自分の同じような大きな壁を
乗り越えて幸せになった人が
たとえ知り合いでも何でもない人でも
いるというのを確かめたい
そしてそれを心の支えにしたい
という気持ちが強くなった時、
ネットで色々調べてしまう癖がある。
検索窓に、自分にとってもはや憎くもある
恋愛上大きな壁になってる文字列を
打ち込むのは、あぁ自分は今
この壁にずっと悩まされてると
改めて気づかされてしんどくなるけど。
どんなに大きな障壁があっても
縁があれば、覚悟や決意があれば
幸せになってる人は確実にいる。
そしておそらく、そういう人たちの多くは
あえてネットでも実生活でも
「こういうふうに珍しい恋愛をしてる」
「こんな大変さを乗り越えて家族になった」
と積極的にアピールというか
周りに広く公開はしてないような気がする。
自分も、現状ここ(このブログ)にしか
恋愛の話はしてない、できないから
トップのプロフィール欄にも
「少人数派の恋愛をしてる」という
漠然としたことだけは明かしつつ、
具体的にどう少人数派なのかは書かずに
自分の本音を打ち明けてるけど、
大好きな人との恋愛が叶っても
自分からは「こういう恋愛を経て
やっと一緒になれた」という詳しい話は
できれば人にはしたくないなと思う。
信用した一人に話したことが
知らない所で他の人にも広まる可能性も
大いに考えないといけないし、
自分はやっぱり人をそうそう
信じられないのはきっと変わらないかな‥。
同じような壁を越えて付き合えた人、
結婚した人の話をネットで読んでたら
中には周りからの理解もあったり
相手の親も色々苦労して結婚したから
子どもたちにも寄り添ってくれる
という例ももちろんあったけど、
そこまで?という暴言を浴びせられたり
それは偏見の度が過ぎてると思えることを
当然のように容赦なく言われてきた
という人たちもいた。
相手が結婚してたり、誰か相手がいたり、
未成年とかで何か法に触れてたり、
人として倫理的、道徳的にまずいような
恋愛をしてるなら、もちろん暴言はダメでも
一定の批判や非難は仕方ないとは思う。
(親の不貞行為や異性問題で
小さい頃から本当に苦しんできて
そのせいでごく日常の生活さえ
できなかった期間もあったので、
少人数派の恋愛自体は自由と思うけど
不倫とかの不貞行為にはどうしても
肯定的な目は向けられない‥)
でも、そうではない
少人数派ではあったとしても
問題があるわけではない恋愛に
そこまで言われてしまうのかというのは
やっぱり、自分のことではなくても
精神的にとてもしんどいと思ってしまった。
自分の家族に置き換えて考えてみる。
親の片方は、これまで異性にだらしなくて
家族はたくさん悲しい気持ちになってきた。
こう言ったら悪いかもしれないけど、
まさかそれだけ好き勝手してきて
人の恋愛にだけは偉そうに親という立場を
利用して今更意見するつもりは
ないやろうな?と自分としては言いたい。
でも、この親は暴力暴言もすごいし
性格的にもかなり凶暴で自分とは真逆。
面白くないことがあったり
こいつは思い通りにならないと思ったら
あらゆる手を使ってでも
親の言いなりにさせようとすると思う。
そして、もう片方の親は
「自分の価値観が絶対に正当」
「それ以外は絶対に許せない」という人。
普段の会話でも「普通は〇〇」
「△△なんてありえない」
「かなりおかしい人で軽蔑する」
というような言葉がどんどん出てくる。
自分の家庭には、家族の医療的な事情も
あるからきっと、それも言われると思う。
「ENAがこれからも見てくれるんでしょ?
自分だけ他の場所で幸せになろうなんて
そんな不義理はしないよね?」
「ましてや親が満足するような
恋愛でもないのにそれ本気?
親が許さなかったらENAは絶対に
恋愛も結婚もさせないからね」
この家なら、普通にこういうことを
言われることも覚悟しないとと思う。
これまで、本当に辛いことがたくさんあって
それでも腐らずに必死に生きてきて
やっと大好きな人と出会えたと思ったら
こうやって大きい壁があって、
それでもどうしても大好きで。
そんな状況に、心にずっしりと
日々どうしようもない重みがのしかかる。
努力でどうにかできることなら
毎日本当にめちゃくちゃ頑張るよ。
でも、努力でどうにもできないことと
ずっと向き合っていかないといけない。
大好きな人を大好きでいるなら
それはこの先もずっと課題として続く。
自分だって、ただ真剣に
相手のことを心から大好きなだけ。
それが何でこんなに苦しいんかな‥。
暴力的なことで傷つけて来た方の
親と似てるからというのもあるし
そもそも形自体、自分の鼻が苦手。
もし、形としては悪くても
その鼻が似た親がすごくいい人なら
仕方ないかと思えたかもしれないけど、
その親と親子の象徴みたいな気がして
それが特にしんどくて耐えられなくて。
大好きな人と年末会えるかも
という話になって、思うことの一つに
一対一で向かい合って話したら
鼻って結構目がいくというか
目立つ場所よな‥って。
まずは本当にお互いに都合がつくのか
日にちを決めてもどうやって
うまくその時間家を抜け出すのか。
鼻より先に考えないといけないことが
もちろんあるのは分かってるけど、
色々調べてたら、常に続けてないと
効果がずっと続くとかではなくても
鼻が細く見えるマッサージというのが
あるらしくて昨日から早速やってる。
やったところで、元々きれいな鼻の人に
比べたら全然なのかもしれないけど、
しないよりはましかなと思いたい。
大好きな人は、一般的には
顔そのものや顔のそれぞれのパーツが
整ってるわけではないらしいけど
(周りは顔のこと色々笑ってるし
自分自身恋愛相手を顔で選んだりは
全然ないけど、自分個人的には
大好きな人の顔を本当に心が
落ち着く素敵な顔と本気で思ってる)
鼻はすっとしてて
きれいな形な気がするから
余計に自分の鼻を形が変とか
かっこ悪いと思われたら嫌で
自分ができることだけでも
努力してみようかなって。
あとは自分は決して細くはないから
少しずつ食べる量を我慢したり
カロリーが高すぎるものは控えたり、
家族に不審がられない程度に
少しでも痩せられるように頑張ってる。
自分に対して“もっとこうならいいのに”
と思うところがたくさんある。
自分から見たら全然そう見えなくても
大好きな人が周りに容姿のことで
ネタにされてるのを見てると、
自分がどっちかというと自信がある
挨拶や態度の丁寧さとか
誰とでもそれなりにうまく
人間関係を築いていくこととか
いつも笑顔でいることとか
そういうことよりも、
見た目と容姿で判断されたり
上下を決められることが多いのかなと
ちょっと怖くなってしまうな‥。
あとは筋トレやストレッチもしたいけど、
なかなか自分の時間をとれないから
何かを習慣づけるというのは
現実的には難しいかもしれない。
もう、話の流れ的に
年末会えるものと思って
それを支えに頑張ってるけど、
うまくお互い同じ日に都合がついたら
まずは無事にその時間に家を
怪しまれずに留守にできるかどうか
というのがやっぱり一番重要な気がする。
地元で時々お参りする神社がある。
もっと頻繁に行きたくても
自分の時間を自由になかなかとれなくて
時々しか行けないけど、
自分にとってとても落ち着く
本当に大好きで大切な場所。
そこは、縁結びの神社というのは特に
どこにも書いてないし、実際元々は
縁結びの神様を祀ってるというのでは
なかったと思う。
でも、その神社に深く関わる人たちが
何人も恋愛でとても幸せなことが
あったというのを知った。
ある時、時々なら自分のすき間時間に
行ける範囲ということに気づいて
その神社にお参りに行き始めた時から
恋愛のことも神様に話してきたけど、
その時点ではその“恋愛面での幸せな話”は
全く知らなかった。
だけど、そういえば
その神社にお参りするようになって
自分の恋愛運はそれまでに比べて
明らかに上向きになってる
と改めて気づいた!
もちろん、いくら神様にお参りして
恋愛のことをお願いしても
その本人が努力も自分磨きも何もせず
ただ「叶えて!叶えて!」と頼んでる
という状況では無理なはずで
まずは自分ができる努力はする
恋愛面以外でも自分を向上させる
というのは大事というのは分かった上で、
あの神様はきっと本当に自分を
いつも見守ってくれてるのかなと思うと
すごく心強くて、心が温かくなる。
その神社のお守りを、大好きな人との
写真を入れたパスケースに一緒に入れて
毎日大切に持ち歩いてる。
自分が苦しんだり辛い気持ちでいる時も
見えなくても力をくれてるのかな。
これまでは、今以上に自分に自信がなくて
だからというのもあるかもしれないけど
いくら自分の心を強く持とうとしても
本当にぞんざいに扱われたり、
今思い返しても自分の人間関係の一部は
「そんなに無下に接されるなら離れようよ」
と今なら言いたくなるようなもので、
それでも当時は必死にしがみついてた。
それはその人たちだけが悪いとかではなく
自分もそういう人間関係にまで
何とか体裁を保とうとしすぎてた。
大好きな人とは、関係性が対等というか
立場や年齢関係なくどっちもがどっちもを
特別に扱ったり、気持ちのやりとりが
片道ではなく両側通行という実感がある。
恋愛に限らず、これまでは経験のない
自分を大切にしてもらってるという感覚。
大きなハードルはあっても
この人とならうまくやっていけるかもと
思うのは、そういうところにもある。
行ける時には神様にお礼を伝えにも
行きながら、これからも頑張ろう!
この神社のことで知らなかった新しい話を
聞いてすごく励みになるし嬉しくなった♡
大好きな人が、今出張で
いつもより更に遠い場所にいる。
どっちにしても、普段から
すぐに会えるような場所にはいないから、
出張で急に遠くに行ってるわけでもないし
日常の何かが大きく変わるとかもない。
それでも、距離的にいつもの町より
遠くにいると感じてしまうことが
とても苦しくて寂しい。
だんだん秋に移りつつあるなと
思い始めた頃から、大好きな人は年末
帰ってくるのかなと気になって
無意識にいつもそれが心にあった。
「年末帰ってくる?
帰ってくるなら会いたい」と
言える機会がないかを一生懸命考えたけど、
自分の立ち位置は相手から見て何?と
思った時に、やっぱりそんなふうに
大好きな人の生活に立ち入るようなことは
できないなと、それ以上は考えないように
いつもいつも、自分の心を押し止めてきた。
大好きな人が今住んでる町にいる
自分の知り合いが仕事絡みで
大好きな人と会った時に
自分の話をしてくれて、
「〇〇(大好きな人)と地元が同じ
ENAいるでしょ?知り合いなんだ!
ENA、〇〇が元気かとか
今は地域的には離れてるけど
いつも気にしてるよ。
この前、ENAと〇〇の話になったけど
『〇〇が努力してる姿を見ると
自分も頑張ろうと思えるし、
いい意味ですごく影響を受けてて
いつも〇〇にはありがとうと思ってる』
って言ってた」
と伝えてくれたらしい。
自分はなかなか、距離的にも簡単に
じゃあ会おう!とは言えないし、
話したいことや伝えたいことがあっても
家のことを投げ出して会いには行けない。
大好きな人がこっちに帰ってきて
相手も会いたいと同じように思ってくれたら
会えるかもしれないけど、
こういう機会を逃してしまえば
普段の生活ではなかなか会えないから、
知り合いがそうやって自然に
自分のことを話題にしてくれたのは
本当に有り難かった。
その時に、大好きな人が
「年末は地元に帰るし、
ENAと会えたら会いたいと思う」
というような話をしてたと聞いて、
だから自分も勇気を出せた。
「〇〇が年末帰ってくるって聞いたよ、
すごく嬉しい!
帰ってきたら〇〇と会えたらいいなぁ」
という内容をすごく緊張しながら送った。
大好きな人も、そう言った自分に対して
全然引いた感じではなかったから
それにまずホッとした。
帰ってくる=必ず会える
というわけではないのは分かってる。
大好きな人は、自分と会うために
帰省してくるわけではないことも。
“まだ付き合えてはいない”という事実が
自分の全ての行動を臆病にさせる。
それでも、大好きな人が遠くに
仕事で引っ越した時には
“もう会えないのかもしれない”と
心にとても寂しく悲しい気持ちを
密かに抱えながら生きてたことを思うと、
「帰ってきてくれるのが嬉しい」
「その時にぜひ会いたいな」
と伝えられただけでも
その期間自分なりに頑張ってきたことが
形になってるのかなと嬉しく感じる。
どうか、会えますように‥!!
バタバタと慌ただしく家のことをしながら
ふと何かの着信に気づいた時、
大好きな人からの連絡にだけ
心が跳ね上がるような気持ちになる。
家族の前では平然と家事の続きをする。
少しでも気を抜いたら
激しい叱責が待ってるから。
特に、家族が体調面に不安を
抱え始めた後は全面的に自分が
家事をすることになってる。
とにかく、ある程度進展して
もっと絆が固いものになるまでは
たとえ何気ないやりとりでも
決して知られてはいけない、
そんな重大な秘密を抱えるように
その時やってることを一段落させた後
隠れるようにそのメッセージを読む。
こうして連絡を取り合おうと
初めに言ってくれたのは相手からで、
それがまず自分にとっては
本当にこういう日が来たのかと
夢みたいに思えるほど嬉しかった。
それまでにもそういう話に
なったことはあったけど、
その時はまだもし自分が
前のめりに連絡を取り合いたそうにすると
大好きな人の性格上引かれるかなと
思ったから気持ちを抑えて
「いきなりそんなふうに (大好きな人の)
生活の中に入り込むようなことは
しないから大丈夫(^^)」って
本当はその時すぐにでも連絡を
取り合えるようになりたかったけど、
“ENAと連絡取り合ってもいいなと
思ってくれてからでもいいよ”という
流れでその話はその時は終わってた。
その後も、自分はなかなか自由に
個人的に家を空けるのが難しい状況が
続いてるし、大好きな人と一気に
仲良くなれるような機会もなく、
その話自体もう忘れられてるかもな、
人と関わるのがあんまり好きではない
大好きな人にとっては、誰かと新たに
連絡を取るというのは自分が思う以上に
億劫なことかもしれないもんなと
自分からはその話やその関連の話は
しないように気をつけてた。
それが、ひょんなことから
もしかしたらすごく勇気を
出してくれたのかなと思う一言で
連絡を取り合えるようになって、
それは自分にとっては奇跡みたいにさえ
思えるほどのことで。
だから、その日のことは
ずっと忘れたらいけないと思う、
初心を忘れて「もっとこうならいいのに」
なんて思わないようにしようと思う。
自分は人と話すの自体は得意で好き。
でも、生活上自分の時間がとても
限られてるのもあって、長いメッセージを
例えば一日に何回もやりとりするような
余裕はなかなかなくて。
話すのが好きとか社交的とか
人見知りとか内向的とか
そういう性格的な特徴の話だけではなくて
ゆっくり話せる気分ではないとか
状況上長々とは返事を返せないとか
色んな事情が人それぞれにあると思う。
自分は常に家族の顔色をうかがいながら
育ってきたせいか、本来ならそこまで
考える必要がない部分までいちいち
気を回しすぎてしまうところがあって
それはこれまでそうしないと
生きてこれなかったからやむを得ない
とは無理やり納得しながらも、
普段からどっちかと言うと無口な
大好きな人にとっては
「ありがとう!」とか「分かった!」
みたいな一言でも自分が思う以上に
一生懸命文字を打ってくれてて
楽しく会話してくれてるのか、それとも
「こいつよく喋ってうざい」と思いながら
会話を続けてくれてるのか
どっちなのかなぁと思う時がある。
(もちろん文字数は控えめに心がけてる)
言葉数は少ないけど、人にゴマすったり
適当にペラペラ言ってるんではない、
泣きそうになるほど嬉しい一言を
突然くれたりもするけど。
今はもう、大好きな人とやりとりする、
ということが日常になってるけど、
かつてはそんなことは無理なのかもと
すごく悩んだ過去があったのを
今の自分も忘れたらいけないし、
そうやって諦めかけたことが
今は毎日の一部としてここにある、
遠く離れて暮らしてても
連絡を取ろうと思えばすぐに
その言葉を届けられる手段がある、
そのことを決して当然なんて
思わずにいつも感謝していたい。
連絡を取れないことでのこれまでの
葛藤や悩みを忘れないように。
大好きな人からの一言一言に
心臓が止まりそうにドキドキして
感動して元気をもらえてまた頑張れる。
電子文字にもこんなにも温もりが
あるということを初めて知った日を
いつも心に大切に置いておこうと思う。
自分の元々の性格は
人とすぐに仲良くなれる社交的な性格。
実は人間不信で、自分の個人的なことは
仲良くなってからもめったに話さないけど、
表面上人間関係をうまくこなすのは
こういう言い方は何かあんまり
好きではないにしてもそれなりには得意。
だけど、大好きな人は人見知りで
おそらく自分なら相手にされても
気にならないようなことも嫌かなって
できる限り慎重に距離を少しずつ
縮めるようにずっと心がけてきた。
その人見知りなところも本当に大好き。
だから、その人見知りという個性を
大事にしてほしいとずっと願ってるし、
自分にとっては何か目に見えた形
(付き合ってるとか結婚してるとか)に
早くならないと自分の家庭環境を考えたら
宙ぶらりんの状態ではいつ家族に
壊されるか分からないという危機感が
常にあるからとても焦りはありつつも、
その人見知りという自分から見て
素敵な特長はずっと持っててほしいという
考えは変わらない。
自分なら10くらいまでなら相手に
進んでこられても大丈夫という場面でも
2くらいまでにすると、大好きな人を
好きと自覚した時から自分で決めてきた。
急いで進展しようと焦っても
絶対にろくなことはない、
これまで一つ一つやっとの思いで
積み上げてきた信頼を一気に壊すような
そんなことをしたら余計に心が離れてしまう
そう自分に言い聞かせながら
これまで大好きな人に接してきた。
本当は「普段から連絡取り合おう」と
言いたくてもそこまでは言わない、
用事がある時に連絡できる連絡手段が
あればまずはそれを大事にする、
本当はもっと直接的な言葉で
好意を伝えたくても大好きな人に
焦ってるように見られて引かれたら
むしろこれまでよりよそよそしくなるかも、
そしたら気づくか気づかないか程度の
ほんのり好意を表すくらいの
言葉だけを使うようにしよう、
全てがそんな感じで
それが良かったのか大好きな人とは
一気に何か進展するわけではなくても
後退することはなく、目に見えないどこかで
ちょっとずつ進んでると信じたい
そんな毎日を長く過ごしてきた。
自分は家庭環境と家庭事情で
自分が望むスケジュールに合わせて
予定を組むというのがほぼできなくて、
そうではなくても住んでる地域が離れてれば
そうそう簡単に会うことはできないけど
たぶん一般的に考える以上に
本当に自分の自由な外出で
ごく近隣ならともかく県や地域を越える
というのは今の自分にはほぼ不可能で。
大好きな人が仕事で引っ越したのが
自分にとってもよく知った町なのは
とても幸運で有り難くはあるけど、
昔から繋がりや関わりがあるからといって
その町にさっと行ける状況ではなく、
ここでよく書いてる恋愛においての大きな壁
という以前にまず会える機会が日常にない
用事がある時にたまに言葉を交わすだけ
という中で恋愛を進展させるのが
いかに難しいのかを考えると
恐ろしく気が遠くなった。
どこかの時点で諦めないと
そうやっていくら大好きな人にエネルギーを
かけててもどうしようもないんかな、
その大きな壁を今の状況で乗り越える
というのは現実的に可能なんかな、と
何かをきっかけに考え始めると
「行き詰まる」という言葉がこんなに
当てはまる状態も少ないと思えるほど
本当に苦しくて辛くてどうしようもなくて。
自分だけなのかもと思ってた。
勝手に自分だけがこの関係性を
恋愛とか特別とか思ってて
もしかしたら大好きな人からしたら
ただの地元が同じで他の人よりは
よく話してる知り合いくらいの
感覚なのかもしれないとか、
考えたら明らかに場違いみたいな
振る舞いをすることも怖くなった。
でも、大好きな人も少なからず
自分を他の人たちよりは特別視して、
進展したいとどれくらい思ってるかは
分からないにしても進展したい気持ちは
あるというのが目に見えて分かった!
どれくらいの割合かは分からないけど
同じ方向性でいてくれた、
同じ感覚を持っててくれた、
そのことが大げさではなく
夢みたいに奇跡みたいに嬉しくて
涙が出るほど幸せに思った。
家族の中で、ひどい態度をとられて
できるだけ心をオフにして過ごしてたら
だんだん自分の人間らしい感情に
自分自身も耳を傾ける機会が減ってきて、
もうこういう人間としての心模様は
減ってるのかなと思うこともあったけど
大好きな人のおかげで自分はまだ
人間でいられてるらしい。
もうちょっとだけ、あと1歩だけ、
これまでより押してみてもいいんかな?
まだ、大きな壁の存在が自分を悩ませてる。
だから、思いきって告白したりとか
そういうことはまだできそうにないけど。
まるで要らないもののように
暴力的に痛めつけられて育った自分。
自分がゴミのように思えて
消えたいと思ったことも数え切れずある。
だけど、大好きな人も自分を求めて
必要としてくれるなら、
これまでは信じられずに背を向けてきた
この世界を少しは信じてみようかなと思う。
家族の性格を思ってた以上に怖いと感じた。
その人のことを、家族の中ではまだ
穏やかで失礼なものの言い方はせずに
言葉を選んで話す人と思ってたけど、
自分とは違う価値観や考えの人には
容赦なく突き落とすような言い方を
するというのがよく分かったし、
「ENAは家族の思い通りになって当然」
という考えが家族全体に色濃くある
というのが、ここ数日でよく分かった。
細かい部分は全然違うし
自分は恋愛など個人的なことは
親しい人も含めて外には話したくない派で
そういう意味でも対極ではあるけど、
恋愛に関して積極的にネット上に
発信してる人たちがいて
その人たちは「多少法的にグレーゾーンでも
自分たちが楽しければそれでいい」という
価値観のもとに発信してるから
時々批判されたりもしてるみたいで。
恋愛の状況の一部だけに限って言えば
共通してる部分があったから
自分も参考になるかもと思って
いっとき見てたこともあったけど、
自分個人的に
「恋愛どうこうの前に
人としてそれはダメと思うことを
堂々とネット上にも載せたりしてるから、
こういう少数派の恋愛をしてる人は
常識もないし叩いてもいい」
みたいな世論になるのもある気がして
不快に感じたからもう見なくなった。
ネットの影響は良くも悪くも大きい。
初めにその人たちのことを知った時は
自分の恋愛と共通してる壁を乗り越えて
家族になってすごいなと素直に思ったし、
ドラマとか映画ではなく現実に
そういう人がいるなら自分も努力すれば
叶うかもしれないとも思った。
だけど、その人たちをちょっと人として
それはどうなの?と感じ始めて、
じゃあ恋愛でも胸を張って
人前で堂々とできるような恋愛ではなく
適当なノリでこれネットに書いたら
バズりそうくらいの感覚でしてるのかもと
思うようになったから全然見なくなって。
一部でも恋愛に共通点があることで
今の時点では誰にも言うつもりはないけど
ネットとかではなくリアルの信用できる人に
「実はこういう恋愛をしてて‥」と
話した時に、そうやって悪い意味で
ネットで話題になってる人がいると
「あー、ああいう恋愛ね。
ネットによく出てる〇〇みたいな感じ?
あの人たちすごく常識足りてないけど、
そういう恋愛の人ってそうなの?」
と思われそうで嫌やなあと思う。
自分は大好きな人と付き合えても
基本的にはその時点では人には言わないし
それより進展があった時にも
確実に信頼できる人にしか報告しないし、
もちろんネットにも詳しい状況や
個人的な話をアップするつもりはない。
また別の、自分と共通点がある恋愛を
してる人たちはそういう非常識な
グレーゾーン的にいい思いをしようとか
そんな人ではないから、心の中で密かに
励みにさせてもらってるけど、
ごく一部の人の言動で
それに少しでも近い立場にいる人までが
倫理的なことも守れない人かのように
思われるのは悲しいなと思う。
少数派の恋愛をしてて
自分もつい気にしすぎというか、
人に後ろ指をさされるようなことは
何もしてないけどそれでも
“自分は割合的には少ない恋愛をしてる”
ということを心のどこかで引け目に
感じてしまってるから、
必要以上に心に引っかかって
しまうのかなという気もしてるけど。
家族の中で、まだこの人には
多少は自分の個人的な話もしてるかなと
思う人と昼ご飯を食べてた時のこと。
知り合いの近況の話からの流れで、
「でも、別に悪いこととかではなく
自由とはいえ、そういうのはやっぱり
うまくいかないよね」と少人数派の
恋愛についての話になった。
またか、と思う。
言ってしまえば、今日話してた家族は
・年齢が同い年または近い
・いい学校を出て固い仕事に就いてる
・国籍が同じで相手もずっと日本育ち
・できれば地元で家族(親)を助けてくれる
・顔やスタイルなど容姿がいい
・同性ではなく異性
というように「もしENAが恋愛して
結婚するなら条件はこれ」という考えが
ものすごく色濃くある人。
まだ、絶対にこれだけは‥と言うなら
まだしも今の世の中で恋愛するだけでも
色々大変な上に家族が勝手に決めた条件を
全て満たさないと許さない!みたいに
言われたら永遠に無理な気がする。
それに、自分は家族のために
恋愛するんではないし、打算や計算で
人を好きになったりそういうそぶりを
見せたりなんて絶対にできない。
自分の恋愛のせいで、例えば相手が
家にまで半狂乱で押しかけてきて
家族が安心して暮らせなかったとかなら
そこに関して注意されたり
「言いたくないけど、前にそういうことが
あったから大丈夫か心配」と言われるのは
仕方ないような気もするけど、
何もない状態から勝手にあれはダメ!
これはダメ!もしそういう恋愛をENAが
したら何としても許さないし阻止する!
みたいなのは納得がいかない。
「でも、いくらこういう人がいいと
頭の中で考えててもそれが全て
思い通りになるわけではないからな‥
もしあれこれ条件をつけても
全部をクリアした人なんてたぶん
そうそういないと思うよ。
異性との恋愛なら絶対に幸せとか
歳が同い年とか近ければ確実に安泰とか
日本人同士ならトラブルがないとか
そういうのは言い切れないと思う。
年齢がたとえ同い年でも相手の精神年齢が
幼かったらきっと苦労する。
逆に年齢は年下でもその人が色んなことを
人生の中で学んで精神的に大人なら
年齢が下とは感じずに付き合えるかも。
もちろん、法的に違法になることとか
人としての道から外れたことは
どんなに相手を好きでもしたらいけない、
それは自分は正義感強いし
言われなくても絶対にしない。
でも、それ以外なら決めるのは本人やし
周りがそういう条件を理由に反対
っていうのはどうなんかなぁと思う」
今日は言えそう、と思ったから
めちゃくちゃ冷静に言ってみた。
何か言い返してくると思ったその家族は
何も言わずに黙ってた。
別に論破しようなんて思わないし、
その家族にはその家族の考えもあると思う。
だけど、その家族の言うことが世間的に
確実で完全な正解ではないとも思う。
いい学校を出てても心が未熟すぎて
不機嫌を撒き散らして人を傷つける人、
固い仕事に就いてても
社会的には肩書きがあったとしても
家など周りの人から目につかない所では
暴言を吐いたり暴力を振るう人、
世間には色々いる。
その家族がその価値観を自分自身の
人生の指針にするのは自由、
だけどそれをいくら家族とはいえ
こうあるべき!それを守れないなら
一生許さないからな!みたいな圧力で
人を無理やり従わせるのは違うはず。
一言言って十言返ってきたり
不機嫌そうに振る舞われると正直面倒
という気持ちもあって、普段から日常が
まず落ち着いて暮らせる家ではないし
普段はいくら心でモヤモヤしても
言わないようにはしてるけど、
今日は何となく言えそうと思ったから
珍しく自分の意見をその家族には
途中でやめずに言えて本当に良かった。
その家族の考えも、そう思う人は
世の中一定数いると思うし
それはそれでその人の自由とは感じるけど、
自分も決して間違ったことは言ってない。
「(家族の意見に背いて)自分勝手な
短絡的な人生を生きたら失敗するよ」
みたいなこともちょっと言われたけど、
その「こういう恋愛は失敗する」というのは
どこで統計を取ったの?って。
その家族にとって、もし自分がそういう
選択をしたら都合が悪いから
「そういう人はうまくいかない」と
言うのはただの偏見に感じられる。
そもそも、これだけ毎日悩んで苦しんでる。
家族は何もそんなこと知らなくても
これのどこが「短絡的」なのか
そういうとこもいい加減に思える。
大好きな人との恋愛も、もし表向きに
家族とかに知られてしまうと
壊されそうな気がするから水面下で
黙って頑張っていって、ある程度ちゃんと
形になるまでは家族はもちろん
誰にも言わないように気をつけよう。
今日、その家族とこんな話をしたから
もうしばらくは何も言わないけど、
この家庭環境の中で自分の意見を
緊張しながらも言えたことは
少し自分を褒めたいなと思った。
まあまあ近所のコンビニに行った。
ドアを入って色々見ながら歩いて、
奥に入った所のケースに陳列されてた物を
見て嬉しくなったり切なくなったり。
いや、そう言ったらたまたまそれが
そこにあったような書き方になるけど、
実はそれを無意識に自分から
探しに行ったような気もする。
大好きな人の好物。
もしかしたらこうやってコンビニで
大好きな人も買ってたりするかな?と
思ったら、こんなに大好きでもなかなか
会えない現状にとても苦しくなった。
その一方で、ほとんどの人が
大好きな人の好物なんて知らないのに
自分は知ってる、ということには
何か重大な秘密でも持ってるような
嬉しい気持ちにもなる。
家族と一緒にいて、何でもない顔をして
実は心の中では深い深い深い気持ちに
なってたコンビニでの午後の話。
大好きな人に、自分の知り合いが
好きな食べ物を聞いたら、大好きな人は
地元にいる時から好きと言ってた物を
迷わず答えたらしい。
大好きな人が好きな食べ物を自分がもう
知ってるとは知らずにその知り合いが
「これが好きらしいよ」と教えてくれたけど
変わらずそれを好きということに
何か、めちゃくちゃホッとしてしまった。
自分は家の事情で自分の自由な時間が
すごく少ないから、いくら大好きな人が
今住んでる町が昔から繋がりがあっても
なかなかそう簡単には会いに行けない。
そういうモヤモヤが心の根底にあるからか
大好きな人がそうそう会えない所に
住んでるのは本当に心が苦しい。
だけど、大好きな人が地元にいた頃と
変わってないなーと思える時、密かに
心の中でものすごくホッとする。