Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。
自分の恋愛と共通項がある人が
ネットで何かの記事になってて
何気なくそこのコメント欄を見たら、

応援してる!って人もいたけど
目を覆いたくなるような
批判的な内容を書いてる人もいた。


家庭環境の複雑さで言えば
自分もまあまあ昔から明らかに
「普通」の枠ではない中で
生きてる人間ではあったけど、

元々そんなふうに「普通」から
はみ出した人間でも
自分の今の恋愛は人によっては
こんな言葉で非難されうること
なのかなあと思うと心にすごく
重くのしかかってきた。


自分と同じような状況に限らず
そして恋愛に限らず

世の中には色んな状況や立場の人が
いると思うけど、その人が
割合的に少数派であったとしても

自分自身とは価値観や感覚や考えが
違ったとしても、だから批判や
非難をしても許されるというのは
おかしいと自分は思う。


恋愛でいうと、その相手が
例えば何か公序良俗に反するような
迷惑をかけてくるとかで
それに対して不快を示すのは

批判や非難ではなく
真っ当なことのはずでも、

何も迷惑をかけずに
生きてる人たちに対しても
「少数派はおかしい!」
「気持ち悪い!」
「もし自分の家族なら絶対嫌」
とか言うのは、さすがに言葉が
行きすぎな気がしてしまう。


自分が意図せず少数派に分類される
状況に誰もがいつなるか分からない。


価値観や感覚や考えが
たとえ世間の平均値でも
平均値=人として正しい
とは限ってないと思うし、

価値観や感覚や考えとは
また違う何らかの事情で
誰もが世間から見た少数派にいつ
入ることになるかは分からない。


それでも他人事なのかなぁと思う。


自分とは違う人たちとか
自分には理解できないと思うのもまた
人としての自由ではあるけど、

だからといってそのまま
それをぶつけて自分は正義

というのは違う気がする。


好きで少数派になってるんでもなく
すごく悩んだり苦しんだり
周りからは見えない苦悩や葛藤も
たくさんあるのにな、と思う。


目立ってなんぼ、炎上大歓迎
みたいな考えをしてる人は
あえてそれを狙ってる人も
中にはいるのかもしれないけど、

多くの人は周りに否定されたり
批判されたり非難されたら

その態度がきつければきついほど
すごく傷つくし
人と関わるのが怖くなる。


自分の恋愛はやっぱり
少数派というのを実感してしまった。


何も悪いことや
倫理的に引っかかることを
してるわけでは全然ないけど、

それでも周りに知られたら
もしかしたらこの人は自分を
理解してくれそうと今思ってる人も

激しく好き放題非難する方に
回ってしまうのかなと考えると
絶対に誰にも言えないなと思った。

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