Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。
嬉しくて切ない気持ち

嬉しくて切ない気持ち

地元が同じなこと、
体の特徴にも共通項があること、
続けてきたものが同じなこと、
名前の雰囲気が似てること‥

色んな理由で大好きな人と
ニコイチに見られる機会が
最近増えてきた気がする。


「ENAと言えば〇〇(大好きな人)
だよね!」と言ってもらう度に
本当に心から嬉しくなる。


周りの人たちはきっと
ただ同じコミュニティーの中で
この人とこの人は同じところが
多いからペアみたいだよねー、
という感じで言ってて

もちろん自分が大好きな人に
恋愛感情を持ってるのも
誰も知らないから

深い意味はないとは思う。


それでも、セットとかペアとか
2人で1つの認識を向けられると
表情には表さないようにしてるけど
心の中では密かにすごく嬉しくて
幸せな気持ちが溢れ出してくる。
この桜を見せたい人がいること

この桜を見せたい人がいること

朝から嬉しいことがあった!

心でガッツポーズをしながら、
まるで何事もなかった顔して
淡々と家事をする。


たった数文字でも
大好きな人が書いてくれた
筆跡というのは自分にとっては
どれだけ特別で大切か。


黙ってそっと好きでいるだけ。


そういう立場にいるからこそ
ほんの少しのラッキーが
とてつもない幸せに思えて、
羽が生えたように
嬉しい気持ちになる。


大好きな人にはたぶん
好きな人も付き合ってる人もいない。

自分が努力して付き合えるなら
努力の方向性は見えるということ。

努力できる先があったなら
それだけでもどんなに
良かったかなあと思ってしまう。




歩いてる時に足元を見たら
風で飛ばされた
花びらがきれいなままの桜が
いくつも落ちてることに気がついた。


今はもう天国にいるおばあちゃんは
花がすごく好きで
人にも動物にも植物にも優しくて、

複雑な家庭育ちの自分にとって
家族ってこういうものかなという
温もりを教えてくれた人でもある。

おばあちゃんの写真の前に
置きたくてその桜の花びらを
崩れないように拾って帰った。


おばあちゃんが眠るお墓は
大好きな人の実家のすぐ近く。


こういう時にも
同じ地元というのを意識して、
大好きな人と同じ町の子
という自分が本当に嬉しくなる。


おばあちゃんにも地元の桜を
見せたいと思ったからこそ
そうやって落ちてた花びらを
きれいに持ち帰ったけど、

自分には地元の桜を見せたい人が
おばあちゃん以外にも
もう一人いる。

唯一無二の感性

大好きな人に恋愛感情を
持ってることはどんなに身近で
親しい人にも絶対に言わない。


だけど、大好きな人を知ってる人とは
恋愛感情を隠して普通の顔して
その人の話になることはある。


はっきりとは言わないけど、
「あのブサイクが‥笑」
とか、容姿のことでちょっと
笑われたりすることもある。


いじめとかの感じではないにしても
本来は誰か特定の人の
見た目のことを話題にして笑うのは
決していいことではないけど、

「正直、明日からもしあの顔に
なれって言われたら絶対嫌」
「各パーツにここは整ってると
思える所が一つもない」とか

ひどいこと言うな‥と自分が
思うようなことも周りが
バンバン言ってるのを聞く。


だけど、自分は大真面目に
大好きな人の性格や人柄はもちろん
周りがブサイクと笑うその容姿も
本当に大好き。


元々よく「ENAは顔が整った人は
苦手そう」「見た目の好みが変」と
言われてきたけど、自分は真剣に

大好きな人の容姿も心の持ち方が
表れてていいなと本気で思ってるから、

この顔のどこがブサイクなのか
全く分からない‥。


見た目のことをネタにするようなのは
やっぱり自分はしたくないけど、

自分は周りの大多数というか
一般的な感覚とはだいぶ
ズレてるのかなとは考えてしまう。


だけど、人と同じでないといけない
なんてことはないし、
他の人たちがブサイクと笑うからって
その人を素敵と思ったらいけない
なんていう決まりもない。


むしろ、自分独自の視点で
唯一無二の感性で人を見られるところは
自分にあんまり自信がない自分の
数少ない誇れる部分な気がしてる。


人がどう思うかなんてどうでもいい。

大好きな人は本当に可愛い。

自分にとっては。
あのメロディーが聴こえてくる

あのメロディーが聴こえてくる

家の用事で出かけてて
疲れて入ったカフェの店員さんが
自分も大好きな人も好きなバンドの
ボーカルの人に雰囲気が似てた!


それだけでそのバンドの
一番好きな歌が心に聴こえてくる
単純な自分。笑


でも、普段の生活の中で
自分の気持ちを出せる場もなく
ただ毎日をいかに無難に
過ごすかを最重要視で生きてるから、

ただそれだけの出来事でも
頑張れって背中を押されてる気がした。
ただ似てるというそれだけで

ただ似てるというそれだけで

このパッケージのこの顔が
何となく大好きな人に似てる

気がした。


実年齢より年下に見える顔。


顔の作りがどうこうという
話とはまた別のもっと深い意味での
可愛さがある

と自分は勝手に思ってる。


たぶん、大好きな人を知らなければ
大好きな人を大好きでなければ、

きっとこのパッケージを見ても
こんなに心深くまで何かを
想うことはなかったと思う。


会いたいな、話したいな、
心ではそればっかり考えながら
顔では大好きな人と出会う
前と同じように振る舞って

まるで自分が二人いるように
毎日を過ごしてる。
ジモトノサクラ

ジモトノサクラ

朝から用事で出かけてて
その帰り道、桜を見ながら歩いた。

去年までは大好きな人も
見てたであろう地元の桜。


桜の時期になって
「今年からは地元の桜を
見られないな」と思ったり
するのかなあと考えたら、

すごくすごく切なくなって
心が痛くなった。


大好きな人が今住んでる町の
知り合いが、大好きな人が今年から
働く場所に詳しくて色々聞いてたら、

裏側にあんまりいいとはいえない
内情がある場所と知ってしまって

本当に心配になる。


自分は大好きな人が
寂しいなと感じた時に
ちょっと地元を思い出せたり
ほんの少しでも支えになれるような

そんな居場所を目指すことしか
できないけど、ずっと味方でいたい。
それが小さい記事でも

それが小さい記事でも

大好きな人がまだ地元にいた頃、
大好きな人にも自分にも
すごく関連する記事が
地元新聞に載ったことがあった。


それ自体はよく見ないと
気づけないような小さい記事。


だけど小さくカラー写真もあって
自分にとっては本当に大切で
他の大事な記事と一緒に
箱の中に入れた‥はずが、

この前気になってその箱を見ても
他の切り抜きはあるのにそれは
見当たらなかったのが
ずっと心に引っかかってる。


地元新聞のサイトを見れば
その実際の新聞の切り抜きよりも
詳しい内容で写真も何枚か出てくる。


それはそれでもちろん有り難いし
そのネット上の記事も置いてるけど、

自分にとってはその小さい新聞記事も
大切なものの一つで、大好きな人が
地元にいた頃の大事な想い出でもある。


普段、なかなか自分の時間を
とれないから、落ち着いてゆっくり
ちゃんと見たら見つかるのかも
しれないなとは思ってるけど、

もしその箱の切り抜きを全部
確かめてもその小さい記事が
出てこなかったらと考えると

怖くてじっくり調べられない
というのも正直ある‥。



大好きな人が地元にいた頃の
証と言うと大げさかもしれないけど
どんなに小さいことでも
たとえ少し無理をしてでも
もっとささやかでも想い出を
多く作れたら良かったなと思う。
大事な写真をキーホルダーにして
持ち歩いてるというのを話の流れで
少しだけ知り合いにした。

「え?何でそんなに
人に見えないように持つの?
堂々と持ち物につければいいじゃん」

知り合いは何でもないように
当たり前なふうにそう言った。


確かに、自分にとっては
大好きな人への恋愛感情をすごく
意識して持ってたとしても、

その写真自体は
大好きな人との共通の趣味の
関係の写真を少し加工して
持ってるだけで

それを見て恋愛感情がどうこう
とかはたぶん思われないと思う。


だけど、自分は隠し持つように
それを大切にし続けてる。


厳密に言えば、もう今は
キーホルダーとしてではなく
他の大切な物と一緒にその写真も
パスケースに入れてるけど、

誰かに見られないように
密かに持ってることには変わりない。



心のどこかで、自分の恋愛を
後ろめたく引け目を感じてるから

そうやって隠し通そうと
してるのかなと思ってしまった。


自分は人をあんまり信用しないから
恋愛以外でも自分にとって
大切なことはそう簡単に誰かに
話したりはしない傾向にあるけど、

自分にとってはただ純粋に
きれいな気持ちで相手を想ってる
胸を張れるはずの気持ちも

心のどこかではためらいを
感じてしまってるのかなあ。
好きとか大切とか特別とか

好きとか大切とか特別とか

部屋の目立たない所に
こっそり飾ってる大事な写真。

その写真が手元に来たのも
本当にラッキーが重なったから。


プリントしたものが1枚
手元にあるだけでデータが
あるわけではないから、

この1枚が汚れたり折れたりしたら
もうきれいな状態の同じ写真を
持ってることはできなくなる
と思いながらフレームに入れて
大切に飾って毎日見てきた。


でも、ある時ふと

たとえ太陽の下にずっと
晒してはなかったとしても、
部屋の中にも日光は入ってくるし
写真も退色していきやすい

というのをどこかで見かけたなと
気になって調べてみたら

やっぱり太陽光が少しでも
当たる場所に飾ってると
写真にとってはそんなに
いい環境ではないのかなと思って、

コンビニで写真コピーして
そのコピーした方を飾って

実際の元々の写真は
太陽光が入らない場所に
大切に保存しておくことにした。


普段は細かいことは
気にならない性格でも
こうして特別大事な物になると
できるだけきれいな状態で
置いておこうと一生懸命になる。


それが好きとか大切とか
特別ということなのかもなと思う。


どんなに何でもない顔で
人にこの想いを知られないように
過ごしてたとしても、

人の心は振る舞いに
出るのを感じてしまう。


同じ写真を毎日飽きもせず見てる。

コピーした写真なら
色あせしてもいいとか
そういうことではないけど、

元々の写真を守ることができて
本当にホッとしてる。
暴力の中の癒しのポケット

暴力の中の癒しのポケット

朝から身内の家庭内暴力。

つい数日前もあってまた今日。
今回は頻度が短い。


ここは大好きな人への気持ちを
綴ったり残すために作った場所で、
家の家庭内暴力の悩みを書くために
このブログをしてるんではないから
あんまり詳しくは書かずにいよう
とは思うけど、

明らかに理不尽な言動を
当然のようにとられること、

その証拠を残すのは
とても難しいこと、

相談窓口に相談しても
やっぱり他人事というか
全然親身にはなってくれないから
余計に行き詰まること、

しんどい思いが心に渦巻く中で
服の左ポケットに入れた
大好きな人の写真や
大好きな人関係の大切な物が
自分にとって大きな支えに
なってくれてる。


何が普通かなんて基準は
きっと誰にも決められないけど
どう考えても「普通」からは
ほど遠い環境に生きて

かなり難しいと思われる恋愛を
密かにしてるというのは

幸せかどうかと言われれば
そうではないかもしれないけど、

どんなに切ない恋愛でも
大好きな人が心にいてくれて
自分は生きていられる気がしてる。