そんなに親しくはないけど
一応知ってる人が何気なく言った
その言葉に、お前は普通ではないと
突きつけられたような気持ちになった。
もちろん、その知り合いは
自分の恋愛模様なんて全く知らないし
あくまでもその人にとっては
当たり前の日常を話してきただけ。
それでも、自分はやっぱり
世間の大多数からは外れてる
ということを思い知らされて、
とんでもないことを夢見て
とんでもないことを願ってる
とてつもなく非常識な人間に思えて
すごくしんどくなってしまった。
普通=偉い、とも思わないし、
普通=正しい、とも言いきれない。
それでも、人と少し違ったり
珍しいことに対して
遠慮や容赦なく責め立てる場面も
世の中には多いから。
大好きな人をこのまま
好きでいるのを怖いと感じてしまった。
色々と迷うことや戸惑うことも
あったとしても、今できるのは
自分が変えられる部分の範囲で
自分ができうる限りの言動を
頑張るだけという行動に行き着く。
結局はそれしかない。
頑張ろう。
親の言うことは絶対。
すごく歪んだ家庭でも
自分の気持ちや不満なんて
言葉や態度にできるわけがない。
そんな家庭に育ってきて、
知らず知らずのうちに
自分の本当の気持ちや望みより
周りの期待や意向に沿う
生き方をすることが染みついてる。
自分の今の恋愛は
もし親に知られたらきっと
罵声を浴びせられて
頭がおかしいとか言われるのかな。
親に比べたら
人の道に外れたり背いたりしてないし
大好きな人への気持ちは
胸を張れないようないい加減な
ものでは決してない。
それでも、怯えて育った自分には
非常識ど真ん中みたいなことを
してるような錯覚に追われてしまう。
誰にも言えない、
まるで何でもない顔して
ごまかすように生きる毎日がしんどい。
大好きな人の仕事関係で
大好きな人のことも自分のことも
少し知ってる人と用事があって
やりとりしてた時に、
大好きな人と自分が繋がりがある
というのを知ったその人が
「何か分かる気がする。
〇〇さん(大好きな人)はENAさんの
人柄にピッタリだなと思うから」
と言ってくれたのが
言われてからずっと心の中心を
温めてくれてる。
大好きな人のどこが好き?と
もし聞かれたとしたら、
具体的に挙げるところはもちろん
いくつもあるけど、一番思うのは
自分は大好きな人の人柄に惹かれて
こんなにもずっと大好きってこと。
だから、仕事関係のそんなに常々
仲良く話すような特別親しい人からの
言葉ではなかったとしても、
大好きな人と自分の人柄を見て
ピッタリと言ってもらえたのが
本当に嬉しくてたまらなかった。
人柄って、顔とか身長とか
スタイルみたいに目で見てすぐには
分からないものでも、人として
本当に一番大切なもの、というのが
複雑な家庭育ちの自分は
小さい頃から身にしみてて、
人を見る時も一番に人柄を見るし
自分を磨く上で一番大切に
考えてるのも人柄。
だから、そういう生き方を少し
認めて受け入れてもらえた気がして
すごく感動した。
これからもこういう気持ちを
忘れずに生きていたい。
人柄も似てるのかなぁ。
そうなら本当に嬉しいなぁ。
自分の穏やかでゆったりした性格を
「ほわほわしてる」と
表現してくれた人がいた。
ほわほわ、って面白い言い方!と
思いながらどこかでこの言葉
聞いたよなーと思い返してたら、
大好きな人のことをまた別の人が
ほわほわした雰囲気
って言ってたのを思い出した!
似てる、と言われることも時々ある。
大好きな人と同じ枠に入れて
見てもらえるのは本当に嬉しい!
全然別の場所で全然別の人が
大好きな人と自分のことを
同じ言葉で表現するというのが
自分にとってはそれだけで
とても救われて、とても嬉しかった♡
切ない恋愛をしてると思う。
それでも、大好きな人のおかげで
知った世界があり
出会えた人がいて
その人たちに良くしてもらって
毎日元気をもらって踏ん張れてる。
この恋愛が自分にくれたものは
きっと、計り知れない。
恋愛に限ったことではないし、
そもそも自分の大好きな人への想いを
恋愛と呼んでいいのかさえ
分からないけど‥
「会えない」ということは
本当にとてつもなく高くて
大きな壁というのを実感してる。
会える機会があれば
それに向かって努力できることも
具体的にあると思うし、
今、これが恋愛に関しての悩みと
思ってることも、会って直接
コミュニケーションを取れば意外と
解決するかもしれないけど、
直接的に同じ空間にいられる機会が
今の自分の家の状況を考えたら
そうそう簡単にあるなんて思えないのに
こんなに相手を好きというのが
本当に切ないなと思う。
一昨日、昨日と
前から好きなバンドの歌を
時間がある時に何曲か聴いてた。
前から好きなだけあって
そのバンドで好きな歌を挙げろと
言われればそれなりに浮かぶけど、
大好きな人と出会って
好きなバンドも一緒と知ってから
余計に聴くようになった。
この歌のこの部分が
ここまで切ない歌詞ということや
歌の始まりの数音で
涙が出るようなことが本当に
あるということを改めて知った。
どんなに好きでいても
気持ちを伝える瞬間は
きっと来ないのかなと思うし、
ただ好きでいるだけ
それ以上きっと何もできない
どうにもならないもいうのが
こんなに苦しいなんて思わなかった。
何年も前に撮った写真を見ると、
この頃の自分は毎日どんな心を抱えて
生活してたのかなあと思う。
大好きな人とは全然関係ないところで
傷ついた出来事があった。
簡単に言ってしまえば、
自分から見てこの人は信頼できると
思ってた人が実は平気で
ひどいことをするような人なのを
つい最近、初めて知ってしまった。
その人に依存して寄りかかってたとか
そういうのではないとはいえ
心の中でその人を信頼して
支えにしてる部分は確かにあった
というのを今回の出来事があって
改めて感じた。
大好きな人を心の中で
こんなに大好きで、
いつもいつも想ってることを
怖いと思ってしまう。
今回それはないなあと感じた人と
大好きな人は全然繋がりもないけど、
人間って怖いなと感じた時に
大好きな人をこんなに大好きで
いいのかな、大丈夫なのかなと
恐怖感を持つ自分がいる。
自分の恋愛と共通項がある人が
ネットで何かの記事になってて
何気なくそこのコメント欄を見たら、
応援してる!って人もいたけど
目を覆いたくなるような
批判的な内容を書いてる人もいた。
家庭環境の複雑さで言えば
自分もまあまあ昔から明らかに
「普通」の枠ではない中で
生きてる人間ではあったけど、
元々そんなふうに「普通」から
はみ出した人間でも
自分の今の恋愛は人によっては
こんな言葉で非難されうること
なのかなあと思うと心にすごく
重くのしかかってきた。
自分と同じような状況に限らず
そして恋愛に限らず
世の中には色んな状況や立場の人が
いると思うけど、その人が
割合的に少数派であったとしても
自分自身とは価値観や感覚や考えが
違ったとしても、だから批判や
非難をしても許されるというのは
おかしいと自分は思う。
恋愛でいうと、その相手が
例えば何か公序良俗に反するような
迷惑をかけてくるとかで
それに対して不快を示すのは
批判や非難ではなく
真っ当なことのはずでも、
何も迷惑をかけずに
生きてる人たちに対しても
「少数派はおかしい!」
「気持ち悪い!」
「もし自分の家族なら絶対嫌」
とか言うのは、さすがに言葉が
行きすぎな気がしてしまう。
自分が意図せず少数派に分類される
状況に誰もがいつなるか分からない。
価値観や感覚や考えが
たとえ世間の平均値でも
平均値=人として正しい
とは限ってないと思うし、
価値観や感覚や考えとは
また違う何らかの事情で
誰もが世間から見た少数派にいつ
入ることになるかは分からない。
それでも他人事なのかなぁと思う。
自分とは違う人たちとか
自分には理解できないと思うのもまた
人としての自由ではあるけど、
だからといってそのまま
それをぶつけて自分は正義
というのは違う気がする。
好きで少数派になってるんでもなく
すごく悩んだり苦しんだり
周りからは見えない苦悩や葛藤も
たくさんあるのにな、と思う。
目立ってなんぼ、炎上大歓迎
みたいな考えをしてる人は
あえてそれを狙ってる人も
中にはいるのかもしれないけど、
多くの人は周りに否定されたり
批判されたり非難されたら
その態度がきつければきついほど
すごく傷つくし
人と関わるのが怖くなる。
自分の恋愛はやっぱり
少数派というのを実感してしまった。
何も悪いことや
倫理的に引っかかることを
してるわけでは全然ないけど、
それでも周りに知られたら
もしかしたらこの人は自分を
理解してくれそうと今思ってる人も
激しく好き放題非難する方に
回ってしまうのかなと考えると
絶対に誰にも言えないなと思った。
家族のあまりにも自分勝手な
わがままに疲れ果てた
最寄り駅からの帰り道。
何気なく前を見たら
何かスポーツ帰りに見える
少年が目に入った。
半袖Tシャツにハーパン、
ランシューにリュックみたいな
かつての自分と同じような服装。
大好きな人と自分は
同じスポーツをしてきた。
今日見たその子も同じ競技か
どうかは分からないけど、
後ろ姿や背格好が大好きな人に
すごくよく似てるように見えた。
大好きな人がこの年齢の頃は
きっとこんな感じかなと
思わせるような雰囲気があって、
疲れ果てた今日の締めくくりに
そんな子を見れたことが
自分の中で本当に救いに思えた。