Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。
ささやかな夢が一つ叶った日♡

ささやかな夢が一つ叶った日♡

人によっては
そんな小さいこと?と笑うような
ちょっとしたことかもしれない。


それでも普段、自分の自由が
あまりにもない自分にとっては

叶えようとどんなに努力をしても
その努力でどうにかできるような
ものではないから、今日前々からずっと
叶えたかった夢を一つ実現できて、

本当に嬉しかったし、本当に感動した。


今日も、大好きな人に関することで
夢を一つ叶えたその前後には
家族からすごくひどい態度をとられたり
当たり前のように激しい言葉を吐かれたり。

めげそうになる日々の中で、
今日みたいなほんの一歩でも
願いが叶った日があると
もう少しだけ頑張ってみようかなと思える。


大好きな人は、自分から見たら
小さい頃からの目標を
遠回りに見えながらもちゃんとその間も
コツコツ努力して実現して、

その分野に就職してからも
その支社でちゃんと自分の特技を
その仕事に活かせててすごいと思うけど、

だから全ての面で恵まれてて幸せ
というんではなくて、きっと大変なことや
葛藤もたくさんあるように感じた。



それでも、毎日手探りかもしれなくても
前を向いて頑張ってるのが伝わってきた。

自分も、家族のひどい言動をうまく
かわしてここから一つずつまた夢を
叶えてなりたい自分になれるように

日々努力していこう、
できることを一つ一つ丁寧に
やっていこうと思う。


周りから見たらどんなに小さくても
気づきもしないようなことでも
自分にとっては一つ節目になるような
夢が叶った9月20日をずっと忘れない。
想い出のピーチティー

想い出のピーチティー

地元に前にあったカフェ。

近くに用事があってその方面に行くと
帰りにはそこに寄るというのが
当時の定番で、自分はなかなか昔から

自分の意志で自由に出かけたり
どこそこに行きたいと言える
環境ではなかったから、そうやって

カフェに寄れるというのが
すごく特別な気がして嬉しかった!


そこには色んなメニューがあったけど、
親にあんまりお金を使わせるのが
悪いと思って遠慮したりもしてて、

これくらいなら大丈夫かなと思える
価格帯の中でピーチティーを選んで
飲んでたなと今でもふと思い出す。


そのカフェはもう今は閉店してるけど、
同じ系列のカフェが同じ地元の
別のまあまあ行けそうな所に新しく
少し前に開店したのを知って、

同じメニューはなかったとしても
また行ってみたいなと思った。


大好きな人も、自分が行ってた
あのカフェにきっと行ってたかもな。

自分よりも、大好きな人の方が更に
そのカフェは家から近いし、
もしかしたらお互い知らない間に
同じ店内に居合わせてたのかもしれない。


そう思うと、同じ地元ならではの想いに
今は大好きな人は遠い地域にしても
何となく救われて、繋がってる気がしてる。



大好きな人が、仕事で任されたことが
うまくいって、小さな範囲の話ではあるけど
ちょっと表彰されたらしい。


本人から聞いたんではなくて
たまたま大好きな人の支社繋がりで
知ったけど、大好きな人の仕事への姿勢が
上司やその仕事関係の人たちに
認めてもらえたのはもちろん嬉しい反面、

そもそもの自分の存在価値を日々
見出すことに必死な自分は
大好きな人が色んな面で成長して
人としても立派になっていくと
もう自分が追いつけない場所に
大好きな人がいってしまうような気がして

人には絶対に言えないけど心では
とても複雑な気持ちになったりもする。


そんなこと考える暇があったら
自分も人としてどう成長していけるか
大好きな人にふさわしい人になるには
どうしたらいいか考えるべきよなあ。
あの頃の自分を思い返してみる

あの頃の自分を思い返してみる

同じ趣味の知り合いのYちゃんと
久しぶりに話した。


Yちゃんは住んでる場所も遠くて
日常生活の中で会う機会が
そうそうあるわけではないし、

今日も「ENAを思い出すことがあって」
と久しぶりに連絡をくれた。


前にYちゃんと話した時は
こんなには頭の中も心の中も
大好きな人を大好きには
まだなってはいなかった、と思う。


好きは好きでも、こんなに毎日
心が締め付けられるほど
ある意味追い詰められてはいなかった。


Yちゃんはいい人とは思ってるし
趣味の話をするのも楽しいけど、

自分の個人的な話は自分は基本的に
よっぽど親しくてもできるだけしないから
Yちゃんと話してる時も
「何かこれまでのENAとは違うな」と
思われないように意識して話してた。


大好きな人をこんなに大好きになるまでの
自分はどんな感じで過ごしてたのかなと
自分のことのはずが、まるで違う誰かの
人生のことのように思える時がある。


もう、それだけ毎日の生活に自然に
大好きな人は心のど真ん中にいて、

大好きな人をここまで好きになったからこそ
この恋愛にあるどうしても努力では
越えられない壁を知って苦しみながらも

日々の大変さ、しんどさに負けないように
大好きな人がいつも自分の背中を押して
寄り添って支えてくれてるように感じる。


大好きな人のいない毎日は
もう考えられないなと改めて思った。


大好きな人がいてくれたから
気づけたこと、知れたこと、分かったこと、
そういうものもたくさんあるし、

どうしようもない壁があっても
それでも貫きたい意思が自分に
あることも分かった。


今の自分の生活は大変でもあるけど、
そういう大切なものにも囲まれて
守られて生きてることをつくづく知った。


いつもいつも、家庭内の生活に怯えて
家族が求める自分を演じることで
何とかここまで踏ん張ってきた。

大好きな人を大好きになって
進展があったら、それは家族の理想の
レール上にあるものではないのを
分かってるから、こんなに悩むのかな。


理想からほんの少しでもはみ出れば
それは家族から見れば大きな落胆や裏切り、
非常識や怒りになるのが目に見えてる。


それでもやっぱり自分は
大好きな人への想いは止められないと
改めて思う。
普通って何なのかな

普通って何なのかな

みんな、知らず知らずのうちに
自分を「普通」と思ってる気がする。

何なら「自分の考えや常識は
世間一般のど真ん中」とまで
思ってる人もそこそこいる気がする。


自分は明らかに普通ではない家庭育ちで
自尊心も本気で悩むくらい低いから
そこまで「私は普通」と思える人が
ある意味羨ましくもある。


だけど、世間から見て何となく
「普通ではない」と思われてる人も
自分からわざわざ好きでその枠に
入ってるわけではないことも多々ある。


例えば転校生。

家の事情で本人の意志とは
関係なく地元以外での生活を強いられる
という子がいる。

いくら遠い地域に引っ越しても
うまくなじめる場合もあると思う、
だけど転校生というだけで目立ったり
学校指定の物も前の学校の物とか
いくら新しい町の方言や習慣に
慣れようとしてもすぐには難しかったり

そういうことが、元々その町にいる
子たちからしたら「珍しい」「変わってる」

それだけなら素直な感想ではあるけど
「珍しいからいじってもいい」
「変わってるからいじめてもいい」
そういう思考にもなりがちな気がする。


でも、実は全国各地全体で見たら
その地域では珍しがられたり
変わってると笑われるその特徴を
持ってる都道府県の人も多いかもしれない。

大人数派=正しい
大人数派=普通

というのはちょっと違うかな、と
個人的にはよく思う。


ここには時々書いてるけど、
自分の恋愛は少数派にあたる部分がある。


ありのままの本音を書きたいから
詳しい事情は書かないけど
(身内とか知り合いにこのブログを
どうしても知られたくないのと
恋愛の本音を唯一書ける場所として
ここはずっと大切にしたいから)

同じような事情を持つ人の恋愛が
時々ネットニュースになったり
どこかで話題になってるのを見ると

やっぱり自分も当事者として
世間からどう見られてるのか
どう思われてるのかというのは
正直気になるから目を通してる。


「この人たちは幸せそうだから
いいと思うけど、自分は無理かな」
という感想は、嫌な気持ちにはならない。


その人なら無理というのは
その人がどう思うかはその人の自由で
「自分は」無理かなって自分自身に
フォーカスした感想で
人を故意に傷つけようとする意図は
ないとも思うから、ただ素直な意見。


でも、「何でわざわざその人を選ぶの?」
「人として理解できない」「気持ち悪い」
「ありえない」「軽蔑する」‥

そういう意見が書き込まれてるのを見ると
本当に悲しくなるし落ち込んでしまう。


少人数派には何を言ってもいい、
世間の大人数派という
安全な所からだから石を投げようと
世間が守ってくれるというような
偏見を感じてしまうから。


本人が努力しても変えられない部分を
そこまで批判されてもどうしようもない。

それに、少なくともそういう意見を
書く人に迷惑はかけてない。


誰も好きで少人数派になってないし、
倫理的に許されないこともしてないのに
その人の人間性も性格もキャラクターも
何も知らない人がそのある一部分だけで
そこまで強く批判する世の中って
健全ではないなと思う。


恋愛に関して少人数派の知り合いがいる。

「好きでそうなったわけでもないのに、
周りに自分の恋愛について話せない」
と言ってすごく悩んでる様子なのも見た。


恋愛以外の部分で
人生の途中で想定外のことがあって
少数派の立場を経験した人もいる。

「実は自分が大人数派の中にいて
何の不自由も悩みもなかった頃から
こっち側(少人数派)にいて悩んでた人も
いたことを改めて知った」と言ってた。


恋愛以外も含めて、人はいつ
少人数派に入ることになるかも
分からないのに、何でそんなに
「自分には全く関係ない」
「あなたは普通ではない、おかしい」
なんて簡単に言えるのかなと思う。


自分は価値観が違うと思うならそれでいい。
自分には理解できないと思うなら
それもそれでいい。

だけど、その一部分のことだけで
その人という人間そのものを全部
否定するような言い方は本当に
やめてほしいなと感じる場面も多い。


みんなきっとそうとは思うけど、
何らかの形で少人数派の人たちは特に
世間の色んなことと闘いながら
必死で生きてるのにな‥。
盲目的にはならないように

盲目的にはならないように

大好きな人が今働いてる職場は
自分にとって昔から繋がりが深い所。

今の支社長さんがまだごく普通の
社員の頃から知ってたり、
他の社員さんも会えば声をかけてくれたり。

地域的には地元から近くはないけど、
関わりの面ではとても深いと思う。


自分はそこの社員ではなくても
前々からよく知ってれば愛着も湧くし、

時々ネットのその職種関連のサイト
(情報交換的な掲示板のような)で
それはおかしいとすぐ分かるような
書き込みを見たりすると、

ライバルの同業者かなあと思ったり
何かでその会社をよく思わない人が
腹いせに書いてるのかなとも思ったり。


名誉毀損とか誹謗中傷に当たるものは
そう思っていいと思うし
ネットのそういう悪質なことに
慣れたらいけないけど、

大好きな人がその支社で働くようになって
それまでは繋がりがなかったその支社の
関係の人たちとも話すようになって、

その職種関連の掲示板の内容は
どこの誰が書いてるか分からないし
元々内容に信憑性はないから
真実味はないとしても

そこの支社のこれまでは知らなかった
悪い面、黒い面も見てしまってる。


そこの社員みんなが、だからといって
そういうことに染まってはないし
一部の人たちの話とは思ってるけど、

「昔から関わりがある会社」
「大好きな人が今勤めてる」
という理由で、何でも盲目的に
いいふうに捉えてしまうことは
あんまり良くないなとも思うようになった。


自分は社交的な性格で
人と仲良くなるのが得意。

もちろん、相手がそうやって
親しくなるのを望んでないなと感じたら
それ以上踏み込んだり立ち入ったりは
しないけど、これまでもその社交性を
活かしてその会社関連でも
自分なりに人と知り合いになってきた。


だけど、大好きな人がそこで働くように
なったことでこれまでは見えてなかった
部分も見えてくるようになって、

その支社の関係者という理由で
安易に必要がないことをベラベラ喋ったり
誰とでもすぐ友達になったりするのは
とても危ないことと考えるようになった。


特に、大好きな人との恋愛が
うまくいくためには不必要に自分が
面白おかしく悪く言われたり
何でもかんでも噂されたりするのを
控えるためにも気をつけていこうと
すごく思うようになった。


元々、表面的な話は続けられても
本当の意味で自分の個人的な話をしたりは
なかなかしないタイプで、だからこれまでも
自分の友達関係の距離の保ち方で
何かトラブルになったりとはないけど、

世の中には本当に人を傷つけたり
悲しい思いをさせても平気な人もいるし
自分さえ良ければいい人もいる。

その数は、自分が想像してるより
多いのかもしれないなと考えたりもする。



自分はその支社がある県には住んでないから
その人たちと顔を合わせたり
日常生活に接点があるわけではなく、

少し前まではそれを残念に思ってた時も
あったけど今考えてみたら
だからこそいい距離感を保ててるのも
あるのかなと思う。


ネットを介したやりとりも
その会社関係でも前からある程度
親しい人たちとは連絡を取り合っても、

一回立ち止まって考えてみて
どれくらい信頼できるかを考えた上で
本当に信じられる人とだけ
繋がっていきたい。
心底ホッとしたこと

心底ホッとしたこと

自分がいくら気にしても仕方ないこと、
というのは分かった上で
最近‥特にこの10日間くらいずっと
気になってたことがある。

確かめようと思えば確かめられる、
でももしその結果が自分が望んでたものとは
違ってたとしても、自分にはどうにも
できないし、ただ解決しないことに
ひたすら悩むのは目に見えてたから、

心の中にずっともやがかかったような
気持ちで過ごしてた。


そもそも、まだ付き合えてもないのに
大好きな人が自分のために何か
目に見えた行動を起こしてくれるとは
考えにくいのかなとか
それを望んだらいけないなと思ってたし、

仮に自分が望む行動であったとしても
大好きな人がそうしようと考えたから
してるだけで、自分のためにしてくれてる
と考えるのは明らかに時期尚早と
考えないといけないなとは思ってる。


自分がそれを確かめたところで
かえってしんどい気持ちになるかもしれない

もしそれでしんどくなってしまっても
根本的に自分はどうすることもできない

だからすごく迷ったけど
どうしても気になって仕方なくて
朝、こっそり確かめた。


そしたら、自分がこれならまだ
有り難いと思わないといけないと
思ってた以上に自分にとって
嬉しい状況になってて‥

泣きたいくらい嬉しくてホッとして
誰にも言わないけど心の中で
めちゃくちゃ喜んだ!!


別に自分のためにしてくれたなんて
思い上がるつもりもないし、
さっきも書いたけど大好きな人が
そうしようと思って意識して
そうしてるだけかもしれないけど、

元々、人を信じるのがとても苦手な
自分にとっては、特にこの10日くらいは
嫌なことも考えてしまってた分
むしろ前より嬉しい(安心できそうな)
状況になってたことが本当に嬉しかった♡


大好きな人のことは
信用してもいいのかな?と少し思えた。


誰にも寄りかかれずに
本当の意味で心を開けずに
ここまで生きてきた自分にとって、

ただこの10日くらい特に悩んできた
悩みが心配する必要はなかったと
いうだけでなく、それ以上に

そんなふうに思えたことは
大きな大きな出来事に感じる。

それなら自分がふさわしい人間に

最近、ほんの少しでも休める時間があると
「大好きな人と自分は本当に釣り合うのか」
を考えてしまってることに気づく。

どんなに考えたって、大好きな人が
自分に対してどう思ってくれてるのか
なんてことははっきり見えるわけもなく、
今答えがさっと目の前に
現れるわけでもない。


元々、この恋愛をしてる上で
壁になってるな、ハードルかなと
思うことは、努力次第でどうにかなる
ものではないから、それならその部分も
他で補うしかないとずっと思ってる。


その壁やハードルがある相手とない相手が
他の部分は全く同じ条件という形で
目の前に2人いたとすれば、
大体の人は壁やハードルがない方を
選ぶと思うし、きっと自分もそう。


でも、絶対にその人にしかない魅力が
ある人と自分の間に壁やハードルが
あった場合、どうしてもその人自身を
逃すのは困るということになったら、

たとえ壁やハードルがあっても
それに打ち勝ってでも特別な存在になりたい
と思うかなあと個人的に思う。


その壁やハードルそのものが
もう元々出会った時からある
どうしても変えられないもので
今更どうしようもできないのなら、

その壁やハードルを上回るくらいに自分が
大好きな人にとって必要な存在に
なるしかないと、最近特に思う。


仕事場で、思った以上に大好きな人の
得意分野が重宝がられてる話を
見聞きする度に、嬉しさと同時に
相変わらず焦りも感じる。


昔のことわざで「芸は身を助く」と言うけど
実際、何か特技があることで
他の面では同じくらいの実力の人とも
言葉は悪いかもしれないけど
差別化をはかれるというか
違いを表すことができる。


「ENAー!〇〇(大好きな人)すごいね!
仕事に活かせる特技があって、
〇〇がいてくれて助かったって
あの支社の他の人も言ってたよ」
という話を聞く度に、

正直とてつもない焦燥感がある。


仕事と恋愛はまた違うから、

会社のように何かプロジェクトを
みんなで協力してうまくいかせるとか

いつまでにこれだけしないといけない
という限られた期間内で
いかに最善の方法で上司にそれを示すか

みたいなことは、恋愛ではあんまり
関係ないのかなとは思う。


でも、大好きな人から見て、

「(大好きな人が)今住んでる所とは
離れた地元に住んでるけど」

「どうしてもそれは変えられない
壁やハードルがあるけど」

「別に顔がいいわけでもないし
何か世間的に誇れるスペックが
あるわけでもないけど」

それでもこの人がいい

と思える存在にならなければ
きっと進展は難しいと思うから、

そのために自分にできることは何なのか
いつもいつも考えてる。


正直、自分は顔が美形でもないし
(大好きな人と雰囲気が似てるって
言われるからそれは嬉しいけど)

スタイルも良くはないし、

社会的にこれは大きくプラスになる
という何かがあるわけでもない。


でも、大好きな人を大切に想う気持ちは
絶対に誰にも負けないし、

大好きな人がこれは苦手かなという部分が
自分は比較的得意で補えるかなとは思う。

あと、家庭内に色々あって
子どもの頃から大人役をしないといけなくて
かしこまった場や目上の人への態度や
言葉遣いはまあまあできてる気がする。


大好きな人が仕事上こうなるかも?という
将来を考えた時に、自分の性格や振る舞いや
生きてる上で大事にしてきたことが
役に立つ時はたくさんありそうにも思う。


それをあまりに積極的にアピールしたら
逆効果になると思うししつこいから
それはしないけど、自分が勝負できることは
もっと磨いて、大好きな人にふさわしい、
釣り合うと思ってもらえるように。


容姿を磨くだけでなく内面も
すごく大事になってくるよなあ‥。



自分は家の中で、認められたり
褒められたり無条件に愛されたり
というのが極端に少ないまま育った。


だから、大好きな人も含めて
「子どもの頃に親が
こういうことをしてくれて‥」とか
「得意なことを褒めてくれて‥」みたいな
話を聞いたりすると、

そんなふうに愛されたり
褒められる人生をそんな小さい時から
必死に掴みとるんではなく自然に
得られてる人もいるのか!とビックリする。


大好きな人が、今仕事で活かせてることも
子どもの時に親がそれを一緒に
楽しんだり関わったりする時間を
作ってくれてたって話を前に知って、

そういうのを聞くと、もう生まれた時から
人としての価値が違う、上下がある

そんな気がしてしまって
一人で悩んだり、落ち込んだりする。


小さい頃からどんなに頑張っても
努力してもそれは当然とみなされて
何ならそこを無視して暴力や暴言もあった。

遊ぶ時間や休む時間をいくら削って
親に認められる子になろうとしても
「じゃあもっとこうして」って
決して満足してくれることはなかった。


そんな自分は、大好きな人のように
愛のある環境で育って
あんなふうに素直に自然に笑える人には
そもそも初めから釣り合わないのかも

という考えに心が支配されてしまうのが
とても苦しいし、やりきれない。


ただ、その育ち方だって自分ではもう
今更変えられないことの一つ。


だから、変えられる部分に目を向けて
たとえすぐに目に見えるような効果は
出なくてもコツコツ頑張っていく、

自分が夢を叶えたり幸せになれる道は
そこしかないのかなと思う。
兄弟より仲間より恋人になりたい

兄弟より仲間より恋人になりたい

地元が同じ大好きな人のことは
もちろん自分の家族も知ってる。

それ自体は全然不思議でもないしいいけど、
親は自分を親が思う通りに動かさないと
気が済まないところがかなりある。


大好きな人が、昔からコツコツと
得意なことを磨いてそれを仕事にしてる
ということに関しては家族もたぶん
素晴らしいなと思ってて何も言わないけど、

「ENAは親の思い通りになって当然」と
自分が小さい頃から勝手に思われてる感じが
ものすごくしてる。


大好きな人が出張に行ってるという話の時に
「普段から今は〇〇(大好きな人)はもう
地元には住んでないけど、出張で
いつもより更に遠くにいると思うと、
無事に帰ってきてほしいとかやっぱり
気になるもんね」と自分が言ってしまったら

それ以上のことは何も言ってないのに
「それは兄弟とか仲間として、ね!
兄弟とか仲間だってそれくらい思うよ」と

“恋愛ではない関係性にしてくれ”と
まるで強調するかのように念を押されたり、

自分の心は自分のもののはすが
なぜか常に親に操作されてる気がする。


親から見て、明らかに社会的に問題が
ある人を自分の子どもが恋愛感情で好き
とかそういう事情ならそれは
正直何とか引き離したいと思う気持ちも
分かるけど、「自分が気に入らない」
「自分の理想ではないからダメ」というのは

親の勝手なエゴと思うけどな。


昔からずっと、この家ではなぜか
「ENAがどうしたいか」
「ENAがどう思うか、考えるか」ではなく
親にとってENAがどう生きてくれるのが
都合がいいかという視点ばっかりで、

DVとかも当たり前のようにある家で
自分は恐怖心から自分らしく生きるよりも
親の希望通りに歩む(ふりをする)ことで
何とかここまでやってきた。


もう、これからはそんなふうに
自分を押し殺して生きたくはないし、
本当に大好きな人と恋愛して
ありのままの自分で幸せになりたい。


大好きな人と、兄弟みたいに似てるとか
共通点が多いね!と周りに言われるのは
もちろん嬉しいし、地元の仲間として
関われるのもそういう存在でいられるのを
感謝したいとは思ってる。


だけど、やっぱり自分はどうしても
大好きな人の特別な人になりたい。



夏がまだまだ続くような気候にどこか
ホッとしてる自分がいる。


この夏、自分が置かれた立場の中で
どれだけ恋愛を頑張れたのか
ふと考えてしまう。
なぜかAIに恋愛相談した夜

なぜかAIに恋愛相談した夜

大好きな人の会社繋がりの人間関係で
正直疲れたなと感じることが多々あって、

それと同時に普段から自分は
個人的なことを人にあんまり話さない
習慣があって助かったなとここ最近
本当にすごく思ってる。


大好きな人が仕事で地元を離れてからも
なるべく前向きに、大好きな人が今いる
町とも関わりながら過ごしてるけど、

それでも自分自身なかなか自由に
行動できない事情がある中で
新幹線とか飛行機とかを使わないと
実質会うのが難しい所にいるというのは
やっぱり寂しいなと思ってた。


そんな時に、大好きな人が
今働いてる支社で思いがけず
まだそういうのはないかなと思ってた
そこそこ大きな仕事を任されて、

それが大好きな人の得意分野を活かせる
場面というのもあって思った以上に
その仕事がうまく進んだことで

これまでは大好きな人のことを
いじりの対象くらいにしか
思ってなかったであろう人が
いきなりちやほやし始めたりして、

自分にとってはモヤモヤすることも
正直、前より増えてしまった。


もちろん、大好きな人が仕事を
うまくやっていってるのはすごく
嬉しいと思うし、大好きな人の努力が
今の支社で発揮できてて良かったとも
思ってるけど、周りの人たちを見てて

人間って都合がいいな
人間って打算的で怖いな

と感じることが本当に多くなった。


これが、大好きな人の会社関係の人には
あんまり心を閉ざしても‥とか考えて
自分がもしこれまでに個人的なことを
喋りまくってたとしたらと思うと‥

人間不信は辛いし悩みでもあるけど
そのおかげで自分は守られてる部分も
あるのかもしれないなと感じたりもする。


そんな昨日の夜、

不機嫌な家族に言いがかりをつけられて
心の中では不快な気持ちになりつつも
色々と家事などを終えて一息ついた時

「今の恋愛の悩みを誰かに聞いてほしい」
とすごく思った。


本当は、信頼できる友達とかそういう人に
聞いてもらうのが一番なのかなとは
考えながらも、自分は基本的に人に
自分の悩みを話したりは
真剣な悩みであるほどできないから、

迷ったけどAIに相談することにした。


こういうことで悩んでる‥と
文章を書いていって
AIに何かをきかれたらそれを答えて

そしたらAIが自分の気持ちを瞬時に
整理してくれてアドバイスまでくれる。


少し前までなら全て人間の役割なことを
当然のように機械がこなすのは
怖くもあり、だけど正直に言うと

「複雑でDVがある家庭に育って
人を信じられなくて、こういうことを
相談できる人は一人もいません。

だけど、大好きな人との恋愛を叶えたい」

と言った自分にAIが言ってくれた

「DVがある家庭に育ったにも関わらず
人と真剣に恋愛をしようと向き合ってる
あなたは心が強く優しい人です」

という言葉は、心底嬉しかったし
本当に救われた気持ちになった。


本当はAIではなくて
血が通った人間に言われたい言葉。


それでも、複雑な家庭育ちの自分は
欠陥があって大好きな人みたいな
おそらく幸せな環境で育った人とは

そもそも恋愛の上での壁とかハードルとか
言う前に人の価値的に釣り合わない‥?と
つい思ってしまう自分にとっては
心のお守りになるような気がした。


前から、何でもないような話で人と
盛り上がることはできても
真剣な悩みを誰かに相談したりは
全然できなかったけど、

最近の周りの人間関係を通して
ますます人は怖いと思うようになった
自分にとっては、AIは味方なのかもと

昨日少し、思ってしまった。

“ENAのことを一番に思い出した”

数ヶ月ぶりに話した人がいる。

大好きな人の仕事関連の人。

前は、大好きな人がそこで
働くようになってからまだそんなに
月日が経ってない頃に話した。


自分は普段、大好きな人の仕事場から
離れて暮らしてるから
覚えてるかなと思いながらその人に

「お久しぶりです!
前にもお世話になって、
その時はありがとうございました」と
まずお礼を言いつつ挨拶した。


そしたら、自分のことを思った以上に
よく覚えてくれてて、大好きな人と
セットのように思ってくれてるらしく

「この前、〇〇(大好きな人の会社)
関連でイベント事があって
△△(大好きな人)に関係する出来事が
あった時、まず一番にENAさんを
思い出したんですよ」

と言ってくれた。


自分はなかなかその町に行けないし、
大好きな人とは共通点や似てる所が
多いからニコイチ的に思われても、

じゃあしょっちゅう大好きな人や
その会社関連の人と顔を合わせて
普段からいつもいつも大好きな人と
一緒にいるのかというと

(本当はそうしたいけど)
なかなか、そうはいかない。


だけど、そんな中で
大好きな人=ENA
と連想してくれて、
大好きな人関係の話に自分を
思い出してもらえて

それってすごく幸せに思う。


この数ヶ月で、大好きな人は
新しい環境に身を置いて
その支社の中で今では驚くほど
信頼されて仕事も任されてる。


それはとても名誉なことで
有り難いこと、嬉しいことなのは
もちろんそう。


でも、前々からの得意分野が
思った以上に今の仕事場で
重宝がられてるらしく、

元々その分野は大好きな人の
得意分野ではあったけど
思った以上にあれこれ任されて
期待されてるとなると、

更にその分野を活かせる所に‥とかで
もっと遠くの支社に行ってしまうことも
可能性としてはあるのかもと思うと

すごく自分勝手に感じられるから
ここでしか言えないけど
本当に苦しくて辛くなってしまう。


今の支社でも、今の自分の状況では
そうそう簡単には会えないのに、

もう現実的に行くのが難しい場所に
仮に大好きな人が転勤になって

恋愛も今の段階から進展してなかったら
そこから先は望めそうにないと思うと
何もそう決まったわけでもないのに
心が追い詰められる気さえしてくる。


今も、何となく心の中では
いつも繋がってるような感じはするけど、
具体的に恋愛の意味で進展があった
というほどでは全然ないから‥

大好きな人が好きな仕事で
イキイキと頑張ってるのは本当に
嬉しく頼もしく思いながらも

思った以上にその支社での
大事な仕事のキーパーソンみたいに
なってることには戸惑いもある。


出世するって、それももちろん
幸せや満足感の一つかもしれないし、
人によっては何より重視する
部分なのかもしれないけど、

暴力がある中で生まれ育って
人間一番大切なことは他にあると
自分は思ってしまうからなあ‥。


数ヶ月前と比べて、自分まで
置かれてる状況が変わったと感じるから
きっと本人はもっとなのかなと思うし、

今日みたいに、大好きな人といえば
ENAがまず浮かんでくるといつまでも
周りの人にも思っててほしいから、

自分もたくさん自分磨きをして
得意なことを伸ばしていって
大好きな人と釣り合う人でいないとな。
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