去年の2月に来た場所に
用事で今日ほぼ1年ぶりに来た。
去年来た時は、雪が舞う日で
スーパーに行こうとしたら
その前の道が雪が固まったまま凍ってて
そこそこ荷物があるのを何とか
持ちながらこけないように
必死に歩いてた記憶が未だに強烈にある。
今日、1年前と同じ経路でここに来て
1年前と同じ道を、今日は雪も降らずに
この時期のわりには暖かい中歩いて、
去年の今頃に比べたら
恋愛ですごく進展したなと思えた。
これまでなら出せない勇気も出せて
努力の方向性も前より的確になって、
周りの人を大切にはするけど
これは恋愛を守っていく上で
人には話さない方がいいと思うことは
どんなに仲が良くても
どんなに話のノリでそういう話題になっても
自分は大事なことは話さないという
意思も貫けてるなと思う。
このブログを前から読んでくださってる方が
もしいたらきっとそういう方は
自分が性格的には社交性があっても
自分に極端に自信がないのは
知ってくださってると思うけど、
あまりにも自信ありすぎとか
自意識過剰ももちろん良くはないけど
自分みたいに自尊心なさすぎは
恋愛する上でもすごく障壁というのを
大好きな人と出会ってから
余計に感じるようになって、
いきなり大きく自分を変えるのは難しくても
少しずつでも生まれ変わろう、
この恋愛を叶えるために
目標を実現するための正しい努力をしようと
自分なりにこれまでの自分を
変えようとすごく努力したつもり。
1年前の自分と今の自分を
比較しやすい機会が今回あって、
同じ場所からあの日と同じ景色を見てると
あの日悩んでたことや迷ってたこと、
どうするかで心の大部分を占めてたことが
結果的に大好きな人が自分に対して
心を開いてくれるとてもいいきっかけに
なったというのが目に見えるように
分かった気がした。
1年前の今頃は、自分は大好きな人に
こういう行動をしたいけど
それをしても行きすぎではないのか
相手に引かれたりしないか
自分にとっては相手に喜んでほしくて
したことでも仮に迷惑になったら
それは意味がないだけでなく
相手を不快にさせたり
苦痛を与えることになってしまう
そのことに本当に苦しんで悩んでた。
でも、考え抜いてその結果
「やっぱり行動に移そう」と
決意したのがこの場所なのもあって、
今日またここに来れて
あの頃の気持ちを想い出せたし
家のことも含めて色々ありながらも
すごく自由がない少ない中でも
そのできる範囲の精一杯で
この恋愛に誠実に心を込めて
一生懸命生きてこれたなって
自分を少しだけ褒めたくなった。
次にまたここに来る時には
もっと進展して、不安に左右されずに
必死にではなく心から笑えるように
また、これからも頑張ろうと思う。
近くに食料品を買いに出かけた時に
back numberの手紙が流れてた。
「ENAってback number好きでしょ?」
と身近な人によく言われて
確かに好きではあるけどそんなに
いつもいつも聴いてる?と思いながらも
この歌を久しぶりに聴いて
改めていい歌に感じられた。
たぶん、この歌の歌詞は
都会に憧れて地元から飛び出した人が
街に出てから色々苦労もあって
昔からずっと親に支えられてきた
ということに改めて気づく
そしてその感謝はちゃんと
形にして表そうと思ってる
という意味なのかなと思うけど
(違ってたらごめんなさい)
自分はこの歌を聴くと
地元を離れて違う地域で暮らす
大好きな人を想って泣きたくなってくる。
ちなみに同じback numberの
ささえる人の歌も本当に大好きで
これこそ更に大好きな人を想って
めちゃくちゃ涙が出てきてしまう。
自分は複雑な環境育ちで
家族をテーマにした歌は正直苦手で
ふいに自分の意志に関係なくどこかで
流れてたりすると逃げたくなるけど、
この手紙は不思議とそういう気持ちには
あんまりならなくて、聴いていられる。
自分を抑えつけて生きてきた自分の
心はこんなに深かったのかと
ふと気付かされる時がある。
今日、手紙を聴いた時もそう。
大好きな人のおかげで
自分の心の奥を感じられる時、
大きな壁がある苦しい恋愛でも
とても成長させてもらってる、
自分がこの恋愛でもらってるものは
本当に計り知れない
ということにも気付かされる。
ささえる人の歌の話になってしまうけど、
本当に出世なんてどうでも良くて
ただ自分は大好きな人に
元気でいてほしいだけ。
心も体も病むことなく
いつも自分を励ましてくれる
あの笑顔でいてほしいだけ。
肩書きとか名誉とかスペックなんて
そういうのを好きな人もいるとは思うけど
自分にとっては大好きな人が
大好きな人でいてくれたらそれでいい。
恋愛を生きがいにしてはいけない。
前から自分に言い聞かせてたことを
ここ最近は特に心に意識してた。
日々の生活の中で、自分の好きなことを
できる機会が本当に少なくて、
毎日限られた範囲でしか何もできない。
だから、特に大切なものは
1つ、多くても2つくらいしか持てない。
ごく限られた自由な時間を
自分にとってとても大切な
恋愛のために最優先してると、
まるでもうそれがなければ
自分という人間が成り立たないような
自分という人間は完結しないような
そんな気持ちになってしまう。
大好きな人に態度として見せる形では
自分は全然依存はしてないと思う。
むしろ、恋愛に限らず人と接する時、
人と向き合う時はつい相手の機嫌を
気にして遠慮しすぎる癖がある。
親の機嫌が全てのDV家庭は
心が壊れるほどの威圧感があるから。
どんな時でも、どんな状況でも
親の言うことは絶対という家庭で、
自分はいつも自分の気持ちを
我慢することで命を守ってきた。
大好きな人は、今出張中。
地元や今住んでる所の近くなら
仕事で行ってるという大変さはあっても
その地域自体には慣れてるけど、
今行ってるのはなじみのない遠い場所。
任されてる仕事自体も結構大きなもので
そんな時に余計な連絡はやめようと
ずっと我慢してた。
そんな中で、これはどうしても
連絡したい!という出来事があった。
いつものように家のことをまず優先、
という家族ペースでの時間を過ごしつつ
心では「どうする?連絡する?」と
しばらく心の中で自問自答し続けてた。
そうやって考えて考えて、やっと
とにかく長文にはならない
こういうことがあって
どうしても連絡したかったと伝える
というのを意識して
できる限り内容をまとめて短文にして
緊張しながら連絡した。
仕事が忙しかったら
返事はすぐには来ないよな‥、
その返事が来るまでずっと
緊張しながら待つことになるかな‥
と思いながら家のことをしてたら
びっくりするくらい早く返事が来て
心臓がどうにかなりそうにびっくりしつつ
本当に本当に嬉しかった!!
もっと自分に自信を持とう、
明らかに相手に対して不快なことや
苦痛なこと、失礼なことをしなければ
自分の気持ちに正直になるのは
悪いことではないといくら言い聞かせても
これまで全てのことを頑張ってきた理由が
自分のためではなくとにかく
少しでも安全な場所に身を置くため
親の暴力的な言動から逃げるため‥
今考えたら、本当に純粋に自分の
幸せのために何かを頑張ったことは
一体これまでに何回あったかなと
思ってしまうくらいの家庭環境に育って、
今改めて、恋愛する上でも
そういうバックグラウンドは
とてもハードルになってると感じてしまう。
心臓の音が家族に聞こえそうなくらい
ドキドキしながらスマホを握って
何回も何回も、連絡するかを悩んだ。
考えに考えて、できるだけ短くまとめた
文章を深呼吸しながら送った。
そしたら、思いがけずすぐに
大好きな人から返事が返ってきた。
本当に何かを求めるなら
苦しんだり悩んだり迷ったり
きっとその過程にはたくさんあるけど、
勇気を出したその先には
大きな嬉しさや喜びがあると学んだ。
感動するほど本当に嬉しかった!!
今に始まったことではなく
大好きな人を知ってからはずっと
自分は自分ならではの自分らしい
幸せに向けて生きてるなという実感がある。
大好きな人との関係性には打算も計算もなく
一方通行ではない心の行き来を感じる。
今考えたら、こういう深い人間関係を
築くの自体初めてかもしれない。
誰かを心から大切にすることは
自分の心を大切にすることでもあると
大好きな人から学んだと思う。
勇気を出せた自分を密かに祝いたくて
プリンケーキパフェを
いつものコンビニで買った。
これからも、相手の状況は配慮しつつ
自分の気持ちも大切にしていきたい。
SNSは基本的に趣味関係の公式からの
情報を得るためだけに使うことにして
ネットで見るのもニュースとか天気とか
何かその時の自分に必要なことに
てきるだけ限定するようにしてる。
これまでも元々がSNS系統は
あんまり好きではないから
めちゃくちゃハマってたとかではないけど、
去年の11月頃からは
それまで何となくネットをダラダラ
見てた時間をストレッチに
充てることにした。
自分は恐ろしいほど体が硬くて笑
それを改善したいと思ったのもあるし、
姿勢を良くしたいとか痩せたいとか
色々調べてたら良さそうなストレッチを
見つけてやってみようかなーって。
年末年始は家の事情で
毎日はできてないけど基本的に
少しでも時間があればするようにして
今はもう習慣になってる。
今でも、ふとしたことから
すごくモヤモヤする時もあるから
ネットとの距離感は近すぎないように
そこは意識してるつもり。
ネット世代の自分でも
ここまで発展してくれなくても
良かったのになと思うことが多いけど、
このお正月、自分の恋愛で
大きな壁と思ってるのと似たような
状況の人が書いてるブログを見つけて
ブックマークとかはしてないけど
いくつか記事を読んで、
実生活でその悩みについて誰かと
話したり相談する機会がなくても
似たようなことで悩んでる人がいる
ということを心強く思ったり
その人がその壁をどんなふうに
乗り越えようとしてるかが分かって
こういうところはネットがあって
助かってる部分なのかなと思った。
その人その人の事情がそれぞれにあるから
その壁の一般的な大きさ高さを見ただけで
どっちがいいとか楽とかはもちろん
測れないのは当たり前のこととして、
その人のブログを読みながら
「客観的に見たら自分が恋愛で
ぶつかってる壁はやっぱり
相当大きいのかも」という気持ちには
なってしまったかな‥。
同じ種類ではなくてもまた違う
大きい壁を乗り越えて結婚した人の話も
つい最近読んで、その人は周りが何も
知らない時も人知れずそのことで
悩みながら生きてきてやっと
「この人なら」と思う人と出会えて
本当に良かったと思ったし勇気ももらった。
普段の生活では出会わなくても
世の中には恋愛で心がちぎれそうに
悩み苦しんでる人もたくさんいると
改めて気付かされたし、
本当に縁があれば
2人の間に絆があれば
そういう壁があっても乗り越えて
一緒に幸せになれるのかなって
少し希望が見えた気がした。
自分も恋愛面でもそれ以外でも
人間性を磨いていきたいと思う。
年末年始、大好きな人が帰省してきて
会えたら渡したいと思って
ちょっとしたプレゼントというか
まだ付き合ってなくても気兼ねなく
受け取れるような小物を用意してたのを
どうしよう、渡すとしたらどのタイミングで
渡そうとそれもずっと考えてた。
仕事上春前からは更に忙しくなって
そしたら今度いつ帰省できるか
分からないし、自分が大好きな人が
今住んでる町に行くのは家の事情を考えると
そんな数ヶ月の間には無理そう‥。
色々考えて、まあまあ近いうちに
送る予定にしてた物があるから
(大好きな人もENAがそれを
送ってくるかなとたぶん思ってる)
その時に「いつもお疲れさま」
みたいな感じで一緒に送ろうと思う。
そんなに大きな物ではないけど
シンプルな感じでラッピングも
してもらったし、自分の部屋の
ホコリが入らないような場所には
一応考えて置いてるけど
やっぱり長い間そうやって部屋に
置いとくのも気になるし。
本当は送るよりも直接渡したかったけど
なかなか会える機会がないから
送れるだけでも幸せで有り難いと
思わないといけないよなあ‥。
どんなに前向きになろうとしても
不安は心の奥に常にまだあるけど、
去年のお正月に比べたら
今の方が成長した自分で
迎えられてるのと同じように
これからまだまだ幸せを掴めると信じて
今自分ができること、
自分が変えていけることから
一つ一つ頑張っていこう!
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!
「あけましておめでとう!
今年もよろしく!」
知り合いから早々と届いた連絡を見て、
自分も大好きな人にそうやって
連絡したいなとすごく思った。
でも「今年一年ありがとう、
来年もよろしく」というやりとりは
もう2025年の間にお互いしてたし、
大好きな人は仕事での移動中かもしれない
と思ったし、もし仕事が自分が思うより
ハードスケジュールな場合特に
「こっちは仕事で忙しいのに!
去年の間にそのやりとりしてるし
別にわざわざ挨拶なんか良かったのに」
と新年から思われたら悲しいなと思って
そういう連絡はしないことにした。
もし、なんて言っててもキリがないけど
もし今の時点でもう付き合えてたら、
もちろん相手の状況に配慮は要るけど
「あけましておめでとう!
今年もよろしく!」くらいの連絡は
きっとできたのかなあと思う。
自分は家の事情で、年末年始も
自分の個人的な用事には行けないし
そういう意味では自由な時間ではないけど、
年末年始に仕事で家を空けたことは
これまでにない。
でも、大好きな人は自分以上に
カレンダー通りではない仕事に就いてて
実際この年末年始も仕事で
ちょっとスケジュールも知ってるけど
びっくりするほど余裕なさそうで、
職種によっても細かい部分は違っても
年末年始=休み
というわけでなくそうやって色んな場所で
それぞれ働いてくれてる人たちも
いるというのを改めて実感してる。
自分は小さい頃から
我慢するということに慣らされてる。
ここでこう言いたいけど
その発言を我慢するとか
買いたい物があるけど
お金が足りないから我慢するとか
そういう意味の我慢ではなくて、
あらゆる場面で自分の気持ちや思いを
言うことそのものが悪というような
複雑な家庭育ち特有の
全てを踏みにじられてきた感覚。
だから、恋愛においても
本当なら言ってもいいはずのことも
自分からわざわざ我慢を選んでしまったり
大好きな人は穏やかな性格で
いきなり怒ったり暴力を振るったりは
しない人って分かってても
相手の機嫌をうかがうような
必要以上に自分を下げて
へりくだるような選択を
誰に言われたわけでもなく
自分からしてしまう。
ものすごく良く言えば
人に対しての配慮ができる
自分を主張しすぎずに遠慮できる
ということになるのかもしれないけど、
この無駄なへりくだりと
機嫌うかがいが自分を生きにくくしてる
という自覚が(恋愛に限らず)すごくあるから
厚かましくなっていいとか
人への気遣いがなくていいとか
そういうことではなく
その短所を今年は変えていきたい。
とはいっても
このお正月はやっぱり
普段よりも仕事に追われてるのを知ってて
連絡はできないけど、
自分を自分で価値がない
誰から見てもその人の役にいつでも
立たなければ意味がない人間と
自分で判断するのは本当にやめたい。
そんなふうに自分を卑下しすぎる人間に
それとは対象的すぎる幸せな恋愛なんて
きっとこないと思ってしまうから。
そのためにも、ネットとかを見すぎて
人と比べたり、何が普通かとか
そういうことも考えないようにしたい。
1年後、今日書いたこの記事を読み返して
「去年はこんなことで悩んでたの?」
と笑い飛ばせるくらい
今年を幸せな一年にしたい。
というか絶対にする。
もし、大好きな人が年末帰省できて
会えたらもちろんもっと良かったけど、
それはできなくても今年は自分にとって
本当に忘れられない大切な一年になった。
このブログでも、自分の恋愛観に
大きく影響してるかなと感じる部分は
育った環境についても書いてるけど、
いつも心のどこかに
“家族からもひどい態度をとられる自分が
家族でもない誰かから大事に
してもらえるはずなんてない”という
気持ちを抱えながら生きてきたのに
静かでおとなしい性格の大好きな人が
まさか目に見えて自分を特別扱いしたり
「普段離れててなかなか会ったりは
できなくてもいつも気にかけてくれてるの
ちゃんと分かってるから」
と言ってくれるなんて
ましてやもっと進展してからではなく
今の時点でそういう気持ちを
見て分かる形で示してくれるなんて
夢にも思ってなかったから、
今年はこの先もずっと心の中で
原点として支えになり続けてくれるような
そんな特別で大切な一年。
大きな壁があることもあるし
周りの人を信用できないのもあって
自分が自分の恋愛について
普段、このブログ以外では
誰かに話すことはない。
誰かに恋愛のことを聞かれたり
話の流れでそうなった時に、
大好きな人に限定されない形で
「こういう人が好き」とか
それくらいの話をすることはあっても
具体的に人物が特定される形で
大好きな人を好きというのは
分からないように、知られないように
細心の注意を払って毎日を過ごしてる。
何も悪いこともしてないのに
何でこんなに小さくなって
大事なものを外からは見えないように
隠して生きないといけないのかな?
とも思ってしまうけど、
大切なものほど
人の目にさらさず心の中に
大切にしておきたいという気持ちも
自分の中にあるのかもしれない。
自分に自信がない、というのを
全面に出さないように生きようと
意識してるからか、大好きな人には
きっと「ENAは自分に自信がなさそう」
というふうには見えてないと思うけど、
自分にとっては、自分なりに努力して
大好きな人の隣にいるのが似合う人に
なるためにはどうしたらいいか、を
常に考えて自分に革命を起こして
毎日を過ごしてるような気持ち。
人との信頼関係とか
損得関係なく無償で愛する気持ちとか
そういうものがある家庭ではなかったから、
大人になるまでもずっと
うわべでは無難に生活してたけど
心のどこかではそういうのと
向き合うことを避けてきたのかも、
と思ったりもする。
大好きな人が地元を離れてからは
自分の現状から考えると
そんなに簡単には会いに行けない所に
住んでてそんな中でどうやって
進展すればいいのかとは思うけど、
遠いなりにできることを頑張ってるのは
ちゃんと届いてたと分かったことも
今年、自分の中で本当に大きかった。
決して執着はしないようにしたい。
自由に趣味や生きがいを楽しむのが
難しい生活をしてると
恋愛に限らず何か一つのことを
続けるのそのものが難しくて、
だからついそのことに執着したり
「もしこれをなくしたら
自分には何も残らない」という
行き詰まった考えにいってしまいがち。
でも、絶対にこうしないと!という
考えで突き進んだ先が幸せとは
決して限らないというのも
忘れずに心に置いておきたい。
周りから見れば、何か大きな
出来事があったわけではなくても
自分の中では大きな進歩を感じられた
2025年が終わってしまうのは
すごく寂しいけど、
この2025年を活かして来年を
もっと幸せな一年にできるように
相手の気持ちや立場を考えながらも
自分の気持ちももう少し態度や言葉で
伝えていけるように頑張りたい。
できれば、来年一年の間には
大好きな人と付き合いたいし、
その先の将来も考えられるくらいの
関係になりたい。
まだまだ、精神的に落ち込んだり
行き場がないと感じてしまうことも
日々の生活の中にはしょっちゅうあるけど、
来年はもっと安心して生きていけるように
恋愛も含めて前に進んでいきたい。
このブログは、唯一恋愛のことを
何でも打ち明けられる場所。
いつも支えや心の拠り所にしてるので
この一年このブログを読んでくださった
方々にも本当に感謝です。
今年一年、ありがとうございました!
来年もまたよろしくお願いします。
皆さん、良いお年をお迎えください。
昨日、家族に言われて
重労働をこなさないといけなくて、
でも今の自分にとっては
家族から言われることは命令と同じ。
それをしないとなと思ってた時
大好きな人がやっぱり年末年始も
仕事に行かないといけないのを知った。
元々の予定では
「年末年始は地元に帰る」
「だから会えたら会おう」
という話で、自分も今の現状では
家のことが色々あるから
会えるにしても堂々と
大好きな人と会ってくるとは
言えないなと考えながら
だけど何としてても予定を合わせて
会いたいとすごく願ってきた。
大好きな人にあまりにそれを出しすぎると
プレッシャーになりそうと考えて
できる限り前のめり感がないように
「〇〇(大好きな人)が帰ってこれたら
ぜひ会えたら嬉しい!」
程度に留めたけど‥。
少し前から、思いがけずうまくいってた
仕事にはまだ続きがあって、
可能性を見込まれたのか
次の仕事も任されたみたい。
その仕事に関わるなら年末年始も仕事。
そうなるともちろん、
こっちに帰ってくる予定も中止になる‥
大好きな人のことを考えたら
今の支社で働き始めてまだ長くないのに
そんなふうに信頼されてるというのは
もちろん喜ばしいこと、素晴らしいこと、
大好きな人の日頃からの努力を
そうやって評価されてて有り難いこと
それはもちろん自分もそう思ってる、
だけどこれだけ普段から会える機会が
ほとんどなくてやっと会えるというのは
自分にとって本当に毎日の大きな
支えであり道標でもあった。
大事な仕事の一員として
選んでもらってるというのは
本社からの信頼もあるからで
本当に嬉しいこととは分かってるし、
だから自分も「すごいね!良かったね!」
という感情しか外には見せないけど、
本音を言えるなら
本当に本当に本当に
年末年始に会いたかった。
大きな壁がある恋愛は
いつもどことなく周りに引け目を感じて
“自分がこの人をどんなに好きでも
この恋愛がうまくいくことはないのかな”
と思い始めたら不安の底まで心が
突き飛ばされそうで必死に何かに
しがみつくような毎日を過ごしてきた。
大好きな人の性格を考えると
よっぽど好きになってくれるか
よっぽどの人生の中の何か
ターニングポイントがないと
向こうからのアプローチはないのかなって、
でもなかなか会える機会もなく
仕事もカレンダー通りではない
不規則な状態で連絡も遠慮がちに最小限
そんな毎日の中でどうやって
自分からこの恋愛を進展させればいいのか
気がつけばずっとそのことを
考えてしまうほど悩んでた。
だからこそ、大好きな人が
もしかしたら人によっては
何でもないようなことでも
大好きな人や自分にとっては
すごく大きな一歩をある日
何の前触れもなく踏み出してくれた時は
今でもその日にちや
その日家で作った料理や
連絡を受けた瞬間自分が家のどこに
立ってどういう状況下で見たかとかも
鮮明に忘れられないくらい
自分にとって本当に特別に思えた。
年末年始に帰ってくるかも?
というのは想定の範囲内でも
相手側から会おうとしてきてくれる
というのは夢みたいな出来事で、
家族の前では何でもない顔をしながら
大好きな人と会えた日に渡したい
ちょっとしたプレゼントを用意したり
家の用事での外出先で
お世話になった知り合いに渡すふりをして
Thank youカードを買って
そのちょっとしたプレゼントに添えて
渡そうかなってドキドキしたり
服も大好きな人と会うと言わずに
他の理由で外出するなら
あんまりいつもの感じとは違う服装は
できないけどその中でも
これくらいなら無難でいいかなと思う服を
密かにネットで買って準備したり
自分は決して細身体型ではないけど
多少でもすらっとしたいからと
毎日のストレッチが習慣になったり
一見すると何も変わらない自分の日々は
“大好きな人に会える”という一つの幸せで
周りの誰も知らないところで
キラキラ輝き始めてた。
これまで、家の中でも理不尽な暴力に
耐えたりと家族の温もりも分からなくて
だから恋愛でも人を信じられない、
この人のこの言動も打算とか計算に
決まってると全てにおいて思ってしまう、
そんな自分でもこんなふうに
気持ちが通い合った恋愛ができるのかと
今回、初めて実感してた気がする。
仕事なら仕方ない。
むしろそうやって認められて
大事な仕事を任された大好きな人を
「すごいね、本当に良かった」と
喜んで自分の個人的な都合や想いは
自分の心に押し留めておかないと。
分かってるけど、やりきれない。
分かってるけど、寂しくて苦しい。
帰ってくるって言ったのに。
それを聞いた時からずっと
その日のために生き抜いてたのに。
(こういう家庭環境を経験してない
人にとっては重すぎると思うから
全くこういうそぶりは見せないけど)
手が震えるほど嬉しかった連絡。
あの日からずっと
しんどくなる度に、苦しくなる度に
「でも、年末年始は会えるから」を
まるで合言葉のように言い聞かせて
ここまで来た自分がみじめに思えて
今はもう“この年末年始は会えない”
ということが、重くのしかかって
精神的にもすごくしんどくなってる。
めんどくさい人にならないために
元々深く人と関わるのが苦手な
大好きな人が自分を心から
追い出してしまわないように
自分は全然平気なふりをして
明るく振る舞うだけ。
会えなくてもせめて年明けに
あけましておめでとうメッセージを
送ろうかなとも思ったけど、
仕事で集中してる大事な時期、
仕事のために普段の日常とは全く違う
リズムや環境で頑張ってる時期に
自分がそういう連絡をすれば
「年末年始会おうって言ったのにな」
とか心を乱したり揺らしたりする
きっかけになってしまうかもしれないし、
連絡ももう少し後にすることにして
年末年始はただ心の中で大好きな人を
想うだけで静かに過ごそうと思う。
会いたかったな。
年末年始をこんなにも支えにしてた。
本当に会いたくて仕方なかった。
本当は過去形ではなく今も。
ずっと会いたい。
いい人なのかもしれないけど
この人は調子に乗ると人を
嫌な感じでいじってくるなぁ、
人の秘密もしれっとバラすよなぁと
数ヶ月前にすごく思うことがあって、
大好きな人が働いてる支社とも
繋がりが深い人ではあるけど
というか、繋がりが深いからこそ
自分の大事なことを話すのはやめようと
思ってずっとそれを心に留めてる。
今日もそういう出来事があって、
まだその人を少し信用してた頃に
恋愛以外の自分の個人的な話を少し
してしまったのは良くなかったけど、
恋愛の話は本当に無難な程度にしか
話してなくて助かったと思った。
大好きな人が働いてる支社繋がりの
人間関係に助けられることも
たくさんあったけど、その支社は
小規模なのもあって自分がどこかで
何気なく話したことが思いがけず
広まる危険もあるなと改めて
実感した一年でもあった気がする。
前に、小さい犬2匹と暮らしてる
自分の地元に住んでる人と会って
話したことがある。
すごく感じがいい人で、犬も可愛くて
犬たちの名前も2匹に繋がりを持たせた
素敵な名前で印象に残ってた。
今日、自分よりその人と何回も会ってる
そこそこ親しい人と話してたら、
その人は自分が今悩んでるのと近い
状況を乗り越えて結婚したというのを
初めて知った!
周りの人は誰も、今自分がそういう
大きな壁がある恋愛をしてるのを知らないし
今日それを知った時も心の中では
どうやって乗り越えたのかとか
参考になるようなことを知りたいと
すごく思ったけど、その本人と
話してたわけではないし、
そんな個人的なことはあんまり色々
聞くべきではないかなと思うから
すぐにその話題は別の話題に
なってしまってそれ以上のことは
ほとんど何も分からなかった。
それでも、ネット上の誰かではなく
自分の生活圏内で、しかも
会ったことがある人で、似たような状況を
乗り越えて結婚した人がいるというのは
今の自分にとって大きな励ましになった。
普段からそこそこ話してる人、
久しぶりに話した人‥
数日前、いつもより何人もと
色んな話をした日があった。
世間話や何気ない日常の話、
趣味の話はするけど
自分の個人的な話はしない、
誰と関わる時も基本的にそう決めてる。
その日も、普段より人と話しても
その場の空気や流れでつい
自分のごくプライベートなことを
話さずに済んだのは本当に良かった。
自分のことを気にかけてくれる人、
優しい言葉をくれる人、
自分が好きなことの話を
楽しそうにしてきてくれる人、
そういう人たちのことを本当に
有り難いと思うけど
誰に対しても自分のごく個人的なことは
怖くて話す気持ちにはなれない。
大好きな人の仕事場は
カレンダー通りの休みではない
というのはずっと前から知ってるけど、
昨日大好きな人の支社関係の人から聞いて
知った話に、正直悲しくなってしまった。
思いがけず、大好きな人が
元々予定には入ってなかった大事な仕事を
任されてるのは前から知ってたけど、
その支社関係の人曰く
もしその仕事がうまくいったら
年末年始もこっちに帰省はできないって。
元々カレンダー通りの仕事ではないし
その仕事上どうしてもその日程で
行かないといけない場所があるとか。
元々予定にはなかった大事な仕事を
任されてることにもびっくりしたけど、
そんなふうに信頼されるのは
とても幸せなことで、すごく忙しくなって
年末に会えないかもしれなくなるのは
苦しいけど仕事なら仕方ないもんなと
思うようにしてた矢先に
その任された仕事にはまだ続きがあって
今の時点で頑張ってることが更に
認められたら年末年始も帰省自体
取りやめということになるのは
昨日まで知らなかった‥。
生きるために、そのお金を得ないと
いけないから無になって労働してる
自分に対して、大好きな人は
昔からこの仕事に就きたいと
逆境の中でも目標にしてきた職種に
実際に今就いてる。
その分、こうなりたい!とか
こういう仕事をしてみたい!という
情熱もすごくあるように思えるし、
今回のその仕事だって大好きな人は
帰省できなくてもその更に大きな仕事を
したいと思ってるのかもしれない。
そんな熱意を応援するべきで
本来なら帰省してくるはずが
それができなくなって残念とか
辛いとか悲しいとかは
ここには書いたとしても
大好きな人の前では見せたらいけない
気持ちというのを自分に言い聞かせてる。
それでも、自分は心のどこかで
大好きな人が帰省してくること、
そしてその時に会えることを
心の道標や指針にしてたと
今改めて思い知らされてる。
なるべく食べすぎないようにするのも
だいたいでもカロリーを計算するのも
ストレッチするのもなるべく早く寝るのも
いつもより身なりに気をつけるのも、
本当は自分のためにすることで
大好きな人のためにするわけではないのに
いつしか大好きな人と会える日に
少しでもいい自分で会えるように
頑張ってるということに気づいてしまう。
自分は、生活のためにお金を得る手段
という以外に今の労働に意味を
見出すことができないけど、
大好きな人は昔からの夢を叶えて
憧れてきた職種に就いてるから
自分には計り知れない仕事への
熱い気持ちもあると思うし、
仕事にそんなふうに熱意を持てるのは
素晴らしいことでもあるから
仕事に関して応援しないといけないと
いつも思ってるけど‥
すごく楽しみにしてた予定も
こんなにあっさりと中止になるのかも
これからだってこういうことも
ありうるのかもと考えると、
それは正直しんどいなと感じる。
こんなふうに、もしかしたら
年末年始も会えないのかもと考えると
この前書いたネットのことも含めて
恋愛の話ではあるけどその仕事日程の
話以外のことについても
たまらなくモヤモヤしてきてしまう。
ネットのことも、大好きな人が
積極的にネットで異性と関わってるとか
そういう要素は自分が見る限りは
全くないから、大好きな人と恋愛しても
付き合っても家族になっても
疑わしい何かがありそうとか
そんなことはないけど、
これまで育った環境によるトラウマは
どんなに努力してもそうそう治らないし
毎日顔では笑いながら
こういうことに苦しみ続けてるのが
本当にやるせなくて辛くなってくる。
普段、なるべく考えないようにしてる。
誰と恋愛しても根本的な問題というか
課題そのものが解決するわけではないし、
人がそれぞれ性格や考え方や理性の質が
違う以上悩んだところで確実に
これで解決とはならない、
結局は自分個人の問題と自覚してるから。
でも、時々たまらなく不安になること、
それはネット関係のこと。
前にも少し書いたことはあったけど、
親は自分が子どもの頃から
何台も携帯を持ち歩いて
それぞれの端末でおびただしい異性と
連絡を取っては遊びまくってた。
そのせいで、その不倫相手たちに
なぜか家族にまで嫌がらせをされたり
危険が伴うからと学校に行けずに
休まざるをえない時もあった。
家族の誕生日やイベントは無視、
でも外の異性たちとはいつも
派手に誕生日や記念日を祝ってた。
その異性関係でトラブルが起きると、
容赦なく家族に暴力を振るってきた。
昔みたいに、家の電話にかかってきたら
そうそう誰とでも安易に関わったりは
いくら異性にだらしない人でもできない
またはすごくしづらいと思う。
でも、携帯なら直接その人本人と
電話でもメールでも何でもできるから
家族にも隠し通しやすい。
異性関係が不誠実な人にとっては
すごく便利で都合がいい
時代なのかなと思わざるをえない。
小さい頃からそんな親を見て育って
恋愛に対して嫌悪感、不信感、
恐怖感がものすごく色濃くある。
親の貞操観念や倫理観は
あまりにとんでもなさすぎると
間違いなく子どもの人生に影響する、
と自分はいつも思ってる。
異性問題以外にも、育った家には
本当に色々あったから
恋愛以外に関しても自分は見事に
どんな時でも人間不信で、
でもそれを表面に出してたら
世の中生きていけないから
人を信用してないけど人とは話すし
見た目だけなら仲良くできる。
普段の人間関係ならもうそれでいい。
大事なこと、個人的なことを
周りの人に話そうと思わないし、
相手が何かを打ち明けてくれたら
それを誠実に聞くだけ。
ただ、恋愛になると
好きになった人のことはちゃんと信じたいし
相手側も誠意を見せて接してきてくれた場合
特に自分もしっかり向き合いたいと思う。
でも、親が毎日ヘラヘラと
携帯を何台も持ち歩いて
堂々と自分の目の前で色んな異性と連絡して
家族を踏みにじって傷つけてきたことは
大人になっても決して忘れられない。
家族が病気になったことにして仕事を休んで
異性をとっかえひっかえデート
なんてことも当たり前にしてきた人。
親の当時の上司から
「ENA、入院してたんでしょ?
〇〇さん(親)が毎日病院行ってたって?
体調大丈夫?」
と聞かれて何を言ってるのかと
疑問に思ったことから分かったけど、
あまりにもひどいことがたくさんあった。
異性関係でお金を使いすぎて借金して
それを返せないから家族で返してくれとか
それもできないなら一家心中するしかない
みたいな危機もあったし、
正直未だに親を恨んでる部分も多い。
子どもの時からデジタル優勢の
世の中に生きてきた。
だから、すごく年上の人たちが言う
“不便な時代”は知らないけど、
今はネットでも人と繋がる方法は
たくさんあるし、親みたいに不純な動機で
あっちこっち手を出せば何の苦労もなく
異性と遊び呆けてしまえる時代。
人を裏切ってるとか不貞行為をしてるとか
そういう実感もなく先にスマホを触る手が
動いてるような人たちもいると思う。
自分の好きになった人のことだけでも
信じようと思うけど、昔自分の家に
あったことを色々思い返すと
普通の顔して何でもないように
自分とも繋がりながらいくらでも
他の人とも繋がれるよな、という
不信感がものすごく出てくる時がある。
自分はSNSが好きではなくて
だから基本的に趣味関係の公式情報を
得るためくらいしか使ってないけど、
SNSだって誰がどれだけの人を
フォローしてるかとか色々
知りたくなくても情報は可視化されるし
便利かもしれないけど面倒な時代にも
思えて仕方ない。
こんなふうに安易に誰とでも繋がれる時代なら
誰か一人のことを本当に大切にできる人なんて
ほんのひと握りなのかもしれないとか、
大好きな人はたぶんすごく勇気を出して
普段離れた場所に暮らしてても
連絡を取れるように考えてくれたと
思ってるけど、もしかしたら
「この人自分のこと好きっぽいし
共通点も多いからキープしとこ!」
程度のノリなのか?と心の片隅で
きっとありもしないのについ考えて
自分が傷つかないように
バリアを張ってしまったり。
自分の今の恋愛と、自分が育った環境は
また別の話で全然関係がないと
自分でも分かってるのに、それでもずっと
自分が子どもの頃からの家での出来事を
ずっと引きずってしまってる。
ネットがない
というのはもう想像できなくても、
ここまで発達してない世界なら
もしかしたら自分はここまで
不安にさいなまれなかったのかな?
ネットがある時代に生きてるからこそ
自分は誰にも言えない恋愛の話を
こうしてブログに書くことができてるし、
ネットがあるからこそ大好きな人と
離れた場所に暮らしてても
連絡を取り合えるし瞬時にやりとりできる。
不安になる部分だけではなくて
有り難く感謝すべき部分もあるのに、
それでも自分はついつい不安を
止めることができずに
消えてしまいたいほど苦しんでる。
親が軽々としてきたことが今
本当に自分の心を苦しめてると思う。
親は当時楽しかっただけでも
自分は毎日トラウマと闘ってる。
大好きな人のことだけでいい、
たった一人でいい、
信じられる勇気と強さが欲しい。