小さい頃、家庭環境が理由でものすごく
トラウマになってしまったことがあって、
それを克服したいというか
それを克服しないと大人になっても
幸せになるのは難しいのかもな
という思いがずっと心にあった。
恋愛する上で、すぐにそれがどうこうとか
影響するわけではないかもしれないけど、
恋愛でだってずっと先を考えれば
自分のそのトラウマは悪く影響こそしても
いいようには影響はしないとは考えてて
それがコンプレックスになってた。
“これがトラウマ”とか
“このコンプレックスも自信を持つ上での
足かせになってる”とかはぱっと見では
全然分からないし、実際自分も人から
それを指摘されたことはない。
だけど、自分自身はそれが深くトラウマで
コンプレックスなのを分かってるから、
恋愛だけでなく生活全般で
自分に胸を張れないなと感じることも
きっと自分が思う以上にあった。
大好きな人と出会って
この人に特別な感情を持ってると気づいて
それからずっと今まで
「このままではダメなのかな」というのが
常に心にあった。
大好きな人を好きになって
恋愛面でもその他の面でも
成長できるところはできる限り
成長したいと考えてるから、
少し前からやっとのことで
勇気を出してこのトラウマにも
向き合い始めた。
家庭環境も関わってくる内容で
なかなかこのトラウマの話は
普段から自分の話をなるべくしない
その中でも特に人には言えないこと。
どうやったら克服できるかなと
時間がある時に少しずつ調べて
これなら頑張れるかもと思える方法を
見つけたから実践してみることにした。
そこからまだなかなか1歩踏み出せずに
そのトラウマのこと以外でも
鬱々と悩んでることがあったりもして
数ヶ月経ってしまってたけど、
一昨日、昨日と家で暴力的な
ハラスメントの被害に遭ったのもあって、
恋愛に限った話ではなくもっと広い意味で
ここから抜け出すためにはそうやって
少しずつでもトラウマを最小限にして
コンプレックスもなくしていって
自分に今より自信を持てる状態に
していかないといけないと改めて
考えて今日やっとその一歩を踏み出せた!
ただ、それをいくら頑張ったからって
目に見えて他の人から分かる
というものではないと思う。
それでも、間接的にでも
自分を少しでも自分で認められること
自分に少しでも自信を持てること
を続けていって、それが恋愛でも
夢を叶えられる将来に繋がっていったら
いいなと思うから頑張ることにした!
ここ数日、大好きな人と自分の間には
現状どうしようもない差があると
感じてしまうという悩みで頭も心も
いっぱいになってしまってたけど、
大好きな人の親が普段から
大好きな人に言ってる言葉や
その言葉を親と離れて暮らしてる今も
ちゃんと心に留めてる大好きな人の
様子を見て、たとえ育った環境や
今過ごしてる日々の状況は違っても
自分が心から好きになれた人を
向き合って信じてみようと
ここ数日の中では一番思えるようになった。
自信なんて、お金では買えないものも
たくさんあるし、コツコツと黙って
積み重ねていくしかないと思う。
地道に頑張っていこう。
幸せな春を生きられるように*
歩きながらふと見上げた先に
ボーダー柄みたいな空。
どんなに似てるとか
ニコイチのように言ってもらえても
(もちろんそう言われることは嬉しい)、
愛されて育ってきた大好きな人と
家庭内で苦しみながら
育ってきた自分の間には
ボーダー(境界)があると
大好きな人との心の距離が縮まるごとに
実感して孤独を感じてしまう。
大好きな人が何気なくしてることが、
自分には昔、家の中で苦しんできた
特定の辛い記憶に繋がったりする。
社会的にも問題がある行動ではないから
当然、大好きな人のその行動は
世間的には誰からも責められない。
それは当たり前、と思う。
社会的にとか、人としてとか
人を傷つけるようなことを何もしてない、
それを有り難く思わないといけないと思う。
人をどんなに苦しめても心が痛まない、
何なら人を苦しめることが楽しい、
自分さえ良ければいい、
そんな人を家庭内でも見てきた自分は
大好きな人みたいな人を好きになれたのを
本当に幸運と喜ばないといけない。
心の中ではそう分かってるのに、
大好きな人に対して
昔の辛かった記憶と重なる部分を感じた
その瞬間を何回も頭に繰り返しては
「この人を好きでいるのが怖い」と
ここ数日、ずっと思ってしまってる。
地元の人が言ってた。
「〇〇(大好きな人)って、小さい頃から
ずっと△△(今就いてる職種)が本当に
好きで好きで仕方ない子で
実際にその仕事に就けたのは
本当に素晴らしいと思うけど、
これからも変わらずに
小さい頃の気持ちを忘れずに
遠くに住んでても頑張ってほしいなって
やっぱり思うよね」
って。
温かい家庭に育って
あんなに自然にクシャッとした顔で
幸せそうに笑えて
ああいう顔は本当に幸せな家庭に
育った人にしかきっとできないと
それは前々から感じてたけど、
大好きな人が働いてる支社の関係の人が
「〇〇(大好きな人)って、ENAの名前出すと
本当に嬉しそうに笑うんだよ」
「ENAのことになると、何か〇〇って
ドキドキしてる感じの仕草するよね」
と言ってくれる度に
「自分もあの顔の理由になれてる」
「自分の存在が〇〇の心を動かせてる」
ということが支えでもあって、
だからその分その境界も
曖昧になってた。
でも、この前の週末、
自分の中で強烈に昔家庭内で
トラウマを植え付けられたことを
大きく引き起こすような出来事が
恋愛の中で起こった。
実際に大好きな人と会って
何かその言動を目の前で見て
そう感じたんではなくて、
大好きな人が働いてる支社の人が
録った動画の中での数秒のこと。
もちろん、その時そこに映ってる数人も
それを誰かが見たとしたらその人も
おそらく何にも気にならないと思う。
離れて暮らしてても、こうして動画を
届けてもらえるような環境を
幸せに思わないといけないのに、
自分一人で勝手に昔のことを思い出して
大好きな人とこの先も恋愛が続けば
自分はこのトラウマと更にずっと
向き合い続けないといけないのかなと
考えるとこの恋愛自体が
すごく苦しく辛く思えてきて、
だけど大好きな人のことは
本当に大好きで
だからこそ苦しくて仕方ない。
ここにまだ言葉にして吐き出したり
打ち明けられるから精神的に
保っていられてると思うけど
(もし誰か読んでくださってたら感謝です)
昔のトラウマが強ければ強いほど
それを乗り越えるのにも時間がかかるのかな。
家庭内のこれまでの複雑さが
恋愛も含めてあらゆる人間関係で
高い高い高すぎるハードルに
なってるような気がするのがやるせない。
こんなに大好きな人がいることは
とても幸せで誇れることのはず。
その恋愛でこんなに苦しむなんて
たたただ悔しい。
これまでの自分の育ち方を考えても
「親の機嫌を損ねないことが
唯一安全に生き延びる手段」
という家庭にいたのもあって、
人に頼る、人に寄りかかる、というのが
未だに本当に苦手で、極端に恋愛に抵抗や
葛藤があるのもそのせいもあると思う。
これまでのトラウマを思い起こさせることが
恋愛の中で少しでも再現されると、
そのこと自体はそんなに悪い意味を持つ
ことではなくても自分にとっては
恐怖や拒絶が心の中に渦巻いてくる。
最近、恋愛で悩むことがすごく多い。
毎日、表面上はちゃんと自分の仕事をこなして
いつものように振る舞ってるけど、
心の中はなかなか気持ちが晴れずに
切り替えもできずにいる。
心が痛くなったり息が苦しくなるほど
悩むことなんてない方がいいし
これが毎日となるとすごく苦しいけど、
そんな時間を過ごしてて
改めて気づいたこともある。
さっきも書いたけど、自分は恋愛で
自分の感情のコントロールを相手に
任せたり頼ることは全くない。
自分自身の機嫌のコントロールができない
家族のもとで育って、物心ついた時には
親にわがままを言う同い年の子たちを尻目に
必死に親の機嫌をとってなだめて、
それでも当たり散らされながら生きてきた。
自分には何の責任もないことで
そうやって機嫌をぶつけられるのが
どれだけしんどいかは身にしみて解る。
そんなバックグラウンドもあって、
小さい頃から自分は
自分の機嫌を自分でとる。
だから、恋愛でもそれでいいと思ってきた。
正直、相手からしたらめちゃくちゃ楽なはず。
勝手に明るく元気に振る舞ってくれて
機嫌で態度が変わることが全くないなんて、
自分にとっては学歴とか容姿とか
どんなスペックより価値があるもの。
でも、今恋愛のことで悩んでる中で
すごく分かったことがある。
自分は確かに、実際の言動では
相手に自分の機嫌をとらせようとしたり、
構ってほしそうな態度でしつこくしたりは
全くしてないけど、心の中では
見えない部分でとても恋愛に
寄りかかってしまってると思った。
自分の頭の中をもし可視化してみたら、
今の自分が抱えてる色んなことを
考えてる割合ももちろんあるけど、
恋愛が占めてる部分は
自分が思ってる以上にきっと多い。
相手に依存的な行動をとってない
というのは自分のいいところではあっても、
そういう行動をとってないから健全か?
といえば、そうではないのかもしれない。
あと、いつも「自分がコントロールできない
部分に関しては考えても仕方ないから
考えないようにしよう」とは意識してきたけど、
意識してる時点でどこかもうそれをちゃんと
できてるような気持ちになってただけで、
実際には「何で〇〇(大好きな人)は
こんなことするのかなあ、
これをやめてくれたらいいのに」とか
それが本当に人を傷つけると誰もが
分かりきったようなことならともかく
自分がこれまでの育ちで抱えてるトラウマが
それを苦手にさせてるだけで
一般社会的には特に責められるような
ものではなくよくある話みたいなことで
「昔の辛いことを思い出してしんどい」
「家族にされたひどいことがよみがえる」
なんて落ち込まれても、それこそ大好きな人には
理解のしようもないし、きっと面倒なだけ。
大好きな人は、そんな家庭環境を
知らないから自分自身の態度が人をそこまで
悩ませて傷つけてるなんて思ってもないはず。
今回のことに限らず、これから先も
大好きな人の何気ない言動で
自分の家庭内であったこれまでのことを
思い出して落ち込んだり苦しんだり悩む
ということもありうるのかなと考えると、
何かもうすごく悲しくなってしまって。
別にそんなこと何も起こってないし、
それこそ考えたところで自分の
コントロール外って分かってるのにな‥。
何ならむしろ、そうやってこれまでのトラウマを
何かを引き金にして引き起こしてしまう
自分自身をどうにかしろと自分でも思う。
恋愛は難しい、というのは
たとえ幸せな家庭に育って
無償の愛や信頼という木が心の中で
ちゃんと育ってる人たちから見ても
多かれ少なかれあると思うし、
恋愛はしようと思ってするもんでもなく
人生の義務でも何でもない、
恋愛はしなくても人として重みを持った
生き方をしてる人たちだっていて
恋愛をしてるから
恋愛がうまくいってるから
人として上なわけでも偉いわけでも
すごいわけでもない。
100%相手の努力によって何とか
続いてるような関係性なら
その人の人間性や努力のおかげではないし。
ただ、自分の場合
必要以上に恋愛を難しくしてる気がする。
目の前に、きれいなピンクの絵の具があるのに
わざわざ赤と白の絵の具を買いに行って
特に絵心もないくせに何とかそのきれいなピンクを
作ろうと躍起になってるだけ
みたいなところがあると自分でも思う。
こんなに大好きな人がいるだけで奇跡。
実際それは事実で、いつもそう思って
そこに感謝できたらこんなに色々
悩むこともないんかなぁ‥。
本気で相手を好きで好きで大好きで
真剣に愛してれば愛してるほど、
恋愛は本当に難しいと思う。
大好きな人と自分は共通点が多い。
身長など見た目に分かる部分にも
共通点が多いからよく周りからも
「えっ!〇〇(大好きな人)とENAって
それも一緒なの?すごいね!」
と言われたりする。
そんな中で、ここは違うなと
感じるところももちろんある。
1つは、大好きな人は幸せな家庭で育ってて
「地元で実家で住んでた時に‥」
というような家族の話を
おとなしいながらも時々することがある。
2つめに、社交的な自分に対して
大好きな人は内向的で
人と関わるのがあんまり好きではない。
ただ、自分は社交的でも
基本的に人は信じられないから
とにかく表向きの人間関係を
うまくこなしていくのが得意なだけで、
信頼できる心からの友達が
たくさんいるということではなくて、
大好きな人は内向的で
口数も多くないし人と関わること自体は
好きではないと思うけど
たぶん自分よりも人間不信度は少ない。
3つめに、自分が昔から親とか親戚とか
周りの大人を見て感じてきた世の中に比べて
大好きな人は今就いてる職種も
少し珍しいのもあるのか、
周りの大人というか年上の上司や先輩たちが
示す世間というものが何か少し
違うような気がする。
どっちがいいとか悪いとかではなくて
大好きな人本人というか
仕事関係の人たちを見てて
自分が昔から見てきたのとは違う
感覚で生きてる人もいるなと
感じることが度々ある。
前々から、大好きな人は幸せな家庭に
育ってきてるというのは
自分がここにずっと書いてきてる
恋愛に関しての大きな壁というのとは
また別の壁というか‥
幸せな家庭に育ってきたのは
本当に素晴らしい素敵なことで
それを壁とか言ってる時点で
おかしいというかその表現は
ふさわしくないのは分かってるけど、
たまに家族の話題の時に
「親にこんなふうに言われてて‥笑」とか
「兄弟と比べても自分は‥」とか
きっと普段から仲がいいなというのが
伝わる感じで話してる度に
あぁ自分とは違う種類の人間なのかなと
思ってしまうことはあったし、
今一番悩んでるのはそこではなくて
性格と世間の部分。
自分自身は社交的な性格でも
自分の好きなタイプはおとなしい人で、
自分も社交的とはいえ
そんなにずっと話し続けてはいないし
あまりにも口数が多い人は
誠実ではないという感じがして
自分の言葉にある程度責任を
持つ人が多そうという意味でも
言葉数が少ない人の方が好き。
だから、大好きな人がどんなに
おとなしくてもそれそのものは
安心材料にはなっても不満にはならない。
でも、大好きな人とやりとりする時に
極限までそのメッセージの長さを
短くすることに気を遣って
文章の内容が分かるギリギリまで
文字数を削ることに一生懸命な時に
「自分にとっては最大限短くして
スクロールなしでさっと読めるくらい
というのは特別長くはないと思うけど、
〇〇(大好きな人)にとってはこれでも
会話や質問が2つになるから負担かな」
とか考えることにめちゃくちゃ
神経を使ってしまう。
このブログは自分自身の覚え書き+
打ち明け場所、気持ちの吐き出し場所
としても使ってるから
毎回文章が長い(長すぎる)けど、
もちろん普段は大好きな人とに限らず
人に対してこんな長文を
送りつけたりしたことはない。
連絡を取り合おうとしてくれたのも
大好きな人からで、その後も1回も
たぶんしつこいような連絡はしてないし、
文章量や返事の返しやすさにも一応
気を遣ってるし、大好きな人からも
短文ではあるけど元気で上機嫌っぽい
返事が返ってくるから連絡を面倒とか
連絡取り合おうって言って失敗したとかは
たぶん思ってない‥はず。
それでも、自分にとっては短文でも
もしかしたら相手からしたら
3行とかでもしんどい?と思い始めると
連絡したいことがあっても実際に
送るまでにめちゃくちゃ悩んだり
葛藤があったりして勝手に疲れてる。
あと、世間の違いっていうのが
さっきも書いたけど別に自分が見てきた
周りの大人たちが平均的とか正しいとか
そう言いたいんではなくて、
珍しい職種の人たちにはその世間という
知らない空間があると感じることが
たまにあって、その中の一部に
自分にとっては子どもの頃からの
悲しかったり辛い出来事を
思い起こさせる要素があるから
それを一人で誰にも相談できずに
耐え抜くのがすごくしんどい。
大好きな人が何かとんでもない
非常識なことをしてるんではないから
自分自身の考えや感覚を変えないと
たとえ誰と恋愛したとしても
同じようなことで苦しむ場面は
おそらく出てくると思う。
大好きな人を本当に大好きなら
乗り越えられるように頑張ろうとは
いつも考えてできる限り
前向きに生きようとはしてるけど、
それでも苦しくてしんどくて
逃げたくなってしまう時がある。
一旦、心の感情や気持ちのスイッチを
オフにして何も感じない自分を
ひたすらイメージし続ける。
そうやって機械のように生きられたら
毎日こんなに辛くなくて済むのかな。
日々をできるだけ楽しく前向きに
人前では振る舞ってても、
心の中にはいつも葛藤がある。
大好きな人をただ
大好きでいたいだけが
こんなに難しい。
昨日、久しぶりに自分の時間があって
精神的に少しゆっくりできたのも
もちろん良かったけど、
自分にとってのラッキースポット、
パワースポットの地元の神社に
行けたのも本当に良かった!
なかなか自分が自由になる時間がないから
そんな5分10分でできること以外は
どうしてもそれをする機会が限られる。
その自分にとって特に思い入れがある神社も
家の目の前とか歩いてすぐとかではないから
お参りに行こうと思ってもまず
家の都合、家族の都合を考えて
そこがクリアしないと行くのは難しくて。
だからこそ、昨日やっと行けて
神社の境内独特のきれいな空気を感じて
いつもありがとうと神様にお礼を伝えられて
自分自身もこれからもまた頑張っていこうと
力をもらえたのが本当に嬉しかった!!
普段はずっと、家族のために
ひたすら家のことに追われてるから
自分の意思でどこかに行く、何かをする、
どれがいいかを選ぶというのも
現実的になかなかできなくて、
限られた短い時間ではあったとしても
道を歩きながら景色を見たり
自分のために何かを考えたり思ったり
ちょっとした小物を買ったり
そういう時間がすごく貴重で
有り難く感じられる。
神社へのお参りも、本当はもっと
たくさん行けたら嬉しいけど、
それは今は難しかったとしても
これからも習慣として大切にしたい。
普段は自分が過ごしたいようには
なかなか自由に好きなことを
できる機会が少ないけど、今日は
3ヶ月ぶりくらいに地元を3時間ほど
歩いて気分転換する時間があった。
本当はもっと地元のなじみの場所を
ゆっくり散歩したりもしたいけど、
そういう自分のための時間を
とるのが現状難しいから
噛みしめるようにその時間を
大切に大切に過ごしてきた。
大好きな人が今の支社で働くまでは
大好きな人もずっと地元にいた。
地元にいた頃にも、自分はもう
大好きな人を恋愛の意味で好きと
気づいてたけど、恋愛に奥手なのと
自分に自信がないのもあって
なかなかアプローチができないまま
大好きな人は遠い町に行ってしまった。
その遠い町が、自分にとって昔から
繋がりが深いその支社がある場所
というのは遠いわりにはすごく
幸運とは思うけど、それでもやっぱり
自分の側の育ってきた環境などの
家庭事情もあってそんなに自由に
会いに行ったりもできないし
「遠い」というのはそれだけでも
とても気持ちの上でしんどい。
それでも、今日みたいに地元を歩いてると、
「出会う前からきっと地元の道で
すれ違ったりもしてるかもなあ」と思ったり
地元にいた頃の大好きな人はこの道を
どういう気持ちで歩いてたのかな、
通ってたのかなと思ったり、
今日は特に、大好きな人の実家の
めちゃくちゃ近くを歩いてたから余計に
当時の大好きな人に想いを馳せてしまった。
昨日書いたようなこともあって
心に雨が降ってるような気持ちでいたけど、
今日少しでも自分のために
地元を歩くというゆったりした
時間を過ごせて、自分の中で無意識に
今の自分が思うことを一つずつ整理して、
嫌なこともあるし、モヤモヤすることも
あるけど自分が本当に大切なもの、
大好きなもの、守り抜きたいものを
いっときのイライラやモヤモヤで
投げやりになったり本心ではないのに
手放したりするのは良くない、
本当に手に入れたいものはいつだって
どんなに手を伸ばしても簡単には
手に入らなかったとしても、それが心から
自分の人生に必要で大事と思うなら
それなりに葛藤も覚悟も受け入れて
過ごしていかないといけないと思った。
大きな壁がある恋愛は
いつだって心が痛くなるし、
心の底から闇が晴れることは
今のところはまだないけど、
自分の心をうまくコントロールしながら
この恋愛が叶うことを信じて
頑張っていこうと思う。
大好きな人が働いてる支社界隈で
前に、その支社の先輩の恋人が
ちょっと非常識よな‥という話を
何人かがしてるのを聞いたことがあった。
「SNS見た?
あれはちょっとどうなん?」とか
その時も話してる人たちはいたけど、
自分は基本的にSNSはほとんど使わないし
その支社の先輩の中にはそういう恋人が
いる人もいるのかな、何か非常識な
SNSの使い方をしてる人もいるのか‥
という程度にしか捉えてなかった。
その先輩は数年前に支社に来た人で
年齢的にはそこそこ若かったけど
重要な仕事を任されてる
とても頼りにされてる人という
印象がずっとあった。
大好きな人がその支社で働くことに
なった時にはもうその先輩は
大きな仕事を任される存在になってたけど、
大好きな人のことも気にかけてくれたり
優しいといういいイメージがあったし、
その後その先輩が他の支社に
転勤したのもあって
自分の周りでその先輩の話題も
だんだん減ってきて、
そういえばそんな噂も前にあったな‥
くらいに頭の片隅に追いやられてた。
昨日たまたま、その先輩の恋人が
大好きな人が働いてる支社の人たちに
SNSで関わろうとしてるのかなと
思えるような出来事があった。
その先輩と仕事上関わりが
それなりにあった大好きな人、
それから学校関係などで繋がりがある後輩など
その先輩が前の支社で気にかけてた人と
あんまりいい意味合いではなく
ちょっとちょっかいをかけてやろうと
いうような感じで接触してるのかと
思ってしまう空気感があったというか‥。
そういえば、前に噂になってた
「SNS上で非常識なことをしてる」
というのはこういうことかと
初めて分かった。
普段から、その先輩の恋人も
仕事とかで何か関わりが深いなら
その支社の人たちと繋がりがあっても
あーそうなんかーと思うけど、
仕事柄も特にその社員の恋人というだけで
何か関わりができるような会社ではないのに
わざわざ断りにくい立場にある
その先輩より年下や仕事の経験値が浅い
人たちを狙って関わろうとしてるところに
個人的に不快感を感じた。
自分は大好きな人とまだ付き合えてないし
それこそこんなことを主張できる立場には
全然ないのは分かってる。
だからこそリアルな場では誰にも言わずに
ここでだけ書いてる。
でも、その先輩という恋人がいるなら
その先輩を大事にすればいい。
その2人の今の関係性が
うまくいってるのかどうなのかは
分からないけど、もしその先輩と
うまくいかなくても手っ取り早く
同じ職種の前の支社の人と繋がっとけば
そこからまた誰かとどうにかなれるかも
しれないし‥という打算が見えるのも
本当に恐ろしいなと思った。
その先輩は自分のすぐ隣の県出身で、
ということは大好きな人とも
地元が近いということになるし、
その先輩の恋人もおそらく
隣の県かその近隣県の出身みたい。
そんなことにモヤモヤしてるくらいなら
自分が大好きな人と進展できるように
更に努力をすることが大事なのは
本当に自分でもそう思うし、
もしその先輩の恋人が何か
アクションを起こしてきても
大好きな人がそれを相手にしなければ
そこからどうなるわけでもない、
それは確かにそう。
だけど、正直いい気はしない。
その先輩はおそらく自分のことも
(ENAという名前は知らないにしても)
存在として知ってても
その先輩の恋人まではたぶん
自分のことは知らないと思うし、
SNSをほぼ使わない自分に対して
バンバン加工アプリの自撮りを
ひたすら載せ続けてるキラキラ女子
(申し訳ないけど今回のことで
悪い意味でSNS映えとかにこだわる人が
実在するのを改めて知ってしまった)
というのはあまりにも対極すぎて
めちゃくちゃ心がざわざわする。
何でもかんでも噂を鵜呑みにして
信じ込んで誰かを悪く言ったり
思ったりはしたくないし
だからこそ今回のことも噂段階では
誰にも言わなかったけど(ここでも書いてない)
おっとりしたいい人と思ってた先輩に
そういう恋人がいたのも
個人的にものすごくびっくりしたし、
SNSがある現代は生活面では便利でも
恋愛面では大変なことも多すぎるなと
本当に実感して苦しくなってしまう。
うまく使えば便利なものも
その使い方によっては人を不快にしたり
人を傷つけたりするものにもなりうる。
誰が見てるか分からないから
その支社界隈の人が見る可能性がある所に
あれこれ投稿したりしてなかったのは
本当に良かったなと思うし、
いくら身近でも何かで良くしてもらっても
その人を信用したり、その人の周りの人まで
いい人と勝手に思い込むことは
やっぱり危ないなとも思った。
できるだけシンプルに暮らそうとは
思ってるけど、どうしても飾りたい
物があって額もタイミング良く買えたし
早速飾れて良かった。
自分と同じような複雑な家庭育ちの人たちの
当事者ならではの経験やそれをどう
乗り越えたかというような話を読んだり、
この恋愛を叶えるにはどうすればいいのかを
少しでも知って身につけようとしたり、
考え方自体をもっと前向きに
変えようとしたり、
相変わらず最近の自分も
そんなふうに過ごしてる。
恋愛に限らず、全ての思考を
前向きに癖付けようとしたり、
そんな時に限ってたまたま
同じ類の恋愛をしてる人が
ネットであれこれひどい言い方を
されてるのを見て、自分はこの恋愛が
叶っても他の人に詳しいことは
言わないようにしようと誓ったり。
本当は、何も悪いこともしてないのに
他の人と比べて少数派な部分があるからって
そうやって隠さないといけないこと自体が
おかしいはずとは今も思ってるけど。
大好きな人が働いてる支社繋がりの
人間関係も、丁寧には接するけど
自分の個人的なことはできる限り
大切なことほど話さないように
この人なら大丈夫とか簡単に
心を開いてしまわないように
一定の距離感を保ちつつ
そうやって距離をとってることを
知られないように振る舞ってる。
複雑な家庭に育った自分には
知らず知らずにその環境に洗脳されて
間違ったものを心にたくさん
植え付けられてきたと最近になって
改めて思ったりもすごくしてて、
だからこそ心が暗くなったり
揺らいだりすることには決して
近づきすぎないようにすることも
意識していきたいと思う。
昨日の夜中、気に入ってずっと使ってる
クッションを抱きしめながら
(↑自分にとって落ち着くから‥笑)
「自分はこんなふうに誰かに心から
寄りかかって甘えたことってないな」
とふと気づいてしまった。
そんなことに気づいたところで
小さい子に戻って甘えられるわけもなく
気付かない方が良かったのかもしれない、
それでも心を寄り添わせられる存在がある
人生をこれからは送っていきたいと
すごく思った。
それが大好きな人ならいいなと願う。
大好きな人との思い出の物を
ミニポーチにも使えるようなパスケースに
まとめて入れて大事に持ち歩いてる。
一番直近にもらった物を入れるのを
きっかけに今の中身を少し
できるだけ軽く持ち歩けるように
まとめたりしてたら、大好きな人と
出会ってからこれまでのことを
色々想い出した(*´꒳`*)
たくさん共通点があることや
人生の中の主軸みたいな場所も同じ
というのを考えると、
恋愛が苦手な自分でも大好きな人には
色々と話題があるというのは
とてもラッキーなこと。
大好きな人は、人と関わるのがあんまり
好きな方ではないし、こっちが前のめりに
アプローチしすぎたら怖くなって距離を
おきそうかなというのが常に頭にあったから
自分がその時にしたいこと、言いたい言葉を
100とすると50くらいに留めて、
その時の反応を見ながら
もうちょっと大丈夫かな?と思えば
それまでよりは少し好意を示すとか
相手の気持ちやペースを考えながら
生きてきた日々を本当に大切に思う。
自分はこれまでも、おそらく人の気持ちを
考えすぎるくらい考えて
心の中はいつも冷静でいた気がするけど、
それでも大好きな人と出会ってから
更に相手のペースを考えることを
学んだような気がする。
そのパスケースみたいなミニポーチの中身は
普段の生活で誰かに見せたりはしない
自分だけの心の居場所であり、
色んなことがしんどくなった時も
心の拠り所になってくれる場所。
本当に少しずつ、1歩というより
半歩ずつのような毎日を、
よく頑張ってきたなと自分でも思う。
大好きな人との恋愛に大きな壁が
あるのを実感する度に
本当にこの恋愛を信じていいのかなと
思ってしまったりもまだするけど‥、
それでも、大好きな人とこれから先
もっとたくさんの幸せな想い出を
作っていきたいと改めて思うし、
思い出の物を残そうと思ったら
ミニポーチくらいの大きさでは足りないくらい
幸せな人生を、大好きな人と一緒に
送れたらいいなぁと心から思う。
愛を知らずに生きてきたけど、その分
愛が溢れるこれからを生きていきたい。
暴力的な家庭に育ってきた自分は
「自分が本当はどうしたいか」
というよりも
「無難に身を守れる手段はどれか」
というのが選択基準で生きてきた。
こうしたいとか、こうなりたいとか
思うことはもちろん心にはあったし、
家族の機嫌や態度に怯えながら
自分の決意一つでできる行動は
なるべく行動に移してきたつもり。
それでも、やっぱり元々自分に自信が
なさすぎる自分はいつも潜在的に
そこでつまずいて、いくら表面上は
自信があるように振る舞っても
自分は価値がないと思ってしまってるのが
どこか伝わるのか、周りからぞんざいな
態度を取られたことも何回かあった。
今、大きな壁がある恋愛をしてるのも
心のどこかにはいつも
“自分には無茶なことかもしれない”
“引き返すなら今なのかも”という気持ちが
あるような気がして、前よりは意識して
自信を持つようにはしてても
まだまだ克服はできてないと思う。
そんな自分は、とにかく安全で
保守的な選択をしがち。
例えば仕事でも、こんなことを言うと
向上心がないなんて
言われてしまうのかもしれないけど、
ブラック企業ではない所で
生活していけるだけのお金を
得られればそれでいいと思ってる。
出世とかも全く興味はない。
毎日安心して眠れて食事ができて
雨風をしのげる家に住めて
ささやかに好きなことを楽しめたら
それが一番、自分には大切で。
出世して、肩書きを得ることは
多くの負担とリスクを背負うことと
イコールな気がして仕方ないし。
大好きな人とは本当に共通点や
似た部分が多いけど、ここは本当に
すごいなと思ってしまうのが、
大好きな人は昔からこの仕事に
就きたいと思ってきた職種に
紆余曲折ありながらも本当に就いて
それ自体を自分自身も
「自分で言うのも
おかしいかもしれないけど、
この仕事に就くためにだけは
自分は本当に努力したと思ってる」
と胸を張って言い切ってるところ。
初めから親族や親が
その仕事に就いててその職種に
就くための道が用意されてたとか、
そういう元々のバックグラウンドは
何もなくイチからそこに就職した
というのは、本人は笑いながら
あっさり言ってても実際にはかなり
努力をしてきたはず。
大好きな人の場合は、自分と違って
親がとても寄り添ってくれたり
本人の希望に沿って将来のことも
一緒に考えたりしてくれる人たちで、
だからそういう支えはあったとは
思うけど、それでも本人もすごい。
そんな様子を見てきてるから
大好きな人は仕事についても
今の状況にはきっと
満足してないのかなとは感じてて、
できるならもっと大きい仕事に
挑戦できる所に移りたいと
思ってるのかな?とも思ってたけど、
今日、本人がやっぱり将来的には
そういう仕事をやってみたいと
それも視野に入れてるのを知った。
たぶんこれまでの感じからしても
そうなのかなとは思ってたから
めちゃくちゃ驚くとかはなかったけど‥。
今の状況でももう子どもの頃から
就きたかった仕事に就けてて
そんな大きい規模ではないにしても
その職種の会社で働いてるやん
と自分は思ってしまうけど、
極論、生き延びることを考えて
自分の主張を消しながら生きてきた自分と
常に将来こうなりたいと明確に
夢を現実にするためにはどうしたらいいか
を自分を信じて考えてきた大好きな人は
“自分を価値がある存在として
信じてるかどうか”という部分が
違うのかなと感じてしまう。
自分に自信がないと
大きな夢なんて描けない。
きっと、大好きな人にとっては
将来的にこうなりたいと
思ってることだってそこまで
とんでもない夢ではないのかも。
仕事に限らず、大きな夢を持てるのは
自分に対してある一定以上の自信を
持ってる人に限られる気がする。
それが実際に叶うかとか以前に
まず、夢を持つというのが
極端に自信がなかったら難しいし、
夢を持ったとしてもそれを継続して
持ち続けてそれを現実にするために
努力し続けるなんて至難の業。
自分もやっぱり自信を持ちたいと思う。
正直、仕事に関しては自分はそこまで
熱意や向上心を持って
生きていくのはちょっと難しいけど、
こういう人生を生きたいと思う時
その“こういう人生”にふさわしい自分に
なれるように意識していきたい。
それが結果的に
大好きな人と釣り合う
大好きな人にふさわしい人になる
ということに繋がったらいいなと思う。