それなら自分がふさわしい人間に
最近、ほんの少しでも休める時間があると
「大好きな人と自分は本当に釣り合うのか」
を考えてしまってることに気づく。
どんなに考えたって、大好きな人が
自分に対してどう思ってくれてるのか
なんてことははっきり見えるわけもなく、
今答えがさっと目の前に
現れるわけでもない。
元々、この恋愛をしてる上で
壁になってるな、ハードルかなと
思うことは、努力次第でどうにかなる
ものではないから、それならその部分も
他で補うしかないとずっと思ってる。
その壁やハードルがある相手とない相手が
他の部分は全く同じ条件という形で
目の前に2人いたとすれば、
大体の人は壁やハードルがない方を
選ぶと思うし、きっと自分もそう。
でも、絶対にその人にしかない魅力が
ある人と自分の間に壁やハードルが
あった場合、どうしてもその人自身を
逃すのは困るということになったら、
たとえ壁やハードルがあっても
それに打ち勝ってでも特別な存在になりたい
と思うかなあと個人的に思う。
その壁やハードルそのものが
もう元々出会った時からある
どうしても変えられないもので
今更どうしようもできないのなら、
その壁やハードルを上回るくらいに自分が
大好きな人にとって必要な存在に
なるしかないと、最近特に思う。
仕事場で、思った以上に大好きな人の
得意分野が重宝がられてる話を
見聞きする度に、嬉しさと同時に
相変わらず焦りも感じる。
昔のことわざで「芸は身を助く」と言うけど
実際、何か特技があることで
他の面では同じくらいの実力の人とも
言葉は悪いかもしれないけど
差別化をはかれるというか
違いを表すことができる。
「ENAー!〇〇(大好きな人)すごいね!
仕事に活かせる特技があって、
〇〇がいてくれて助かったって
あの支社の他の人も言ってたよ」
という話を聞く度に、
正直とてつもない焦燥感がある。
仕事と恋愛はまた違うから、
会社のように何かプロジェクトを
みんなで協力してうまくいかせるとか
いつまでにこれだけしないといけない
という限られた期間内で
いかに最善の方法で上司にそれを示すか
みたいなことは、恋愛ではあんまり
関係ないのかなとは思う。
でも、大好きな人から見て、
「(大好きな人が)今住んでる所とは
離れた地元に住んでるけど」
「どうしてもそれは変えられない
壁やハードルがあるけど」
「別に顔がいいわけでもないし
何か世間的に誇れるスペックが
あるわけでもないけど」
それでもこの人がいい
と思える存在にならなければ
きっと進展は難しいと思うから、
そのために自分にできることは何なのか
いつもいつも考えてる。
正直、自分は顔が美形でもないし
(大好きな人と雰囲気が似てるって
言われるからそれは嬉しいけど)
スタイルも良くはないし、
社会的にこれは大きくプラスになる
という何かがあるわけでもない。
でも、大好きな人を大切に想う気持ちは
絶対に誰にも負けないし、
大好きな人がこれは苦手かなという部分が
自分は比較的得意で補えるかなとは思う。
あと、家庭内に色々あって
子どもの頃から大人役をしないといけなくて
かしこまった場や目上の人への態度や
言葉遣いはまあまあできてる気がする。
大好きな人が仕事上こうなるかも?という
将来を考えた時に、自分の性格や振る舞いや
生きてる上で大事にしてきたことが
役に立つ時はたくさんありそうにも思う。
それをあまりに積極的にアピールしたら
逆効果になると思うししつこいから
それはしないけど、自分が勝負できることは
もっと磨いて、大好きな人にふさわしい、
釣り合うと思ってもらえるように。
容姿を磨くだけでなく内面も
すごく大事になってくるよなあ‥。
自分は家の中で、認められたり
褒められたり無条件に愛されたり
というのが極端に少ないまま育った。
だから、大好きな人も含めて
「子どもの頃に親が
こういうことをしてくれて‥」とか
「得意なことを褒めてくれて‥」みたいな
話を聞いたりすると、
そんなふうに愛されたり
褒められる人生をそんな小さい時から
必死に掴みとるんではなく自然に
得られてる人もいるのか!とビックリする。
大好きな人が、今仕事で活かせてることも
子どもの時に親がそれを一緒に
楽しんだり関わったりする時間を
作ってくれてたって話を前に知って、
そういうのを聞くと、もう生まれた時から
人としての価値が違う、上下がある
そんな気がしてしまって
一人で悩んだり、落ち込んだりする。
小さい頃からどんなに頑張っても
努力してもそれは当然とみなされて
何ならそこを無視して暴力や暴言もあった。
遊ぶ時間や休む時間をいくら削って
親に認められる子になろうとしても
「じゃあもっとこうして」って
決して満足してくれることはなかった。
そんな自分は、大好きな人のように
愛のある環境で育って
あんなふうに素直に自然に笑える人には
そもそも初めから釣り合わないのかも
という考えに心が支配されてしまうのが
とても苦しいし、やりきれない。
ただ、その育ち方だって自分ではもう
今更変えられないことの一つ。
だから、変えられる部分に目を向けて
たとえすぐに目に見えるような効果は
出なくてもコツコツ頑張っていく、
自分が夢を叶えたり幸せになれる道は
そこしかないのかなと思う。
「大好きな人と自分は本当に釣り合うのか」
を考えてしまってることに気づく。
どんなに考えたって、大好きな人が
自分に対してどう思ってくれてるのか
なんてことははっきり見えるわけもなく、
今答えがさっと目の前に
現れるわけでもない。
元々、この恋愛をしてる上で
壁になってるな、ハードルかなと
思うことは、努力次第でどうにかなる
ものではないから、それならその部分も
他で補うしかないとずっと思ってる。
その壁やハードルがある相手とない相手が
他の部分は全く同じ条件という形で
目の前に2人いたとすれば、
大体の人は壁やハードルがない方を
選ぶと思うし、きっと自分もそう。
でも、絶対にその人にしかない魅力が
ある人と自分の間に壁やハードルが
あった場合、どうしてもその人自身を
逃すのは困るということになったら、
たとえ壁やハードルがあっても
それに打ち勝ってでも特別な存在になりたい
と思うかなあと個人的に思う。
その壁やハードルそのものが
もう元々出会った時からある
どうしても変えられないもので
今更どうしようもできないのなら、
その壁やハードルを上回るくらいに自分が
大好きな人にとって必要な存在に
なるしかないと、最近特に思う。
仕事場で、思った以上に大好きな人の
得意分野が重宝がられてる話を
見聞きする度に、嬉しさと同時に
相変わらず焦りも感じる。
昔のことわざで「芸は身を助く」と言うけど
実際、何か特技があることで
他の面では同じくらいの実力の人とも
言葉は悪いかもしれないけど
差別化をはかれるというか
違いを表すことができる。
「ENAー!〇〇(大好きな人)すごいね!
仕事に活かせる特技があって、
〇〇がいてくれて助かったって
あの支社の他の人も言ってたよ」
という話を聞く度に、
正直とてつもない焦燥感がある。
仕事と恋愛はまた違うから、
会社のように何かプロジェクトを
みんなで協力してうまくいかせるとか
いつまでにこれだけしないといけない
という限られた期間内で
いかに最善の方法で上司にそれを示すか
みたいなことは、恋愛ではあんまり
関係ないのかなとは思う。
でも、大好きな人から見て、
「(大好きな人が)今住んでる所とは
離れた地元に住んでるけど」
「どうしてもそれは変えられない
壁やハードルがあるけど」
「別に顔がいいわけでもないし
何か世間的に誇れるスペックが
あるわけでもないけど」
それでもこの人がいい
と思える存在にならなければ
きっと進展は難しいと思うから、
そのために自分にできることは何なのか
いつもいつも考えてる。
正直、自分は顔が美形でもないし
(大好きな人と雰囲気が似てるって
言われるからそれは嬉しいけど)
スタイルも良くはないし、
社会的にこれは大きくプラスになる
という何かがあるわけでもない。
でも、大好きな人を大切に想う気持ちは
絶対に誰にも負けないし、
大好きな人がこれは苦手かなという部分が
自分は比較的得意で補えるかなとは思う。
あと、家庭内に色々あって
子どもの頃から大人役をしないといけなくて
かしこまった場や目上の人への態度や
言葉遣いはまあまあできてる気がする。
大好きな人が仕事上こうなるかも?という
将来を考えた時に、自分の性格や振る舞いや
生きてる上で大事にしてきたことが
役に立つ時はたくさんありそうにも思う。
それをあまりに積極的にアピールしたら
逆効果になると思うししつこいから
それはしないけど、自分が勝負できることは
もっと磨いて、大好きな人にふさわしい、
釣り合うと思ってもらえるように。
容姿を磨くだけでなく内面も
すごく大事になってくるよなあ‥。
自分は家の中で、認められたり
褒められたり無条件に愛されたり
というのが極端に少ないまま育った。
だから、大好きな人も含めて
「子どもの頃に親が
こういうことをしてくれて‥」とか
「得意なことを褒めてくれて‥」みたいな
話を聞いたりすると、
そんなふうに愛されたり
褒められる人生をそんな小さい時から
必死に掴みとるんではなく自然に
得られてる人もいるのか!とビックリする。
大好きな人が、今仕事で活かせてることも
子どもの時に親がそれを一緒に
楽しんだり関わったりする時間を
作ってくれてたって話を前に知って、
そういうのを聞くと、もう生まれた時から
人としての価値が違う、上下がある
そんな気がしてしまって
一人で悩んだり、落ち込んだりする。
小さい頃からどんなに頑張っても
努力してもそれは当然とみなされて
何ならそこを無視して暴力や暴言もあった。
遊ぶ時間や休む時間をいくら削って
親に認められる子になろうとしても
「じゃあもっとこうして」って
決して満足してくれることはなかった。
そんな自分は、大好きな人のように
愛のある環境で育って
あんなふうに素直に自然に笑える人には
そもそも初めから釣り合わないのかも
という考えに心が支配されてしまうのが
とても苦しいし、やりきれない。
ただ、その育ち方だって自分ではもう
今更変えられないことの一つ。
だから、変えられる部分に目を向けて
たとえすぐに目に見えるような効果は
出なくてもコツコツ頑張っていく、
自分が夢を叶えたり幸せになれる道は
そこしかないのかなと思う。
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