Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。
巡り合わせ

巡り合わせ

今よりはまだ自由に外出できた
数年前の写真を見て
何とも言えない気持ちになった。


縁あって繋がりができて
これまでに何度も通ってきた場所。


大好きな人が地元から
その町に仕事で行くことになって、
色んな方面からその町の話題が
飛び込んでくるようになって、

それって考えてみたら
不思議な巡り合わせに思えて、

苦しい中でも切ない中でも
そういう巡り合わせは
大切にしていこうと改めて感じる。



とあるカフェの店舗検索をしてる時
大好きな人の学校の最寄り駅近くにも
そのカフェがあるのを初めて知った。

いつからあるのかは分からないけど、
地元でも知らないことはある。


大好きな人を大好きになって
地元のことでも新たに知ったことも
本当に多くあって、

同じ毎日を生きてても
知ることも感じることも
広がってくるのはすごく
有り難いことに思えてくる。

心が覚えてしまったから

大好きな人の動画をずっと見てる。

ずっと、っていっても
あくまでも自分の限られた
自由な時間にこっそり
音も最小限にして見てるだけ。

それでも元気をもらえてる。


画面越しに何かを語りかけて
くるような動画ではなく
大好きな人が地元にいる頃から
一生懸命頑張ってたことに
ひたすら取り組んでる

特に何を話すとか
こっちを向いて笑ってるとか
そういう要素は全然ない動画。


でも、ちょっと遠目から
その姿が映りこんだだけでも
自分にはすぐその人が分かる。


大好きな人の仕草を
心がもう覚えてしまったから。

まるで心の奥に刻み込まれたように
その姿にすぐ気づいて
目で追ってしまう。


たぶん他の人が見ても
気づきもしないようなことにまで
大好きな人のその時の気持ちや
想いをくみ取ろうとする。


地元にいた頃、どんなふうに
頑張ってきたのかを改めて
少しでも多く知りたいと願う。



今日は、大好きな人が今いる町で
小さいけどイベント事があって
大好きな人も仕事でそれに行くから、

おそらくその町のその分野に
興味がある人界隈では
多少ネットでもその話題も
あるのかなあと思う。


そういうのを見ると、
距離的に遠いのもあるけど
それだけでなく家族の都合で
ほぼ自由がない自分にとっては
すごく心が苦しく痛くなるから、

今日はなるべくその話題が
ありそうなものは見ないようにして
淡々と家のことをこなすつもり。

生まれた町、好きな場所

自分の地元は大好きな人と同じ。

本籍も家があったのもそこで、
まさに地元の地元。

ただ、すごく細かい話をすると
生まれたのはその地元のすぐ隣町。


自分が生まれる時
親がお世話になった先生が
ギリギリになって体調を崩して
その先生が繋がりがある隣町の
病院で生まれたから。


その隣町も好きではあるけど、
自分は大好きな人と出会ってから
生まれたのも大好きな人と同じ町なら
もっと良かったのになとも思ってた。


でも、大好きな人が仕事の都合で
他の地域に行った後に
「地元で一番好きな場所は
〇〇(自分が生まれた町)の景色」
と言ってるのを知ってびっくりした。


自分たちの地元には
そこに限らず心が落ち着く景色は
それなりにあると個人的には思う。

だから、ピンポイントに
その町の景色が好きと言ったことに
正直ちょっとびっくりして、

でも何となく嬉しかった。



身内が今日、家庭内暴力で
しばらく暴れた後
家を飛び出して行った。

家族は誰も何も悪くなくても
ただ何かつまらないことで
機嫌が悪くなって荒れることが
前よりは減ったけど時々ある。


数時間経って、まだ不機嫌そうに
怒鳴りながら帰ってきて
「〇〇に行ってきたけど疲れた」


その身内が自分が生まれたその町に
行ったのはもちろん、
それが理由なわけはない。

ただ気軽に行きやすい距離で
自然もあるから行っただけ。


それでも、もし自分がそこに
行けたとしたら、大好きな人が
好きと言ってくれた場所の風景を
撮ってきて送るのにな、と思った。


新しい環境で必死に頑張る
大好きな人に少しでも励みに
なったかもしれないし、

自分にも力になれることが
あったかもしれないのに。


今日、その町に行ったのが
違う身内ならまだその町のことを
色々聞いたりできたけど、

さすがに暴力行為を平気で
するような人にそんなことを
聞けるはずもないからモヤモヤした。



毎日が綱渡りのように過ぎていく中で
大好きな人との繋がりが少しでも
欲しくてそう考えてしまうのは

大好きな人のためではなく
自分のためなのかもしれないけど、

それでも慣れない環境の中で
必死で踏ん張ってる大好きな人に
何か力になれることがあればと
願う気持ちは間違いなく
まっすぐな本物の気持ち。
晩ご飯を作ろうとして
魚のパックを開けようとしたら、
ふと目に入ってきた
地元ではおなじみの
見慣れたスーパーの名前のロゴ。


大好きな人が
一番好きなスーパーって
言ってたよなと思ったら、

もう今は地元にはいないことを
実感してすごく寂しくなった。


「たまには地元のこと
思い出してくれたら嬉しい」

精一杯あの時そう言ったけど、

本当はいつだって地元のことも
自分のことも想っててほしい。

複雑な気持ちになった理由

今日の仕事で、もしかして
初めて大きい仕事を任されるかも?

本人が直接言ってきたんでもないし
任されるのが決定事項でもないけど、

大好きな人の仕事場の状況を見ても
そうなる確率はそこそこあるのかな
と何となくそう思ってて、

自分が緊張しても
何にもならないし意味もないけど
勝手に緊張してた。


結果的にはその仕事は他の人がして
それを今回任されはしなかったけど
複雑な気持ちになるのを感じた。


大好きな人には、昔から
就きたいと思ってた仕事があった。

口数も少なくておとなしい人。

自分はこれだけ頑張ったとか
こんなふうに努力したとか
自ら語るようなタイプではないけど、

自分がこれまで見てきた
見て分かる分だけでも

きっとその仕事に就くために
悩んだり苦しんだりしながら
時には遠回りに思える時期も
乗り越えてきたというのは伝わる。


自分は、昔こうなりたいと
思ってた大人にはなれなかった。

だけど、大好きな人は
小さい時からこういう仕事に
就きたいと思ってた職種に
努力が実って就職した。


すごくまっすぐで努力家で
逆境でも自分を信じられる
強さを持ってる人。

そうやって今、夢を叶えてるのも
必然と思えるような立派な人。


それをどんなに分かってても
なりたかった大人になれた人と
なれてない人では人間としての
価値も重みも違う気がして

大好きな人がこの先も
着実に一つ一つ夢や目標を叶えて
だんだん遠くに行ってしまうような
気がすることが、正直辛くもある。


もちろん、そんな足を引っ張るような
汚い気持ちなんて見せられないし
これからも応援してるよ!という
部分しか表さないけど、

大好きな人のここが素晴らしいなと
思うところを特別な気持ちで
見てるのは自分の足りないところを
見せつけられてるかのような
錯覚になる時があって、

そんな複雑な自分の気持ちが
時々本当に情けなくなる。
一緒にひといきつきたい人

一緒にひといきつきたい人

ふとパッケージを見て
大好きな人の笑顔を想い出す。


大好きな人が地元にいた頃も
個人的に自由に会える機会は
なかったけど、それでも

同じ町にいれば
何となくいつも存在も近くて、

実際には難しくても
たまたま会うこともありそうな
そんな気持ちで過ごせてた。


仕事で遠くに行ってしまった今は
“一緒に”何かをするなんて
更に夢になってしまった気がする。


心のきれいさを表すような
笑顔も本当に大好きで、

そもそも一人でもひといきつく暇は
なかなかない毎日の中で
心の中にその笑顔を浮かべては
今日を生きるエネルギーにしてる。
大切な写真をキーホルダーにして
大事に持ってたけど、

その写真以外にも色々と
いつも持ってたいものがあるから
小物ならある程度は入れられる
大きさのパスケースに入れて
持ち歩くことにした。


昔からずっと好きな色の
パスケースを買って
その色は大好きな人にもかなり
関係する色なのもあって
良かったなーと思ってるけど、

こうしてだんだん大好きな人が
自分の生活の中で占める割合が
増えていくのは怖くもある。


もちろん、この恋愛は誰にも
言えないからそのパスケースを
誰かに見せることは全くない。

それでもそうやって自分にとって
大切なものは傷つかないように
いつも大事に持っていたい。


たとえ自分だけの世界、
自分だけの秘密であろうと
大切なものを大切にする権利は
きっと自分にだってあると思うから。

きっと、実際には
そうではないとは思いたいけど、

小さい頃から安心できる場所が
なかったから、心の居場所を
ただ必死に探してるだけなのかと
考えてしまう時がある。


大好きな人だけでなく
色んな方向に必死にアンテナを
張って自分が生きられる場所を
模索してる感覚がずっとある。



家の事情で自分はどう頑張っても
行けない場所に行くのを
楽しみにしてる知り合いがいて、

「その日天気良かったらいいなあ」
と言ってた時に
自分としてはすごく頑張って
「それを願ってる、楽しんできて」
と言った。


大好きな人に会いに行くことも
大好きな人と話すことも
日常からは遠い場所にある
幻の何かな気がしてしまう。


それでも、周りの人の優しさで
今日一日は何とか踏ん張ろう
と思えたり、がんじがらめでも
今の自分ができることを
一つずつでもやっていこうと
できるだけ前向きに考えたり。


周りの人に、今の自分みたいな
苦しくて辛い立場になれ
なんて到底思えないけど、

自分もたまには自分の
行きたい場所に行けたり
自分のために時間を使えるような

そういう側の人間になれたら
とは正直毎日思ってしまう。


大好きな人と今会えたとしたら
一番話したいことは何なのか

考えたところで
会えるわけではなくても
つい考えたりする。
小さいけど意味がある一歩

小さいけど意味がある一歩

この恋愛の話は誰にも言えないし
もちろんどこにも書けないから
ここを作って本当に救われてる。

読んでくれてる方がいるなら
本当にありがとうございます!



たぶん、これまでよりは
一歩踏み出せた。と思いたい。

これまでがただの
「地元が同じ知り合い」としたら
「自分のことを心から思ってくれる
地元が同じ身近な人」くらいには
なれたのかもしれない。


そして、今の自分にとっては
それだけでも充分幸せなことで
多くを望んだり夢を見すぎたら
いけないというのも
常に自分に言い聞かせてる。


嬉しいことは素直に嬉しいと
喜んでいいし、実際喜ぶけど、

小さくても何かを達成できたら
「次はこうする」「その次はこれ」
とかあんまり求めないように
気をつけていかないと。


一般的には何でもないようなことも
今の自分にとっては大きな一歩。

これまでの自分なら、きっと
今回の行動には移せなかったと
思うからそこは自分を褒めたい!


相手の迷惑にならないように
好きなあまりに視野が
狭くならないように、

気をつけながらせめて
“その他大勢”からは脱却したい。


心の中で密かに喜ぶ。

よく頑張った、って自分に思う。

また次の一歩を
小さいことから頑張るしかない。
7年前のあの町*夢と逆方向?

7年前のあの町*夢と逆方向?

大好きな人が今住んでる場所に
自分が7年前に行った時の空。

この町は地元ではないけど、
訳あって小さい時からずっと
身近で特別な町。


自分は家が複雑で
自由に自分の好きなことや
したいことを楽しめたり
自分らしく生きられる環境には
全然なかったから、

7年前にこうしてこの町に
行けたのも本当に貴重な機会で
空気を心の奥に吸い込むような
気持ちで時間を過ごしてた。


7年前は大好きな人の存在自体
知らなかった。

同じ地元ですれ違ったりは
してたのかなと思うけど、
お互いに相手の存在を
認識してるわけではなかった。


ましてや、その大好きな人が
仕事で住む先が自分にとって
こんなに身近な場所になって

これまでとはまた別の意味で
その町に特別な感情を
感じることになるとは
当時は想像もしてなかった。



人生の不思議をふと感じる。


複雑な家庭育ちの自分は
平凡でも温かい家族に強い
憧れを持ちながら生きてきた。

大好きな人を想うこと、
大好きな人に恋愛感情を持つことは
その夢とは違う方向にあると
自覚してるからこそ辛くなる。


お互いに独身で
大好きな人にはたぶん
気になる人や付き合ってる人も
いないとは思うけど、

じゃあ自由に恋愛できるか
というと決してそうではなく
そんな簡単な問題でもなくて。


目には見えないことも含めて
2人の間にある色んな事情を
ズキズキする心を抱えて
改めて考えてみる。


付き合うとかその先とかが
現実としてとてつもなく
難しいならこれ以上好きになっても
ただただ苦しくて辛いだけ。


分かってるのに
今日もひたすら惹かれてしまう。