好きなタイプ
大好きな人に、直接的に
「好きなタイプってどんな人?」と
聞いたことはないけど、
間接的に好きな芸能人を前に
知ったことはある。
自分は元々芸能人に詳しくないから
その人の名前を聞いてもすぐに顔が
浮かばなくて検索して分かった。
芸能人ならたぶんそれが普通といえば
そうなのかもしれないけど
やっぱりすごく顔が整った人で、
「このレベルを求めてくるのか‥」
(実際には別にあくまでもその人は理想で
そこまでではなかったら嫌とかでは
ないかもしれないけど)と
思ってしまった記憶がすごくある。
それでも、その芸能人を普段から
めちゃくちゃチェックするとかはなく
「こういう系の人が好きなのか」という
系統的に目指すならその方向なのかなと
思う程度で今まできて、
いつもいつもその芸能人のことが
気になって仕方ないとかでは
全然なかったけど、
つい最近、大好きな人の周りで
推し活の話になってた時に
大好きな人が「自分は〇〇かな」
みたいに言ってた芸能人が
自分から見てちょっと意外に思う人で。
顔の系統としては、前に好きと言ってた
芸能人とすごく近いから
こういう顔が好きなのかなというのは
分かりやすいと思ったし、
推しと言ってもそんな熱心に
どこかに通ったりグッズを集めたり
周りの人にその推し活が知られてるとか
そういう感じではなさそうに感じたけど、
学生時代に容姿のことで
いじられた経験がある自分には
すごく辛い話題に思えて苦しくなった。
自分は誰かに好きなタイプを聞かれても
そもそも芸能人とかに詳しくないから
具体的に誰かの名前を挙げることはない。
でも、もし自分が誰か芸能人のことを
かっこいいなとか可愛いなと思ったとしても
その人と現実的に付き合いたいとか
どうなりたいとかではなく、
あくまでも
「例えるならこういう顔が好きかな」
という程度でも名前を出すことも
あるような気がする。
大好きな人が「絶対にこういう顔以外は
ありえないし無理」と言ってるわけでも
ないのにその系統の顔にとらわれすぎるのは
不健全で心にも体にも悪いって分かってる。
学生時代の美術の時間に
教室の後側の席にいた時
突然自分の容姿をいじられて
笑われて傷ついてから、
自分なりに自分に自信を持てるように
色んな面で努力して
今は見た目をいじられることもないけど、
じゃあその出来事が心から消えるのか
というとそうではないと思う。
「自分は友達に容姿を笑われた」
という経験はずっと傷として残る。
あの頃笑われたのは
暴力的な親とも似てるパーツで、
だから余計に整形したくて
自分の顔が嫌で仕方なかった。
学生時代を経て大人になって
もうそれは記憶の彼方になりかけてて
そんなことを気にしなくても
生きていけるかもと思った矢先に
また容姿を意識せざるをえないことが
起こるのがしんどいなと苦しくなる。
大好きな人が、こういう顔以外は嫌なんて
一言も言ってないのに、心の中で
「自分(大好きな人)だって
めちゃくちゃ整った顔を
してるわけでもないのに
そんなこと言わないでよ」と
大好きな人に対して思ってしまう
自分自身にも嫌気がさしてくる。
結局、自分は自分に未だに自信がない
それに尽きるのかなぁ。
自分なりにあの頃を乗り越えたつもりでいた、
だけど日常のふとしたことで
こんなに簡単に心の表面に傷が
浮かび上がってくる。
もっと自分に自信を持ちたいのに。
あの頃とは違う自分になれてると
思ってたのに。
確かにその芸能人は可愛いけど
他にも可愛い人たちはたくさんいて
可愛い定義は一つではないのに。
ただ大好きな人に好きと
思ってほしいだけのことが
ここまで心を苦しめていくのがしんどい。
自分は世間一般で言うイケメンとか
美人かどうかということよりも
誠実で穏やかな人が好きという考えでいるから
見た目がどうとかにはあんまり
こだわらないけど、
かっこよければかっこいいほどいい、
可愛ければとりあえずそっちの方がいい
という考えが特に今の時代は
根強い気がしてしまうから、
また自分は容姿のことで
悩むことになるのかな‥。
恋愛は本当に少しずつしか進展しないのに
こういう悩みは重みを持って飛んでくる。
恋愛は幸せかもしれないけど、
しんどいなとも感じてしまう。
テストの100点とは違って
容姿にはこれが最高、
これ以上はないという終わりがない、
そこがまた怖いなと思う。
「好きなタイプってどんな人?」と
聞いたことはないけど、
間接的に好きな芸能人を前に
知ったことはある。
自分は元々芸能人に詳しくないから
その人の名前を聞いてもすぐに顔が
浮かばなくて検索して分かった。
芸能人ならたぶんそれが普通といえば
そうなのかもしれないけど
やっぱりすごく顔が整った人で、
「このレベルを求めてくるのか‥」
(実際には別にあくまでもその人は理想で
そこまでではなかったら嫌とかでは
ないかもしれないけど)と
思ってしまった記憶がすごくある。
それでも、その芸能人を普段から
めちゃくちゃチェックするとかはなく
「こういう系の人が好きなのか」という
系統的に目指すならその方向なのかなと
思う程度で今まできて、
いつもいつもその芸能人のことが
気になって仕方ないとかでは
全然なかったけど、
つい最近、大好きな人の周りで
推し活の話になってた時に
大好きな人が「自分は〇〇かな」
みたいに言ってた芸能人が
自分から見てちょっと意外に思う人で。
顔の系統としては、前に好きと言ってた
芸能人とすごく近いから
こういう顔が好きなのかなというのは
分かりやすいと思ったし、
推しと言ってもそんな熱心に
どこかに通ったりグッズを集めたり
周りの人にその推し活が知られてるとか
そういう感じではなさそうに感じたけど、
学生時代に容姿のことで
いじられた経験がある自分には
すごく辛い話題に思えて苦しくなった。
自分は誰かに好きなタイプを聞かれても
そもそも芸能人とかに詳しくないから
具体的に誰かの名前を挙げることはない。
でも、もし自分が誰か芸能人のことを
かっこいいなとか可愛いなと思ったとしても
その人と現実的に付き合いたいとか
どうなりたいとかではなく、
あくまでも
「例えるならこういう顔が好きかな」
という程度でも名前を出すことも
あるような気がする。
大好きな人が「絶対にこういう顔以外は
ありえないし無理」と言ってるわけでも
ないのにその系統の顔にとらわれすぎるのは
不健全で心にも体にも悪いって分かってる。
学生時代の美術の時間に
教室の後側の席にいた時
突然自分の容姿をいじられて
笑われて傷ついてから、
自分なりに自分に自信を持てるように
色んな面で努力して
今は見た目をいじられることもないけど、
じゃあその出来事が心から消えるのか
というとそうではないと思う。
「自分は友達に容姿を笑われた」
という経験はずっと傷として残る。
あの頃笑われたのは
暴力的な親とも似てるパーツで、
だから余計に整形したくて
自分の顔が嫌で仕方なかった。
学生時代を経て大人になって
もうそれは記憶の彼方になりかけてて
そんなことを気にしなくても
生きていけるかもと思った矢先に
また容姿を意識せざるをえないことが
起こるのがしんどいなと苦しくなる。
大好きな人が、こういう顔以外は嫌なんて
一言も言ってないのに、心の中で
「自分(大好きな人)だって
めちゃくちゃ整った顔を
してるわけでもないのに
そんなこと言わないでよ」と
大好きな人に対して思ってしまう
自分自身にも嫌気がさしてくる。
結局、自分は自分に未だに自信がない
それに尽きるのかなぁ。
自分なりにあの頃を乗り越えたつもりでいた、
だけど日常のふとしたことで
こんなに簡単に心の表面に傷が
浮かび上がってくる。
もっと自分に自信を持ちたいのに。
あの頃とは違う自分になれてると
思ってたのに。
確かにその芸能人は可愛いけど
他にも可愛い人たちはたくさんいて
可愛い定義は一つではないのに。
ただ大好きな人に好きと
思ってほしいだけのことが
ここまで心を苦しめていくのがしんどい。
自分は世間一般で言うイケメンとか
美人かどうかということよりも
誠実で穏やかな人が好きという考えでいるから
見た目がどうとかにはあんまり
こだわらないけど、
かっこよければかっこいいほどいい、
可愛ければとりあえずそっちの方がいい
という考えが特に今の時代は
根強い気がしてしまうから、
また自分は容姿のことで
悩むことになるのかな‥。
恋愛は本当に少しずつしか進展しないのに
こういう悩みは重みを持って飛んでくる。
恋愛は幸せかもしれないけど、
しんどいなとも感じてしまう。
テストの100点とは違って
容姿にはこれが最高、
これ以上はないという終わりがない、
そこがまた怖いなと思う。
コメントを書く...
Comments