Double circle

Double circle

心が痛いほど大好きと気づいたあの夏の日からの密かな記録。地元も同じで見た目の雰囲気も似てて共通点もたくさんあるその人はたとえ気持ちを伝えられなくてもずっとずっと特別。
心が痛いほど大好きと気づいた
あの夏の日からの密かな記録。

地元も同じで
見た目の雰囲気も似てて
共通点もたくさんあるその人は
たとえ気持ちを伝えられなくても
ずっとずっと特別。
その言葉と優しさで生きてる

その言葉と優しさで生きてる

大好きな人が、仕事関係の人に
「ENAのこと知ってる?
〇〇(大好きな人)と同じ地元だよね?」
と言われて即「知ってます!!」と
答えてくれたらしい。


「〇〇がENAのこと
当たり前のように知ってるって言って
びっくりしたよー!
お互いに知ってたんだね!」
とその仕事関係の人に言われて、

そうやって答えてくれたのかと
本当に嬉しかった。

知り合いと思われてもいい、ってこと。

つながりがあることをそういう場で
堂々と言うイメージはなかったから
すごく嬉しくて、

その様子を思い浮かべては
ドキドキして心でニヤニヤした。笑


大好きな人のその言葉と
周りの人たちの優しさで
自分は毎日を踏ん張れてる。

本当に感謝したいと思う。


大好きな人のことをあれこれ
普段は好き勝手言う親が
「そんなに好きならもう
〇〇(大好きな人)の実家の子に
なればいいよ」と呆れるように
言い放ってきたけど、

それが叶うなら自分には本望。


大好きな人のことを胸を張って
恋人とか家族と言える日まで
それを信じて努力していきたい。
苦手なことがあってもいいよ

苦手なことがあってもいいよ

前から、大好きな人って
これは苦手なんかな?と
思うことがあったけど、今日

やっぱりこれは苦手かー!と
確信になった。


人間らしくていいな、と思った。


自分は安心して暮らせない家庭育ち。

家族に暴力的な言動をされることも
当たり前にあったし、
今思えば教育虐待もすごかった。


何かが平均値というのがもう
親にとってはダメで、
全ての科目、全ての場面で優等生で
なければ激しく責め立てられて、
ささやかな楽しみも当然に禁止された。


大人になった今も
そんな過去を苦しく思うことがある。


大好きな人に苦手なことがあって
それでもその分特技を磨いて
温かい表情を浮かべながら生きてるのは

苦手なことがあっても温かく
育ててもらったからなのかなと思う。


大好きな人の名前も
そういう穏やかさを表すような名前で
名前の雰囲気としては自分とすごく
似てるけど大好きな人らしくて
本当にピッタリでいいなあ、なんて。


苦手なことがあるのは
決して恥ずかしいことでも
弱いことでも何でもない。

むしろ、人に完璧を求めて
その人がどんなに苦しんでても
追い詰めて精神的にボロボロでも
理想を優先してそのボロボロに
気づけない人の方が弱い。


大好きな人の弱点を
自分は心から愛しく思う。

距離感がおかしい人

大好きな人が
ストーカーまがいの被害に
遭ってるらしいのを知った。

はっきりといつからというのは
絶対的にこの日からとは
分からないけど、今月入った辺りから。


それまでは違う人を
追いかけてた人が
手っ取り早くもっと身近で
執着できる(仕事関係でその人を
あからさまな無視はできない)
という理由で大好きな人に
移ったのも分かった。


自分も前に、趣味の関係で突然
知り合いが毎日しつこくしてきて
本当に困ったことがあるから、

いくら思わせぶりな態度を
取ったりはしてなくても
勝手に相手側に都合がいい解釈をされて
正当化されてしまうのはよく解る。


自分がどんなに気にしたり
ヤキモキしたところで直接的に
自分がその解決のために
首を突っ込めることはないし、

心で心配する以外何もできない。


だけど、昨日はそれを知って
本当にほとんど眠れなかった。

もちろん、大好きな人を心配して
恐怖と不安を感じるのが一番。

そして、あまりにも付きまとわれて
恐怖感から大好きな人が

そのストーカーまがいな人の
言いなりになってしまったら
どうしようという思いも
正直に言えばある。


距離感がおかしい人というのは
実際に存在する。

それは自分の前の経験上も
本当にそう思う。

でも、それでも世間的には
めちゃくちゃしつこいことをしても
びっくりするほどのらりくらり
逃げられるというのも、すごく思う。


特に仕事絡みの関係性では
直接的に嫌というのを示せば
仕事に影響するというのもあって

明らかにしつこすぎても言えない
という場合も多い気がする。


本当にずるいと思う。

大好きな人が仕事をすごく
大切にしてるのも
今年から本当にしたい仕事を
やっとできるようになったのも
会社で信用してもらうために
毎日必死なのも分かってて、

その仕事の部分を利用して
思い通りに動かそうとするとか

身勝手もいいところ。


自分は誰かをどんなに好きでも
相手が迷惑したり苦痛に感じることを
自分の好きという気持ちを理由に
正当化して押し付けるようなことは
絶対にできないし、したくはない。


その辺りの距離感が分からないのは
本当に人として恐ろしすぎる。
愛は無償でありたい

愛は無償でありたい

これは恋愛に限ったことではないけど
打算とか計算にあふれた人って
多いのかなと思う。


その人という人間は変わらないのに、
仕事で成功したらいきなり
さも前から仲良くなりたかった
みたいに近づいていく人とか、

これまでは見向きもしなかったのに
自分自身に得になりそうなことが
あるかもと思ったら寄っていくとか、

何かぞっとする。


自分が個人的な話を人になるべく
しないのもそういうことも
関係あるかもしれないな。


自分は損得とか名誉とかで
誰かに近づいたことなんて
一回もないけど、周りを見れば
そんな欲にまみれた人がたくさん。


人って怖いなと思うし、
いい時は寄ってくるし
下り坂になれば分かりやすく
ほとんどの人が離れていくのを
見てるからいっときの時点では
その人が本当に信じられる人か
どうかなんて分からないよね‥。


自分はそれでも無償の愛を持ちたい。


その人という人間性に惹かれたなら、

いい時もうまくいかない時も
その人の一番の心の居場所でありたいし

その時の状況で態度を変えたり
うまみがないと思ったら去って
また違う誰かにすり寄るような
そんな生き方はしたくない。


生き方としては自分みたいなのは
愚直すぎて要領が悪いかもしれないけど

それでも自分は人として
これだけは大事にしたいという想いは
これからも大切にしていたい。

いつでもどこでも

今日、家族と外で話してる時に
大好きな人の話になった。

といっても、もちろん家族は自分が
その人を大好きというのは知らなくて
地元が同じというただそれだけの
存在として話してただけで。


その時に、隣にいた人たちが
もしかして大好きな人の職種の
話をしてる?と思った会話が
一言二言あったのが気になった。


自分も家族も大きい声で
話してたわけではないから
たまたまその職種関係の話を
しただけで全然関係なかったのかも
しれないけど。


自分は基本的に誰のことも
批判や否定するような言い方は
いつも軽々しくはしないし、

そもそも大好きな人には特に
そういう要素もないから
どこでとか関係なくいつも
肯定的な話しかしないけど、

どこにいても、いつでもどこでも
誰に聞かれてるか分からないという
意識はちゃんと持っとかないとなと
すごく感じさせられた。

どこで誰が聞いてるか
分からないもんな‥。

これからも気をつけようと思う。
用事で行った小さい商業施設で
ちょっとうつむき加減に一人で
歩いてた人の後ろ姿が何となく
大好きな人と似てたから、

思わず見てしまって
また励まされた。


大好きな人と似てる人は
後ろ姿だけでもそんなにいない。

いたとしても本人ではないのは
もちろんそう。

それでも、諦めるなと
言われてるような気がして、
密かに励まされてる。



おそらく知り合いは何気なく言って、
自分を傷つけたり嫌な思いをさせる
つもりは全くなかったと思う。

だけど、笑いながらも心では
すごく悔しかった。

今に見てろよ、と思った。
あまりにも前に感じる記憶

あまりにも前に感じる記憶

大好きな人と出会った夏以前の
記憶はあまりにも昔というか、
かなり前のことに感じられる。


自分の人生が、大好きな人と出会う前/
出会ってからの2つで分類されてる
とすら思ってしまう時がある。


大好きな人と出会う前の毎日を
今思い返そうとしても、
まるでセピア色の何かを
一生懸命掘り起こすような作業で、
どこか遠くにあるものを
何とか思い出そうとしてる感じで。


大好きな人と出会ってから
気づけたことや知ったこと、
学んだことがたくさんある。


それまでも毎日を大切に
生きてきたつもりではあったし、

育った環境が環境なだけに
多くの人が当たり前とか普通と
思ってしまいがちなこともいちいち
立ち止まって「これは奇跡!
有り難い!本当にありがとう!」と
言えるような子ではあったけど、

それでも大好きな人と出会ってから
新たに考えるようになったことや
自分の心が広がるような
大切な何かにも気づけたと思う。


もう、大好きな人がいない人生は
考えられないよなあ‥。

人生や毎日を考える時、
意識して大好きな人を入れなくても
自然に「もし一緒に生きられるなら」
と共にいる様子を想像してしまう。


大好きな人とまだ出会う前の日々が
幻のようにさえ思う。
気楽と思われてるくらいでいい

気楽と思われてるくらいでいい

「ENAってほんとに気楽だよね!笑
いつも楽しそうで、人と違う個性を
持ってても笑い飛ばしてる感じ」

と、友達に言われた。


友達といっても、自分は正直
全面的に心を開いてはいないけど、

決して広くはない交友関係の中で
育った家庭のこととか
色んな事情を知られたら
ややこしいことになりそうで
いつもうまくやり過ごして
ごまかして人間関係をこなしてるから、

そうやって元気で明るくて気楽な人と
思われてるくらいでちょうどいい
と思った。


大好きな人のことも知ってるけど、
まさか自分がその人に恋愛感情を
持ってて本気でこんなに好きとは
きっと思ってないはず。

自分も周りに広まる可能性がある場所で
自分の恋愛の話をするつもりはない。


うん、そうだよ気楽だよ
という顔で笑って、心では全然
まだちゃんと呼吸できる場所も
見つかってなくて。


だけど、それでも
周りの人には気楽な自分と
思われててもいい。

恋愛のことも、自分の他のことも、
人に簡単に話すつもりはないから。


いつかこの恋愛がうまくいったら
その時はごく身近な人だけには
話すかもしれないし

そんな未来が来てほしいけど、

それまでは慎重に目立たないように
仮面の自分で過ごそうと思う。


恋愛がうまくいっても
自分のことを人にはできるだけ
話さないとは思うけど。苦笑


人はなるべく信用しないから。
育ち方のせいか、昔からずっと。

だからこそここだけは信じられると
心を開ける場所が欲しいし、

それが大好きな人なら本当に幸せ。

立場ごとの相応しさ

例えば、恋人同士なら
全然違和感なく受け入れられる
言葉でもそうではない関係性で
それを言われたら引くなあ
と思うことを言ってる人が身近にいて、

本人は自分を信用してくれてるから
そう言ったのかもしれないけど
自分個人的にはちょっと心が
ぞわっとしてしまった。


人のふり見て我がふり直せとは
こういうことなのかも、と思う。


自分は人とコミュニケーションを
取るのは積極的な方でも
誰かと仲良くなる、心を開くことは
本当に慎重になるタイプで

むしろもっと押していけと
言われることも多いけど、

それでも人の心に土足で踏み込んだり
その立場にはそぐわないことをして
引かれてしまうよりはいいのかな
と考えてしまった。


自分がもし、まだそこまで
めちゃくちゃ親密ではない状況で
相手から言われて引っかかることは
きっと今、自分が相手にしたとしても
同じように引っかかられてしまうこと。

だから、焦っても急ぎすぎず
慎重に大好きな人との距離を
縮めていけるようにしたい。



相変わらず、毎日の生活に追われつつ
心の中で大好きな人を想うのを
誰にも言えず人知れずただ心の
拠り所にする日々を過ごしてる。


そんな中でも、地元への愛着や愛は
昔以上に更に深まってると思うし、
そんな大好きな地元が同じ
大好きな人と出会えたことは
自分にとって本当に大きな幸せ。


好きになりすぎないように
頭の片隅に意識し続けて
がんじがらめな世界の中に生きて
本当にしんどい時もあるけど、

今誰にも見えてないような
小さい小さい努力がいつしか
大きな夢を叶えることになるように

今はただ自分ができることを
コツコツ積み重ねるだけかなあ。

知り合いでも何でもない人の
もしかしたら全て嘘かもしれない
電子文字の羅列に心がめいってる。


複雑な環境の中に身を置いて
毎日を何とか生きてるような中で
精神的に参ってるから色んなことに
心が過剰に反応してしまうのかも。


大好きな人のこと、この先も
大好きでいるなら、そういう
つまらないものに振り回されたり
いちいち揺らがない強さを持たないと
いけないなと思う。


ただ平凡でも安心して生きたいだけ。

大好きな人が心にいつもいるのは
とても幸せなこととは思うけど、

本当に、特別な非日常ではなく
何気ないゆったりした日常が
欲しいってただそれだけが
何でこんなに難しいのかな。