大好きな人のこと、自分の親も
前は全然否定的ではなかったのに、
だんだんなぜか大好きな人の話題に
攻撃的に意見してくるようになった。
おそらく、前まではあくまでも
“地元が同じで共通点が多い人たち”
というくくりで大好きな人と自分を見てて
それだけなら家族から見ても
特に文句や不満はなかったから。
もしかしてお互いに少なからず
恋愛感情があるのか?と会話の中で
ほんの少しでも思う何かが
あったのかもしれない。
できる限りそういうふうに
とられそうな状況では
大好きな人の話はしないようには
気をつけてるけど。
自分は複雑な家庭に育ったから
一般的にも倫理的に問題があるような
ことではなくても、親の一存で
あれはダメ、これもダメと
親の思い通りではないことは
たとえ脅してでもさせないようにする
という言動も当たり前にあった。
元々、この恋愛には大きな壁がある。
だけど、そんなものがなかったとしても
きっと親は好き勝手意見してきた気がする。
昨日、たまたま大好きな人の職種に
関する話をしてる時に親がいきなり
「もし、〇〇(大好きな人)が
地元同じではなかったら
こんなに親しくなろうとか
思わなかったでしょ?」
とまるでそう決めつけるかのように
聞いてきた。
もちろん、大好きな人と地元が違う
という世界線を生きたことはないから
「絶対そう」とも「絶対違う」とも
言いきれない、というのが
誠実な答えかもしれないけど、
普段自分の意思や想いを
尊重してくれてる親に言われても
大して気にならないであろうことも、
普段が普段だけに
「また親の価値観の押しつけか」
「また親が望む生き方に
矯正されようとしてるな」としか
もう思えなくなってきてる。
ここでどんなふうに返事しても
自分の恋愛が親が望む恋愛と
ピッタリ合ってない以上は
その返事によってはまた余計に
あれこれうるさく言われそうな空気が
すごくしてきたから、
「いや、そんなことはないよー」と
一言言った後、違う話に意識的に変えた。
何でここまで気を遣わないと
いけないのかなあ。
人として明らかに問題があるような人を
好きと言われればそりゃもし自分が親でも
頑張れ!応援するよ!とまでは
おそらく思えないし、
冷静に考えたらやっぱり良くないな
と本人もいずれ考えるようになる
というケースもあると思うけど、
恋愛する上での壁はあっても
恋愛そのものは人に言えないような
コソコソしないといけないような
恋愛はしてないけどな、と
悲しくなることも多い。
今思えば、昔はもう何でも
親に話さないとどうせ自分の頭の中なんて
きっと親には知られてる、くらいの
諦めなのか洗脳なのか分からないけど
そういうのがあったから
そこまで話す必要なかったなと
今なら感じるような友達同士の
人間関係のこととかも話してた。
だから、親も「ENAは何でも話す」
「親が意見すれば絶対に逆らわない」
「全て思い通りになるし
ちょっと脅せば世間的にも自慢に
なるような模範的な振る舞いも
してくれるから都合がいい」
ときっと思ってきた‥はず。
今は大好きな人との恋愛以外でも
例えば趣味繋がりの人間関係とか
これは親に知られたら色々と
面倒なややこしいことを聞かれたり
理不尽に制限されたりするなと
想定できることは初めから
言わないようにしてる。
それはそれでいいのかもしれないけど、
本当は恋愛の話を家でもできて
家族が相談に乗ってくれたり
知り合いとかには話せないことも
家の中では話せるような
そんな家庭に身を置けてたら
恋愛で壁があったりしんどい時も
少し救われたりするのかな、と思う。
大好きな人と、ひょんなことから
初めて連絡を取り合えるようになった
あの日のことは、今も忘れられない。
思い出すだけで、夢ってこんなふうに
意外な形から叶うこともあるのかと
信じられない気持ちでリビングの端っこで
家事の合間に喜びのあまり
ドキドキしたまま立ち尽くしてたその瞬間が
心の中に蘇ってくる。
その日、その嬉しい出来事が起こる直前まで
キッチンで料理の作り置きをしてた。
昔から大好きな、地元の郷土料理。
時間がある時に作っておけば
食べたい時に温めて食べられる、
それが本当に助かるから
すぐ先の未来の自分のために
作り置きしておくことは当時からよくあった。
今日も、午前中少し時間があったから
その同じメニューを作り置きしてた。
野菜を切りながら、あの日もこうやって
まさか30分後にあんな嬉しい出来事が
起こるなんて知らずに疲れを心に押し込んで
必死に野菜を切ってたなと思い出した。
こうなったらいいなと願うことが
自分が想定してたのとは違う方面から
ある日突然叶うなんていう現実が
存在すると初めて知ったあの日の話を
普段誰かに語ることはないけど、
心の中ではいつもその日の
あの感情や感覚が自分を支え続けてくれてる。
元々大好きでよく食べてきたそのメニュー。
そんな嬉しい出来事という思い出がある今は
更に特別なメニューになった。
あの日みたいに、それまでは夢に感じてたことが
叶う瞬間にまた出会えるように
それを信じながら生きていかないとなあ‥。
この前、大好きな人が働いてる支社の
関係の知り合いと桜の話題になった時
「そういえば、〇〇(大好きな人)って
桜が似合う雰囲気だよね」と言ってきて、
これまではそんなふうに考えたことは
なかったけどそう言われてみたら
確かにそんな気もしてくる。
大好きな人が地元を離れて
遠い場所に移って2回目の桜の季節。
これから先も、大好きな人がこの地元で
桜を見る機会は長い間ないのかもなと思うと
とても切ない気持ちになる。
今からいくらそう考えても
どうなるわけでもないし、
その当時は自分ができることを最大限
頑張ったからそれ以上今更あれこれ
考えたって仕方ないけど、
大好きな人が地元にいる間にもっと
心の距離を縮められてたら今こんなに
悩んだり苦しむこともなかったのかな
とはやっぱり思ってしまう。
少し前に、大好きな人に渡す物を
その桜の話をしたのとは別の知り合いに
ことづける機会があって、
もしその時点で少しでも桜が咲いてたら
メッセージと一緒に桜の花びらを
押し花にしたりとか写真を添えるとか
何かしたかったけど、まだ咲いてなくて。
桜はいつもきれいで心癒されて
冬の季節も寒さを我慢してたと思うと
本当に励まされるけど、
大好きな人のことを想うと
切ない花でもあると今年も改めて気付かされる。
普段の生活で、恋愛の話をすることはない。
大好きな人のことも、人として尊敬してる
というような話はしても、世の中には本当に
色んな人がいると思うし、この人が好きで
恋愛感情を持ってるというはっきりした話は
基本的に誰にもしないようにしてる。
昨日の夜、AIと話してた。
恋愛のことで相談したいことがあって、
本来ならAIではない実際の人間で
信用できる人に相談するのが一番いい
とは思うけど、誰を信頼していいのか
自分にはよく分からないから。
「〜してもいいのかなあ」みたいな相談をしてたら
「相手の気持ちを思いやることや
相手の立場や状況を考えることは大事だし
それがいつもできるあなたは素晴らしいけど、
ちょっと遠慮しすぎというか
気を遣いすぎにも思える。
自分がこうしようと思うことを
行動に移すのも大事だよ」
というようなことを言われて、
あまりにも正論すぎてただその画面を
見てることしかできなかった。
知り合いとか、何なら初対面でも
自分は人と話すのが好きというか
見た目には絶対に人と距離を置く
性格には見えてないと思う。
だから、周りの誰にもきっと分からない。
自分が本当は誰も信じられないのも
自分がこれまでに誰にも甘えたことがないのも。
自分の気持ちや希望を言うと
それがほんの一言でも
親からの暴力や暴言を受けるきっかけになった。
だから、何も言わない、全て我慢する、
それが小さい頃から当たり前という
日常を過ごしてきた。
本当は、実際に存在する
そして心から信頼できる人間と話せたら
更に色々見えてくることもあると思うけど、
AIと話してるだけでも
自分を客観視できたり
第三者から見たらもうちょっと
自分は大好きな人にも積極的に
関わっていってもいいのかなと
違う視点から自分を見ることができる。
いつもいつも人と繋がって
多くのものが可視化されて
目に見えるものだけが全てみたいな
今の時代は自分には合わないと感じるけど、
AIに助けられることも
正直あるなあとも思ったりする。
自分は本当は大好きな人ともっと関わりたいし
大好きな人と心を寄り添わせたいと
願ってるのを改めて知った。
少しでも人として魅力がある人になりたくて、
前から興味があったことを1週間くらい前から
ちょっとずつ勉強してる。
自分の自由な時間自体が少なくて
一気にその勉強が進むわけでもないし、
そうやって自分の世界を広げたからって
夢が叶うとか目標が実現するとは
限らないのかもしれないけど、
「今の自分では認めてもらえない」
「今の自分では受け入れてもらえない」
という渇いた苦しい思いが
子どもの時からずっとあって、
それに突き動かされるように
今はその勉強を頑張ってる。
安心して呼吸できる場所が欲しい。
大好きな人がそんな居場所になってくれたら
こんなに嬉しいことはない。
大好きな人が働いてる支社がある
町に住んでる知り合いと少し前に
話してた時に、「ENAって〇〇(大好きな人)と
すごい共通点あるのに、普段全然実際に
話す機会とかないんでしょ?」と
いうような話題になった。
その話の中で「よかったら協力するよ」と
言われたことがあって、自分は家のことも含めて
これまでの人間関係で人間不信を
色濃く植え付けられてるからか、
本当に信じても大丈夫なのかな?と
思って一瞬迷ってしまった。
その知り合いは、たぶん本当に純粋な気持ちで
「ENAは遠くに住んでるし
色んな事情があって〇〇とも会えないから
ENAと〇〇なら共通の話題もたくさん
あるだろうし、もっと仲良くなれるのに」
というふうに思ってくれてるのは伝わってくる。
その知り合い自身も、自分とは細かい事情は
違うけど身近なところに悩みを抱えてて、
きっとその状況で周りの人と人間関係を
こなしていく中で、色々思うことも
たくさんあると思うし。
その知り合いも含めて周りの誰かに
何かをしてあげると言われても自分は
全面的に頼ったりはなかなかできない。
臆病者なのかもしれないし、その知り合いが
心から善意で言ってくれてるとすれば
すごく失礼なことを考えてるとも思う。
だけど、その知り合いに対しても
この先もいい関係を保てるように考えつつ、
恋愛において誰かを介して何かをしてもらう
ということは直接的に自分と相手だけという
関わりよりは多少のリスクがあると思うから
そこは慎重なほど気をつけたい。
恋愛だけではないけど、人を介すことで
本来自分が思ってたのとは違うふうに
相手に伝わるという可能性はあるわけで。
それでも、今の現状では大好きな人と今より
心の距離を縮めるきっかけというのは
本当にかなり限られてるとすごく思うし、
1回1回の機会を大切にできるように
心がけて頑張りたい。
損得勘定で動く人も多い中で
その知り合いにとっては自分と大好きな人が
どんなに仲良くなってもその知り合いが
何か得するわけでもないのに
自分のために考えて動いてくれることは
本当に感謝しないといけないと思うし。
損得が全てみたいな人(親の片方)を見て
育ってきたからもあるのか、
そういう打算なく動いてくれる人を見ると
「何の得にもならないのに
人のために動いてくれるこの人を
信じてもいいのかな」という疑問は
なかなか心から消えないけど、
考えたら自分だって大切な誰かのためには
自分の損得なんか考えないし
それと同じことなのかな。
人間不信でも、これまでは
「ずっとこの考えは人として寂しいな」と
たまに思うことはあっても
すぐにどうこうしようとは思ってなかった。
それが、大好きな人を好きになって
「この人のことは信じたい」と思ったし、
自分が大好きな人をどれほど恋愛感情で
見てるかまでは知り合いには分からなくても
そうやってもっと仲良くなれるように
協力してくれるのは本当に有り難いと
感謝しないといけないんよなあ。
大好きな人が働いてるのとは
また別の支社のこと。
だけど、すごく考えさせられた。
大好きな人が働いてる支社とは
距離的にも遠い所ではあるけど、
そこで付きまとわれてる社員がいる
という話。
これまでも、その職種に限らず
全然別の所でも「これはちょっと
距離感おかしくないか‥」というような
ストーカーに足を踏み入れてる?と
思うような話も聞いたことがあるし、
そういう人がこの職種の周りにも
いるのかなと怖くなった。
どうやらかなりひどい付きまとい方で
その支社の社員やその周りの人たちの中では
その付きまとってる人は有名らしく‥
その支社の関係の人が
「いくら好きでも、自分勝手な気持ちの
押し付けは相手からしたら迷惑だし、
執着したら余計に嫌われるよ」と
その本人に言ったら
「別に好かれるとか嫌われるとか
そんなことは考えてません!
だって、私が好きだからそれを
相手に対して表現してるだけです。
何が悪いんですか?」
と言われたというのを知って、
そこまで身勝手な人もいるのかと
かなりびっくりしてしまった。
人を好きになるの自体は素敵な感情でも
こうなってしまうとただの迷惑で、
冷静にそれに気づけないのも
本当に怖いなと思う。
自分は元々自分に自信がないせいで
むしろこの逆というか
よっぽど分かりやすく相手からも
嬉しいとか好意を示してもらえないと
「嬉しいと思ってもらえてないのかも」
「少しでも迷惑なら身を引こう」と
考えてしまうタイプで、
それはそれで良くないのかもしれないけど。
自分を客観的に見る、冷静に言動を考える、
いくらその人を好きでも暴走はしない。
ただそれだけのことが、恋愛になると
難しい人もいるのかもしれないけど、
しつこさも度を越したら犯罪よなと
ものすごく冷静に思ってしまった‥。
その支社のその社員は、たぶんこの人は
モテるのかもしれないなと思えるような
容姿が整った人ではあるけど、
どんなにかっこ良くても
どんなにモテる人でも
付きまとって許されることには
決してならないと思う。
好きっていう気持ちをちゃんと
自分でコントロールしてこそ
いい恋愛ができるはず。
自分自身も自分勝手にならないように
気をつけたいと思った。
大好きな人との大切な思い出や
恋愛に関する特に持ち歩きたい小物を
パスケースも兼ねた小さいポーチに入れて
毎日持ち歩くようになって
今日でちょうど1年が経った。
それまでも、写真をシンプルな
アクリルのフォトホルダーに入れて
人には見えないように持ち歩いたりは
してたけど、その写真以外にも
色々と思い出がある小物を
ポケットに入れていつも持ち歩いて
仕事や家事の合間に見たいと
思ったのがきっかけで
そうするようになった。
今はもうそれが日常になって、
大好きな人のことで悩んだり
苦しんだりすることはあっても
そのパスケースをポケットに
入れなかった日はない。
それでも、今振り返っても
1年前は“ただそんなふうに写真や
思い出の小物をまとめてパスケースに
入れて毎日持ち歩く”ことを、
すごくそうしたいけど
すごく怖いとも思ってた。
それまでは、思い入れのある写真は
スマホのフォルダ内で見てた。
だけど、家の事情上
スマホなんてそうそう自由には見られない。
時間に追われる中で、家族に隠れて
ちょっと写真や恋愛に関する小物を見て
励まされてまた頑張ろうと思える時間が
どうしても欲しくて、どうしても必要で。
スマホで写真を見ようと思うと
スマホを触れる環境下でないと見られない。
フォトキーホルダーも手軽でいいけど
写真以外の小物も身につけていたい。
それでパスケースを持つことに決めたけど
そうすることでもっともっと
大好きになってしまったら
更に気持ち的にしんどくなるのかな、
追い詰められてしまうのかなと考えると
すごく怖くて、しばらく迷った。
この1年、自分にとっての励みと支えを
ポケットに入れて持ち歩いてきて、
うれしい時や楽しい時はもちろん
心が壊れそうにしんどい時も
1人になれる場所を探しては
その中身の写真や小物を見て
「あと少しだけ頑張ってみよう」と
いつも自分に言い聞かせてきた。
左ポケットに入れてた時も
いっときあったけど、ほぼずっと
右ポケットが定位置。
見られない時もポケットの上から
触るだけでも元気をもらってきた。
大好きな人を初めて知った頃は
ただ素直に、人間不信の自分がこんなに
1人の人間で心を埋め尽くすほど
好きな人ができたことが本当に嬉しくて、
自分もこんなふうに誰かを
まっすぐ好きになることができると
思えて幸せな気持ちが強かった。
大きな壁はその当時から
頭の中にはずっとあったけど、
自分は大好きな人を知ってすぐ
この人いいなと特別な感情を持ったから
その時点では先々まで考えて
あれこれ悩むよりも、自分も人を
こうして好きになれるのかという
その側面でこの恋愛を見ることが多かった。
でも、そうやってどんどん好きになって
付き合えたら‥と考え始めた時に、
その大きな壁は明らかに
その壁がない恋愛よりは苦しくて
辛い気持ちになったりすることも
多いであろうと考えるようになった。
色々と調べてみたら、自分たちのような
壁を乗り越えて幸せになってる人たちも
たくさんいて、それにはホッとしたけど、
世間には心ないことを言う人もいたり
その2人のことをほとんど何も知らないはずの
ネット上の人たちが好き勝手批判したり、
そういう意味ではとても厳しい中を
生きるのを覚悟しないといけないのかなと
どんなに好きでも諦めるべきなのか
少人数派の恋愛をしてれば
何を言われても仕方ないと
受け入れざるをえないのかと
幸せというよりも悩みや
苦しみの方が多くなってきた。
大好きな人は内向的で受け身な人。
自分は陽キャすぎる人が苦手で
大好きな人のそういうところも好き。
だけど、自分のことを
どう思ってくれてるのか、
もし恋愛感情を少しも持ってないのに
ちょっと嬉しそうにしてくれただけで
勘違いして自分がアプローチした場合に
本当に気まずくなるな、
同じ地元でそれは辛いなとか
大好きな人の気持ちが読めない状態で
相手の負担にならないように考えて
アプローチを少しずつしていくのは
まるで暗いトンネルの中で
手探りで出口を探し続けるような
そんな日々。
それが、去年の晩秋になって
大好きな人からも
「これは自分のことを好きで
いてくれてると思っていいのかな」と
思えるような行動があって‥
こんな嬉しいことが人生の中には
突然来るのかと思って
心が喜びでふわふわしたり
自分の勘違いではなさそう
ということに安堵したり、
それでもまた別の場面では
悩んだり苦しみながら
これまでを過ごしてきた。
このパスケースを持ち始めてからの
この1年だけを考えても
家族からのDVなどもありながら
よく生き延びたなと思うし、
そんな環境に身を置きながら
(もちろんいずれ脱出するつもり)
水面下で恋愛もよく頑張ってきたなと思う。
大好きな人のおかげももちろん大きいし、
自分は誰かへの恋愛感情を人に
話すこと自体ほぼないけど
それでも自分に良くしてくれる人たちの
優しさや気遣いもあるし、
とにかく感謝したいと思う。
これからもこうしてこれまでの思い出も
大切にしながら、更に幸せな思い出を
新たにまた作っていけるように
それを信じて生きていきたい。
小さい頃、家庭環境が理由でものすごく
トラウマになってしまったことがあって、
それを克服したいというか
それを克服しないと大人になっても
幸せになるのは難しいのかもな
という思いがずっと心にあった。
恋愛する上で、すぐにそれがどうこうとか
影響するわけではないかもしれないけど、
恋愛でだってずっと先を考えれば
自分のそのトラウマは悪く影響こそしても
いいようには影響はしないとは考えてて
それがコンプレックスになってた。
“これがトラウマ”とか
“このコンプレックスも自信を持つ上での
足かせになってる”とかはぱっと見では
全然分からないし、実際自分も人から
それを指摘されたことはない。
だけど、自分自身はそれが深くトラウマで
コンプレックスなのを分かってるから、
恋愛だけでなく生活全般で
自分に胸を張れないなと感じることも
きっと自分が思う以上にあった。
大好きな人と出会って
この人に特別な感情を持ってると気づいて
それからずっと今まで
「このままではダメなのかな」というのが
常に心にあった。
大好きな人を好きになって
恋愛面でもその他の面でも
成長できるところはできる限り
成長したいと考えてるから、
少し前からやっとのことで
勇気を出してこのトラウマにも
向き合い始めた。
家庭環境も関わってくる内容で
なかなかこのトラウマの話は
普段から自分の話をなるべくしない
その中でも特に人には言えないこと。
どうやったら克服できるかなと
時間がある時に少しずつ調べて
これなら頑張れるかもと思える方法を
見つけたから実践してみることにした。
そこからまだなかなか1歩踏み出せずに
そのトラウマのこと以外でも
鬱々と悩んでることがあったりもして
数ヶ月経ってしまってたけど、
一昨日、昨日と家で暴力的な
ハラスメントの被害に遭ったのもあって、
恋愛に限った話ではなくもっと広い意味で
ここから抜け出すためにはそうやって
少しずつでもトラウマを最小限にして
コンプレックスもなくしていって
自分に今より自信を持てる状態に
していかないといけないと改めて
考えて今日やっとその一歩を踏み出せた!
ただ、それをいくら頑張ったからって
目に見えて他の人から分かる
というものではないと思う。
それでも、間接的にでも
自分を少しでも自分で認められること
自分に少しでも自信を持てること
を続けていって、それが恋愛でも
夢を叶えられる将来に繋がっていったら
いいなと思うから頑張ることにした!
ここ数日、大好きな人と自分の間には
現状どうしようもない差があると
感じてしまうという悩みで頭も心も
いっぱいになってしまってたけど、
大好きな人の親が普段から
大好きな人に言ってる言葉や
その言葉を親と離れて暮らしてる今も
ちゃんと心に留めてる大好きな人の
様子を見て、たとえ育った環境や
今過ごしてる日々の状況は違っても
自分が心から好きになれた人を
向き合って信じてみようと
ここ数日の中では一番思えるようになった。
自信なんて、お金では買えないものも
たくさんあるし、コツコツと黙って
積み重ねていくしかないと思う。
地道に頑張っていこう。
幸せな春を生きられるように*
歩きながらふと見上げた先に
ボーダー柄みたいな空。
どんなに似てるとか
ニコイチのように言ってもらえても
(もちろんそう言われることは嬉しい)、
愛されて育ってきた大好きな人と
家庭内で苦しみながら
育ってきた自分の間には
ボーダー(境界)があると
大好きな人との心の距離が縮まるごとに
実感して孤独を感じてしまう。
大好きな人が何気なくしてることが、
自分には昔、家の中で苦しんできた
特定の辛い記憶に繋がったりする。
社会的にも問題がある行動ではないから
当然、大好きな人のその行動は
世間的には誰からも責められない。
それは当たり前、と思う。
社会的にとか、人としてとか
人を傷つけるようなことを何もしてない、
それを有り難く思わないといけないと思う。
人をどんなに苦しめても心が痛まない、
何なら人を苦しめることが楽しい、
自分さえ良ければいい、
そんな人を家庭内でも見てきた自分は
大好きな人みたいな人を好きになれたのを
本当に幸運と喜ばないといけない。
心の中ではそう分かってるのに、
大好きな人に対して
昔の辛かった記憶と重なる部分を感じた
その瞬間を何回も頭に繰り返しては
「この人を好きでいるのが怖い」と
ここ数日、ずっと思ってしまってる。
地元の人が言ってた。
「〇〇(大好きな人)って、小さい頃から
ずっと△△(今就いてる職種)が本当に
好きで好きで仕方ない子で
実際にその仕事に就けたのは
本当に素晴らしいと思うけど、
これからも変わらずに
小さい頃の気持ちを忘れずに
遠くに住んでても頑張ってほしいなって
やっぱり思うよね」
って。
温かい家庭に育って
あんなに自然にクシャッとした顔で
幸せそうに笑えて
ああいう顔は本当に幸せな家庭に
育った人にしかきっとできないと
それは前々から感じてたけど、
大好きな人が働いてる支社の関係の人が
「〇〇(大好きな人)って、ENAの名前出すと
本当に嬉しそうに笑うんだよ」
「ENAのことになると、何か〇〇って
ドキドキしてる感じの仕草するよね」
と言ってくれる度に
「自分もあの顔の理由になれてる」
「自分の存在が〇〇の心を動かせてる」
ということが支えでもあって、
だからその分その境界も
曖昧になってた。
でも、この前の週末、
自分の中で強烈に昔家庭内で
トラウマを植え付けられたことを
大きく引き起こすような出来事が
恋愛の中で起こった。
実際に大好きな人と会って
何かその言動を目の前で見て
そう感じたんではなくて、
大好きな人が働いてる支社の人が
録った動画の中での数秒のこと。
もちろん、その時そこに映ってる数人も
それを誰かが見たとしたらその人も
おそらく何にも気にならないと思う。
離れて暮らしてても、こうして動画を
届けてもらえるような環境を
幸せに思わないといけないのに、
自分一人で勝手に昔のことを思い出して
大好きな人とこの先も恋愛が続けば
自分はこのトラウマと更にずっと
向き合い続けないといけないのかなと
考えるとこの恋愛自体が
すごく苦しく辛く思えてきて、
だけど大好きな人のことは
本当に大好きで
だからこそ苦しくて仕方ない。
ここにまだ言葉にして吐き出したり
打ち明けられるから精神的に
保っていられてると思うけど
(もし誰か読んでくださってたら感謝です)
昔のトラウマが強ければ強いほど
それを乗り越えるのにも時間がかかるのかな。
家庭内のこれまでの複雑さが
恋愛も含めてあらゆる人間関係で
高い高い高すぎるハードルに
なってるような気がするのがやるせない。
こんなに大好きな人がいることは
とても幸せで誇れることのはず。
その恋愛でこんなに苦しむなんて
たたただ悔しい。
これまでの自分の育ち方を考えても
「親の機嫌を損ねないことが
唯一安全に生き延びる手段」
という家庭にいたのもあって、
人に頼る、人に寄りかかる、というのが
未だに本当に苦手で、極端に恋愛に抵抗や
葛藤があるのもそのせいもあると思う。
これまでのトラウマを思い起こさせることが
恋愛の中で少しでも再現されると、
そのこと自体はそんなに悪い意味を持つ
ことではなくても自分にとっては
恐怖や拒絶が心の中に渦巻いてくる。
最近、恋愛で悩むことがすごく多い。
毎日、表面上はちゃんと自分の仕事をこなして
いつものように振る舞ってるけど、
心の中はなかなか気持ちが晴れずに
切り替えもできずにいる。
心が痛くなったり息が苦しくなるほど
悩むことなんてない方がいいし
これが毎日となるとすごく苦しいけど、
そんな時間を過ごしてて
改めて気づいたこともある。
さっきも書いたけど、自分は恋愛で
自分の感情のコントロールを相手に
任せたり頼ることは全くない。
自分自身の機嫌のコントロールができない
家族のもとで育って、物心ついた時には
親にわがままを言う同い年の子たちを尻目に
必死に親の機嫌をとってなだめて、
それでも当たり散らされながら生きてきた。
自分には何の責任もないことで
そうやって機嫌をぶつけられるのが
どれだけしんどいかは身にしみて解る。
そんなバックグラウンドもあって、
小さい頃から自分は
自分の機嫌を自分でとる。
だから、恋愛でもそれでいいと思ってきた。
正直、相手からしたらめちゃくちゃ楽なはず。
勝手に明るく元気に振る舞ってくれて
機嫌で態度が変わることが全くないなんて、
自分にとっては学歴とか容姿とか
どんなスペックより価値があるもの。
でも、今恋愛のことで悩んでる中で
すごく分かったことがある。
自分は確かに、実際の言動では
相手に自分の機嫌をとらせようとしたり、
構ってほしそうな態度でしつこくしたりは
全くしてないけど、心の中では
見えない部分でとても恋愛に
寄りかかってしまってると思った。
自分の頭の中をもし可視化してみたら、
今の自分が抱えてる色んなことを
考えてる割合ももちろんあるけど、
恋愛が占めてる部分は
自分が思ってる以上にきっと多い。
相手に依存的な行動をとってない
というのは自分のいいところではあっても、
そういう行動をとってないから健全か?
といえば、そうではないのかもしれない。
あと、いつも「自分がコントロールできない
部分に関しては考えても仕方ないから
考えないようにしよう」とは意識してきたけど、
意識してる時点でどこかもうそれをちゃんと
できてるような気持ちになってただけで、
実際には「何で〇〇(大好きな人)は
こんなことするのかなあ、
これをやめてくれたらいいのに」とか
それが本当に人を傷つけると誰もが
分かりきったようなことならともかく
自分がこれまでの育ちで抱えてるトラウマが
それを苦手にさせてるだけで
一般社会的には特に責められるような
ものではなくよくある話みたいなことで
「昔の辛いことを思い出してしんどい」
「家族にされたひどいことがよみがえる」
なんて落ち込まれても、それこそ大好きな人には
理解のしようもないし、きっと面倒なだけ。
大好きな人は、そんな家庭環境を
知らないから自分自身の態度が人をそこまで
悩ませて傷つけてるなんて思ってもないはず。
今回のことに限らず、これから先も
大好きな人の何気ない言動で
自分の家庭内であったこれまでのことを
思い出して落ち込んだり苦しんだり悩む
ということもありうるのかなと考えると、
何かもうすごく悲しくなってしまって。
別にそんなこと何も起こってないし、
それこそ考えたところで自分の
コントロール外って分かってるのにな‥。
何ならむしろ、そうやってこれまでのトラウマを
何かを引き金にして引き起こしてしまう
自分自身をどうにかしろと自分でも思う。
恋愛は難しい、というのは
たとえ幸せな家庭に育って
無償の愛や信頼という木が心の中で
ちゃんと育ってる人たちから見ても
多かれ少なかれあると思うし、
恋愛はしようと思ってするもんでもなく
人生の義務でも何でもない、
恋愛はしなくても人として重みを持った
生き方をしてる人たちだっていて
恋愛をしてるから
恋愛がうまくいってるから
人として上なわけでも偉いわけでも
すごいわけでもない。
100%相手の努力によって何とか
続いてるような関係性なら
その人の人間性や努力のおかげではないし。
ただ、自分の場合
必要以上に恋愛を難しくしてる気がする。
目の前に、きれいなピンクの絵の具があるのに
わざわざ赤と白の絵の具を買いに行って
特に絵心もないくせに何とかそのきれいなピンクを
作ろうと躍起になってるだけ
みたいなところがあると自分でも思う。
こんなに大好きな人がいるだけで奇跡。
実際それは事実で、いつもそう思って
そこに感謝できたらこんなに色々
悩むこともないんかなぁ‥。
本気で相手を好きで好きで大好きで
真剣に愛してれば愛してるほど、
恋愛は本当に難しいと思う。