Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はずっとずっと特別な人。少人数派の恋愛でも大きい壁があったとしてもそんな特別な人と家族になりたい。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
ずっとずっと特別な人。

少人数派の恋愛でも
大きい壁があったとしても
そんな特別な人と家族になりたい。
ささえる人になりたくて

ささえる人になりたくて

もうだいぶ前に、back numberの
ささえる人の歌っていう歌を知って、
その時もいい歌と思ったから
当時よく聴いてた。

大好きな人が地元から他地域に
引っ越してから無性にこの歌が何回も
ふいに心に浮かぶようになった。


自分は、この歌の歌詞のように
大好きな人を気にかけて心配して
いつも元気でいるのかを
気にしてるというのを再確認した。


この歌の主人公と地元を離れた相手が
どういう関係性なのかは分からない。

でも、この歌詞を見てると
お金には代えられない
名誉や肩書きに関係ない愛情って
あるとすごく実感する。


出世なんてしてもしなくてもいいんだよ

なんて本当にその通りで。


ただ大好きな人にいつでも元気で
笑っててほしいだけ。


そして、もしできることなら
自分に振り向いてくれたら

自分を好きになってくれたら‥

それはもう夢のような大きな幸せ。


あの頃聴いてた何十倍何百倍の
意味の重さでこの歌の歌詞が
日々今の自分の心に迫り来る気がしてる。
小さいことが気になる理由

小さいことが気になる理由

大好きな人が何気なく言った
本当に何でもないような話の中の
たった数文字がなぜかその後も
ずっと心の中に引っかかったりする。


大好きな人には直接は関係ないけど、

自分が暴力的な家庭内で育ってきて
暴言や脅迫も当たり前にあったから
親からの攻撃を避けるために
言葉を先々まで裏読みして
心の準備をする癖が昔からついてて、

大好きな人にとっては
仕事の話の中で何気なく言った
本当に大した意味もない単語のはずが
自分をこんなに苦しめるものになってる。


冷静に第三者目線で考えても
その言葉に深い意味や意図が
ないことくらいすぐに分かるのに、

それでも明るく振る舞いながら
心の中でモヤモヤ考えてしまう。


大好きというのは
こんなに小さくてささいなことまで
勝手に心がフォーカスして
立ち止まって悩むということなのかと

今更ながら実感してる。

似すぎてた

家族に頼まれたことがあって
その用事を済ませた後で
100均に寄った時によく買う物の
売り場辺りを歩いてた時に、

大好きな人と後ろ姿があまりにも
似た人がすぐそばを通って
めちゃくちゃびっくりした!


でもそこで挙動不審になってたら
それこそただの怪しい客…と
思ったから平静を装って
違う所を歩いてたらまた同じ売り場を
その人も歩いてて勝手にドキドキしてた。


もちろん本人ではないのに
気持ち悪いなと自分でも思うけど、
地元にいた頃はもしかしたら
大好きな人もこの100均にも
来てたのかなと思うと心が痛くなる。

謎の知り合い

家の事情が今とは違ってた頃に
駅近くで色々見てた時にたまたま
自分の持ち物を見て声をかけてくれて、
その後大きい共通点が分かって
仲良くなった人がいる。


知り合い方からしてちょっと
変わってたのも心に残ってるけど、
その駅というのが大好きな人が今
働いてる会社の最寄り駅で、

その知り合いとその後
連絡を取ったりする中で
その会社とも繋がりが深い人
というのは前から知ってた。


すごく話しやすいし優しくて楽しい人で
仲良くなれて良かったなとは
いつも思ってるけど、

その会社にその人自身が勤めてる
わけではないのにその会社にすごく
詳しかったり、謎な部分がある。


つい最近、遠くに転勤になった
社員の人とは特に仲良かったみたいで
前からその話もたまに聞いてたけど
個人的な付き合いもありそうで、

だけど同じ市内に住んでる以外の
その社員の人との共通項はなさそうで、

むしろ何もかも違う気がして
接点が全然見当たらない。


自分からそういう立ち入ったことを
聞くのも失礼に思うし聞かないけど、

その人が自分に時々
その会社内のことを教えてくれたり
大好きな人が会社内の行事で
こんなふうにしてた
みたいな情報をくれる度に

すごく不思議な気持ちになってしまう。


その知り合いが昔からその会社の
職種に関係することと深く関わってる
とは考えにくいし、その仲良かった
社員の人ともたぶん親子より
年齢が離れてる感じで。


もちろんそんなこと自由で
自分があれこれ勘ぐる必要もない
というのはよく分かってるけど、

どう見ても何の接点もなさそうなのに
ある一定以上にすごく仲がいい
という関係ってあるのかーと思う。



昨日寝る時に考えてたけど、
自分自身が今全然自由に
予定を立てて出かけたりできない
という現状があるから余計に

必要以上に周りのことが気になったり
自分が気にしなくてもいいことまで
あれこれ考えたりしてしまうのかなあ。

可能性に怯える理由

大好きな人が今の仕事場で
働き始めて数ヶ月。

初めはそれまでとは違う部分に
戸惑ってるのかなと思う時もあったり、
少し不安を口にすることもあったから
心配もしてたけど、上司に信頼されて
思った以上に色々と仕事も任されて、
それは本当に良かったなと思う。


どこの仕事場にもたぶん言えるけど、
上司によっても仕事上の評価や
仕事場での充実度は大きく変わる。


今の仕事場の直属の上司が
大好きな人以外から見てどれくらい
信用されてるのかは分からないけど、

大好きな人の仕事ぶりを評価してくれて
いつその仕事場に来たとかに関係なく
おそらく上司からしてみたら新入りに
任せるのは勇気要るのかなと思うことも
任せてくれてるのは有り難い話で。


その仕事場近辺の人たちからも
「〇〇(大好きな人)よく頑張ってるよ」
「この前も仕事で周りを助けてた」
と聞いたりすると、本当に嬉しく思う。


それは素直な気持ちではあるけど、
職種上、その支社に限らずたまに
ものすごく遠い場所に転勤していく
人たちもいて、心の中ではそれを考えると
不安な気持ちにかられる時もある。


実際にその支社からも
割合的にはめちゃくちゃ多いとは
言えないん人数ではあるけど
これまでに何人かはそういう遠くの
系列の仕事場に行った人たちもいる。

その人たちはむしろ仕事ができて
認められてそこに行ってる人たち。

その職種の人にとってはある意味
名誉なことでもあるのかもしれない。


これは自分が勝手に大好きな人を
恋愛の意味で好きで将来を
考えてしまうから思うことで

今のところ大好きな人にも関係ない
ましてや大好きな人の仕事場にはもっと
関係ないことって自分でも解ってる。


だけど、大好きな人が今住んでる町の
知り合いたちから大好きな人の仕事の
話を見聞きする度に、認められすぎて

そういう遠くへの転勤要員に
抜擢されたらきっともうただでさえ
日常の生活に多々制約がある自分には
恋愛なんて望めない人になってしまうな

という焦りが最近前よりすごく大きくて
誰にも言えないけど、本当に苦しい。


早く進展しないと!と思ったところで
急に距離感を縮めてしまうと
かえって怪しまれる不審な人になるし、

あまりにゆっくりすぎると
時間だけが経っていくことになる。


恋愛って本当に難しいと思う。

狭い中での人間関係の悩み

小さい時から、とある理由で
大好きな人が今住んでる地域に
なじみがあった自分は
その町にも知り合いがそこそこいる。


前から知ってるけど
今はそんなに頻繁に連絡を
取り合ったりはしてない人もいれば、

前からの知り合いではないけど
用事があったり
向こうから連絡が来たりして
そこそこ話す人もいて、

自分はその地域と繋がりは深くても
元々そこの出身でもないし
今住んでるわけでもないのに
色々気にかけてくれたり
良くしてくれるのは本当に有り難い。


それはそうとして、
人間関係って難しいなと
思ってしまうことも最近特に増えた。



大好きな人が今働いてる会社に
関係する人たちの知り合いも多い。


その会社の規模がそんなに大きくないから
知り合いの知り合いも知り合い同士とか
一見全然繋がりがなさそうなところで
「あー!あの人知ってるよ!」という
ことも時々あってびっくりしたり。


その会社の人たちとも繋がりがある中の
一人のことで、今モヤモヤしてる。


大好きな人とも面識がある人
というのもあって、目に見えて距離を
とったりするのは難しいけど、

自分が不快になってるのを分かってて
そういうことを繰り返し平気で
してくるのか‥と何回か思ってから

もうその人と心から仲良くするのは
難しいなと考え始めてる。


そういうことは言ってほしくないな、
聞いてきてほしくないなと感じることに
初めはやんわりとかわしてたけど、

分かってくれてないのかなと
思うことも多かったからその後は

「そういう話はちょっと‥」
「正直ストレスになるから」
と人間関係にヒビが入らない程度に
結構はっきり言ってるのに

それでもそれに関する話をその後も
何の悪びれもなくしてくるのか
本当に意味が分からない。


もしかしたら人が嫌な気持ちに
なるのが面白い人なのかな?と
疑うようにもなってきた。



大好きな人の会社関係の繋がりが
ある人というのもあって初めは

失礼がないようにとか
良くしてくれてるから少しは
我慢しようとか考えてたけど、

つい最近もわざわざそれを
自分に言ってくる?
言う必要ある?と思ってしまうことを
何の迷いもない感じで言ってきたり

他の人も見聞きしてる所で
「その話、自分だけは前から
知ってたけどENAって〇〇だよね!」と
その人が自分にとって特別な友達と
アピールするような様子を見せたり‥

一つならまだ流せても
複数になるともう違和感だらけで。


もう心の中では線を引こうと決めた。



大好きな人とも繋がりがある人、
多少でも面識がある人との人間関係は

理不尽でもその人に嫌な感情を
持たれてしまうと嫌がらせなど
被害を受けることもありうるから

表向きにはそれなりに
平穏にやっていくつもりではいるけど、

狭い人間関係ならそれはそれなりに
うまく距離感をとれる人でいようと
ここ最近しょっちゅう思ってる。
孤独感とタイミング

孤独感とタイミング

毎日の生活に、自分の自由が本当に
少ない日々を送ってると、色んな意味で
孤独感や疎外感を感じることも多い。


大好きな人がいる、というのは
すごく幸せとはすごく思うし
有り難くて感謝もしてるけど、

現状を考えると進展できる機会が
なかなかないのも考えてしまうし
焦る気持ちはいつもある。


でも、大好きな人と出会ってから
色んなタイミングがすごくいいな
とも、しょっちゅう思う。


今の生活からかけ離れたような
とんでもない望みはもちろん
そうそうスムーズに実現は
まだしてないけど、ちょっとした
「こうなったらいいなぁ」という願いは
思ってもないところから叶ったり、

大好きな人関連以外のことに比べて
本当にうまく物事が進みやすい。


生活自体は心が休まる時間もない
とてもしんどいものでも、
恋愛ではそうやってうまく進んでると
思える面もあるから頑張れてる気がする。


“大好きな人との”ということに限らず
今の自分の生活では
自分のために自由に使える時間自体が
ほとんどないから、まずはそこから
どうにかしないといけないというのも
もう毎日実感してるけど‥。


暴力的なことをされたり
脅されたりひどいことをされながら
ここまで育ってきてるから、

自分が誰かに大切にされるとか
自分が誰かの特別な存在になれるとか
そういうのが実際この世界にあるのか?
とまず疑ってしまう部分もあったり。


まずはそこを変えていかないと
恋愛に限らず人生を先に進めることが
難しくなるから意識を変えていきたい。
今は大きな秘密でも

今は大きな秘密でも

バスでの移動の時、
周りに全然見られないような
ゆったり乗れる状況なのを見て、

大好きな人の写真が入ったパスケースを
写真を内側に向けて万が一にも
周りには見えないように
抱きしめながら乗ってた。


いくら今考えても現実的には
難しかったと思うけど、

大好きな人が仕事で地元を離れる前に
仲良くなれる手がかりがあれば
もしかしたら今もっと何らかの
進展があったのかな、なんて。


何も悪いこともしてないのに
自分の想いをひた隠しにして、

この恋愛がまるでこの世界に
存在さえしてないかのように
毎日振る舞うのは本当に
心をすり減らすような気持ちになる。


何でこんなに隠してるのかな
と思った時、いつも心が痛くなる。


自分の恋愛は、自分がどう育ったか
とかに関係なく壁があるのは
自分でも自覚してるしよく分かってる。


でも、自分が子どもの頃から親が
恋愛にあまりにもだらしなさすぎて
本当に多くの問題に巻き込まれて、

少しでも何か引っかかると
「だから恋愛なんて信用したらダメ」
という方向に心が向いていくのも
精神的に本当に毎回しんどくて。



この週末は疲れることも多かったけど、
大好きな人と似た人を街なかで
何人か見かけたのは嬉しかったな。


温かい愛とか知らない家庭に育っても
誰かのことを温かく愛してると思える

それ自体がまず奇跡なのかもしれない
と思うと、頑張れば明るい将来も
あるのかもと考えたくなってくる。
担当者の名前に鼓動が速くなる

担当者の名前に鼓動が速くなる

家族がいきなり、用事の後の
夜の帰り道でコーラとか飲みたいと
言い出して、ENAも半分飲んでと
言われたからかなり久しぶりに飲んだ。


昔は今よりはこういうのも飲んでたけど、
最近は飲む機会も全然なくて
コーラってこういう味かーと
何となくしみじみ思ってしまった。


大好きな人も、今は体を気遣って
そんなに飲んでないかもしれないけど
前はコーラ好きって言ってたなって

それを思い出すからコーラの味も
昔飲んでた時より特別に感じる。



特別と言えば、用事で出かけた先の
担当者が大好きな人と同じ名字で

そんなにすごく多くはないし
同じ名字と気づいた瞬間、

その人と大好きな人はただ
同じ名字なだけで身内でもないけど
勝手に心臓の鼓動がめちゃくちゃ
速くなって平静を装うのがしんどかった。


それほどまでに好きなのか‥って
今更ながら幸せと戸惑いが同時に
自分の中に押し寄せてる。

嫌になるほど見た目の話

同じ地元というのもあって、
大好きな人のことは親も知ってる。

自分が大好きな人に恋愛感情を
持ってることは知らないけど、
大好きな人も自分もお互いに
知ってるというのは分かってる。


大好きな人の容姿をバカにしたり
見下したりという話題が出る度に

「何でそんなに言われるかな‥
そもそも自分は〇〇(大好きな人)の
容姿を悪いなんて思ったことないよ」

とつい自分が言ってしまうからか、

親に歪んだ主張をされたり
自分が大好きな人に対してだけでなく
誰に対してもルッキズムで
判断するのが好きではないことを
ものすごく批判される。


子どもが何でも見た目で判断したり
見た目にこだわりすぎて親に
注意される話は聞いたこともあるけど、
この家では逆‥。


親曰く、顔も頭も何でもいい方が
世の中得なようにできてるし
それは当たり前の世界らしい。


見た目がいい方が得をする
というのは確かに当たってるけど、

その親が見た目と肩書きで選んだ
相手のせいで自分はDVを受けたり

人生に影を落とすような経験を
してるのによく平気でそういうことを
言えるなぁと心では呆れ返ってる。


自分はそういう経験も踏まえて
一番大切なのは人間性
というのを子どもの時からずっと
身にしみて感じてるし、

見た目とかのスペックが良ければ
それでオッケーなんて絶対に思えない。


これは好みの問題もあるから
他の人から見たらどうなのかは
分からないけど、自分個人的には

大好きな人の容姿が悪いとは
全然思ってないし

仮に世間の多くの人たちから見て
整ってない容姿としても
だから何?としか思えない。


親に
「ENAはそういう顔ではないでしょ?
何でわざわざ自分より降りていくの?」
と聞かれるのも納得がいかない。


言ってしまえば、見た目が自分より
劣った人とは恋愛関係はもちろん

人としてもまともに向き合うなと
言われてる気がして本当に感じが悪い。


自分は育った環境上
本当に自分に対しての自信がほぼゼロで
(周りにはそういうのは見せてないけど)

だから大好きな人に対しても
自分が隣に立つなんてとんでもない
という意識がすごくあるから
それも悩みの一つで、

なのに自由気ままにそういうことを
言われてしまうと自分のこれまでの
悩みごと軽んじられてると感じる。


自分の努力でどうしようもないことが
壁になってる恋愛ってそれだけでも
本当に苦しいけど、あまりにも親の
ルッキズムがいきすぎてる気がして

そこまで?と思うくらい
ひどい言い方もされて

もうそこに関しては特に
解り合えないと思うのと

あんまりそこにこだわると
大好きな人への恋愛感情が
バレそうである一定以上は
何も言わないようにしてるけど、

親子でも同じように思うわけではない

全て親と同じ価値観で
親のコピーとして生きていくことは
できないと思う。


自分にとっては、大好きな人は
容姿も含めて本当に魅力的で、

他の人たちがどう思っても
それは別に重要ではないと思ってる。


親は自分にこの先もずっと
親にとって都合がいい
親が求める通りの人生を
歩んでほしいと思ってそう‥

というかそれが当然と考えてそう。


だけど、自分は自分。

これまでもう家族のために
多方面に忍耐を重ねて我慢してきた。

これからは自分の気持ちを大切に
自分が大切と思えることを
大切にして生きていきたい。