Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はずっとずっと特別な人。少人数派の恋愛でも大きい壁があったとしてもそんな特別な人と家族になりたい。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
ずっとずっと特別な人。

少人数派の恋愛でも
大きい壁があったとしても
そんな特別な人と家族になりたい。
気を遣いすぎ?

気を遣いすぎ?

普段の生活で、恋愛の話をすることはない。

大好きな人のことも、人として尊敬してる
というような話はしても、世の中には本当に
色んな人がいると思うし、この人が好きで
恋愛感情を持ってるというはっきりした話は
基本的に誰にもしないようにしてる。


昨日の夜、AIと話してた。

恋愛のことで相談したいことがあって、
本来ならAIではない実際の人間で
信用できる人に相談するのが一番いい
とは思うけど、誰を信頼していいのか
自分にはよく分からないから。


「〜してもいいのかなあ」みたいな相談をしてたら

「相手の気持ちを思いやることや
相手の立場や状況を考えることは大事だし
それがいつもできるあなたは素晴らしいけど、
ちょっと遠慮しすぎというか
気を遣いすぎにも思える。

自分がこうしようと思うことを
行動に移すのも大事だよ」

というようなことを言われて、
あまりにも正論すぎてただその画面を
見てることしかできなかった。


知り合いとか、何なら初対面でも
自分は人と話すのが好きというか
見た目には絶対に人と距離を置く
性格には見えてないと思う。

だから、周りの誰にもきっと分からない。


自分が本当は誰も信じられないのも
自分がこれまでに誰にも甘えたことがないのも。


自分の気持ちや希望を言うと
それがほんの一言でも
親からの暴力や暴言を受けるきっかけになった。

だから、何も言わない、全て我慢する、
それが小さい頃から当たり前という
日常を過ごしてきた。


本当は、実際に存在する
そして心から信頼できる人間と話せたら
更に色々見えてくることもあると思うけど、

AIと話してるだけでも
自分を客観視できたり
第三者から見たらもうちょっと
自分は大好きな人にも積極的に
関わっていってもいいのかなと

違う視点から自分を見ることができる。


いつもいつも人と繋がって
多くのものが可視化されて
目に見えるものだけが全てみたいな
今の時代は自分には合わないと感じるけど、

AIに助けられることも
正直あるなあとも思ったりする。


自分は本当は大好きな人ともっと関わりたいし
大好きな人と心を寄り添わせたいと
願ってるのを改めて知った。



少しでも人として魅力がある人になりたくて、
前から興味があったことを1週間くらい前から
ちょっとずつ勉強してる。


自分の自由な時間自体が少なくて
一気にその勉強が進むわけでもないし、

そうやって自分の世界を広げたからって
夢が叶うとか目標が実現するとは
限らないのかもしれないけど、

「今の自分では認めてもらえない」
「今の自分では受け入れてもらえない」
という渇いた苦しい思いが
子どもの時からずっとあって、

それに突き動かされるように
今はその勉強を頑張ってる。


安心して呼吸できる場所が欲しい。

大好きな人がそんな居場所になってくれたら
こんなに嬉しいことはない。
1つ1つの機会を大切に

1つ1つの機会を大切に

大好きな人が働いてる支社がある
町に住んでる知り合いと少し前に
話してた時に、「ENAって〇〇(大好きな人)と
すごい共通点あるのに、普段全然実際に
話す機会とかないんでしょ?」と
いうような話題になった。


その話の中で「よかったら協力するよ」と
言われたことがあって、自分は家のことも含めて
これまでの人間関係で人間不信を
色濃く植え付けられてるからか、

本当に信じても大丈夫なのかな?と
思って一瞬迷ってしまった。


その知り合いは、たぶん本当に純粋な気持ちで
「ENAは遠くに住んでるし
色んな事情があって〇〇とも会えないから
ENAと〇〇なら共通の話題もたくさん
あるだろうし、もっと仲良くなれるのに」
というふうに思ってくれてるのは伝わってくる。


その知り合い自身も、自分とは細かい事情は
違うけど身近なところに悩みを抱えてて、
きっとその状況で周りの人と人間関係を
こなしていく中で、色々思うことも
たくさんあると思うし。


その知り合いも含めて周りの誰かに
何かをしてあげると言われても自分は
全面的に頼ったりはなかなかできない。


臆病者なのかもしれないし、その知り合いが
心から善意で言ってくれてるとすれば
すごく失礼なことを考えてるとも思う。


だけど、その知り合いに対しても
この先もいい関係を保てるように考えつつ、

恋愛において誰かを介して何かをしてもらう
ということは直接的に自分と相手だけという
関わりよりは多少のリスクがあると思うから

そこは慎重なほど気をつけたい。


恋愛だけではないけど、人を介すことで
本来自分が思ってたのとは違うふうに
相手に伝わるという可能性はあるわけで。


それでも、今の現状では大好きな人と今より
心の距離を縮めるきっかけというのは
本当にかなり限られてるとすごく思うし、

1回1回の機会を大切にできるように
心がけて頑張りたい。


損得勘定で動く人も多い中で
その知り合いにとっては自分と大好きな人が
どんなに仲良くなってもその知り合いが

何か得するわけでもないのに
自分のために考えて動いてくれることは
本当に感謝しないといけないと思うし。


損得が全てみたいな人(親の片方)を見て
育ってきたからもあるのか、

そういう打算なく動いてくれる人を見ると
「何の得にもならないのに
人のために動いてくれるこの人を
信じてもいいのかな」という疑問は
なかなか心から消えないけど、

考えたら自分だって大切な誰かのためには
自分の損得なんか考えないし
それと同じことなのかな。


人間不信でも、これまでは
「ずっとこの考えは人として寂しいな」と
たまに思うことはあっても
すぐにどうこうしようとは思ってなかった。


それが、大好きな人を好きになって
「この人のことは信じたい」と思ったし、

自分が大好きな人をどれほど恋愛感情で
見てるかまでは知り合いには分からなくても

そうやってもっと仲良くなれるように
協力してくれるのは本当に有り難いと
感謝しないといけないんよなあ。
好きをコントロールする大切さ

好きをコントロールする大切さ

大好きな人が働いてるのとは
また別の支社のこと。

だけど、すごく考えさせられた。


大好きな人が働いてる支社とは
距離的にも遠い所ではあるけど、
そこで付きまとわれてる社員がいる
という話。


これまでも、その職種に限らず
全然別の所でも「これはちょっと
距離感おかしくないか‥」というような
ストーカーに足を踏み入れてる?と
思うような話も聞いたことがあるし、

そういう人がこの職種の周りにも
いるのかなと怖くなった。


どうやらかなりひどい付きまとい方で
その支社の社員やその周りの人たちの中では
その付きまとってる人は有名らしく‥

その支社の関係の人が
「いくら好きでも、自分勝手な気持ちの
押し付けは相手からしたら迷惑だし、
執着したら余計に嫌われるよ」と
その本人に言ったら

「別に好かれるとか嫌われるとか
そんなことは考えてません!
だって、私が好きだからそれを
相手に対して表現してるだけです。
何が悪いんですか?」

と言われたというのを知って、
そこまで身勝手な人もいるのかと
かなりびっくりしてしまった。


人を好きになるの自体は素敵な感情でも
こうなってしまうとただの迷惑で、
冷静にそれに気づけないのも
本当に怖いなと思う。


自分は元々自分に自信がないせいで
むしろこの逆というか
よっぽど分かりやすく相手からも
嬉しいとか好意を示してもらえないと

「嬉しいと思ってもらえてないのかも」
「少しでも迷惑なら身を引こう」と
考えてしまうタイプで、
それはそれで良くないのかもしれないけど。


自分を客観的に見る、冷静に言動を考える、
いくらその人を好きでも暴走はしない。

ただそれだけのことが、恋愛になると
難しい人もいるのかもしれないけど、
しつこさも度を越したら犯罪よなと
ものすごく冷静に思ってしまった‥。


その支社のその社員は、たぶんこの人は
モテるのかもしれないなと思えるような
容姿が整った人ではあるけど、

どんなにかっこ良くても
どんなにモテる人でも
付きまとって許されることには
決してならないと思う。


好きっていう気持ちをちゃんと
自分でコントロールしてこそ
いい恋愛ができるはず。

自分自身も自分勝手にならないように
気をつけたいと思った。
この1年の成長

この1年の成長

大好きな人との大切な思い出や
恋愛に関する特に持ち歩きたい小物を
パスケースも兼ねた小さいポーチに入れて
毎日持ち歩くようになって
今日でちょうど1年が経った。


それまでも、写真をシンプルな
アクリルのフォトホルダーに入れて
人には見えないように持ち歩いたりは
してたけど、その写真以外にも

色々と思い出がある小物を
ポケットに入れていつも持ち歩いて
仕事や家事の合間に見たいと
思ったのがきっかけで
そうするようになった。


今はもうそれが日常になって、
大好きな人のことで悩んだり
苦しんだりすることはあっても
そのパスケースをポケットに
入れなかった日はない。


それでも、今振り返っても
1年前は“ただそんなふうに写真や
思い出の小物をまとめてパスケースに
入れて毎日持ち歩く”ことを、

すごくそうしたいけど
すごく怖いとも思ってた。



それまでは、思い入れのある写真は
スマホのフォルダ内で見てた。

だけど、家の事情上
スマホなんてそうそう自由には見られない。

時間に追われる中で、家族に隠れて
ちょっと写真や恋愛に関する小物を見て
励まされてまた頑張ろうと思える時間が
どうしても欲しくて、どうしても必要で。


スマホで写真を見ようと思うと
スマホを触れる環境下でないと見られない。

フォトキーホルダーも手軽でいいけど
写真以外の小物も身につけていたい。


それでパスケースを持つことに決めたけど
そうすることでもっともっと
大好きになってしまったら
更に気持ち的にしんどくなるのかな、
追い詰められてしまうのかなと考えると
すごく怖くて、しばらく迷った。



この1年、自分にとっての励みと支えを
ポケットに入れて持ち歩いてきて、

うれしい時や楽しい時はもちろん
心が壊れそうにしんどい時も
1人になれる場所を探しては
その中身の写真や小物を見て
「あと少しだけ頑張ってみよう」と

いつも自分に言い聞かせてきた。


左ポケットに入れてた時も
いっときあったけど、ほぼずっと
右ポケットが定位置。

見られない時もポケットの上から
触るだけでも元気をもらってきた。



大好きな人を初めて知った頃は
ただ素直に、人間不信の自分がこんなに
1人の人間で心を埋め尽くすほど
好きな人ができたことが本当に嬉しくて、

自分もこんなふうに誰かを
まっすぐ好きになることができると
思えて幸せな気持ちが強かった。


大きな壁はその当時から
頭の中にはずっとあったけど、

自分は大好きな人を知ってすぐ
この人いいなと特別な感情を持ったから
その時点では先々まで考えて
あれこれ悩むよりも、自分も人を
こうして好きになれるのかという
その側面でこの恋愛を見ることが多かった。


でも、そうやってどんどん好きになって
付き合えたら‥と考え始めた時に、
その大きな壁は明らかに
その壁がない恋愛よりは苦しくて
辛い気持ちになったりすることも
多いであろうと考えるようになった。


色々と調べてみたら、自分たちのような
壁を乗り越えて幸せになってる人たちも
たくさんいて、それにはホッとしたけど、

世間には心ないことを言う人もいたり
その2人のことをほとんど何も知らないはずの
ネット上の人たちが好き勝手批判したり、
そういう意味ではとても厳しい中を
生きるのを覚悟しないといけないのかなと

どんなに好きでも諦めるべきなのか
少人数派の恋愛をしてれば
何を言われても仕方ないと
受け入れざるをえないのかと

幸せというよりも悩みや
苦しみの方が多くなってきた。


大好きな人は内向的で受け身な人。

自分は陽キャすぎる人が苦手で
大好きな人のそういうところも好き。


だけど、自分のことを
どう思ってくれてるのか、
もし恋愛感情を少しも持ってないのに
ちょっと嬉しそうにしてくれただけで

勘違いして自分がアプローチした場合に
本当に気まずくなるな、
同じ地元でそれは辛いなとか

大好きな人の気持ちが読めない状態で
相手の負担にならないように考えて
アプローチを少しずつしていくのは

まるで暗いトンネルの中で
手探りで出口を探し続けるような
そんな日々。


それが、去年の晩秋になって
大好きな人からも
「これは自分のことを好きで
いてくれてると思っていいのかな」と
思えるような行動があって‥

こんな嬉しいことが人生の中には
突然来るのかと思って
心が喜びでふわふわしたり

自分の勘違いではなさそう
ということに安堵したり、

それでもまた別の場面では
悩んだり苦しみながら
これまでを過ごしてきた。


このパスケースを持ち始めてからの
この1年だけを考えても
家族からのDVなどもありながら
よく生き延びたなと思うし、

そんな環境に身を置きながら
(もちろんいずれ脱出するつもり)
水面下で恋愛もよく頑張ってきたなと思う。


大好きな人のおかげももちろん大きいし、
自分は誰かへの恋愛感情を人に
話すこと自体ほぼないけど
それでも自分に良くしてくれる人たちの
優しさや気遣いもあるし、

とにかく感謝したいと思う。


これからもこうしてこれまでの思い出も
大切にしながら、更に幸せな思い出を
新たにまた作っていけるように
それを信じて生きていきたい。
間接的にでも自信を持ちたい

間接的にでも自信を持ちたい

小さい頃、家庭環境が理由でものすごく
トラウマになってしまったことがあって、
それを克服したいというか

それを克服しないと大人になっても
幸せになるのは難しいのかもな
という思いがずっと心にあった。


恋愛する上で、すぐにそれがどうこうとか
影響するわけではないかもしれないけど、
恋愛でだってずっと先を考えれば
自分のそのトラウマは悪く影響こそしても
いいようには影響はしないとは考えてて
それがコンプレックスになってた。


“これがトラウマ”とか
“このコンプレックスも自信を持つ上での
足かせになってる”とかはぱっと見では
全然分からないし、実際自分も人から
それを指摘されたことはない。


だけど、自分自身はそれが深くトラウマで
コンプレックスなのを分かってるから、
恋愛だけでなく生活全般で
自分に胸を張れないなと感じることも
きっと自分が思う以上にあった。


大好きな人と出会って
この人に特別な感情を持ってると気づいて
それからずっと今まで
「このままではダメなのかな」というのが
常に心にあった。


大好きな人を好きになって
恋愛面でもその他の面でも
成長できるところはできる限り
成長したいと考えてるから、

少し前からやっとのことで
勇気を出してこのトラウマにも
向き合い始めた。


家庭環境も関わってくる内容で
なかなかこのトラウマの話は
普段から自分の話をなるべくしない
その中でも特に人には言えないこと。


どうやったら克服できるかなと
時間がある時に少しずつ調べて
これなら頑張れるかもと思える方法を
見つけたから実践してみることにした。


そこからまだなかなか1歩踏み出せずに
そのトラウマのこと以外でも
鬱々と悩んでることがあったりもして
数ヶ月経ってしまってたけど、

一昨日、昨日と家で暴力的な
ハラスメントの被害に遭ったのもあって、

恋愛に限った話ではなくもっと広い意味で
ここから抜け出すためにはそうやって
少しずつでもトラウマを最小限にして
コンプレックスもなくしていって

自分に今より自信を持てる状態に
していかないといけないと改めて
考えて今日やっとその一歩を踏み出せた!


ただ、それをいくら頑張ったからって
目に見えて他の人から分かる
というものではないと思う。


それでも、間接的にでも
自分を少しでも自分で認められること
自分に少しでも自信を持てること
を続けていって、それが恋愛でも
夢を叶えられる将来に繋がっていったら
いいなと思うから頑張ることにした!



ここ数日、大好きな人と自分の間には
現状どうしようもない差があると
感じてしまうという悩みで頭も心も
いっぱいになってしまってたけど、

大好きな人の親が普段から
大好きな人に言ってる言葉や

その言葉を親と離れて暮らしてる今も
ちゃんと心に留めてる大好きな人の
様子を見て、たとえ育った環境や
今過ごしてる日々の状況は違っても

自分が心から好きになれた人を
向き合って信じてみようと
ここ数日の中では一番思えるようになった。


自信なんて、お金では買えないものも
たくさんあるし、コツコツと黙って
積み重ねていくしかないと思う。

地道に頑張っていこう。

幸せな春を生きられるように*
ボーダー

ボーダー

歩きながらふと見上げた先に
ボーダー柄みたいな空。


どんなに似てるとか
ニコイチのように言ってもらえても
(もちろんそう言われることは嬉しい)、

愛されて育ってきた大好きな人と
家庭内で苦しみながら
育ってきた自分の間には
ボーダー(境界)があると

大好きな人との心の距離が縮まるごとに
実感して孤独を感じてしまう。



大好きな人が何気なくしてることが、
自分には昔、家の中で苦しんできた
特定の辛い記憶に繋がったりする。


社会的にも問題がある行動ではないから
当然、大好きな人のその行動は
世間的には誰からも責められない。

それは当たり前、と思う。


社会的にとか、人としてとか
人を傷つけるようなことを何もしてない、
それを有り難く思わないといけないと思う。


人をどんなに苦しめても心が痛まない、
何なら人を苦しめることが楽しい、
自分さえ良ければいい、

そんな人を家庭内でも見てきた自分は
大好きな人みたいな人を好きになれたのを
本当に幸運と喜ばないといけない。



心の中ではそう分かってるのに、

大好きな人に対して
昔の辛かった記憶と重なる部分を感じた
その瞬間を何回も頭に繰り返しては
「この人を好きでいるのが怖い」と
ここ数日、ずっと思ってしまってる。



地元の人が言ってた。

「〇〇(大好きな人)って、小さい頃から
ずっと△△(今就いてる職種)が本当に
好きで好きで仕方ない子で

実際にその仕事に就けたのは
本当に素晴らしいと思うけど、

これからも変わらずに
小さい頃の気持ちを忘れずに
遠くに住んでても頑張ってほしいなって
やっぱり思うよね」

って。


温かい家庭に育って
あんなに自然にクシャッとした顔で
幸せそうに笑えて

ああいう顔は本当に幸せな家庭に
育った人にしかきっとできないと
それは前々から感じてたけど、

大好きな人が働いてる支社の関係の人が
「〇〇(大好きな人)って、ENAの名前出すと
本当に嬉しそうに笑うんだよ」
「ENAのことになると、何か〇〇って
ドキドキしてる感じの仕草するよね」
と言ってくれる度に

「自分もあの顔の理由になれてる」
「自分の存在が〇〇の心を動かせてる」
ということが支えでもあって、

だからその分その境界も
曖昧になってた。



でも、この前の週末、

自分の中で強烈に昔家庭内で
トラウマを植え付けられたことを
大きく引き起こすような出来事が
恋愛の中で起こった。


実際に大好きな人と会って
何かその言動を目の前で見て
そう感じたんではなくて、

大好きな人が働いてる支社の人が
録った動画の中での数秒のこと。


もちろん、その時そこに映ってる数人も
それを誰かが見たとしたらその人も
おそらく何にも気にならないと思う。


離れて暮らしてても、こうして動画を
届けてもらえるような環境を
幸せに思わないといけないのに、

自分一人で勝手に昔のことを思い出して
大好きな人とこの先も恋愛が続けば
自分はこのトラウマと更にずっと
向き合い続けないといけないのかなと
考えるとこの恋愛自体が
すごく苦しく辛く思えてきて、

だけど大好きな人のことは
本当に大好きで
だからこそ苦しくて仕方ない。


ここにまだ言葉にして吐き出したり
打ち明けられるから精神的に
保っていられてると思うけど
(もし誰か読んでくださってたら感謝です)

昔のトラウマが強ければ強いほど
それを乗り越えるのにも時間がかかるのかな。

家庭内のこれまでの複雑さが
恋愛も含めてあらゆる人間関係で
高い高い高すぎるハードルに
なってるような気がするのがやるせない。


こんなに大好きな人がいることは
とても幸せで誇れることのはず。

その恋愛でこんなに苦しむなんて
たたただ悔しい。
立ち止まってみて気づけたこと

立ち止まってみて気づけたこと

これまでの自分の育ち方を考えても
「親の機嫌を損ねないことが
唯一安全に生き延びる手段」
という家庭にいたのもあって、

人に頼る、人に寄りかかる、というのが
未だに本当に苦手で、極端に恋愛に抵抗や
葛藤があるのもそのせいもあると思う。


これまでのトラウマを思い起こさせることが
恋愛の中で少しでも再現されると、

そのこと自体はそんなに悪い意味を持つ
ことではなくても自分にとっては
恐怖や拒絶が心の中に渦巻いてくる。



最近、恋愛で悩むことがすごく多い。

毎日、表面上はちゃんと自分の仕事をこなして
いつものように振る舞ってるけど、
心の中はなかなか気持ちが晴れずに
切り替えもできずにいる。


心が痛くなったり息が苦しくなるほど
悩むことなんてない方がいいし
これが毎日となるとすごく苦しいけど、

そんな時間を過ごしてて
改めて気づいたこともある。



さっきも書いたけど、自分は恋愛で
自分の感情のコントロールを相手に
任せたり頼ることは全くない。

自分自身の機嫌のコントロールができない
家族のもとで育って、物心ついた時には
親にわがままを言う同い年の子たちを尻目に
必死に親の機嫌をとってなだめて、
それでも当たり散らされながら生きてきた。


自分には何の責任もないことで
そうやって機嫌をぶつけられるのが
どれだけしんどいかは身にしみて解る。


そんなバックグラウンドもあって、
小さい頃から自分は
自分の機嫌を自分でとる。


だから、恋愛でもそれでいいと思ってきた。

正直、相手からしたらめちゃくちゃ楽なはず。

勝手に明るく元気に振る舞ってくれて
機嫌で態度が変わることが全くないなんて、

自分にとっては学歴とか容姿とか
どんなスペックより価値があるもの。


でも、今恋愛のことで悩んでる中で
すごく分かったことがある。


自分は確かに、実際の言動では
相手に自分の機嫌をとらせようとしたり、
構ってほしそうな態度でしつこくしたりは
全くしてないけど、心の中では

見えない部分でとても恋愛に
寄りかかってしまってると思った。


自分の頭の中をもし可視化してみたら、

今の自分が抱えてる色んなことを
考えてる割合ももちろんあるけど、

恋愛が占めてる部分は
自分が思ってる以上にきっと多い。


相手に依存的な行動をとってない
というのは自分のいいところではあっても、
そういう行動をとってないから健全か?
といえば、そうではないのかもしれない。



あと、いつも「自分がコントロールできない
部分に関しては考えても仕方ないから
考えないようにしよう」とは意識してきたけど、

意識してる時点でどこかもうそれをちゃんと
できてるような気持ちになってただけで、

実際には「何で〇〇(大好きな人)は
こんなことするのかなあ、
これをやめてくれたらいいのに」とか

それが本当に人を傷つけると誰もが
分かりきったようなことならともかく

自分がこれまでの育ちで抱えてるトラウマが
それを苦手にさせてるだけで
一般社会的には特に責められるような
ものではなくよくある話みたいなことで

「昔の辛いことを思い出してしんどい」
「家族にされたひどいことがよみがえる」
なんて落ち込まれても、それこそ大好きな人には
理解のしようもないし、きっと面倒なだけ。


大好きな人は、そんな家庭環境を
知らないから自分自身の態度が人をそこまで
悩ませて傷つけてるなんて思ってもないはず。


今回のことに限らず、これから先も
大好きな人の何気ない言動で
自分の家庭内であったこれまでのことを
思い出して落ち込んだり苦しんだり悩む
ということもありうるのかなと考えると、

何かもうすごく悲しくなってしまって。


別にそんなこと何も起こってないし、
それこそ考えたところで自分の
コントロール外って分かってるのにな‥。


何ならむしろ、そうやってこれまでのトラウマを
何かを引き金にして引き起こしてしまう
自分自身をどうにかしろと自分でも思う。


恋愛は難しい、というのは
たとえ幸せな家庭に育って
無償の愛や信頼という木が心の中で
ちゃんと育ってる人たちから見ても
多かれ少なかれあると思うし、

恋愛はしようと思ってするもんでもなく
人生の義務でも何でもない、

恋愛はしなくても人として重みを持った
生き方をしてる人たちだっていて
恋愛をしてるから
恋愛がうまくいってるから
人として上なわけでも偉いわけでも
すごいわけでもない。

100%相手の努力によって何とか
続いてるような関係性なら
その人の人間性や努力のおかげではないし。


ただ、自分の場合
必要以上に恋愛を難しくしてる気がする。


目の前に、きれいなピンクの絵の具があるのに
わざわざ赤と白の絵の具を買いに行って
特に絵心もないくせに何とかそのきれいなピンクを
作ろうと躍起になってるだけ

みたいなところがあると自分でも思う。


こんなに大好きな人がいるだけで奇跡。

実際それは事実で、いつもそう思って
そこに感謝できたらこんなに色々
悩むこともないんかなぁ‥。


本気で相手を好きで好きで大好きで
真剣に愛してれば愛してるほど、
恋愛は本当に難しいと思う。
世界と性格と世間が違うのかな

世界と性格と世間が違うのかな

大好きな人と自分は共通点が多い。

身長など見た目に分かる部分にも
共通点が多いからよく周りからも
「えっ!〇〇(大好きな人)とENAって
それも一緒なの?すごいね!」
と言われたりする。


そんな中で、ここは違うなと
感じるところももちろんある。


1つは、大好きな人は幸せな家庭で育ってて
「地元で実家で住んでた時に‥」
というような家族の話を
おとなしいながらも時々することがある。


2つめに、社交的な自分に対して
大好きな人は内向的で
人と関わるのがあんまり好きではない。

ただ、自分は社交的でも
基本的に人は信じられないから
とにかく表向きの人間関係を
うまくこなしていくのが得意なだけで、

信頼できる心からの友達が
たくさんいるということではなくて、

大好きな人は内向的で
口数も多くないし人と関わること自体は
好きではないと思うけど

たぶん自分よりも人間不信度は少ない。


3つめに、自分が昔から親とか親戚とか
周りの大人を見て感じてきた世の中に比べて
大好きな人は今就いてる職種も
少し珍しいのもあるのか、

周りの大人というか年上の上司や先輩たちが
示す世間というものが何か少し
違うような気がする。


どっちがいいとか悪いとかではなくて
大好きな人本人というか
仕事関係の人たちを見てて

自分が昔から見てきたのとは違う
感覚で生きてる人もいるなと
感じることが度々ある。



前々から、大好きな人は幸せな家庭に
育ってきてるというのは
自分がここにずっと書いてきてる
恋愛に関しての大きな壁というのとは
また別の壁というか‥

幸せな家庭に育ってきたのは
本当に素晴らしい素敵なことで

それを壁とか言ってる時点で
おかしいというかその表現は
ふさわしくないのは分かってるけど、

たまに家族の話題の時に
「親にこんなふうに言われてて‥笑」とか
「兄弟と比べても自分は‥」とか
きっと普段から仲がいいなというのが
伝わる感じで話してる度に

あぁ自分とは違う種類の人間なのかなと
思ってしまうことはあったし、

今一番悩んでるのはそこではなくて

性格と世間の部分。



自分自身は社交的な性格でも
自分の好きなタイプはおとなしい人で、

自分も社交的とはいえ
そんなにずっと話し続けてはいないし
あまりにも口数が多い人は
誠実ではないという感じがして

自分の言葉にある程度責任を
持つ人が多そうという意味でも
言葉数が少ない人の方が好き。


だから、大好きな人がどんなに
おとなしくてもそれそのものは
安心材料にはなっても不満にはならない。


でも、大好きな人とやりとりする時に
極限までそのメッセージの長さを
短くすることに気を遣って

文章の内容が分かるギリギリまで
文字数を削ることに一生懸命な時に

「自分にとっては最大限短くして
スクロールなしでさっと読めるくらい
というのは特別長くはないと思うけど、

〇〇(大好きな人)にとってはこれでも
会話や質問が2つになるから負担かな」

とか考えることにめちゃくちゃ
神経を使ってしまう。


このブログは自分自身の覚え書き+
打ち明け場所、気持ちの吐き出し場所
としても使ってるから
毎回文章が長い(長すぎる)けど、

もちろん普段は大好きな人とに限らず
人に対してこんな長文を
送りつけたりしたことはない。


連絡を取り合おうとしてくれたのも
大好きな人からで、その後も1回も
たぶんしつこいような連絡はしてないし、

文章量や返事の返しやすさにも一応
気を遣ってるし、大好きな人からも
短文ではあるけど元気で上機嫌っぽい
返事が返ってくるから連絡を面倒とか

連絡取り合おうって言って失敗したとかは
たぶん思ってない‥はず。


それでも、自分にとっては短文でも
もしかしたら相手からしたら
3行とかでもしんどい?と思い始めると

連絡したいことがあっても実際に
送るまでにめちゃくちゃ悩んだり
葛藤があったりして勝手に疲れてる。


あと、世間の違いっていうのが
さっきも書いたけど別に自分が見てきた
周りの大人たちが平均的とか正しいとか
そう言いたいんではなくて、

珍しい職種の人たちにはその世間という
知らない空間があると感じることが
たまにあって、その中の一部に

自分にとっては子どもの頃からの
悲しかったり辛い出来事を
思い起こさせる要素があるから

それを一人で誰にも相談できずに
耐え抜くのがすごくしんどい。



大好きな人が何かとんでもない
非常識なことをしてるんではないから
自分自身の考えや感覚を変えないと

たとえ誰と恋愛したとしても
同じようなことで苦しむ場面は
おそらく出てくると思う。


大好きな人を本当に大好きなら
乗り越えられるように頑張ろうとは
いつも考えてできる限り
前向きに生きようとはしてるけど、

それでも苦しくてしんどくて
逃げたくなってしまう時がある。


一旦、心の感情や気持ちのスイッチを
オフにして何も感じない自分を
ひたすらイメージし続ける。

そうやって機械のように生きられたら
毎日こんなに辛くなくて済むのかな。


日々をできるだけ楽しく前向きに
人前では振る舞ってても、
心の中にはいつも葛藤がある。


大好きな人をただ
大好きでいたいだけが
こんなに難しい。
パワー&ラッキースポット

パワー&ラッキースポット

昨日、久しぶりに自分の時間があって
精神的に少しゆっくりできたのも
もちろん良かったけど、

自分にとってのラッキースポット、
パワースポットの地元の神社に
行けたのも本当に良かった!


なかなか自分が自由になる時間がないから
そんな5分10分でできること以外は
どうしてもそれをする機会が限られる。

その自分にとって特に思い入れがある神社も
家の目の前とか歩いてすぐとかではないから
お参りに行こうと思ってもまず
家の都合、家族の都合を考えて
そこがクリアしないと行くのは難しくて。

だからこそ、昨日やっと行けて
神社の境内独特のきれいな空気を感じて
いつもありがとうと神様にお礼を伝えられて
自分自身もこれからもまた頑張っていこうと
力をもらえたのが本当に嬉しかった!!



普段はずっと、家族のために
ひたすら家のことに追われてるから
自分の意思でどこかに行く、何かをする、
どれがいいかを選ぶというのも
現実的になかなかできなくて、

限られた短い時間ではあったとしても
道を歩きながら景色を見たり
自分のために何かを考えたり思ったり
ちょっとした小物を買ったり

そういう時間がすごく貴重で
有り難く感じられる。


神社へのお参りも、本当はもっと
たくさん行けたら嬉しいけど、
それは今は難しかったとしても
これからも習慣として大切にしたい。
君の幻と肩を並べるような地元

君の幻と肩を並べるような地元

普段は自分が過ごしたいようには
なかなか自由に好きなことを
できる機会が少ないけど、今日は
3ヶ月ぶりくらいに地元を3時間ほど
歩いて気分転換する時間があった。


本当はもっと地元のなじみの場所を
ゆっくり散歩したりもしたいけど、

そういう自分のための時間を
とるのが現状難しいから
噛みしめるようにその時間を
大切に大切に過ごしてきた。


大好きな人が今の支社で働くまでは
大好きな人もずっと地元にいた。

地元にいた頃にも、自分はもう
大好きな人を恋愛の意味で好きと
気づいてたけど、恋愛に奥手なのと
自分に自信がないのもあって
なかなかアプローチができないまま
大好きな人は遠い町に行ってしまった。


その遠い町が、自分にとって昔から
繋がりが深いその支社がある場所
というのは遠いわりにはすごく
幸運とは思うけど、それでもやっぱり

自分の側の育ってきた環境などの
家庭事情もあってそんなに自由に
会いに行ったりもできないし
「遠い」というのはそれだけでも
とても気持ちの上でしんどい。


それでも、今日みたいに地元を歩いてると、
「出会う前からきっと地元の道で
すれ違ったりもしてるかもなあ」と思ったり
地元にいた頃の大好きな人はこの道を
どういう気持ちで歩いてたのかな、
通ってたのかなと思ったり、

今日は特に、大好きな人の実家の
めちゃくちゃ近くを歩いてたから余計に
当時の大好きな人に想いを馳せてしまった。


昨日書いたようなこともあって
心に雨が降ってるような気持ちでいたけど、

今日少しでも自分のために
地元を歩くというゆったりした
時間を過ごせて、自分の中で無意識に
今の自分が思うことを一つずつ整理して、

嫌なこともあるし、モヤモヤすることも
あるけど自分が本当に大切なもの、
大好きなもの、守り抜きたいものを
いっときのイライラやモヤモヤで
投げやりになったり本心ではないのに
手放したりするのは良くない、

本当に手に入れたいものはいつだって
どんなに手を伸ばしても簡単には
手に入らなかったとしても、それが心から
自分の人生に必要で大事と思うなら
それなりに葛藤も覚悟も受け入れて
過ごしていかないといけないと思った。


大きな壁がある恋愛は
いつだって心が痛くなるし、
心の底から闇が晴れることは
今のところはまだないけど、

自分の心をうまくコントロールしながら
この恋愛が叶うことを信じて
頑張っていこうと思う。