Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。

それは幻のような

家族のあまりにも自分勝手な
わがままに疲れ果てた
最寄り駅からの帰り道。


何気なく前を見たら
何かスポーツ帰りに見える
少年が目に入った。

半袖Tシャツにハーパン、
ランシューにリュックみたいな
かつての自分と同じような服装。


大好きな人と自分は
同じスポーツをしてきた。


今日見たその子も同じ競技か
どうかは分からないけど、
後ろ姿や背格好が大好きな人に
すごくよく似てるように見えた。


大好きな人がこの年齢の頃は
きっとこんな感じかなと
思わせるような雰囲気があって、

疲れ果てた今日の締めくくりに
そんな子を見れたことが
自分の中で本当に救いに思えた。
仮の答え

仮の答え

あることへの答えを探して
毎日一生懸命過ごしてるけど、
今の現状ではどんなに頑張っても
簡単にその答えがその辺りに
転がってるわけではない。


普段は細かいことには
こだわらない性格でも
大好きな人のことになると
普段なら気にもならないことが
自分の中で大きな問題になったりする。


仮の答えを自分の中に
とりあえず置いて、
ちゃんと本当の答えが見つかるまで
それを得られるまで
頑張っていくしかない。
if

if

重大な秘密を抱え続けてるかのように
絶対に人に見られてはいけない
ポケットの中のパスケースを
テーブルの下で服の上から確かめる。

そのパスケースの中身の
大好きな人との想い出の数々も
人前では決して出すことはできない。


自分は周りの人にあんまり
自分の話はしないけど、
それでもこの人には話せると
思った時には話せるような
恋愛をできてたら良かったな

と思うと今の恋愛が
まるで悪いことをしてるかのようで
本当に悲しくなってしまった。


いくら「もしこうなら良かった」と
思ったところでその「もし」側に
自分が立つことはできない。

だから、そこにいくら立ち止まって
あれこれ考えたところで
どうにもならないし、
魔法のように解決策が空から
降ってくるはずもない。


もうこんなに特別になってたとしても
仮に向こうから見た自分も
特別な存在になりつつあるとしても、
恋愛感情は隠して
黙って好きでいるだけなのかと思うと

心が痛くてたまらなくなる。

暴言の嵐の家。

自分の気持ちを押し殺して
ひたすら黙って家族の機嫌の悪さが
通り過ぎるのを待つという
根本的には何の解決もしない日々。

本当は人生の中で唯一の
今日という日を大切に
心を踏みにじられずに生きたいのに。


大好きな人に関係する用事で
ほんの数分、外を歩いた。

その時間だけが
自分が自分で生きてると思える
大切で特別で貴重すぎるひととき。
特別になりたい

特別になりたい

家の状況を考えたら
自分は自由にはこの先夢を
描いたりはできないのかなという
圧力が常にある。


大好きな人は、これから今よりも
仕事で認められて
もしかしたら活躍の場が
広がるのかもしれないし、
努力と頑張り次第では
輝く未来も見れる人。


色々と他にも悩みはあったとしても
そこの差も自分にとって
すごくしんどいのかもと思った。


「普通だったらそこまで
ENAのこと覚えてないと思うよ?
それ(手書きのメッセージ)だって
心を込めて書いたはずだよ」

大好きな人が自分に書いてくれた
手書きのメッセージのことを
知ってる友達がそう言ってくれて、

あぁ自分はあの人の特別に
なりたいと願ってると改めて気づく。


きっと釣り合わない部分もあるし、
そこに引け目を感じないかと
いうとやっぱり嘘になるけど、

大好きな人を大好きな気持ちなら
絶対に自信がある。

あの人の特別になりたい。

何かがあったからとかではなく
何の脈絡もなく
学生時代によく流れてた歌を
心の中に思い出す。

もしあの頃頑張ってたこと以外の道に
進んでたら違う人生もあったのかな、
もはや明るい振る舞いも今では演技で
心には孤独や寂しさがあるような
日々を生きずに済んだのかな、
という思いを拭うことができない。


毎日の中に自分を励ます瞬間を
できるだけ少しでも作るようにしてる。

自分くらいは自分を大事にしたい。


甘い物を食べる時いつも
大好きな人を想ってしまう。

もしここに一緒にいたら、
たとえどんなささやかな物でも
特別おいしく感じるに違いない。
あの夏までとあの夏からと

あの夏までとあの夏からと

大好きな人をまだ知る前と
知ってからの毎日は
自分の人生という意味では
線上で繋がってるはずが、

感覚としては全然別物というか
それ以前とそれ以後では
色んな意味で変わったなと思う。


何か一つの出来事があった時に
思うことや感じることも
あの夏を境に変わった気がするし、

大好きな人と出会う前の自分は
今から考えたら今よりも
「こうでないといけない」
「これが正解で、それは自分にとって
常識から外れるから許されない」
というような枠が狭かった気がする。


そんなこと言いながら今でも
心のどこかで自分の中で勝手に
決められた常識や正解があって、

それから外れてることに関しては
やっぱり抵抗があるのかなと
思うこともよくあるけど。



物心ついた時からいつでも
複雑な家庭環境の中で
いかに自分を押し殺して振る舞うか
いかに安全に生き延びるか
ということに全集中してたから、

思い出したところでそんなに
楽しかったりキラキラしたような
毎日ではなかったけど、

あの夏以前の自分を
もううまく思い出せなくなってきた。


いつもいつでも気づけば
大好きな人を想ってる。

適度に思うだけならきっと
楽しいだけで過ごせるのに
いちいち真剣に一途になってしまうから
今日もこんなにも切なくて苦しい。
模索

模索

似たような状況を乗り越えて
一緒になってる人たちを見ると、

もしかしたら今思ってるよりは
何とかなるのかも?と
必死に考えたい自分がいる。


いくら模索したって
相手の気持ちは分からない。

相手の価値観や考えだって
そんなすぐに深い部分までは
知り得るはずもない。


何となく、自分に対して
興味は持ってくれてるのかな、
もしかして恋愛の意味でも
全く可能性はゼロではないのかな、
と正直思い始めてる。

だけど、それだって
事実かもしれないし
見当違いかもしれない。


自分はこれまで、恋愛で
とにかく人間性は重視するけど
見た目でのタイプというのは
特になかったというか
自分でもよく分からなかった。


でも、大好きな人と出会って
人から見たら整ってはなくても
たとえそれで周りに笑われたとしても

自分にとっては大好きな人みたいな
容姿が好きなタイプなのかも、
と思うようになった。


いくら模索したって
そうそう簡単に答えになんて
行き着けないし、

こんなにも大好きな人のことで
いっぱいになってる自分が怖いし、

何でもない顔して普通に
振る舞いながら心の中ではもう
大好きな人と出会う前の自分が
どんなふうに生きてたかさえ
思い出すのが難しくなってる。


高い壁かもしれなくても
どうしても大好きな人のことは
諦められそうにない。
パスケースの中のタイセツたち

パスケースの中のタイセツたち

毎日大切に持ち歩いてる
パスケースの中身がだんだん
増えていくのを自分だけが知ってる。


昨日、寝る前にベッドの中でふと
そのパスケースの中身に
昨日行けた大好きな人の一番
地元の神社のお守りが増えてるのを
もう一回確かめてから寝た。


家の中で全方向に気を遣って
立ち回る日々は今日も変わらないけど、
昨日自分のために自分の時間を
少しでも過ごせたことが
心の中で大きな支えや救いになってる。


神社の鳥居の上に広がってた
優しい青の空。

公園の木の緑は自分の心の奥まで
癒してくれた気がした。

コンビニで買ったパンとお茶が
こんなにおいしいと思えるのを
初めて知ったかもしれない。


将来こうなりたいなと思える写真、
大好きな人にもらった
手書きのメッセージ、
とても大切な想い出の物、
そして地元の神社のお守り。

自分の大切が詰まったパスケースを
いつもポケットに入れて持ち歩いては
そんな宝物たちを心の拠り所にしてる。
くれたものはかけがえのないもの

くれたものはかけがえのないもの

家の事情が複雑なのもあって、
普段自分の自由に出かけられる機会は
歩いて数分の小さい最寄り駅の
辺り以外はほぼない

という日常をずっと送ってる。


地元で行きたい所があっても
まず自分の都合で外出する
というのがこの家では高い壁すぎて
本当に現実的ではない。


でも、今日はうまい具合に
地元で昼間少しだけ
自分が行きたい所に行ける
機会があってすごく嬉しかった!!


前から自分にとって
縁も思い入れもある所。

大好きな人にとっても地元で
大好きな人を通して色々話す度に
自分も改めて地元を深く知りたいと
つくづく思うようになった。


自分の自由になる時間は
どう頑張っても昼間の数時間。

それもしょっちゅうは難しいけど、
今日自分が行きたい場所に
誰かの機嫌や色んなことを気にせず
自分のペースで行けたことは、

とても貴重なひとときで
本当に嬉しくて心が解放された。


自分の地元はすごく落ち着く
雰囲気がホッとできる場所と
いうのも再確認できたし、

大好きな人が行ってた小学校や
その近くの神社に行けたのも
こんなに近くで生まれ育った人
というのを感じて幸せに思ったり

どういう気持ちでここで
小学校生活を過ごしたのかなとか

普段は生活に追われて
家のことに神経をすり減らしてるのが
ゆったり違うことを考えられる時間が
あるのも本当に有り難かった。


大好きな人がいて
大好きな人が同じ地元で
改めて地元の話をする機会もあって

だからこそ今日も
少しでも自由な時間があるなら
地元を改めて歩いてみようと思えた。


大好きな人がいてくれて
その存在で本当に多くの面で
救われて助けられて支えられて

そして世界を広げてもらってる。


目には見えないこと、
お金では買えないこと、
そういうものもたくさんくれてる。


本当に感謝しないといけないと思う。


子どもか!ってツッコみたくなるような
可愛い字と文章を書くような
大好きな人も、自分にとっては
とてつもなく大きな存在に感じる。