元々、全然しつこくしてるわけでもなく
用事がある時にたまにしか連絡してないのに
それも連絡を取り合おうと初めに声を
かけてくれたのも相手からで
何でここまで遠慮して気を遣って
無意識に自分の存在を下に置いてしまうのか
自分でも本当にそこを変えていかないととは
いつも思って直そうと意識してるけど、
それでも難しいのは何で?と
改めて考えてみようと思った。
きっかけは今日のこと。
前々から「こういう時にまた連絡するね」
と言ってた状況になったから
今日大好きな人に連絡した。
それ自体はまだ、いつもよりは
“事前にこういう時にまた連絡すると
言っといたから連絡しやすくて良かった”
と思いながら連絡できたけど、
その少し後に仕事で想定外のことがあって
すごく深刻とかすぐこの先に何か
めちゃくちゃ影響はしないけど
ちょっと原因究明はしないといけない
というような状況になってるのを知って
自分にはどうしようもなくても
タイミングとしては良くなかったなと
少し気まずく思ってしまった。
自分が連絡した時点ではその仕事上のことは
何も起こってなかったから、
自分の気配りの足りなさとかではない
というのはもちろんそうとは分かってても
毎回毎回連絡する度に
今の時間は連絡しても大丈夫かな?とか
早朝とか夜中ではない時間帯でも
色々気にしてしまう自分にとっては
今回のことは特に気になってて。
こんなこと書いてるけど
普段の自分はこういう細かいことを
全く気にするタイプではない(^_^;)
家の中では、機能不全家族というのもあって
安全な振る舞いをしないといけないから
自分の言動には細心の注意を払うけど、
自分の性格そのものとしては
常識的な範囲は守った上で
それ以外のことは気にしないというか‥。
それでも、自分は無意識に
小さい頃から自分の気持ちや考えを
主張すると危険が伴うというのを
家で痛いくらい学んできたからか、
人の機嫌や気分を必要以上にうかがったり
人が不機嫌にならないように
自分はどう振る舞るべきなのかというのを
特に恋愛とかの深い人間関係では
気づけば考えてしまってる。
大好きな人は穏やかな性格で、
自分が育った家みたいな
常に怒鳴られたり暴言吐かれたりが
当たり前なんていう環境を
当然のように肯定するような人ではない。
それはもう、大好きな人をずっと見てきて
そういう中身もじっくり見て
その上で好きになったというのもあるし、
たとえ自分がそういう家庭に育って
常にへりくだって自分が下という扱いに
慣れて甘んじて当然という過去があっても
恋愛では対等を意識して
自分を卑下したらダメと言い聞かせて
もっと自分の気持ちに素直に
行動に移したって全然大丈夫と
自分でも思うのに、それがとても難しい。
ここを自分の中で解決しないと
誰と恋愛してるかに関係なく、
たとえ相手がどんなに穏やかで
思いやりがある人でも自分側が
あれこれ気を遣いすぎて
本来ならしてもいいことでも怖がって
遠慮してできずにいたら
進む恋愛もうまく進まなくなると思う。
何でこんなに自分に自信がないのか、
何でこんなに自分を下に見てしまうのか、
自分でも本当に情けなく感じる。
親に認めてほしくてその一心で
あらゆることを頑張ってきた。
自分の娯楽の時間を極限まで減らして
いつも世間から認められる人間になるには
何を頑張ればいいかを考えてきた。
それなりにそつなく何でもこなしてきたけど
じゃあそれで今、大人になった自分は
幸せになれてるのか?と自問自答すると、
悔しいけど全然そんなことはない。
「〇〇(大好きな人)にENAの話をしたら
めちゃくちゃ嬉しそうな顔するんだよ」
と、その支社がある町に住む知り合いが
送ってきてくれた動画には確かに
満面の笑みで笑う大好きな人の
温かくてホッとする笑顔があった。
少なくとも嫌われてはない、
むしろたぶんどっちかというと好かれてる。
連絡を取り合ってる時に届く言葉も
嫌ならこういうことはしないよな、と
思えるものもたくさんある。
自信過剰はさすがに行き過ぎにしても
せめてもう少し自信を持てたら
こんなに肩肘張って疲れ果てなくても
ゆったりと心温まる恋愛が
できるはずなのを、いちいち自分から
しんどい方向に心を引きずって生きてる
そしてそれに気づいていながら
自分を消えてもいいほど価値が低い人間と
思ってしまう自分がもう
これまでに家庭内で強制された生き方を
どれだけこの先も克服できないのかなと
考えると本気でしんどくなってくる。
大好きな人の前では、明るい様子しか
見せてないからこういう部分があるとは
きっと夢にも思ってないと思うし、
早朝ではないけど大好きな人が朝
連絡をくれて、自分はベッドには
スマホは持ち込まないけど
バイブ音でメッセージの着信を知ったり
相手側はそこまで時間とか内容とかに
めちゃくちゃ気を遣ってはなさそう。
きっとそれが自然な状態なんよなあ‥。
大好きな人は元々あんまり喋らないから
長文を送ってきたりもないし
口数は少ない方ではあるけど、
それでもたぶん面倒がらずに
今住んでる場所の距離は離れてても
大好きな人にとっては
関わろうとしてくれてるのに
何でここまで自分に自信がないのか‥
変わらないといけないなと思う。
節約してる中でも、コツコツお金を貯めて
つい自分の趣味の物を買ったり
してしまいがちなのも少し見直して、
この前のブラシみたいに
1つずつでも自分磨きのため、
自分に自信を持てるための何かを
揃えていこうかなと思ったりもする。
揃えていくって言えるほど
お金に余裕もないけど。苦笑
相手の気持ちや立場に立つのは
大事というのはもちろん前提としてある。
その上で、自分がしたいことを
素直にできることも大事と
この数年で特に感じるようになった。
大好きな人は、基本的にインドアで
仕事が終わってからの時間も休みの日も
家でゆっくりするのが好きなタイプ。
自分自身はアウトドアな面も結構あるけど
小さい頃からそういう趣味を自由に
楽しめる家庭環境ではなかったし、
今も趣味に限らず自分の個人的な予定では
自由に外出もほぼできないから、
どうしてもインドア寄りになってくる。
それもあってか、大好きな人が
インドア派なのもいいなーと思ってる。
大好きな人は、仕事の出張では
他県に行くこともあるけど
それ以外では基本的に家にいて
あんまり動くのも好きではない
という感じの人で、そこも含めて好き。
それが、この前珍しく
休みの日に気分転換に出かけたらしい。
仕事場に歳が近い先輩がいて
その先輩も支社がある町の出身ではないけど
大好きな人より前からその町に住んでて
その支社にも慣れてるのもあって
普段から気にかけてくれてるみたいで、
その支社がある町からまあまあ近くに
日帰りで出かけてきたとか。
大好きな人は元々口数が多くはないし
その話も延々としてきたとかではない。
でも、その同じ支社の先輩には
たぶんそこそこ懐いてるというか
慕ってるというか、そういう感じで
1枚の写真からだけでも
仕事を離れて気分転換できた
楽しそうな一日を過ごしたのが
伝わってきた。
いつもインドア派=
たぶん今日も家でゆっくりしてる
というのは自分の勝手な考えで、
休みの日に気分転換するのも大事なのは
普段ほとんど自由がない自分は特に
身にしみて分かる気もする。
でも、毎日の生活の中に
そういう機会が全くない自分にとっては
大好きな人も分厚い壁の向こうに
生きてる人のように思えてきて、
あぁそうやって一生懸命仕事を頑張って
それに懸けててもちゃんと息抜きできる
場所も機会もあるのかと
そこは自分と大きく違うと感じてしまった。
前は、ここに行きたいなとか
近場で気に入った場所のことを
調べたりしてた時もあったけど、
そうやっていくら調べたところで
行こうとしたところで、家の現状を考えると
そんなふうに自分が自由に
出かけるのは夢のまた夢というか
現実として今は考えにくいというか‥。
我慢に我慢を重ねて生きてると
もう普段の生活を送る中で
どこに行きたいとかのそういう
キラキラした気持ちもなくなってきて
ただその日を何とか生き抜く
それだけを考えて生きてる自分は、
大好きな人と同じ国、同じ時代に生きて
しかもこれだけ繋がりを持ちながらも
生きてる世界は全然違うように感じて
とても孤独を感じてしまった。
もちろん、自分と同じように
家や何かの事情で本当に自由の少ない
生活を強いられてる人も
いるのは分かってるけど。
この恋愛を大切にしたい、守り抜きたい、
大事に育てて将来に繋げていきたいという
気持ちは大好きな人を好きと気づいた日から
心の中にはもうずっとある。
だけど、恋愛という範囲だけでなく
あまりにも自分を押し殺した今の生活から
抜け出さないと何も始まらない気がして、
これだけ心が壊れかけたような自分が
逃げられる場所はどこなのか
そのために今一番するべきことは何なのか
その写真を見た瞬間からずっと考えてる。
家の状況上、自分が自由に
出かけられる機会というのはほぼないから
歩いて行ける範囲にあるコンビニは
今の自分にとって普段の日常の中の
唯一とも言える自分のための外出。
子どもの頃から本当に自由がない‥
全くないといえば嘘になるけど
周りの同世代に比べたら明らかに
自由が極端に少ない生活を送ってきたから
大人になっていきなりそうなった
とかではないけど、それでも常に
ストレスはすごく付きまとう。
行きたい場所に行けないという
それそのもののストレスもあるけど、
家にいても自分の自由な時間は
本当にすごく少ないから
自分の生活は本当に何とかその日を
やり過ごすという状況‥。
だから、近くのコンビニに行くのは
いつ行っても心が救われる時間。
でもそれ以上に
大好きな人に関係する用事で
そのコンビニに行く時は
本当に幸せな気持ちになれる(*´ω`*)
今日も、そんな用事で
そこに行ってきた。
大好きな人に送る物があって
そのための用事で行ったけど、
それは家族には言えないから
違う用事ということにして
何とかごまかして。
悪いことをしてるわけでもないのに
本来なら別にそのまま言ったって
何の問題があるのか?といつも思うけど、
自分が育ってきた家では
おそらく一般的には普通でしょ?と
思うことも通らないから。
通らないだけでなく
「こいつは親の目を盗んで
ますます親しくなろうとしてる」とか
知られたらそれを邪魔されたり
ややこしいことになる。
家族にとっては、自分が自分の人生歩まずに
これから先もずっと家族のためだけに
家族のお世話係という立場のみで
生きてくれるのが一番都合がいい。
昔からすごく自分の人生に
介入してくる人たちではあったけど
その後色んな状況が変わっていって
今は特に、そう思われてる気がする。
それでも自分は、ある程度家族が
普通に生活していける感じの基盤を
作るまでは今みたいに家族のことも
ちゃんと責任を持つつもりではいるけど、
家族には見えてない、分からない所では
少しずつでも自分の将来、この先を考えて
動いていってるつもり。
初めは、そういう行動も
「家族は望んでないと思うから
これは家族に対しての裏切り?」とか
悩んだりもしてたけど、
考えたら今の時点でももう
「ENAが家族のためにそこまで
する必要はないと思うけど‥」とか
「それだけやってきたしこれからは
ENAが生きたい人生を生きていいと思う」
とか客観的に見た人からは言われてるし
自分が自分のために人生を生きるのは
きっと大切なことで
許されないとか家族への裏切りとか
そういうことは決してない‥はず。
複雑な家庭環境に育つと
小さい頃からそれが普通とか常識
というふうに植え付けられるから
(その方が家族にとっても好都合)
大人になってから少しずつ
「これは一般的にどうなのかな」
「自分の人生を生きるために
自分に欠落してるものって何?」とか
考えるようになった気がする。
今日はいつも近所に持って行く
小さいバッグには入らないサイズの物を
大好きな人に送る用事で行ったけど、
前から親にめちゃくちゃ信頼されてる
親がすごく好きな人に送ることにして
(もちろん後々バレないようには考えて)
堂々とその送る物を手に持って行った。
送る伝票を見られなければ
誰に送ったかなんて分からないし、
そもそも悪いことをしてるんではないから
自分も家族に悪いなんて思う必要はない。
嘘とかつかなくてもいい環境にいるなら
つかないに越したことはないとは
もちろん今も思ってるし、
育った家庭が複雑という事情がなければ
嘘なんてつかずに生きていきたいけど。
今の自分にとってはただ
「大好きな人に荷物を送る」ということが
何ヶ月も前から根回しして準備して
家族に対して何食わぬ顔で普通にこなす
ということに全神経を使う大がかりな
作業のようになってるけど、
それでも自分の大事な人とは
後悔がないように心を込めて
いつも関わって繋がっていたいから。
家がこういう状況で‥って我慢してたら
それこそ何もできなくなるし。
恋愛面でもそれ以外の面でも
自分は今の状況からはとにかく
抜け出せるように頑張らないとなとは
もうずっと思ってるけど、
とにかく今日は「まず今日は絶対に
これはしたい」と思うことを無事に
できたから本当に良かった!!
そして明日、きっと家のことをしながら
家族には分からないように
荷物が無事に着いたという連絡を受けて
自分はやっぱり家族には何も気づかれない
何でもないような顔をしながら
「無事に着いて良かったな」と
ホッとするところまでが今回のミッション。
‥本当に「ミッション」という言葉が
ピッタリなくらい、今の生活の中では
必死に頑張ってることに思えてくる。
自分らしく生きたいだけ、が
こんなに難しい環境で暮らしてる。
そういえば、今日その荷物を送った時
応対してくれたレジの人が
何となく雰囲気が大好きな人に似てた(^^)
大好きな人にちょっとでも似てる人って
そんなに多くはないから嬉しかったな。
(ちょっと大丈夫かな‥と
思ってしまう感じの人ではあったけど‥笑)
今突然その状況になった、
というわけでは全然なくて
元々の家庭環境自体複雑な上に
この数年はそれ以外にも自分にとって
精神的にも負担になることもあったけど、
今日改めてあぁ自分は日常をこなすだけで
こんなにも追い回されて追い詰められて
安心して暮らせる環境にないのか‥
と実感させられてしまった。
恋愛だけのことではなくて
趣味や興味があること、
頑張ろうかなと思うことなどもあっても、
一日の中で自分のために使える時間や
エネルギーがあまりにも少なすぎて‥
もう家族のために生活をこなしていくことに
必死になってる間に月日が
経ってしまってる感覚がすごくある。
人生の中で大切なのが恋愛だけ
なんて思ってないし
恋愛してなくても魅力的な人なんて
世の中には本当にたくさんいるけど、
自分にとっては大好きな人との恋愛は
とてもとても大切なもので
これからも大切にしていきたいこと。
だけど、今の環境にいると
恋愛も含めた自分にとって大切なことに
とてもではないけど集中できない‥。
複雑な家庭に育ったけど
家族をどうでもいいと思ってるとかではないし
自分ができる限りではちゃんと
やるべきことはやっていきたいと思う。
だけど、自分の全てを投げ出して
家族だけのために人生を差し出すことは
やっぱりできないな。
自分の人生を生きていく、という軸に
大好きな人との恋愛も
自分の中では入ってて、
家族のためというだけでなく
自分のためにも自分の人生の日々を
使っていきたいと願ってしまう。
不安定な生活の中に生きてるから
恋愛でも必要以上に悩んでしまうのかなと
考えてしまうことも増えたし、
何でも家族優先が当然な生活に
疲れ果てた心で何かを考えると
本来は前向きでもつい不安や後ろ向きな
考えに引っ張られそうになりがちで。
複雑な家庭に生まれても
だからといって自分は
幸せになることや
自分の人生を生きることを
決して諦めたくはない。
昨日つなビィ不具合あったから
このままずっとブログ書けなかったら
他の場所を探すしかないのかなと思ってたら
復旧したみたいで本当に良かった!
恋愛に直接関係はなくても
自分磨きに繋がることは
小さいことでも目立たないことでも
コツコツ頑張っていこうと
前より意識するようにしてて、
最近ReFaのブラシを買った。
普段から美容に意識が高い人にとっては
ブラシ1つ買っただけでそんな記事なんて
書くなと思われるかもしれないけど、
ずっと前は自分を大切にするという意味が
よく分からなかったし、家庭内の色んな事情で
常に家族のことで時間をほぼ丸ごと使うような
生活になってからはまた別の意味でも
自分のために何かをするとか
自分を大切にするというのは
本当にびっくりするほど後回しになってた。
ReFaを買う前から、髪は褒められることも
時々あったけど、それなら尚更自分の良さとして
恋愛でも武器にできるように頑張りたい。
自分は人間一番大切なのは中身という
考えは変わらないけど、世間一般でいえば
やっぱりものすごくルッキズムの世界に
感じられるから、自分も自分の世間での価値を
少しずつ底上げしていけるように‥
少しでも自分に自信を持てるようにしたい。
毎日というわけでもないし
時々というほどの頻度でもない気がするけど
自分の中でどうしてもこれは昔の
辛かったことを思い出してしんどい
と感じる要素が大好きな人にあって、
もちろん大好きな人は故意にそれを
してるわけではないのは分かってるけど
誰に言えるはずもなく一人で
しんどくなって苦しんでる。
自分にとっては「それはやめてくれ」と
叫びたいことでも、世間的にその行動は
責められたり嫌な気持ちになるのが
当たり前みたいなものではないと
おそらく思うから、もし自分の苦しみを
誰かに知られたとしても
おかしいと思われるのは自分で、
この人変な人‥と思われるだけで
この話は終わりそう。
それに、例えばもしその行動が
耐えられないと思ってこの恋愛を諦めて
何とか必死に離れたとしても、
自分にとってはその行動が
昔の悲しいこと、辛いことを
呼び起こすことでも
世間的にはその行動は何も
責められるようなものではないであろう
以上は自分がおかしい、非がある
ということになると思うし、
大好きな人以外をもし好きになっても
(もうそれ自体想像つかないけど‥)
その人もまた同じようなことをする
という可能性もある。
色んなことに深いトラウマを受けて
生きてきたら、やっぱり背負うものが
たくさんあってしんどいなと感じる。
この世界の中を、何とか普通の顔して
生きていくだけに必死で、
結局大人になったところで
心の傷なんて全然薄くならない。
恋愛に夢中になりすぎないように
大好きな人に執着しないように
そう毎日自分に言い聞かせてるけど、
自分は生き方下手で
余裕を持って恋愛するというのが
なかなかできないから本当に難しい。
こういう恐怖感とか違和感とか
不安とか心配事とかなく
恋愛したいのにな‥。
この週末は移動中、
今年ひょんなことから知った歌を
聴いてたけど、その歌に
「叶えたい夢が大きすぎて
周りの人からは笑われるけど
信じてくれる人がいるから前に進める」
みたいな歌詞があって、それを聴く度に
自分にとってはこの恋愛を重ねてた。
複雑な家庭に育って
人間不信を極め尽くしてる自分には、
表向きだけちゃんと人間関係を
こなしていくだけならまだしも、
恋愛って本当に大変で難しく感じられる。
今回書いたこと以外にも
きっと世間一般では気にもならない
たぶん普通にあるようなことが
自分は相手に対して恐怖を感じたり
すごく苦しむきっかけになってしまう。
本来なら恋愛は素敵なもののはず。
まるで修行みたいになってる自分が
本当に悔しくてしんどくて情けない。
地元ではないから
家の用事でそこに行った時にしか
寄れないけど、前にも行った店に
大好きな人と髪型や雰囲気が似てる
店員さんがいる。
勝手に「何か似てるな」と
自分が思ってるだけで
その店員さんからしたらただの迷惑
というのはもちろん分かってるから、
心では似てるなーと思うし
自分が食事してるテーブルに
注文を取りに来たり
料理を運んで来る時以外は
目を合わせることもないし
話すこともないけど。
(基本的にレジは違う店員さんが
する感じっぽいし)
大好きな人に感じが似た人って
なかなかいないし、周りの人にも全然
言えないけどごくたまにその店に行けた時には
「やっぱり何か似てるよなー」って
嬉しくなってしまう。
何でもないような普通の顔して
クールなふうに過ごしてるけど、
心の中でだけめっちゃ喜んでる。
大好きな人のこと、自分の親も
前は全然否定的ではなかったのに、
だんだんなぜか大好きな人の話題に
攻撃的に意見してくるようになった。
おそらく、前まではあくまでも
“地元が同じで共通点が多い人たち”
というくくりで大好きな人と自分を見てて
それだけなら家族から見ても
特に文句や不満はなかったから。
もしかしてお互いに少なからず
恋愛感情があるのか?と会話の中で
ほんの少しでも思う何かが
あったのかもしれない。
できる限りそういうふうに
とられそうな状況では
大好きな人の話はしないようには
気をつけてるけど。
自分は複雑な家庭に育ったから
一般的にも倫理的に問題があるような
ことではなくても、親の一存で
あれはダメ、これもダメと
親の思い通りではないことは
たとえ脅してでもさせないようにする
という言動も当たり前にあった。
元々、この恋愛には大きな壁がある。
だけど、そんなものがなかったとしても
きっと親は好き勝手意見してきた気がする。
昨日、たまたま大好きな人の職種に
関する話をしてる時に親がいきなり
「もし、〇〇(大好きな人)が
地元同じではなかったら
こんなに親しくなろうとか
思わなかったでしょ?」
とまるでそう決めつけるかのように
聞いてきた。
もちろん、大好きな人と地元が違う
という世界線を生きたことはないから
「絶対そう」とも「絶対違う」とも
言いきれない、というのが
誠実な答えかもしれないけど、
普段自分の意思や想いを
尊重してくれてる親に言われても
大して気にならないであろうことも、
普段が普段だけに
「また親の価値観の押しつけか」
「また親が望む生き方に
矯正されようとしてるな」としか
もう思えなくなってきてる。
ここでどんなふうに返事しても
自分の恋愛が親が望む恋愛と
ピッタリ合ってない以上は
その返事によってはまた余計に
あれこれうるさく言われそうな空気が
すごくしてきたから、
「いや、そんなことはないよー」と
一言言った後、違う話に意識的に変えた。
何でここまで気を遣わないと
いけないのかなあ。
人として明らかに問題があるような人を
好きと言われればそりゃもし自分が親でも
頑張れ!応援するよ!とまでは
おそらく思えないし、
冷静に考えたらやっぱり良くないな
と本人もいずれ考えるようになる
というケースもあると思うけど、
恋愛する上での壁はあっても
恋愛そのものは人に言えないような
コソコソしないといけないような
恋愛はしてないけどな、と
悲しくなることも多い。
今思えば、昔はもう何でも
親に話さないとどうせ自分の頭の中なんて
きっと親には知られてる、くらいの
諦めなのか洗脳なのか分からないけど
そういうのがあったから
そこまで話す必要なかったなと
今なら感じるような友達同士の
人間関係のこととかも話してた。
だから、親も「ENAは何でも話す」
「親が意見すれば絶対に逆らわない」
「全て思い通りになるし
ちょっと脅せば世間的にも自慢に
なるような模範的な振る舞いも
してくれるから都合がいい」
ときっと思ってきた‥はず。
今は大好きな人との恋愛以外でも
例えば趣味繋がりの人間関係とか
これは親に知られたら色々と
面倒なややこしいことを聞かれたり
理不尽に制限されたりするなと
想定できることは初めから
言わないようにしてる。
それはそれでいいのかもしれないけど、
本当は恋愛の話を家でもできて
家族が相談に乗ってくれたり
知り合いとかには話せないことも
家の中では話せるような
そんな家庭に身を置けてたら
恋愛で壁があったりしんどい時も
少し救われたりするのかな、と思う。
大好きな人と、ひょんなことから
初めて連絡を取り合えるようになった
あの日のことは、今も忘れられない。
思い出すだけで、夢ってこんなふうに
意外な形から叶うこともあるのかと
信じられない気持ちでリビングの端っこで
家事の合間に喜びのあまり
ドキドキしたまま立ち尽くしてたその瞬間が
心の中に蘇ってくる。
その日、その嬉しい出来事が起こる直前まで
キッチンで料理の作り置きをしてた。
昔から大好きな、地元の郷土料理。
時間がある時に作っておけば
食べたい時に温めて食べられる、
それが本当に助かるから
すぐ先の未来の自分のために
作り置きしておくことは当時からよくあった。
今日も、午前中少し時間があったから
その同じメニューを作り置きしてた。
野菜を切りながら、あの日もこうやって
まさか30分後にあんな嬉しい出来事が
起こるなんて知らずに疲れを心に押し込んで
必死に野菜を切ってたなと思い出した。
こうなったらいいなと願うことが
自分が想定してたのとは違う方面から
ある日突然叶うなんていう現実が
存在すると初めて知ったあの日の話を
普段誰かに語ることはないけど、
心の中ではいつもその日の
あの感情や感覚が自分を支え続けてくれてる。
元々大好きでよく食べてきたそのメニュー。
そんな嬉しい出来事という思い出がある今は
更に特別なメニューになった。
あの日みたいに、それまでは夢に感じてたことが
叶う瞬間にまた出会えるように
それを信じながら生きていかないとなあ‥。
この前、大好きな人が働いてる支社の
関係の知り合いと桜の話題になった時
「そういえば、〇〇(大好きな人)って
桜が似合う雰囲気だよね」と言ってきて、
これまではそんなふうに考えたことは
なかったけどそう言われてみたら
確かにそんな気もしてくる。
大好きな人が地元を離れて
遠い場所に移って2回目の桜の季節。
これから先も、大好きな人がこの地元で
桜を見る機会は長い間ないのかもなと思うと
とても切ない気持ちになる。
今からいくらそう考えても
どうなるわけでもないし、
その当時は自分ができることを最大限
頑張ったからそれ以上今更あれこれ
考えたって仕方ないけど、
大好きな人が地元にいる間にもっと
心の距離を縮められてたら今こんなに
悩んだり苦しむこともなかったのかな
とはやっぱり思ってしまう。
少し前に、大好きな人に渡す物を
その桜の話をしたのとは別の知り合いに
ことづける機会があって、
もしその時点で少しでも桜が咲いてたら
メッセージと一緒に桜の花びらを
押し花にしたりとか写真を添えるとか
何かしたかったけど、まだ咲いてなくて。
桜はいつもきれいで心癒されて
冬の季節も寒さを我慢してたと思うと
本当に励まされるけど、
大好きな人のことを想うと
切ない花でもあると今年も改めて気付かされる。