度想像はできても、分からない。


人生の中で大切な選択に迫られたり
これも岐路なのかな?と思うような
場面に立つことになった時、心には
いつもこの恋愛のことがよぎる。


「もし〇〇(大好きな人)と進展したら
きっとこんなふうに生きることになって
じゃあ人生の中でこっち方面に
生きる可能性はなくなるなぁ」と
思いながらも、この恋愛に何の確証も
保証もない今は自分の意思や願いに
反して、“そっち方面”の可能性も
考えて動かないといけなかったり、

将来について考える時
心にすごく圧力がかかるというか

自分の心を無視して行動するのは
こんなにも苦しいのかといつも思う。


それでも、毎日の生活の中で
心の中にはいつも大好きな人がいても
顔や態度にはその恋愛を一切出さずに
多方面の選択肢を考えて
同時にあれこれ調べたり行動したり‥

まっすぐすぎる自分にとっては
ストレスがとてもかかることを
できるだけ普通の顔をして
淡々とこなしてるのは
本当はすごく頑張らないとできない。



そもそも周りは、自分が大好きな人を
恋愛の意味で好きとも知らないし、

恋愛に限らず本当は望んでることが
あったとしてもそれを隠して
生きるしかない場合もあるのは大人なら
よくあることかもしれないけど、

せめて自分だけでも自分をほんの少し
褒めてねぎらいたいと思う。
仕事人としての姿勢

仕事人としての姿勢

大好きな人の仕事の話。

大好きな人には、小さい頃から
得意に思ってたことがあって、
その仕事に就きたいけど
難しいかなと何回か迷いながら
その目標を叶えてそれを仕事にした。


自分にも、就きたかった仕事は
あったけど結局その仕事には
就けてないし、周りを見てても
小さい頃の夢を叶えてその関連の
職種に就いてる人は少ない。


もちろん、それが夢と考えてたけど
途中で何かきっかけがあって
自分から他の道に移った人も
いると思うし、思ってたのとは違う
職種に就いても結果的に
幸せな大人として人生を生きてるなら
それが一番素晴らしいとも思う。


ただ、大好きな人はいつも
どっちかというとほんわかのほほん
としてるタイプで、普段見てても

「めちゃくちゃ自分を追い込んで
休むことも惜しんでこの仕事に
就くことに懸けました」

というふうに見える感じではない。


努力なんて見せるために
するもんではないし、
誰かやどこかに「努力してます」と
いくらアピールしたところで
その努力が実を結ばなければ
その努力に関しては説得力はない
と自分は感じるから、むしろ

「ただこのことが好きで
楽しんで極めてたらこの職種に
就職できて幸運でした!」と
いうような大好きな人の
そういうところも好き、と思う。


前に、夢を叶えてすごいねと
他の人に言われてた時、
それまでのゆったりムードとは
少し違う雰囲気で

「だって、努力してきたから」と
言ったのを見て、普段は黙ってるけど
実はすごく頑張ってきたのが伝わって
かっこいい中身を持ってるなぁと
思ったことはあったけど。


それが、大好きな人が
仕事に対して実は確固たる考えを
心のど真ん中にいつも持ってる
というのを知る機会があった。


今の職種の中ではすごく
役に立つ特技を大好きな人は持ってて
それを仕事でどう活かすかを考えて、

自分が仕事場で改善できることは
頑張るしそうではないことについては
変えられない部分にとらわれるより
今その時にできることに目を向ける

それが最大限自分が今するべきこと
というような話をしてて、

こんなふうに言ってしまうと
好きと言いながら信じてないのかと
思われてしまうかもしれないけど

そこまで仕事についてしっかりした
自分のポリシーがあるとは
思ってなかったからいい意味で
すごく新鮮な気持ちになった。

しっかりしてるんやん、って。笑

自分だってそんな堂々と
自分を確立してるわけでもないのに
人のことそんな偉そうに
言える立場でもないけど。


自分は大好きな人と同じ職種では
なくても、その考えには共感もしつつ
新しい学びもあった気がした。

言い知れぬ不安との闘い

もちろん全員がそうではないけど、
大好きな人が働いてる会社には
海外に異動する社員たちがたまにいる。

その職種全体で言えば
その割合はもう少し増えるのかな。

大好きな人が働いてる会社内でも
そんなに何人もたくさんというほど
多くはないけど、たまに
海外に異動になる人がいる。


こういうことを言ってしまうと
ちょっと語弊があるかもしれないけど、
すごく仕事が優秀とか
海外に向いた性格や語学能力とか
そういうのに関係なく
色んなタイミングでその異動が
降りかかってくることもあるにはある。


今日、大好きな人の会社とも
繋がりがある人と話してる時に
その会社内から海外に異動になった
人たちの話になって、そこから心に
一気に不安が押し寄せてきた。


職種を書いてしまうと
自分を知る人が読んだ場合に
ENAが誰なのかというのがもしかしたら
特定されるかもしれないから
大好きな人の職種は書かないけど、

少し珍しい職種で
海外の支社に転勤と言っても
よくドラマとか小説とかで
あるような感じではない。


でも、それでも海外に住んで
働くという部分では同じで、
もし仮に大好きな人がそうなったら
自分の生活状況を考えたら

家族のことをまず気にかけながら
大好きな人との将来を考えるのは
たとえ両想いになれたとしても
現実的に無理なのかなって。


じゃあ、こんなに大好きな人を大好きでも
もし想いが届いたところで
叶ったところで先が見えないなら
ただ苦しいだけなのか?と考えて、

大好きな人が今の仕事をずっと続けても
海外に異動になるかなんてことは
きっと大好きな人本人にだって
分からないのにとても苦しくなった‥。


今の自分にできることは何?

大好きな人に、相手の負担に
ならない範囲で少しずつ
自分の気持ちを伝えること?

自分をたくさん磨くこと?

不安になる度にそれを打ち消して
前を向いて元気に生きること?



大好きな人がいる町は
たとえ同じ日本でも遠くて
そうそう簡単に会える場所では
ないから今もそんなに

心の距離を縮めるチャンスが
転がってるわけではないけど、

もっと頑張って
今できることに集中するべき?


これまでだって全然
そんなに多くの恋愛をしてきてないけど、

この恋愛では元々壁があるのと
今の自分の状況に基本的に自由が
あまりにも少ないのと

今すぐではなくても海外という
可能性もゼロではないのかなということ


こんなに大好きなのに
本当に殴り飛ばしたいくらい
壁やハードルがある気がしてる‥。
まるで双子

まるで双子

決められた家庭内のスケジュールに
ただ合わせて動いてる、
その繰り返しの日常。

行きたい場所があっても
我慢という選択肢しかなく、
大好きな人に会うのも一体いつ
実現するのかと考えだすと
本当に気持ちがひたすらモヤモヤする。


夜、少し時間があった時にふと
思い立って大好きな人との写真を
イラストにして!とAIに頼んでみた。


普段はほぼそういうことはしなくて
本当に珍しく。


そしたら、これ同じ顔!?と思うほど
そっくりな2人のイラストに
仕上がってて思わず笑った。


ルッキズム重視、容姿至上主義の
親からしたら、大好きな人は決して
容姿がいいと言えるタイプではなく

自分が大好きな人との共通の知り合いや
周りの人たちに「ENA〇〇」とか
名前を組み合わせた呼び方で
呼ばれてるのもめちゃくちゃ
いい顔はしてない。


大好きな人が働いてる同じ会社に
市は違うけど県は同じ地元の人がいて
その人と自分の顔のあるパーツが似てる
という方を主張してくるし、

その市は違うけど県は同じ人は
その会社内ではたぶん容姿もいいと
思われてる人というのもあって
親は「ENAはその人とパーツが似てると
言われててほしい」という気持ちも
おそらく相当ある。


でも、自分はそもそも世間的に見た
容姿がいいからという理由で
誰かを好きになることは全くなくて、

大好きな人は確かにすごく容姿に
恵まれてはいないかもしれないけど

自分にとってはすごく温かい気持ちに
なれて心が落ち着く顔と感じるから

それでいいと思ってる。


だから、今日少し時間があって、
何気なくそのイラストをAIに
作ってもらった時に本当にそっくりな
双子!?みたいなイラストになってて
すごく嬉しかった!!


イラストでもまあまあ特徴を
掴んでるように感じるから
一応顔はスタンプで隠したけど‥笑、

でもスタンプで隠してもまだ
何か雰囲気は似てる気がする。


同じ地元の大好きな人が
自分が昔から関わりがある会社で
働くようになって
大好きな人が更に身近になって、

親との会話の中で「〇〇が会社で‥」
みたいに大好きな人が話題に
出ることもある。

自分からはあんまり
話しすぎないようにはしてるけど、
それでもそういう機会はある。


そんな中で、親が自分が思ってきた以上に
ルッキズムの考えを持ってることに
本当にびっくりしてしまったけど、

自分は見た目より大切なことが
世の中にはたくさんあることを
小さい時からの家庭環境や
学校生活で痛いほど学んでるから、

顔でも何でも優れてる人や
恵まれてる人をそれはそれでもちろん
いいとは思うけど、それで人間の
価値を測ったりは絶対にしない。


だから、大好きな人と
雰囲気が似てるとか
共通項が多いねと言われても
それは自分にとっては完全に褒め言葉。


本当はこのAIが作ったイラストを
大好きな人にも見せて笑ったり
盛り上がったりしたいけど、

現状はまだまだそこまで
日常に全然関係ない話を
気軽にできるほどではないから、

そんな話もできるようになるまで
できることからコツコツ
努力していこうと思う。