昨日の夜中、気に入ってずっと使ってる
クッションを抱きしめながら
(↑自分にとって落ち着くから‥笑)
「自分はこんなふうに誰かに心から
寄りかかって甘えたことってないな」
とふと気づいてしまった。
そんなことに気づいたところで
小さい子に戻って甘えられるわけもなく
気付かない方が良かったのかもしれない、
それでも心を寄り添わせられる存在がある
人生をこれからは送っていきたいと
すごく思った。
それが大好きな人ならいいなと願う。
大好きな人との思い出の物を
ミニポーチにも使えるようなパスケースに
まとめて入れて大事に持ち歩いてる。
一番直近にもらった物を入れるのを
きっかけに今の中身を少し
できるだけ軽く持ち歩けるように
まとめたりしてたら、大好きな人と
出会ってからこれまでのことを
色々想い出した(*´꒳`*)
たくさん共通点があることや
人生の中の主軸みたいな場所も同じ
というのを考えると、
恋愛が苦手な自分でも大好きな人には
色々と話題があるというのは
とてもラッキーなこと。
大好きな人は、人と関わるのがあんまり
好きな方ではないし、こっちが前のめりに
アプローチしすぎたら怖くなって距離を
おきそうかなというのが常に頭にあったから
自分がその時にしたいこと、言いたい言葉を
100とすると50くらいに留めて、
その時の反応を見ながら
もうちょっと大丈夫かな?と思えば
それまでよりは少し好意を示すとか
相手の気持ちやペースを考えながら
生きてきた日々を本当に大切に思う。
自分はこれまでも、おそらく人の気持ちを
考えすぎるくらい考えて
心の中はいつも冷静でいた気がするけど、
それでも大好きな人と出会ってから
更に相手のペースを考えることを
学んだような気がする。
そのパスケースみたいなミニポーチの中身は
普段の生活で誰かに見せたりはしない
自分だけの心の居場所であり、
色んなことがしんどくなった時も
心の拠り所になってくれる場所。
本当に少しずつ、1歩というより
半歩ずつのような毎日を、
よく頑張ってきたなと自分でも思う。
大好きな人との恋愛に大きな壁が
あるのを実感する度に
本当にこの恋愛を信じていいのかなと
思ってしまったりもまだするけど‥、
それでも、大好きな人とこれから先
もっとたくさんの幸せな想い出を
作っていきたいと改めて思うし、
思い出の物を残そうと思ったら
ミニポーチくらいの大きさでは足りないくらい
幸せな人生を、大好きな人と一緒に
送れたらいいなぁと心から思う。
愛を知らずに生きてきたけど、その分
愛が溢れるこれからを生きていきたい。
暴力的な家庭に育ってきた自分は
「自分が本当はどうしたいか」
というよりも
「無難に身を守れる手段はどれか」
というのが選択基準で生きてきた。
こうしたいとか、こうなりたいとか
思うことはもちろん心にはあったし、
家族の機嫌や態度に怯えながら
自分の決意一つでできる行動は
なるべく行動に移してきたつもり。
それでも、やっぱり元々自分に自信が
なさすぎる自分はいつも潜在的に
そこでつまずいて、いくら表面上は
自信があるように振る舞っても
自分は価値がないと思ってしまってるのが
どこか伝わるのか、周りからぞんざいな
態度を取られたことも何回かあった。
今、大きな壁がある恋愛をしてるのも
心のどこかにはいつも
“自分には無茶なことかもしれない”
“引き返すなら今なのかも”という気持ちが
あるような気がして、前よりは意識して
自信を持つようにはしてても
まだまだ克服はできてないと思う。
そんな自分は、とにかく安全で
保守的な選択をしがち。
例えば仕事でも、こんなことを言うと
向上心がないなんて
言われてしまうのかもしれないけど、
ブラック企業ではない所で
生活していけるだけのお金を
得られればそれでいいと思ってる。
出世とかも全く興味はない。
毎日安心して眠れて食事ができて
雨風をしのげる家に住めて
ささやかに好きなことを楽しめたら
それが一番、自分には大切で。
出世して、肩書きを得ることは
多くの負担とリスクを背負うことと
イコールな気がして仕方ないし。
大好きな人とは本当に共通点や
似た部分が多いけど、ここは本当に
すごいなと思ってしまうのが、
大好きな人は昔からこの仕事に
就きたいと思ってきた職種に
紆余曲折ありながらも本当に就いて
それ自体を自分自身も
「自分で言うのも
おかしいかもしれないけど、
この仕事に就くためにだけは
自分は本当に努力したと思ってる」
と胸を張って言い切ってるところ。
初めから親族や親が
その仕事に就いててその職種に
就くための道が用意されてたとか、
そういう元々のバックグラウンドは
何もなくイチからそこに就職した
というのは、本人は笑いながら
あっさり言ってても実際にはかなり
努力をしてきたはず。
大好きな人の場合は、自分と違って
親がとても寄り添ってくれたり
本人の希望に沿って将来のことも
一緒に考えたりしてくれる人たちで、
だからそういう支えはあったとは
思うけど、それでも本人もすごい。
そんな様子を見てきてるから
大好きな人は仕事についても
今の状況にはきっと
満足してないのかなとは感じてて、
できるならもっと大きい仕事に
挑戦できる所に移りたいと
思ってるのかな?とも思ってたけど、
今日、本人がやっぱり将来的には
そういう仕事をやってみたいと
それも視野に入れてるのを知った。
たぶんこれまでの感じからしても
そうなのかなとは思ってたから
めちゃくちゃ驚くとかはなかったけど‥。
今の状況でももう子どもの頃から
就きたかった仕事に就けてて
そんな大きい規模ではないにしても
その職種の会社で働いてるやん
と自分は思ってしまうけど、
極論、生き延びることを考えて
自分の主張を消しながら生きてきた自分と
常に将来こうなりたいと明確に
夢を現実にするためにはどうしたらいいか
を自分を信じて考えてきた大好きな人は
“自分を価値がある存在として
信じてるかどうか”という部分が
違うのかなと感じてしまう。
自分に自信がないと
大きな夢なんて描けない。
きっと、大好きな人にとっては
将来的にこうなりたいと
思ってることだってそこまで
とんでもない夢ではないのかも。
仕事に限らず、大きな夢を持てるのは
自分に対してある一定以上の自信を
持ってる人に限られる気がする。
それが実際に叶うかとか以前に
まず、夢を持つというのが
極端に自信がなかったら難しいし、
夢を持ったとしてもそれを継続して
持ち続けてそれを現実にするために
努力し続けるなんて至難の業。
自分もやっぱり自信を持ちたいと思う。
正直、仕事に関しては自分はそこまで
熱意や向上心を持って
生きていくのはちょっと難しいけど、
こういう人生を生きたいと思う時
その“こういう人生”にふさわしい自分に
なれるように意識していきたい。
それが結果的に
大好きな人と釣り合う
大好きな人にふさわしい人になる
ということに繋がったらいいなと思う。
小さい頃から今までは
支社の人たちと関わるといっても
おそらくある一定の距離があった。
実際の距離もそこそこあるし、
「昔からこの仕事に憧れてたの?
ENAは地域的には遠い子なのに
ほんと珍しいね!」と言われながら、
誰とも同じ心の距離を保って
接してきたことを今更知ったりしてる。
大好きな人がそこの支社で
働くことになってから
自分にとってのその支社は
“自分が昔から憧れてきた職種に
深く関係してる会社”
というだけでなく、
“大好きな人の勤務先”になった。
たぶん、自分の心の中で
その支社が何段階も身近になって
これまでには見えてなかったことが
見えてきたから、
またはその支社のメンバーも
転勤とか退職とかで入れ替わったりして
今いる人たちの空気感に対して
ちょっと抵抗を感じることもあるからか、
大好きな人がその支社で
働くようになるまでは思わなかったことも
思うようになったりして、
心がざわざわしてしまう時がある。
それでも、とにかく自分は
今の自分ができることを
頑張ろうと言い聞かせてる。
これまで、小さい頃は
その支社で働く人たちのことを
何の迷いも戸惑いもなく
「自分もああいう仕事がしたいな」
と憧れてきて、その後も学生の間
その職業に就ける手段を模索したり、
その支社は距離的に遠いから
実際にそこで働いてる人たちと
直接話したりする機会はなかなか
そんなにしょっちゅうではなかったけど
転勤がある仕事場でもあるから
顔ぶれは変わりながらも
その仕事に就くのは難しいかなと
思い始めてからも自分にとって
大切な場所というのは変わらなかった。
今も、そういう感謝の気持ちは
変わらないけど、大好きな人という
特別大切な感情を持って見てる人が
その支社で働いてると、
その立場から見るからこそ
気づくこともあるなと思うようになった。
その支社の人がもしこのブログを読んでも
具体的な職種や地域などを挙げてないから
たぶん分からないとは思いつつ、
それでも何となく怖いから
あんまり詳しすぎる話はやめとくけど、
自分が思ってきた一般的な会社
というのからはちょっと離れてるかなと
思ったこともあったりして、
今は前より意識的に
その支社自体とは心に一定の距離を
保つように心がけるようにしてる。
昨日も書いたけど、
やっぱり自分に自信を持って
その時の自分ができることを
黙々と淡々とこなしていくだけなのかな
と思ったりする。
自分自身を大好きな人に
自信を持って勧められるくらい
自分を磨いて魅力ある人になる
というのは本当に大切なこと
というのを前以上に考えるようになった。
心に傷がたくさんあったり
育った家庭が複雑とか
自分の努力でどうしようもない部分は
もうどうにもならないとしても、
それ以外の部分で巻き返さないと
自分の人生は自分で行動して
幸せを掴むしかないもんな‥。
今日は最近考えてたことを
1つ行動に移せたから良かった。
そうやって1歩ずつは小さくても
コツコツ頑張っていきたい。
大好きな人は、礼儀正しくて謙虚で、
人前でグイグイ前に出ていって
アピールするのも好きではない。
でも、心の中ではいつも
密かに自信を持ってる人という
イメージが自分の中にはある。
普段やりとりをしたりとか
大好きな人が話すのを聞いてても
偉そうとか上から見下ろしてくるとか
そういうのは全く思わないけど、
仕事に関しての話の時、特に
あぁこの人は自身を持ってるな、
それだけのものをこれまでの人生で
コツコツ積み上げてきたんよなあ、
とすごく感じることがある。
このブログでも、自分が育ってきた
家庭環境について時々書いてるけど、
自分の考えがたとえ正しくても
それを言葉や態度にすれば
暴力が飛んでくるような環境に
育ってきたから、自分の気持ちなんて
言えるはずもなく、ただ危険から
身を守るために今どうするべきか
ということをまず最優先して
ここまで生きてきた。
だから、気づけば人より自分を
価値が低い人間と思ってしまうし、
そういうのを態度には見せてきてない
つもりではいたけど、実際には
そういう自信のなさは人に伝わってて
そのせいで軽く扱われたり
人としての価値を下に見られたりしたことも
今思えば確実にあった気がする。
大好きな人だってこれまでに
自信をなくしたり心が折れかけたことも
あったのは知ってるし、
いつも何かが人より得意で
いつも何かにずば抜けて
迷いも悩みもなく来たなんてことは
絶対にありえないのも分かってるけど、
普段の礼儀正しさや謙虚さとは
対極に思えるほど自分に対して
自信を持ってたりとか、
「仕事に関してこれだけは負けない」
と言えるものを持って生きてるのは
人としてすごく大事で必要なこと
というのを本当に考えさせられてる。
自分はこれからどんなふうに
自信を積み上げていけばいいんかな?
ほんの少しずつでも自分に自信を持って
人に引け目を感じたり
その場にいることが恥ずかしいとか
申し訳ないとか思わずに
生きていけるようになりたい。
そうしないと、自分はいつまでも
誰に対しても小さくなって
生きないといけないことになるし、
大好きな人と堂々と隣で肩を並べて
生きていくためには
自信は絶対に必要なものに
改めて思えてくる。
本当は、本音を言えるなら
「昨日地元でこんなことがあった」
みたいな話を色々したいな、と思う。
好きなバンドも、その中で特に好きな歌も
同じで、それにまつわる出来事も
昨日あったからその話もしたいなぁとか‥。
でも、大好きな人は今
仕事のことで大変そうで
そんな時に別に今絶対に必要ではないような
連絡なんてしたら気を悪くするかなとか、
もし勇気を出して連絡しても
仕事のことで余裕がなくて
そっけない反応しか来なかったら‥
もう次から連絡しづらいし
大きな壁を乗り越えてずっと
好きでいる自信や覚悟が
なくなってしまいそうでできない。
また何か連絡する機会に
今回のことも話せばいいか、
そうやって連絡できるだけでも
まずは有り難いと思わないとなと
そこに目を向けるようにしてる。
嫌な印象を与えたくない、
嫌われたくない、
この人と恋愛したいという気持ちを
なくさせたくないという気持ちが、
どんなに頑張ろうと前を向いてても
やっぱり自分を慎重にさせる。
この人なら大丈夫かなという信頼を
積み重ねるには長い時間がかかるけど、
この人の距離感の縮め方は怖いとか
いきなりここまでの親しさは求めてないとか
この人とは波長が違うとか思われて
一旦警戒されたらそれはもう
その以前の状態には戻れなさそうに思えて
というよりも元々の状態よりも更に
親しさレベルが下がってしまう気がして、
いつも両手に重くて壊れやすい何かを
抱きしめながら生きてる気持ちになる。
好き→連絡したい→連絡する
という素直な気持ちも大切というのは
忘れたくないことでもあり、
だけど相手の仕事が今そんなに
うまくいってないのを知ってるから、
好き→だけど今の状況に配慮する
という気遣いも、これからもずっと
大切な存在でいたいなら
それもまた大切なことなのかもなと思う。
世界にはこんなにたくさんの人がいるのに、
地元だけでも多くの人が行き交うのに、
何で大好きな人のことだけは
こんなに特別で他の人とは違って見えて
こんなに愛しいのかな。
家族でさえ容赦なく自分を傷つけてくる、
だから外で会う他人なんて更に信じない、
そう思って生きてきたけど、
大好きな人のことは信じたい、
信じてもいいのかな?
毎日がその繰り返しな気がしてる。
地元の市内の中でも
より地元にいる時、
大好きな人のことをいつも以上に
考えてすごく心が苦しくなるし、
特に嬉しくなる。
狭いと言われる日本の中にも
たくさんの都道府県、市町村があって
その中で同じ市というだけでも
狭い範囲まで同じで幸せに思えるけど、
その市内でも更にものすごく
近い範囲が2人とも地元というのは
特に奇跡的なことに思えて感動してしまう。
地元の中でも特に地元で
その特に地元の人たちと話してると
ついつい話の中で大好きな人のことを
話してしまいそうになる。
でも、実際には
そうやって特に地元の中で
関わってる人たちが全員
自分の理解者で味方とは限らないし、
少人数派の恋愛をしてるというのが
いくら自分の努力ではどうしようもなくて
誰かに迷惑をかけたり
誰かを傷つけてる恋愛ではなくても
自分の中でやっぱり引け目を感じるのか
元々人を信じるのが苦手で
自分にとっての大切な話を
するの自体にも抵抗があるのか、
人の話の聞き役に回って
自分の話はなるべくしないように
ポケットの中のパスケース(自分にとって
大切な物、大好きな人との想い出の物も
入ってる)を何回も触っては
じっと口をつぐんで過ごしてた。
大好きな人が地元から
仕事の事情で遠い町に行く前や
行ってからの日々を思い返してた。
不規則で予定が立てにくい
大好きな人の仕事事情や
自分の家族関係の事情を考えると、
その限られた中では
最大限頑張れてるような気がする。
辛くて苦しいことも多くても
考えてみたらそれは事情がそう
させてくるんであって、
大好きな人のことの言動で
そんなふうに深く傷ついたり
してるんではないし、
そこはちゃんと分けて
考えないといけないなと思った。
大好きな人と付き合って
大好きな人と堂々とこの地元で
過ごせるようになりたいと
今日一日で改めて深く感じた。
人になかなか言えなくても
本来は人に言えないような
恥ずかしいことをしてるわけではないし、
この恋愛の話を誰かにするのは
やっぱり慎重にはなってしまうけど、
それでも心の中では誇りを持って
堂々と大好きな人を想っていようと思う。
何日か前、大好きな人が今働いてる
支社繋がりの人に相談された。
自分は小さい頃から憧れてきた職種が
その支社にも大きく関係するのもあって
昔からその支社の人たちは身近で
いいところもたくさん知ってるけど、
ここ数年を見ると人間関係が
複雑になってるなと実感する。
その相談を受けてしばらく
その人が今困ってることや
いじめの内情など話してくることを
ひたすら聞いてたら、
表面上は何も問題がないように見えても
ある日をきっかけにいじめが始まって
本当にそれまではごく普通に仲良くしてて
信頼してたのに裏切られて悲しい、という話で
本来なら人を信じるというのは
必要なことで素晴らしいことではあるけど
特に今の複雑な人間関係を考えたら
初めから人に心を開かない、
その場面で必要な話以外はしない、
自分にとって大切なことは黙っとく‥
とかあらかじめ防御しないと
いけないのかなと考えさせられた。
自分は複雑な家育ちな上に
学校でも本当に色んなことがあって
友達とか親友とか都合良く言ってても
明日はどうなるか分からないのが
身にしみて分かってるから、
(悲しい考えかもしれないけど)
自分の大事なことはできる限り人には話さないし
例えばその支社関係の知り合いなら
その支社に関する話以外はなるべくしない。
天真爛漫に色んな話をそういう場でも
してる人たちを見ると
本当は自分もそんなふうに振る舞ってみたいと
何回も思ったこともあったけど、
相談を聞いてたら自分はそのスタンスで
きっと良かったのかなと思った。
不器用な自分にはそういうふうにしか
人間関係をうまくやりこなす道はない。
その支社の内部事情を知らなかった頃は
その支社は本当に温かいとと思ってたし、
人に寄り添ってくれるような
優しい会社という印象が強かった。
でも、色々知る度に
こういう部分もあの支社にはあったのかと
とても複雑な気持ちになってしまう。
ただ、良かったなと思うのが
自分自身元々あんまり自分の個人的な話を
人にはしてなかったことと、
今回相談してきた人が明かしてくれた
「あの支社関係のあの人たちにいじめられてる」
と言うそのいじめの主犯者たちのことは
初めはいい人なのかなとは思ったものの
途中で心の中にハテナマークが
つく出来事があって
それからは更に慎重にしてたこと。
大好きな人が働いてる支社が
自分にとっても身近な会社なのもあって
つい色々と思い入れを持ってしまうけど、
たとえその会社内の色んな嫌なことを見聞きしても
自分はちゃんと大好きな人そのものを
見るようにしようと思う。
大好きな人が働いてる支社と
恋愛するわけではないし、
大好きな人が誰かへのいじめや
嫌がらせに加担してるわけではないから。
自分の今と将来のために
見失ってはいけないものを
ちゃんといつも心に大切においておきたい。
バレンタインの時期になると、
自分が何かお菓子を食べる時も
何となくチョコを選んでしまう。笑
去年の今頃も自分なりに
その時できる最大限で頑張ったけど、
今年もまた今できる最大限で
バレンタインを頑張れたのは
本当に良かったなと思う。
もし自分がこうしたい!と思う
その気持ちだけであれもこれもしていいなら
もっとしたいことはあったけど、
恋愛は相手もいて成立することで
自分がこうしたいからという気持ちだけで
何かをしてもそれはただの自己満足と
自分勝手になってるかもしれないから、
この程度なら相手から見ても
戸惑ったり困ったりはないなという
範囲内での“最大限”で。
人と人とのコミュニケーションは
恋愛だけではないけど、
自分の気持ちや思いの伝え方とか
本当に難しいなと感じる。
人を好きになるのは素晴らしいことでも
その表し方を間違えてしまうと
相手からしたら恐怖でしかないし、
自分はそうはなりたくないから。
この恋愛自体に分かりやすくハードルがあり
そして恋愛だけに関係なく
自分の家庭内には機能不全家族という
問題が元々あるのを考えると、
一般的にはそんなに
難しくないであろうことも
自分にはすごく大変とか難しいとか
そういう場面もたくさんあって、
そんなバックグラウンドがあっても
自分の気持ちや生き方を信じて
自分が今できる行動をめいっぱい
頑張れて本当に良かった。
ここ数年を考えても、こんなに晴れ晴れと
バレンタインを過ごせたのは初めて。
もちろん、バレンタインに会いたかった
とか
直接チョコとか渡したかった
とか
求めればキリがないけど、
それでも大好きな人の負担にならない
伝え方で自分の気持ちを伝えられたのは
心から良かったと思う!
壁にもハードルにも育った環境にも
打ち勝って幸せな人間になりたい!
昼間、家族と話してて
「自分自身を社交的とは思うけど、
友達っていう理由で何でもかんでも
自分の話をあれこれするわけではない、
ある程度仲良くなって
信頼できると思えるような
ごく少人数の人になら
多少はそういう話もするけどね」
とその時の話題の流れから
自分が話した時のこと。
ちょうどその前に、地元の話を
してたのもあって大好きな人の話も
少ししてたのもあって
「例えば地元繋がりとか
昔から知ってるような関係の人たちとかね」
と自分が言ったのを家族が
地元繋がり=大好きな人
昔から知ってるような関係=
大好きな人が今働いてる支社の人たち
という連想をしたらしく、
「〇〇(大好きな人)は
親友とかそれ以上の枠になんか
入るわけないからね!
ずっとただの友達、
たくさんいる中の1人でしょ」
と強い口調でわざわざ強調された。
どこまで感づかれてるかは分からないけど
自分がこれまではっきりと
「〇〇(大好きな人)を(恋愛の意味で)好き」
とは一言も言ったことはない。
まあ、家族の中でも特に自分を
管理して全てにおいて干渉したい
この人にとっては、たとえ何も
証拠はなくても「もしENAが〇〇を
好きと思ってたらどうしよう」と、
その人にとっては理想的で満足がいく
選択肢ではないから牽制してる
というのは容易に想像がつく。
小さい頃からずっと、家族には
「家族の言う通りの言動以外を
することは許さない」という態度を
取られてきたから、今更驚きとかはなく
この家族は変わらないな‥と思うだけ
というか、ここでいくら正論でも
自分が何かを言うと「そうやって
言い返すのは〇〇を好きってことか」
と思われて色々嫌がらせされたり
自分がそうできないように
根回しされたりしても余計ややこしいから
表面上は何も反論的なことはしないけど
昔の自分のように「家族がそう言ったから
絶対にそのように生きないと許されない」
とはもう思ったりはしない。
自分の人生は自分のもの。
何も悪いこともしてないのに
自分がこういうふうに生きたいとか
これを大切にしたいと思うことを、
家族にとって理想や希望通りの
生き方ではないからと言って
諦める必要はどこにもないはず。
大好きな人のことを本当に大好きな
自分のことも大切にしたい。
本当は毎日のようにここに
書きたいことはあるのに
なかなか文章としてまとまらずに
更新する機会を逃してる‥。
比較的小さめの規模の会社では
よくあることなのかもしれないけど、
大好きな人が働いてる支社界隈では
そこで働いてる人たちというか
その周りの人たちも含めて噂話が多い。
噂なんて、出どころが分からない
誰が言い出したか分からないようなものが
ほとんどで実際にも当たってることの方が
少ないような気がするし、
自分にとって「あぁこれは事実かもな」
と思える根拠がないことに関しては
あんまり気にしないようにしてる。
でも、大好きな人のことになると
やっぱり心の中では穏やかではいられない
すごくそわそわした気持ちになってしまう。
ついこの前も、大好きな人が今住んでる町に
住んでてその支社とも関わりがある
知り合いが「〇〇(大好きな人)もしかして
体調悪いのかな?会社休んでたみたい」
と言ってて、本当に体調が悪いのかも
分からないのに連絡はできなかったけど
それ以降何日もしばらく気になってた。
その後元気に出勤してるのが分かったから
本当に良かったなと安心したけど、
知り合いにその話を聞いた後また別の所でも
「〇〇ってもしかして転勤?」と
なぜかまるでそんな話が出てるかのように
一部で噂されてて、いくらそれがただの
噂とは分かっててもずっとモヤモヤしてた。
自分は子どもの頃からずっと
噂話や悪口が嫌いでそういう場には
身を置かないように、もしそこから
逃げ出せなくても自分自身は肯定したり
一緒になってその話をしてたようには
思われないように気をつけてきた。
大人になっても、特にある程度狭めの範囲の
人間関係では日常的に当たり前のように
噂とかってあるなーと最近よく思う。
たぶん、付き合えてたら
何気ないことでも本人に確かめれば
その時点で解決することとは思うけど、
今の時点ではそんな日常の
誰かがちょっと言ってたようなことで
いちいち連絡して実際はどうなのかなんて
確認できるわけもないから
余計にモヤモヤしたり
落ち着かない気持ちになるのかな。
本来なら影も形もないものに
落ち着かない気持ちにさせられるなんて
もったいないし、何の意味もない。
誰のためにもならないことって
つくづく思った。
大好きな人が働いてる支社の周りの人たちは
前々から本当に良くしてくれたり
感謝しないといけないことも多い。
でも、自分が見たり聞いたりしてないことを
鵜呑みにしたり理由もなく信じたりは
しないようにしたいし、
他のことはともかくとして
大好きな人のことはちゃんと直接
大好きな人から知れるくらい、
信頼されてもっと身近にいられる人に
なりたいとも改めて思う。