Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。

濃い青の窓の向こう

毎日の生活の中で
心を休められることはほとんどない。


そんな日々を刻みながら見た
帰りの電車の車窓の向こうは
とろっと濃い青が空から
降りてくるような夜の始まりで、

あぁ今日もこうして何も変わらず
同じ人を想って
誰に言えるわけでもなく
切なくなってるなと思った。


行き場のない想いが毎日
心にぐるぐると円を作り続ける。


めいっぱい前を向いて
生まれ変わったようにこの気持ちも
奇跡が起こるなんて信じて生きれば
何か変わるのかなあ。
日常の中にささやかな思い出を

日常の中にささやかな思い出を

本当はずっとずっとこの先も
思い出をたくさん重ねていきたいと
願ってるのはもちろんのこと。

それでも、心のどこかで
「思い出を作れるうちに
どんな小さくて何気ない日常でも
大切な思い出として残しておこう」
という気持ちがある気がする。


そうそう簡単に会ったり
直接話したりはできない中で
思い出を作ると言っても
そんなにすぐにあれこれ
できるわけではないけど、

自分らしく生きることが
ままならない鬱屈した日々を
こんなにも照らしてくれる存在が
あることを当たり前と思わずに

大事にしていきたい。
愛を繰り返す

愛を繰り返す

もしできることなら
心の思うままに大好きでいたい
といつも思う。

だけど、実際には
これ以上好きにならないようにしよう
と普段の行動の中の
大好きな人に関係する行動は
意識してセーブするようにしてる。


大好きな人は、自分に恋愛感情で
想われてることはきっと知らないし、
万が一気づいてたとしても
そこに進展なんて求めたらいけない。

それがまず前提としてある恋愛は
やっぱりそれだけでもすごく苦しい。


自分が直接的に大好きな人と
連絡とかで接点を持つ機会も
これは仕方ないと言い訳できる
理由がある時だけにしてるから、

いくら心で大好きと想い続けても
だからと言ってしつこく何かを
本人にするわけではないけど。


それでも、毎日の生活の中で
大好きな人への愛を繰り返してる
と思うことはたくさんある。


夜起きた時に
違う部屋で寝てる家族に気配を
感じられないように静かに

自分の部屋に飾ってる
大好きな人の写真を見て
心に元気をチャージする瞬間とか、

たまたまかもしれないことでも
大好きな人と仲良くなれそうな
前兆があるとすごく嬉しかったりとか、

空いた時間にふと
短い動画を見ては励まされるとか。


そして、自分はそんな
愛の繰り返しで今を何とか
生きてることもやっぱり
毎日実感してしまう。

相変わらず、大好きなバンドの歌を
限られた自由時間に聴きながら
涙を流すような毎日。

それでも、先に楽しみがあるから
頑張れる気がする。

誰にも言えなくても
心に支えがあるから
生きていける気がする。


甘いものを食べる時
大好きな人も好きなのを思い出して
一緒に食べたいなと思ったりして、
日常のあらゆる時間に
大好きな人がいるのを感じる。
心の奥行きが広くなった理由

心の奥行きが広くなった理由

好きなバンドも共通してる。

だから、好きなバンドの歌を聴くと
自動的に大好きな人のことを
思い出してしまう。

遠い町に行っても聴いてるかな?

夢を叶えるまでの葛藤を
歌った歌を好きって言ってたけど、
一つ大きな夢を叶えた今も
あの歌を聴いてるのかなあ。


これまでも好きで聴いてきた歌を
今改めて何回も聴き直す。


同じ歌を自分という同じ人が
聴いてるのに前とは違った解釈や
気持ちが浮かんできて、

大好きな人を大好きになったことで
心の奥行きが広くなったのを感じる。


人を好きになることの深さを
こんなに心痛く実感してる。
イントネーション

イントネーション

大好きな人の話し方に
地元イントネーションを感じると
すごくホッとする自分がいる。


離れた地域に行って
それも仕事場で話すとなると
標準語も使うと思うけど、

そういう場以外で
地元のイントネーションを感じる
話し方を聞くとつい嬉しくなる。


誠実でまっすぐできれいな心の持ち主。

そんな人と同じ町の人間と思うだけで
自分まで心がきれいになった気がする。


大好きな人が地元を離れてからも、
自分は大好きな人繋がりの人たちの
優しさや温かさに支えられて
毎日何とか命を繋いで頑張れてる。


大好きな人が自分にくれてるものは
計り知れない。
嬉しくて切ない気持ち

嬉しくて切ない気持ち

地元が同じなこと、
体の特徴にも共通項があること、
続けてきたものが同じなこと、
名前の雰囲気が似てること‥

色んな理由で大好きな人と
ニコイチに見られる機会が
最近増えてきた気がする。


「ENAと言えば〇〇(大好きな人)
だよね!」と言ってもらう度に
本当に心から嬉しくなる。


周りの人たちはきっと
ただ同じコミュニティーの中で
この人とこの人は同じところが
多いからペアみたいだよねー、
という感じで言ってて

もちろん自分が大好きな人に
恋愛感情を持ってるのも
誰も知らないから

深い意味はないとは思う。


それでも、セットとかペアとか
2人で1つの認識を向けられると
表情には表さないようにしてるけど
心の中では密かにすごく嬉しくて
幸せな気持ちが溢れ出してくる。
この桜を見せたい人がいること

この桜を見せたい人がいること

朝から嬉しいことがあった!

心でガッツポーズをしながら、
まるで何事もなかった顔して
淡々と家事をする。


たった数文字でも
大好きな人が書いてくれた
筆跡というのは自分にとっては
どれだけ特別で大切か。


黙ってそっと好きでいるだけ。


そういう立場にいるからこそ
ほんの少しのラッキーが
とてつもない幸せに思えて、
羽が生えたように
嬉しい気持ちになる。


大好きな人にはたぶん
好きな人も付き合ってる人もいない。

自分が努力して付き合えるなら
努力の方向性は見えるということ。

努力できる先があったなら
それだけでもどんなに
良かったかなあと思ってしまう。




歩いてる時に足元を見たら
風で飛ばされた
花びらがきれいなままの桜が
いくつも落ちてることに気がついた。


今はもう天国にいるおばあちゃんは
花がすごく好きで
人にも動物にも植物にも優しくて、

複雑な家庭育ちの自分にとって
家族ってこういうものかなという
温もりを教えてくれた人でもある。

おばあちゃんの写真の前に
置きたくてその桜の花びらを
崩れないように拾って帰った。


おばあちゃんが眠るお墓は
大好きな人の実家のすぐ近く。


こういう時にも
同じ地元というのを意識して、
大好きな人と同じ町の子
という自分が本当に嬉しくなる。


おばあちゃんにも地元の桜を
見せたいと思ったからこそ
そうやって落ちてた花びらを
きれいに持ち帰ったけど、

自分には地元の桜を見せたい人が
おばあちゃん以外にも
もう一人いる。

唯一無二の感性

大好きな人に恋愛感情を
持ってることはどんなに身近で
親しい人にも絶対に言わない。


だけど、大好きな人を知ってる人とは
恋愛感情を隠して普通の顔して
その人の話になることはある。


はっきりとは言わないけど、
「あのブサイクが‥笑」
とか、容姿のことでちょっと
笑われたりすることもある。


いじめとかの感じではないにしても
本来は誰か特定の人の
見た目のことを話題にして笑うのは
決していいことではないけど、

「正直、明日からもしあの顔に
なれって言われたら絶対嫌」
「各パーツにここは整ってると
思える所が一つもない」とか

ひどいこと言うな‥と自分が
思うようなことも周りが
バンバン言ってるのを聞く。


だけど、自分は大真面目に
大好きな人の性格や人柄はもちろん
周りがブサイクと笑うその容姿も
本当に大好き。


元々よく「ENAは顔が整った人は
苦手そう」「見た目の好みが変」と
言われてきたけど、自分は真剣に

大好きな人の容姿も心の持ち方が
表れてていいなと本気で思ってるから、

この顔のどこがブサイクなのか
全く分からない‥。


見た目のことをネタにするようなのは
やっぱり自分はしたくないけど、

自分は周りの大多数というか
一般的な感覚とはだいぶ
ズレてるのかなとは考えてしまう。


だけど、人と同じでないといけない
なんてことはないし、
他の人たちがブサイクと笑うからって
その人を素敵と思ったらいけない
なんていう決まりもない。


むしろ、自分独自の視点で
唯一無二の感性で人を見られるところは
自分にあんまり自信がない自分の
数少ない誇れる部分な気がしてる。


人がどう思うかなんてどうでもいい。

大好きな人は本当に可愛い。

自分にとっては。

濃い青の窓の向こう

毎日の生活の中で
心を休められることはほとんどない。


そんな日々を刻みながら見た
帰りの電車の車窓の向こうは
とろっと濃い青が空から
降りてくるような夜の始まりで、

あぁ今日もこうして何も変わらず
同じ人を想って
誰に言えるわけでもなく
切なくなってるなと思った。


行き場のない想いが毎日
心にぐるぐると円を作り続ける。


めいっぱい前を向いて
生まれ変わったようにこの気持ちも
奇跡が起こるなんて信じて生きれば
何か変わるのかなあ。