Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。

今より先に追われるのは

昨日の記事書いた後に
色々考えてて思ったことがある。


自分は家族団欒を知らない。

生まれた時からずっと
複雑な家庭しか知らないし、
ある程度大きくなるまではみんな
家でもめちゃくちゃ緊張して
ビクビクしながら暮らしてると
本気で思ってたくらい。


性格そのものは人と関わるのが好きで
重い話題以外の内容なら
基本誰とでもそれなりに長く話せる。

それでも、人を信じるのが極端に
難しいという部分で、恋愛になると
本当にたくさんの悩みが出てくる。


昨日の記事を書きながら思ったのは、

自分は誰かを好きになっても
「人を好きになれて幸せ」という
その瞬間の気持ちを感じるよりも

「この人も自分を好きになってくれて
付き合えたとして将来家族になったら
暴力的なことをしたり嘘ついたり
脅してきたり痛めつけてこないかな?」

という先のことを考えてしまってるな
って。


正直、これだけ家庭内に色々ある中で
育てば家族というものにいいイメージを
持てないのは仕方ないと自分でも思うし

安心できる心の居場所が欲しい
というのがもう人生のテーマみたいに
なってしまってるから、

この人を好きと気づいてからの
恋愛の素敵な部分をすっ飛ばして

“人生における家族探し”に
なってしまってるところがかなりある。



広く浅く無難に人付き合いをするのは
むしろ得意な方な気がする。


家の中では、まともに対等に
会話してコミュニケーションをとる
というのをあんまり学べなかったけど、

家以外の人たちと関わることで
たとえそれが個人的な話や
大事な話ではなかったとしても
いい距離感を保った上で
人付き合いをうまくやっていく方法を
学べたのは良かったと思う。


でも、恋愛になると
上辺だけの世間話だけで
やっていけるわけではなくなる。


本当に相手のことを好きなら
好きであるほど、やっぱりどうしても
特別な感情で見るようになるし、

自分のことを知ってほしいとか
相手のことを知りたいとか
願うようになってしまうし、

他の人なら全然気にならないことが
すごく気になってモヤモヤしたり
普段なら気にもしないことに悩んだり。


きっと誰かを真剣に好きになれば
好きになるほど誰もが
心に苦しみや切なさも抱えることに
なるとは思ってるけど、

自分の場合は、これまでに育ってきた
家庭内であったことがずっと心の
根底にあるから、誰かのことを深く
信頼したり信用したりというのが

もうとてつもなく難しい。


だから、少しずつ距離を縮めていっても
心のどこかでは「この人は本当に
凶暴なところがない人なのかな」とか
「暴力を振るったり脅したり
本当にしてこないかな」とか
「あの言葉は信じていいのかな、
簡単に嘘なんかついてないよなあ」とか

ずっと恐怖の中にいて、

恋愛が幸せで楽しいものというより
将来幸せになるために課された壁
みたいな存在になってしまってる。


自分が自由に使える時間や
自分が自由に行動できる機会が
本当にかなり少ない中で
どれだけ将来のために動けるのか、

今できることは全て常に全力で
頑張らないと自分は幸せになれない

という呪縛みたいなものが
自分の心に常にあって
いつも追い詰められてる気がする。


育った環境は変えられないし、
自分のせいではない。

だから、そこにいつまでもこだわっても
どうにもならないとは分かってる。


それでも、こういうのが幸せ
というモデルケースを知らないのに
自分が「こんな感じなのかな」と思う
幸せを追い求めて生きるというのは、

りんごの色も形も味も知らないのに
一生懸命想像するようなこと。

その自分が想像したりんごは
実際のりんごとは違うかもしれないのに。


“今”心にある、大好きな人と出会えたから
感じられる温かさにもっと集中して
ただそれを幸せに感じて感謝して

生きていられたらきっと自分は
幸せな人間かもしれないのにな‥。

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